第80話 皐月の気遣い
「まずはアッシア海峡に向かおうと思うんだ」
「たしかサーシャ ・マルキノフが辺境伯のフィレル様にお金を積まれ駐屯しておられるはずですが」
「そうだね。僕の年齢とシシリー先生のお許しが出なくて、確かサーシャさんになったんだっけ?」
つい半年ほど前に凍太は、特務員派遣で、年が12に達していないこと、とシシリー・マウセンから許可がでない事もあって、自分からサーシャへと任務が移った事を思いだし、頷いた。
「お会いになったことは?」
「何度か。氷雪系の授業で一緒になったことはあるよ―—―――タチアナさんとは違ってなんか冷たい感じがする人だった」
ヴェロニカの問いにはそんな風に答えておいた。
「サーシャが知ったらきっと悲しみますね。あの子はああ見えて小さい子やかわいいものが大好きなんですよ」
「へぇ―—――そうは見えなかったな」
今思い返してみても―—――そんな風にはとても思えない。
長い腰まである金髪を途中から三つ編みにした目つきの鋭い女。―—――王国の3大氷雪魔術師として挙げられ、且つ、裏では『5大おっかねぇ女リスト』に挙がり続けている、『凍土』とあだ名される、サーシャ ・マルキノフ―—――はそんな外見をしていたのを思い出した。
(あの鋭い目でかわいいもの好きとかいわれてもなぁ)
外見と、内面が反しているとかは言わないで置く―—――それよりも気になったのは
「あの子―—――ってことはヴェロニカさん知り合いなんだ?」
「わたくしの一つ下です。同部屋だったこともあるんですよ?」
「へぇ―—―同部屋か」
(まさかサーシャさんもショタコンなんじゃないよね?)
そこまで聞いて、凍太は、なんとなくはだが―—――嫌な感じがしていた。
「―—――ああ、凍太ちゃんとお出かけなんて嬉しいなぁ」
後ろには、イリスが
「―—――任務じゃぞ。イリス」
イリスにくぎを刺しながら、イリスの隣には皐月が一緒に歩いていた。
「分かってるけどさ。アンタもうれしいくせに」
「嬉しいのは否定はせぬが―—――」
二人でなにか、軽口をたたき会うところを見ると―—――この間の戦いから大分打ち解けたらしい―—――凍太はそう思い、一安心していた。
いま歩いているのはアッシア海峡に続く海沿いの陸路であった。
商人が街道沿いに店をバラックのように立てているために街を出て―—――暫く経つが―—――どこまで行っても人の切れ目は見られない。
「そこの綺麗な
「そこの坊や。これからは真水が何かと
と声を掛けられては凍太達一行は愛想笑いを振りまきつつ、やり過ごしながら歩を進めていく。
「前にここを通ったことがあるけど、変わんないわね」
イリスは素っ気なくつぶやいた。
「ここ通ったことあるんだ?」
「うん。
「そっか…大変だったね…」
凍太は昔を思い出して少ししんみりしたイリスを慰めるように頭を撫でた。
「…うん。ありがと」
イリスはうつむくようにしながら、凍太にお礼を言った―—――が、
「てい」
後ろからは皐月の蹴りがイリスの尻にヒットしていた。
「なにすんのよ!皐月」
「早く進めい!道端で止まるほうが邪魔でござろうが!」
ムスリとしながら皐月が叫ぶ。
「あたしのお尻が
「もとからそんなに肉がついとらんだろうが!」
イリスは凍太の援護に乗る形で、自分の尻のヴォリュームの無さを皐月にに押し付け、皐月はもとからそんなにイリスの尻には、肉がついていないことを喚き散らしたところで。
「おやめください」
ヴェロニカが容赦なく対人スタン用の電流を魔術に乗せて3人に打ち出し
「あぎゃぁ!」
3人は仲良くそれを食らって地面にキスをしたのだった。
「今日はここらで野宿です。凍太様と皐月は獣除けの魔法陣を。私たちは材料を調達してきます。イリスさんついてきて頂戴」
「はぁーい」
まるで中学かそこらのオリエンテーリングを思い出す。
どこかのキャンプ場まで行って、1日か2日かけて野外で活動をする。
夜はテントを張って泊まり込み、友達としゃべって、寝て朝を迎える
たしかそんな風なないようだったな――――と凍太はふと、思い出した。
しかし―—――いま、凍太達が行っているのは魔術を使っての設営だった。
テントはない。
そのため木の枝に布の四隅を魔術で結びつけて簡易的な屋根を作る。
そのほかに、獣除けの魔方陣をを皐月が札に書き―—――小刀で木に止める。
凍太は、敵が来た時のための警報を知らせる魔方陣を地面に直接書いていった。
ヴェロニカはイリスと共に近くの店へ食料を買いに向かった。
「まだアッシア海峡は遠そうだねぇ…」
「日数にして、おおよそ8日の長さがござるしなぁ。この先はまっすぐこの道が続くだけ。途中、宿場もござるが、今はここら近辺は、どこもいっぱい。この先のことを考えると野宿に慣れておくのも必要でござるよ」
皐月は笑って言っているが凍太は野営の経験などあまりない。
ハッキリ言ってしまえば――――王国で教えてもらった基礎知識程度しか頭にはなかった。
「お風呂入りたいな」
凍太がボヤくのも無理からぬこと。
髪の毛が海風でパサパサになり、体もなんだかべとついていた。
「泉でもあれば、お互いの体を拭くことは可能でござろうが―—―――まだいい匂いでござるよ」
そう言うや、皐月は腕を凍太の首に回してきた。そして抱き着くようにして首の付け根のにおいを『すんすん』と嗅ぎ始める。
(役得、役得)
皐月は凍太の体を正面からがっちりとホールドし、そのまま、近くにあった木の幹に凍太を押し付けた。
(―—――痛っ)
壁ドンならぬ木ドンをされて背中を強打してしまう凍太。皐月はなおも離れようとはしなかった。
「ハァハァ…!」
目の前の皐月の顔が獲物を定めたかのように怪しく笑ったところで―—――
「なぁにしてんのよ!!この駄犬!」
叫ぶイリスの声と―—――同時に皐月に向かって後方から、一直線に紫電が伸びてきていた。
このままでは、紫電は皐月に当たってしまう。
そうなる前に紫電をどうにかして止めるか、または他の手段を瞬時に頭の中で探った。
(間に合え!)
