第65話 ちょっとした悪戯
(そろそろなのだけれど)
自室の寝台へ座りながら女官は合図を待っていた。
彼女が生まれたのは南吠の港街。
今回の任務は故郷を救う手助けとして動いたに過ぎない。
(本当に来るのかしら?)
そんな事を感じ始めた矢先に
コツコツ
と扉を叩く音がした。
「合図を」
彼女は用心のためにあらかじめワンから知らされていた合図を待っていた。
知らされている合図は2回叩き1拍休み、また2回叩く。という物。
するとコツコツと扉を2回叩く音がして今度は一拍おいてコツコツと扉を叩く音が繰り返された。それを聞いて
「お入り下さい」
彼女は扉を開く。外には誰の姿もない。しかし何者かがいると気配だけが感じられた。
「待たせたわね。アンタがつなぎ役かい?」
扉が勝手に締まり、部屋に自分の者でない声が響く。
そして――――何もなかったところから一枚の手紙が表れる。彼女は意を決して
「お姿をお見せください。叫んだりは致しません」
そう彼女が告げると――――すうっと、なにもないはずの所から、アムリッタの姿が部屋に現れた。
「蛇の王国 アムリッタだ。リン・ウェンさんかい?」
「はい。リン・ウェンです」
彼女は頭を下げた。
「これを受け取って。そして、皇帝陛下へ必ず届けておくれ」
アムリッタは信書をリンへ手渡す。と
「頼んだよ。必ず、皇帝へ届けておくれ。こいつには
アムリッタは念押しをした。
「ええ。情報屋のワンからは故郷の南吠がどんな状況にあるのかも聞き及んでいます―――――必ず、陛下にお渡し致します」
リンの言葉が静かにだが、力強く発せられたのを、アムリッタは聞いて――――
満足したように頷くと、そのまま部屋を出て行ていこうとする。すると
「お待ちください」
リンに呼び止められた。
「なんだい?」
「見回りの女官が参るはずですので、その者をやり過ごしたのち、お行き成されませ」
「ありがとうよ」
それからは二人とも口は開かず、やがて定刻になったのだろう。見回りの女官が灯篭をもって部屋を通り過ぎていくのが窓ごしに感じられた。
「いまです。お行きなされませ」
リンはそういうとアムリッタを外へ出し、廊下を確認してから扉を静に閉めたのである。
2
一方そのころ、シシリーとヴェロニカの二人は応接室に通されて月史寮の役人が来るのを待っていた。
「随分、豪華なお部屋ねぇ。ヴェロ」
「はい。流石は皇帝陛下の御座所にございます」
「こんな部屋じゃ、ゆっくり休めやしないわ。回り中金ぴかだらけだもの」
シシリーは愚痴って見せた。
確かに部屋は金がふんだんにあしらわれてはいたが、さほど金ぴかというわけでない。幾分にシシリーの嫌味が入っていた。
「恐らく、後しばらくは、ココに幽閉されるわよ。役人なんかゆっくりとしか来やしないわ。そうね、ヴェロは寝ていてもいいかもしれないわ」
「いいえ。そういうわけには参りません」
シシリーの冗談にヴェロは誘導されなかった。
「でも私は退屈だから――――この部屋を監視している目にいたずらしちゃうわ」
シシリーは応接室を監視している遠見の魔術に向かってこう言い始めた。
「どうせ見ているんでしょう?だったら早くお茶でも出したらどうなのかしら。それと、月史寮の役人に急がせるように伝えなさい。さもないと――――――
お茶目をしてしまうかもしれませんよ?」
どうせ見られているのなら、相手に脅しをかけるくらいの事はしてやろうとシシリーは思っていた。
隣で見ているヴェロニカは肝を冷やしたが、シシリーは面白がっている節さえあった。
(この厚かましいババアがあの『制御』のシシリーか)
これを遠見の魔術で監視していた宮廷魔術士は少し引きつりながら――――女官にお茶とお茶菓子を持っていくように伝えた。
魔術士を志す以上、シシリー・マウセンの名前は知っていた。が、実物を見て落胆もしてしまった。
魔術越しで見る老婦人はとても小さく華奢で、もっといってしまえば、『弱そう』に見えるのだ。それに物言いが常に上から目線で気に入らない。
それゆえに、宮廷魔術士の彼女はこうも考えていた。
