5-4
狩猟会が始まった。
鼻息荒いフタツノブタが一斉に街に放たれ、それをバウンサーが追って走り出すと、街中がわっと喚声に包まれる。
使っていいのは、自分の足と、手にした武器だけ。空中ケーブルでの移動禁止、魔法もご法度のルール。ぶひぶひ言いながら車道を駆け抜けるフタツノブタを追いかけ走ると、両脇の歩道にひしめきあう人々の熱狂の声が、痛いくらいに耳を叩いた。
あたしは公園広場から降りて最初の道へ出て、先をゆくフタツノブタを射程にとらえる。距離を一気につめ剣を振るうと、きん、と高い音と共に角が宙を舞って、観衆の間に飛んでいった。たちまち、角めがけてわっと人が殺到する。なんでも、斬り取られた角は、最終的にはカバラ社が回収するけれど、最初にそれに触れた者にはむこう一年幸福が訪れると信じられているのだとか。だから誰も彼も必死だ。ただの見物人に徹していない。
角争奪戦になっているところへ、返す刃でもう一本の角も斬り飛ばす。角を失い、獰猛さもすっかり失って、毒気が抜けたようにおとなしくなってしまったフタツノブタを踏みつぶしそうな勢いで、人々が押し寄せるのを後目に、あたしは次の目標を求めて走り出した。
誰がどれだけ角を狩ったかは、カバラ社がきちんとカウントしてくれている。なんでも、それぞれのフタツノブタの角に感知装置をつけていて、それを、登録したバウンサーの情報と照らし合わせて、正確に、公平に、数えてくれるのだとか。多分シェリーあたりに聞けば、日がとっぷり暮れるまで原理を説明してくれるだろうが、あえて聞こうとは思わない。
大通りへ出た。何頭ものフタツノブタが走り回っていて、それを追う他のバウンサーたちの姿も見受けられる。
その中エイリーンもいた。フタツノブタの突進を、地面を蹴って身軽にかわし、ナックルをはめた拳を一閃。角が宙を舞った。
他人の事を気にしている場合じゃない。ちょっと油断すれば、気が昂ったフタツノブタに追突されて怪我をする。それに、この狩猟会の参加者、つまりライバルは結構いる。数を狩らなきゃ優勝できない、五千ディールは見えてこない。いや、そんなに固執しなくても、そこまでお金に困った旅でもないんだけれど。
気を取り直して標的を探し首を巡らせた時、あたしはその異変を感じ取った。
フタツノブタたちの様子がおかしい。これだけの熱気の中に放り込まれたのだから、興奮するのは無理ないが、それにしても、息が荒い。そして、肌を刺すこれは。
殺気。
さがって、と観衆に警告する暇は無かった。フタツノブタは、ぐるる、と猛獣みたいに唸ったかと思うと、角を求めたかっていた人たちに向けて、突進したのだ。悲鳴があがる。角で脇腹を刺されて倒れこむ人がいた。見る間に地面に血だまりが作られ、たちまち皆が驚き慌てふためいて、悲鳴が飛び交う。
その恐慌が、よりフタツノブタを刺激したらしい。もう、バウンサーも観衆も関係なく、そばにいる人間に突進してゆく。とにかく止めなきゃと、あたしは剣を振り下ろした。
角が斬り飛ばされる。それと同時に、あたしは驚くべき光景を見た。角の切り口から黒い煙のようなものが立ちのぼる。煙が離れたフタツノブタが、糸が切れたようにふにゃりと地面に倒れこむ頃、煙は、フタツノブタに似た、しかしどこか愛嬌のあるその顔とは似ても似つかない、牙を持った醜悪な獣の形を取った。
それは。
「
そうだとばかりにそいつはかかか、と笑いを洩らして飛びかかってきた。とっさに身をひねって必殺の爪を避け、剣を振り払う。刃は敵の首を斬り裂き、煙とおぞましいうめき声をあげながら、影は消滅した。
見渡せば、他のフタツノブタたちも凶暴化していた。角が無くなって、所在無げにうろうろしていた仲間までも襲っているから、どうやら影はフタツノブタの角に憑依して、操っているらしい。
