6-2

 アヴェスタは、ヴァリアラの旧首都だ。何故クライスフレインに遷都したかは、先に言った通り。人々が去った後、アヴェスタは廃墟となり、今では住む者もなく朽ちていくだけ。

「もう二十年近く前の話なので、クライスフレインで生まれた私は、当時の事を直接知っている訳ではありませんけれども、かなり大規模な人々の移住があったそうです」

 と、グリフォンの手綱を操りながら、ナイアティットは説明してくれた。更に。

「デミテル公は、陛下の母方の一族なので、王家の血筋ではありませんが、前王陛下の時代から虎視眈々と王座を狙っていたようです。数年前、王位簒奪に失敗して以降、行方をくらませ、捕らえられずにいましたが、まさかアヴェスタに潜伏していたとは、我々騎士団の捜査力が至らなかったのですね」

 そんなきな臭い話を聞きながらじゃなければ、グリフォンに相乗りさせてもらって空を行くのは気分がよかっただろう。髪をなびかせる秋の風を受け、眼下に広がる地上の風景を眺めるのは、心に余裕がある時ならかなり爽快だったに違いない。他の騎士たちのグリフォンにそれぞれ乗せてもらっているみんなも、同じ気分だろうか。後ろを振り返ると、セレンだけはまた、自力で空を飛ぶ訳じゃないのが恐いらしく、少し青い顔をしていた。

 やがて、騎士の一人がナイアティットに何かを示した。彼女はうなずき返すと、部下たちに合図を送り、グリフォンが一斉に地上に向けて降下してゆく。

 あたしたちは、アヴェスタの郊外、王城からはやや離れた岩場に降り立つ。そこには先客がいた。グリフォンが一頭と、

「銀色の、鳥?」

 グリフォンとそう大きさが変わらない、とても綺麗な鳥だ。これが話に聞いていた幻鳥ガルーダなのだという事、それはつまり、この鳥を駆る王様がここで降りて、どこかへ向かったのだろう事を、あたしたちは段階的に悟る。

 あたりを見渡すと、岩場の陰に洞窟がぽっかりと口を開けていた。ナイアティットいわく、アヴェスタには、緊急の脱出用として王城から繋がる隠し通路が網目状に張り巡らされているという。王様たちはそれを利用して、正面からではなく地下から城を目指したに違いない。

「さっさと追いつかなければならん、行くぞ」

 兄さんが、これっぽっちも物怖じせずに洞窟へ入っていく。エイリーンとリサが後を追う。戻って来た時すぐにでもグリフォンを出立させられるように、騎士団の人たちはここに残るから、あとはあたしとセレン。

「先、行けよ」

 あいつがそうあたしを促すので、

「なに、怖じ気づいてるの?」

 とからかってやったら、あいつはちょっとムッとした様子で。

「仮にも女の子に、しんがり務めさせる訳にもいかないだろ」

 あいつの口からそんな気遣いが出てくるとは考えていなかったので、思わずぽかんとしてしまった。でもそういえば、サンザスリナ城でデュアルストーンを探した時にも、それ以外の日々の中でも。セレンは、わざわざ口に出すでもなく自然に、背後を警戒する役目を引き受けていてくれた。それに今更気づく。

 仮にも、っていうのがちょっと気に食わないけど、あたしは素直にあいつの厚意を受け取る事にした。あいつに先じて洞窟に身を潜らせる。が、途端に、頭上から垂れてきた水滴が、ひやり、首筋に当たり、

「ひやあああっ!」

 脳で考えるより早く口が悲鳴をあげてしまって、慌てて飲み込むが、遅かった。あいつが呆れた顔をしながら洞窟に入って来て、兄さんは苦虫をかみつぶしたような表情で振り返るし、エイリーンとリサも、むしろ悲鳴自体にびっくりしてしまっている。あたしは口をおさえたまま、「すみません……」と詫びるしか無かった。

 洞窟内は、ヒカリゴケがびっしり自然発光していて、松明をともす必要も、セレンが炎で灯りをつける必要もなかった。あちこちでぴちゃん、ぴちゃんと水が滴る音がして、じめじめと湿度が高い。こういう場所は十中八九。

「カエルが出そう……」

 げんなりとあたしが洩らした呟きは、周りに聞こえていたんだろうけど、何とも返ってくる事無く流された。その無言の気遣いがかえって心に痛いんですけど。どうせなら、あいつだけでも何かからかってよ。そう落ち込みながらも、気を取り直して、ふと思い出した事を、隣を歩くリサに訊ねてみる。

「そういえばリサ、ランバートンは大丈夫なの? エリル様を一人にして来て」

 するとリサはこちらを向き、少しだけ緊張していた顔に笑みを乗せて答えた。

「その姉が言ったのです。世界が危機に陥ろうとしている時に、私情で落ち込んでいる訳にはいかない、と。ランバートンは自分が守るから、ヴァリアラへ行き、デュアルストーンを守りなさいと」