(いい機会だわ。実力が本物か見てやろうじゃない)
と。
実は彼女がお茶を持っていかせた女官は知らないが――――持って行かせたお茶の方には彼女特製の痺れの魔術が掛けてある。飲んだものに一定以上の魔力量があれば発動はしない仕組みだが、少ない魔力量の者が飲んだ場合には体が痺れに襲われる。
それも今回はかなり意地悪をして規定魔力量を高めに設定しておいた。
(伝説級なんでしょう?きっと魔力量も多いわよね?ふふふ・・・・)
ここに静かにだが――――魔術戦が行われようとしていた。
シシリーはカップに注がれたお茶を見て、
「お茶を用意してくれてありがとう。とっても美味しそうな色と香りだわ」
と女官ににっこりと礼を言った。
内心では
(魔力の残滓がお茶にある。何か魔術が施されているわね)
と気づいてはいたが、そんなことは少しも出さずにカップを持ち上げて色を見るふりをして、魔術の解析を試みる。
結果――――
(魔力量で発動する術式ね・・・・・面白いことを考えるものだわ。でもこの魔術は私には効かないわねぇ)
思いながら、お茶をこくんと喉へ通し、お茶の温かい感触が身体を逆にほぐしてくれた。
「とっても美味しい。もう下がってもらっていいわ」
シシリーは女官にお礼をいって下がらせると、遠見の魔術に向かって聞こえる様に呟きだした。
「おいしいお茶を有難うね?でも――――あのくらいの発動条件では私はおろか、ここに居るヴェロニカでさえ、効きはしないわ。解呪をするところが見たかったのでしょうけどその必要さえありませんでしたねぇ――――いい暇つぶしになりましたよけど」
シシリーはにんまりと笑っているだけだった。
「いい暇つぶし?・・・・何よそれ!」
遠見の魔術から返答された答えに彼女は愕然となった。
てっきり魔術にきづいて、解呪を唱えるモノだとばかり踏んでいたのだ。
解呪をする光景が見られれば、自分の勝ちだとも思っていた。
だが、結果は全く歯牙にもかけず、相手に真正面から何もせず、お茶を飲み干されてしまった。
(解呪の必要もないなんて、あり得ない)
ギリっと歯をかみしめた。
(全く相手にされていないどころか諭された・・・・)
愕然とした。実力差があるとは思っていたが――――まさかこんなにも開いているものとは思ってもいなかったのだ。
3
夜になって皇帝の妾であるリン・ウェンは身支度を整えて皇帝の寝所に向かっていた。と―――皇帝の寝所に向かう途中にぽつりと1つだけ明るい部屋が見えた。
(また消し忘れかしら)
そう思い、リンは中を確認しようとそっと扉を開けると――――中には二人の人物がお茶を飲んで座っているのが見えた。
「あの――――どちら様でしょうか?」
ぼっと立っていたリンに対して、手前側に座っていた金髪の翼人が聞いてくる。
「――――これは失礼を。女官の一人。陛下の御傍に使えさせていただいております、リン・ウェンと申します」
「これはどうも。ご丁寧に。わたくしは『蛇の王国 上級補佐官を務めさせていただいております、ヴェロニカ・アリトフと申します」
ヴェロニカはスカートの両脇を軽く持ち上げてお辞儀をして見せた。
「蛇の王国のお方ですか。このような時間まで大変です事。よろしければ用をうかがっても?」
「陛下に親書をお渡しするべく、月史寮の担当者を待っていますの」
そう答えたのは奥に座る老婆の方だった。
「貴方は?」
「ああ、申し遅れておりましたね。私は『蛇の王国』の導師、シシリー・マウセンです」
「――――シシリー・マウセン―――!」
リンはまぁと口を押さえたまま部屋内に一歩すすみ、膝を折って頭を下げる。
土下座に近い頭の下げ方だった。
「あらあら。顔を御上げになって。今はただの使い走りですよ。ふふ」
そういわれて、リンはようやく頭を上げた。
(この方が大魔導士シシリー・・・・)
リンはシシリーを見て目をぱちくりとさせた。おとぎ話に聞いたウェルデンベルグの仲間の一人。あらゆる物体や物質を意のままに操る制御魔術の使い手だとおとぎ話には書かれていたが――――
(本当かしら?)