救護班の腕章をつけたカバラ社員が駆けてくるのが見えた。彼らは回復魔法が使えるだろう。襲われて怪我をした人は任せてもよさそうだ。それよりもあたしたちは、これ以上被害者が出る前に、暴走するフタツノブタを、いや、影を止めるべきだ。
エイリーンが他のバウンサーと協力して影を退治しているのが見えたので、そちらに向けて駆けてゆく。もうこうなったら祭どころじゃない。五千ディールなんてのもどうでもいい。フタツノブタの角を飛ばして影を分離させ、叩く。
何匹目かを斬り伏せて、次の敵の気配に気を回した時、エイリーンの背後に迫るフタツノブタの姿が見えた。
「エイリーン!」
あたしは警告を発したけれど、彼女が振り返るよりその角が彼女を傷つけるのが先だという、冷たい予感が、あたしの背をぞくりとはい上がる。しかし、フタツノブタの角がエイリーンに届く事は無かった。フタツノブタと、それに憑いていた影の悲鳴が同時にあがり、黒い煙が立ちのぼって消え、フタツノブタの体はどさりと地に落ちた。
「迂闊だな、お嬢さん」
大剣の構えを崩さないままエイリーンに声をかけたのは、兄さんだった。
「……あ、ありがとう……」
エイリーンはこんな時に何故か頬を赤らめながら礼を言ったのだけど、新たに向かってくる影憑きフタツノブタの群に気づくと、すぐさま体勢を立て直す。
「ご協力、お願いできるかしら」
「足は引っ張るなよ」
短く言葉を交わしてフタツノブタの群に突っ込んでゆく。即興のコンビの割には恐ろしく息の合った連携で、二人はたちまち影を叩き出し、消してゆく。
ここは兄さんたちが何とかしてくれるだろう。別の場所へ向かおうと、あたしは走り出した。
そうして、街中の暴走フタツノブタは、一時間もしないうちに、バウンサーの力で影を払われ、落ち着こうとしていた。あたしもあちこちを走り回り、たてつづけに影と戦って、すっかりへとへと、息切れ状態。
さすがにもう影はいないだろうと、気を抜きかけた時だった。向こうの路地から、甲高い悲鳴が聞こえてきたのは。
急いで足を向ける。影憑きフタツノブタが、幼い姉弟を袋小路に追い詰めていた。
「させない!」
注意をこちらに引きつけようと叫んでみたけれど、フタツノブタは反応しなかった。剣を手に走り込むが、情けない事に疲れから足がもつれ、あたしはその場に倒れこんで、顔面をしたたかに打った。
衝撃に頭がくらくらして、一瞬天地がわからなくなる。はっと気づいて、すりむきひりひりする顔を上げた時には、鋭い角が子供たちをとらえようとしていた。
危ない! あたしは口に出すこともできず、ぎゅっと目を閉じた。けれど、次の瞬間耳に届いたのは、子供たちの叫び声じゃなくて、フタツノブタの、いや、影の消滅する絶叫だった。
恐る恐る目を開くと、フタツノブタを炎が包み込んでいた。炎は周りに飛び火することなく、フタツノブタごと影を燃やし尽くして、役目を終えると幻のように消える。
こんな芸当をできる人間を、あたしは一人しか知らない。
「ったく、エイリーンに聞いたから、来てみれば」
路地の入り口に立ち、逆光で表情が見えないけれど、きっとあたしの醜態を見て、とても呆れた顔をしているに違いない。
「手間かけさせんな!」
想像している顔つきから考えられる、本当に呆れてます、といった声を放って、あいつは――セレンは近づいてくると、あたしの手を引っ張って立たせ、それから、姉弟たちを「もう大丈夫だからな」となだめて、やって来たカバラ社員の方へ促した。
「……ここに来るまでに、結構燃やした?」
丸焦げになったフタツノブタを見やりながら、あたしが訊くと。
「まあな」
あいつはうなずき、そして冗談じみて。
「見事な焼き豚だ。加工してない、素材を活かした味だから、美味いんじゃねえの」
