10-5

 光炎の翼カルバリーの炎を浴びたヒドラは、丸焦げになって地に倒れ伏した。

 あたしたちは安堵の息をついて、それぞれの武器をしまう。カルバリーもセレンの元に戻ると、ふっと消えた。途端に、彼を取り巻いていた神々しさは消え、瞳の色も、金赤色から金の要素が失われて元の赤に戻ったようだ。

「皆、大丈夫か」

 セレンがあたしたちの前に降り立つ。

「……すごいね」

 あたしはあっけに取られて、そんな感想しか述べられなかった。前に人の髪について、長いほうがよかったとしか言わなかった彼を笑えない。

「すごい、すごいじゃんか、セレン!」

 あたしが何とか先を続けようと言葉を探していると、それをずいとおしのけて、ユエナがセレンの前に進み出た。

「これで長より強くなったんじゃないの? もう、半端者だなんてシエナの誰にも言わせない」

 自分事のように喜々とした調子のユエナに、セレンはどこか寂しそうに返す。

「別に、長を出し抜こうとか、皆を見返そうとか、そんな事を考えてた訳じゃない」

「でも、実際なったんだ。少しぐらい今までの仕返ししたって、バチは当たらないさ」

「そんな事、セレンはしないよ」

 思わずあたしは口を挟んでいた。ユエナの赤い瞳が、うるさそうにこっちに向けられる。

「あんたがセレンの何を知ってるっていうのさ」

 知らないよ。あたしはゆるゆる首を横に振る。たしかにあたしは、彼の全部を知ってる訳じゃない。一緒に過ごしたのも、ほんの数ヶ月だ。

 だけどこれだけは言える。たしかにわかる。

「セレンは誰かを恨んだりとか、傷つけようとか、思うひとじゃない」

 悩みを抱え込んで、誰も巻き込まないようにとひとりで飛び出して行ったような彼が、ひとを憎んだりとか、何かを壊そうとかなんて、できる訳が無い。

 それにきっと彼がフェルバーンのように破壊を望んでいたら、光炎の翼だって力を貸してくれなかったと思う。憶測だけど果てしなく確信に近く、あたしはそう考える。

「あんたなんかに言われなくたって、アタシは」

 ユエナが反論を口にしようとする。が、あたしの視線は、彼女の背後で身じろぎする、死んだはずのヒドラの姿に向いた。焼け焦げた頭がのろのろと持ち上がり、最期の力を振り絞って炎を浴びせようと口を開く。

「――ユエナ!」

 あたしは咄嗟にユエナの名を呼び突き飛ばして、彼女の前へ飛び出していた。そこに高熱の息が襲いかかる。

 ああ、また死ぬのかな。今度はきっと生き返れない。

 ぼんやりと思考しながら、あたしの意識はぷっつりと途切れた。


 ぷっつりと。途切れたはずの意識は、戻る時も急速だった。

 はっと気づけば、見慣れない天井、身に慣れないベッド。その周りを、セレンと、レジェントと、ユエナが囲んで、心配そうに見下ろしていた。

「気づいたか」レジェントがほっとした様子で息をつく。「君に万一の事があったら、ラテジアに申し訳が立たないところだったよ」

「よかった」セレンも心底安堵したように。「また、いなくなっちまうかと思った」

 身を起こして、自分の身体をしげしげと見回してみる。ヒドラの炎に焼かれたはずの身体は、どこにもやけどが無かった。

「ユエナが治してくれたんだよ」

 レジェントが疑問に答えてくれた。

「君のために、魔力が尽きそうになるまで回復魔法を使ってくれた」

 ユエナが? 驚いて見やると、彼女は気まずそうに視線をそらして、

「ほ、本当は」

 しどもど洩らす。

「あの程度の炎、火のアストラルが食らったって何とも無かったんだ。なのに余計な真似するから」

「ユエナ」

 ぴしゃりとセレンに言われて、ユエナは首を引っ込め、目線はこっちに向けないまま、告げた。

「……、……」

 ものすごく小さい声だけど、たしかに聞こえた、「ごめん」と「ありがとう」。あたしはすっかりあっけに取られてしまう。

「か、勘違いするな!」

 ユエナは心なしか頬を赤く染めて、きつい調子で言い張った。

「ちょっとしか見直してないからな、ちょっとしか! 人間全部に対する気持ちが変わった訳じゃない!」

 あたしはしばらくぽかんと口を開けてしまう。視線を転じると、セレンとレジェントは微苦笑して肩をすくめてみせた。あたしも口の端を持ち上げて、ユエナに向かって頭を下げる。