目の前にいる人物は優しそうな上品な笑みを浮かべた、ただの老婆にしか見えない。
「貴方もおとぎ話を聞いて育ったのね?」
「え――――ええ。あれ私―――」
言った覚えはないがと言いかけて
「今まで、何人もあなたのような対応をされてきましたからねぇ。慣れているんです――――で、決まって皆こういうんです。本物ですか?って」
それはそうだろう。
なにせ目の前にいるのは伝説級の人物なのだ。本物かと聞いてしまっても無理はないように思える。
「もちろん、本物よ。実物を見た感想はどうかしら?女官さん」
「とてもお優しそうで、安心しました」
「ふふ。ありがとう。もうちょっと若いころは『弱そう』なんて言われることが多かったけれど、やっと言われなくなったわ」
ふふんとシシリーはどや顔をして見せる。
「ようございました」
ここで口をはさんだのはヴェロニカと名乗った翼人で、何の気後れもなくシシリーにつっこみを入れた。
「それで、担当者を待っているとのことでしたが・・・・」
リンが話を再開しようとする。
「そう。待てど暮らせど、来ないのよ。そろそろ来てもいいころだと思うけれど」
「いつ頃からお待ちなのですか?」
「かれこれ3時間は待っているかしらね?ヴェロ」
「まもなく3時間です」
「まぁ――――すぐに呼んでまいります。少々お待ちくださいませ」
リンはそういうと、扉を出てパタパタと廊下を足早に進んでいった。
暫くして――――リンの代わりやってきたのは太った小男だった。
「これはこれは――――お待たせいたしました。月史寮担当のリョウ・シウンと申します。親書をお持ちだとの事で、誠に恐れ入りますが、もう夜も遅う御座います故、当方にて親書をお預かりいたしたく――――――」
「いいえ。親書は私自ら陛下にお渡しいたしますので」
(その手には乗るものですか。ここで渡してしまっては、目的が果たせません)
「しかし―――――」
「陛下の御前まで連れて行っていただければよいのです」
「陛下はすでにお休みに――――」
「ならば、このシシリーが起こして差し上げます。なに――――少し地面を揺らせば起きるでしょう」
そういうと、シシリーは足をトンと床をタップして見せる――――すると、床に書いた魔法陣が淡く光り、ついでグラグラと建物が揺れだした。
「ひぃ―――地震――――」
ついで周りから聞こえだしたのは王宮で寝入っていた女官たちの声だった
グラグラと建物が揺れを起こす中、
「さぁ!これで陛下もきっと目覚めた筈。さっさ案内しなさい!さもないと、もっと揺れがひどくなりますよ?」
4
宮廷を大きな揺れが蹂躙した。
各所で悲鳴があがり、女官や警護の兵などが、必死に皇帝を守ろうと動き始めた時に揺れは不思議と収まった
「さて、これで起きたでしょうね」
シシリーはフフンと笑いながら前で腰を抜かしたままの男に皇帝の前まで連れて行くように指示を出した。
男は逆らう気が失せたのだろう。青い顔つきのまま、皇帝の玉座の前までシシリー達を案内し、少し待つ様に言うと自分は、逃げる様にして奥へと引っ込んでいった。
それから少し経って、御簾の後ろにうっすらと人影が見え、
「表をあげよ」
声がかかった。
方膝立ちのまま、指示に従って顔をあげるとまた御簾の後ろから再度指示が飛んだ
「此度、このような時に、私の前に現れた訳を述べよ」
「はっ。恐れながら蛇の王国から至急の用件にて信書を持参いたしました」
「親書とな。ウェルデンベルク殿からか?」
「左様でございます」
「分かった。そこな侍従に渡すがよい」
「畏まりました」
シシリーは親書を右前にいた侍従へと渡した。
そのまま侍従は奥へと下がり御簾の向こうから手紙を皇帝へと受け渡したのをシシリーは影で確認していた。
暫く影が親書を見ているような動きを見せ、そして―――――
「一つ質問するが。ここに書かれていることはワシの耳には入っておらぬ。南吠が襲われたことも知らぬ。ましてや崔西の都が潰されたなど、誠であろうな?」
声は静かだった。
「誠でございますよ。陛下。蛇の王国が南吠を救ったのも、また事実でございます」