あたしは思わず真正面からあいつを見てしまった。久々にまともに見つめる、あいつの顔だ。あいつも面食らったようにこちらを見返したんだけど、やがてどちらからともなく、ぷっと笑いがこぼれて。
あたしたちは久しぶりに、お腹を抱えて一緒に笑いあったのだった。
フタツノブタに憑いていた影はバウンサーたちによって消され、人々も落ち着きを取り戻そうとしていた。祭はめちゃくちゃになっちゃったけれど、カバラ社の救護の対応が早かったおかげで死者が出なかったのが、不幸中の幸い。
狩猟会がおじゃんになってしまったかわりに、事態の収拾にあたったバウンサーたちには、少しずつ報酬が出た。それを受け取りに本社前の公園広場へ行くと、社長のフェルバーンさん自ら出てきて、バウンサーたちに声をかけていた。
この間の事を思い出して、あたしは思わず身を固くする。フェルバーンさんがこちらに気づき、穏やかな笑みを浮かべて歩み寄って来た。
「やあ、カラン。君も事態収拾に参加していてくれたのか。今回の事は、僕らカバラ社の不徳のいたす所だ。迷惑をかけて本当にすまなかったね」
「い、いえ……」
まともに目をあわせられなくてぎくしゃくと返答するあたしを、フェルバーンさんは、苦笑を洩らしながら見ていたのだが、不意に真顔になって、訊ねる。
「それで、先日の事は考えてもらえたかな」
そこではたりと思い出す。危険な旅などやめて、カバラ社に入って静かに暮らせと言われた事を。
あたしは一瞬黙り込んだ。けど、きゅっと唇を引き結んだ顔を上げて、フェルバーンさんをしっかりと見すえると、言葉を紡いだ。
「すみません、せっかくのお誘いをいただきましたけど、あたしはやっぱり旅を続けます」
フェルバーンさんが予想外だとばかりに目をみはるので、続ける。
「一度心に決めたことを投げ出して、差し出された手に甘えるのって、よくない気がしますし、それに」
後ろを振り返る。兄さんが、エイリーンが、リュードさんが、あたしを見ている。
セレンと目が合う。あいつは少しだけ口の端を持ち上げて、笑み返してくれた。
「大事な仲間が、いますから」
あたしは、深々とフェルバーンさんに頭を下げる。
「ごめんなさい」
フェルバーンさんに幻滅されたかもしれないけど、それでもよかった。あたしはやっぱり、一度踏み出した道を諦めたくないと、一緒に戦ってくれる人たちを裏切れないのだと、わかってしまったから。
少しだけ、間があった。フェルバーンさんは、ふう、とひとつ息をついた後、
「……そうか」
呟くように洩らした。もっと怒るかと思ったから、意外で、顔を上げると、彼はやっぱり笑みをたたえたままで。
「君がそこまで決心しているなら、僕がそれを無理矢理曲げる事はできないな」
そっと、右手が差し出される。
「応援するよ」
「ありがとうございます」
あたしたちは、笑顔でしっかりと握手を交わした。
手が離れると、フェルバーンさんは兄さんたち一人一人に声をかける。
「君たちにも、ご協力、感謝する」
そうして、
「君も。強力な魔法の使い手らしいね、ありがとう」
セレンの肩に、ぽん、と手を置いた。その瞬間。
あいつの表情が瞬時に豹変するのを、あたしは見た。
それは嫌悪じゃなくて、憎悪でもなくて、あえて言葉を選ぶなら。
本能からの、恐怖。
「さ……わんなッ!」
ぱん! と、あいつが手を払う。あいつがなんでそんな反応をしたのか、その時は、そう、その時はまだ全然わからなかったし、いきなり拒絶されて、フェルバーンさんも今度こそ怒るんじゃないかとひやひやしたのだけど。
あの人は、怒ってなんかいなかった。笑みを残して、あたしたちの前から立ち去った。
そう、笑っていたの。
こちらがぞっとするくらい、冷ややかな笑みを、顔に満たして。
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