 そうして、あたしに軽く頭を下げる。

「心配してくださってありがとうございます。ハミルに帰った折には、カランさんが気遣ってくださった事を、姉にしっかりと伝えますわ」

 あたしも微笑を返し、しかしそれをすぐに消して、あたしもリサも前に向き直った。先頭の兄さんが剣を抜き、油断無く前方を見すえる。

「お姫様、悪いが四六時中あんたをかばっている暇は無い」

「わかっております。自分の身を自分で守れる力量が無ければ、同行を申し出たりはしていません」

 兄さんにそう返して、リサは魔力を込めた杖をぎゅっと握り直す。あたしも剣を鞘から解き放ち、セレン、エイリーンがそれぞれの武器を構えた。

 ぺた、ぺたという足音がいくつも、近づいて来る。地下の水場近くに生息するという、ぬらぬらした紫の毒々しい皮膚に覆われた体躯を持つ、半魚人の亜種。カバラ社発行の魔物辞典では、レイフ、と言ったっけ。それから、ずるずると地を這って来るのは、半透明の巨大ゴカイみたいな、ウォーターワーム。どちらもあまり見ていて気持ちのいいものじゃない。

 距離を詰める前に、セレンが先制して炎を放つ。敵の先陣が燃え崩れて後続の足止めをしたところに、リサの氷の矢が突き刺さる。完全に出鼻をくじかれた魔物たちに、あたしたちは斬りかかった。斬り裂くと緑色の魔物の血液が飛び散って、気色悪いけど、そんな事を言って怯んでる場合じゃないのはわかってる。ウォーターワームを斬り捨て、返す刃でレイフの首をはねた。

 殺気を感じて、はっと振り返る。いつの間にかレイフの一体に背後を取られていた。ぬるぬるした体躯の中でそれだけがぎらぎら光る爪が、振りかざされる。兄さんがこっちに駆けて来ようとして、セレンも火球を打ち出す体勢を作る。あたし自身も何とか反応しようと、咄嗟に剣を構え直したが、それより早く、レイフは突然硬直し、耳当たりのよくない断末魔をあげ、緑の血の尾を引きながら倒れこんだ。

 魔物が倒れた事で、その背後に誰かが立っている事に気づく。二振りの剣を振り下ろした体勢のままのその人物を見て、あたしとセレンとリサが、同時に声をあげた。

「クロウ」

「クロウ?」

「クロウさん!」

 以前の旅装ではなくヴァリアラ騎士団の制服をまとっていて、ちょっと印象が違うけれど、その顔は間違えようが無い。サンザスリナ城で共に戦ったクロウ・セスタスが、そこにいた。

「なんで……」

「積もる話もあるけど、後だ、後!」

 ぽかんと口を開けてしまうあたしにちらと視線を送ると、クロウはすぐさまその視線を、残る魔物たちに戻し、斬りかかった。その後に続く人がいて、あたしはそちらに顔を向け、更に驚く羽目になる。

 身の丈以上の槍を振り回す長身。こちらも騎士服を着ているけれど、色が違う。白いヴァリアラ騎士の制服と違い、黒が基調だ。深い紫の髪のその人は。

「リュードさん!?」

 ガゼルで出会った、リュードさんその人だ。

 今日半日だけで一気に何人にも再会した驚きで、あたしの脳内が少々混乱している間に、クロウとリュードさんは戦列に参加し、レイフを、ウォーターワームを次々討ち取っていく。七人で立ち向かった結果、やがてその場に動いている魔物は一匹も居なくなった。

 それぞれが武器をおさめ、一息つくと、誰からとも無く集まる。

「よ、久しぶり」

 クロウが、何事も無かったかのように片手を挙げてあまりに軽く挨拶するものだから、こっちもうっかり「ああ久しぶり」とか返しそうになったんだけど。

「よ、じゃない!」

 あたしが突っ込むより先にセレンが声をあげた。

「お前、ヴァリアラ騎士だったのか!? そんな素振り、少しも見せなかったじゃないかよ!」

「悪い悪い」

 クロウは今度は両手を挙げて、詰め寄るあいつに苦笑を向ける。

「俺、陛下の直属でさ。たまに身分を隠して各地の様子を調査するのが任務な訳。それ知ってるの、あの時はエリサ様だけだったんで」

「……リサ、知ってたの」

 あたしとセレンが顔を向けると、リサは申し訳無さそうに、でも微笑を浮かべて、小首を傾げてみせた。ああ、そうか。王様の婚約者なら、直属の部下の顔を知っていても不思議じゃない。

 だけど、そうすると。

「じゃあ、レジェント王は今どこに?」

 あたしの疑問が発せられると、途端に、兄さんが眉間に皺を寄せた。リサも不自然な無言に陥り、クロウが変な形に口を固まらせる。エイリーンは何だか得心顔だ。

「お前、マジか?」

 セレンが呆れ返った表情であたしを見下ろしてくる。

「この状況でわかってないの、お前だけだぞ」

 あいつの視線を追いかける。その先には、困ったような笑みを見せるリュードさんがいた。

 しばし、黙考。

 それからようやく思考が事実に追いついて。

「えええええ―――――っ!?」

 洞窟中に、あたしの絶叫がいいかんじに反響する。今日はもうこれ以上何があっても驚かないぞと思っていたあたしの決心は、もろくも崩れ去ったのだ。

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