「そうか――――御簾を上げよ」
皇帝はそう指示を出し、眼前にかかっていた御簾を上げさせ、自分の姿をシシリーとヴェロの前に現した。
歳は初老だろうか。黒髪と白髪が混じった頭を後ろで束ね、頭には冠を乗せている。
「よくぞ、この親書を届けてくれた。礼を言う。そしてこの事態を知らなかった朕の責任を詫びよう」
「もったいないお言葉でございますよ」
皇帝が非を詫びるなど前例がないことだったが、皇帝自らが動いてしまっては侍従臣下も何も言うことが出来なくなってしまった。
「しかしながら、一つこのシシリーから申し上げたいが、よろしいでしょうか?」
「貴様!何を―――」
「良い。申せ」
「はい。南吠の港町の暮らしを、民の声を――――潰さないで下さいな。今、
月狼国の兵士が駐屯し南の大陸の橋頭保とするべく『軍港化』を進めているようです。ですが、住民は南の大陸に攻め込もうなどと考えているものはいませんよ。
そのことを忘れないでいただきますよう。このシシリー老婆心ながら申し上げます」
「うむ。そなたの言葉しかと受け止めた。下がるがよい」
「ありがとうございます」
こうして、親書は無事に手渡され、シシリー達は王宮を出ていった。
皇帝は寝屋にもどり、リン・ウェンから受け取った親書とたったいまシシリーから受け取った親書を並べて見比べていた。
寝室にはリン・ウェンがいるだけで誰も周りにはいない。人払いは済ませてあった。
「リン。お前にこの親書を渡した者も「蛇の王国」と名乗ったのだな?」
「はい」
「名は覚えておるか?」
「確か・・・・アムリッタと」
「アムリッタか。分かった。リン。お前はもう下がるがよい」
皇帝はリンを下がらせると寝台に腰を下ろした。
(二つのルートで送ってくるとはな。よほど南吠の街が脅かされておるのか)
親書に書かれていることは全く同じ。
それも文頭には2通送ってあるが、届いていない旨の但し書きが書き加えられていた。
(儂の目に振れぬよう月史寮の何者かが情報を握りつぶしておるという事か)
皇帝はしばらく思案した後、寝台に横になった。
「くくく・・・・この歳にして叱られることが在ろうとは」
皇帝は笑っていた。
進言という形で在れ、明らかにシシリーが言った言葉は自分を叱り飛ばした言葉であった。
皇帝の座についてから久しく聞いていなかったが、叱られるというのは身が引き締まる―――――そんなことを思いながら皇帝は目を閉じたのだった。
5
「無事だった?」
宿に戻ったシシリーは凍太とアムリッタを見つけると心配そうに声をかけて来た。
「ええ。やっぱり帰りは諜報部隊に少し追い回されましたけど、凍太クンのおかげで無事でした」
あの後、アムリッタは合流地点まで進んだが運悪く、壁を乗り越えているところで見回りの兵士に見つかってしまっていた。が、凍太が兵士を昏倒させ、どうにかその場を脱出できたのだが、その後に諜報部隊が壁から降りて来る二人を、ぐうぜん見つけ攻撃を仕掛けてきた。
アムリッタが、これを風で上空へ吹き飛ばし、凍太が追撃で落ちてくるところに駄目押しの一撃を食らわせて昏倒させた。
倒れた諜報部隊の身体を木陰に隠し、自分たちも多いそぎで町へと逃げ込みしばらくは身を潜めていたという。
「もう嫌よ。こんなめんどくさいの」
アムリッタは宿のベッドにうつ伏せのまま呟いていた。
「おばあちゃんの方はうまく行ったの?」
「ええ。もちろん。軽く説教もしてやったわ」
「説教?誰に?」
「もちろん皇帝によ」
「ええ!?」
本当なのですよ――――とヴェロニカが困ったような顔で言っているのを見て
凍太はシシリーの言が本当であることを悟った。
「そういえば、地揺れあったでしょ」
アムリッタが顔を横に向けてシシリーに言ったが
「ああ。あれは私が起こしたんですよ。ちょっとした悪戯ですよ」
主犯であるシシリー本人はあっけらかんとして告げたのみだった。
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