「それでもいいよ。助けてくれてありがとう」

「……なんで、そんななんだよ」

 ユエナはやっぱり横を向いたまま、ぼそりと呟いた。

「かなわないって、思っちゃうじゃないか」

「かなわないって?」

 あたしは小首を傾げる。

「力なら、ユエナの方が圧倒的に強いと思うけど」

 その言葉に、ユエナはやっとこちらを向いてくれた。けど、なんだかやけに複雑そうな表情で。

「そういうふうだから……」

 彼女は何か言葉を続けたかったみたいだけど、部屋のドアが開かれる音で中断を余儀なくされた。入ってきたのは、長のハヴィッツ。彼はあたしを一瞥してから、すぐに興味を失ったように、セレンに視線を移す。

「光炎の翼を継いだか」

「はい」

 相変わらず、血の繋がった家族とは思えない、固い声でのやりとり。

「ならば、お前が求めるものは、儂が渡さずともお前の中にあるはずだ」

 早口気味にそう告げて、火のアストラルの長はさっさときびすを返す。

「その力でアポカリプスを倒してみせよ」

「……わかりました」

 ハヴィッツが部屋を出てゆく。祖父と孫の会話は、決して歩み寄りを見せる事なく終わった。だけどセレンは、それも些細な問題だとばかりに平然としていた。そして、いつの間にか心配そうな表情を作ってしまっていたらしい、あたしの方を向いて、笑みを浮かべる。

「カルバリーが宿った時に、カルバリーの持つ情報を得られたんだ」

 彼は続けた。

「神剣のありかがわかる」

「本当?」

 あたしが目を丸くして訊ねると、セレンは力強くうなずく。

「神剣が手に入れば、それとカルバリーの力であの島の結界を解いて、アポカリプスの元に乗り込める」

「クライスフレインに戻ったら、今度こそ、カバラ社のアスター殿と連絡を取れるように努力してみよう」

 レジェントが口を開く。

「カバラ社の力を借りれば、色々と事もたやすく運ぶかもしれない」

「それだけじゃ足りないだろ」

 そこにユエナが割り込んだ。ただ、その口調は、単にあげあしを取りにきた訳ではなさそうだ。

「人間の技術が、アストラルに追いついてるとは思えない。アタシが他のアイトを回って、そのカバラとやらに技術提供できる事があったら、してやるように、声をかけて来る」

 まさか彼女が人間に協力を申し出てくれるなんて。あたしたち三人がびっくりして注目すると、彼女はまたそっぽを向きながら。

「だから勘違いするなって。人間のためじゃない。セレンが困らないようにしてやるだけだ」

「それでも嬉しいよ」あたしは笑顔を彼女に向けた。「ありがとう」

「何回もありがとうありがとう言うなよ」

 ユエナは、決まり悪そうにぽりぽり頬をかいた。

「それでも言わせてくれよ、ユエナ」

 セレンがユエナに右手を差し出す。

「ありがとう」

 ユエナはやっぱり、握手を求める手を怪訝そうに見下ろしていた。

「ああ、これか」

 今気づいたとばかりに、セレンは笑顔で説明する。

「人間の挨拶は、こうして手を握り合うんだ」

 それであたしは悟る。アストラルには握手の習慣が無いんだ。さっき彼女があたしの握手を無視したのは、わざとじゃなくて、本当に知らなかったからだ。そういえば、最初にセレンと出会った時も、彼は握手をわからなかったみたいだし。

 ユエナは確実に戸惑った後、はれものにでも触れるかのように、恐る恐る手を差し出し、握って。

「あんたは」

 セレンを真正面から見つめて、少し寂しそうに笑みを洩らした。

「すっかり人間側になっちゃったんだな」


 シエナ・アイトのアストラルたちがあたしたちを見送る目は、来た時とは少しは変わっていた。それは多分に、あたしたちがヒドラを倒し、セレンがカルバリーを手に入れた事に対する、人間への価値観の変化のせいだと、考えていいのだと思う。

「そういえばさ」

 彼らの視線を浴びながら歩いていたあたしは、ふと思い出してセレンとレジェントに訊いた。

「あのヒドラ、首がひとつ足りなかったでしょ? 何でだと思う?」

 二人が同時に振り返る。

「もしかしたら、だが」

 レジェントが推論を述べた。

「昔、誰かがあのヒドラに挑んだのではないかな」

 それが誰で、どうなったかはわからないが、とレジェントはつけ加えた。それを聞いて、まさか、と考える。

 ヒドラに挑もうとした過去の人物を一人、あたしは知っている。もしかして、もしかしたらだけど。彼は本当にヒドラと戦って、首をひとつ落とすところまではしたのかもしれない。最愛の人たちの所に戻る事はかなわなかったけれど。

 あくまであたしの憶測だ。真実は、闇の中。

 あの山に眠っていたカルバリーを宿したセレンなら、全部わかっているのかもしれない。だけど彼は、

「そうかもな」

 と、淡々とレジェントに返すばかりで、哀しいとか、寂しいとか、悔しいとか、そんな感情を一切表面に出す事が無いまま、故郷をあとにした。

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