元腰から鉄扇を引き抜き―—―――ブンと虚空に投げる―—――と紫電は皐月に当たる前に方向を鉄線へと変え、落ちる。
(よし!―—――ここだ。9番!)
空中で帯電し破裂音が響くと同時に皐月に抱き着くように密着し―—―――
凍太はそのまま皐月の首の裏―—――『盆の窪』と呼ばれる急所へ後ろから思い切り殴りつけると同時に軽く電流を流した。
ちなみに9番とは護身術の9番目の技であり本来は―—――首の後ろを攻撃する技である。
「が―—――!」
皐月もクリンチの状態では逃れられず、凍太の一撃を食らうしかなく、そのまま凍太に身を預ける感じで気を失った。
「大丈夫?!凍太ちゃん」
走り寄ってきながら―—――イリスが皐月を踏みつけようとして足を上げたところで―—―――
「てぃ」
「ひゃぁぁぁぁ」
凍太は半分イリスへのお仕置きもかねて―—――彼女の足元にあった空気を制御し、ひっくり返した。
「すまねぇな。今の時期は船が出せねぇんだ―—――ローレライの産卵時期だしな。うかつに船なんか出したら海の底へ持っていかれちまうぜ」
フィレルの漁港で停泊している漁師たちは口を開くなり頭を下げた。
フィレル港から、船でアッシア海峡を渡るために、船出してもらおうと交渉をもちかけたが―—――皆、返答は同じだった。
「そっかぁ。今はローレライの産卵時期だもんねぇ」
「凶暴になっていて普段なら渡れるアッシア海峡もここ
「ええ…失念しておりました」
イリス、皐月、ヴェロニカの3人は定食屋に入ると、昼を食べながら肩を落とした。
「ねぇ…ローレライってそんなに立ち悪いの?」
「?…凍太様、ローレライの凶暴性をご存じないのですか?」
ヴェロニカがめずらしく目を丸くした。信じられないとでも言いたげに。
「凍太殿、授業でも習ったはずでござるぞ?男が気をつけねばならぬ敵の筆頭ではござらんか」
「そだっけ?」
ちっとも頭に残っていない。忘れてしまったのだろうか?と思っていると
「こんなとこにお出ででしたか。ヴェロニカさま」
と―—――店に入ってきた者がいた。
「あら―—――サーシャではないですか。見回りの最中だと聞いていたのですが」
「今日はもう終いです。それより―—―随分おいしそうですね。お腹がすきました。ご一緒しても?」
「構いませんよ」
そういってするりとヴェロニカの隣に座り、凍太と対面するとサーシャ ・マルキノフは鋭い目を少し細めて笑ってから、ヴェロニカに小声でつぶやいた。
「やっぱり可愛いですね」
「でしょう?最近は少し反抗的ですがそこがまた良いところでしてね」
「なんとか、彼と二人きりには出来ませんか?」
「監視対象なのですよ?私が離れるわけにはいきません」
「そこをなんとか…」
ごにょごにょと何かをささやきあう二人だったが―—――耳の良い賢狼族と精霊のささやきが聞こえるダークエルフのイリスには丸聞こえ。
(何を言ってるんだろう)
と―—――知らぬは当の凍太だけであった。
「治安維持?」
「そう。私はこの街とその対岸の治安維持を任されているのですよ」
「対岸って南の大陸も含めて?」
「その通りです」
食事をしながらサーシャ・マルキノフは優雅に己のことを話し始めた。
フィレルの対岸にあるトゥラテルとを繋ぐ、交易路を含めた治安維持。それがローデリア辺境府フィレル侯から王国が頼まれている仕事だった。
「でも、それだったら、ローレライを駆除すればいいのに」
「ローレライはこの時期、凶暴化します。駆除をしようと、船でうかつに近づこうものなら海に引きずり込まれてしまいますよ?それを知っているこの町の住民は誰も動きません」
ローレライを狩るよりかは、
その気持ちが凍太を焦らせていた。
「そうだね」
言われてみればそうだ。皆ローレライの凶暴になる時期に対して船を出すバカなどいない。現代でも海が荒れている所謂―—――時化―—―――の時には誰も沖合に出たりはしない。
凍太が残念そうにしていると
「まぁしかし、どうしてもということであれば――――手がないわけでもありませんよ」
サーシャは仕方ないというようにぽつりと言った。
「気球という手があります。もっとも――――大気の状態が良いところでしか飛べない――――そして莫大な魔力を消費するのですが」
「いいじゃない。そうだよ。航路がいけないなら――――空を行けばいいんだ」
凍太は顔を明るくした。しかし、
「サーシャ。あれは火力の調整による上昇・下降のみが可能で、水平方向の移動は基本的には『風まかせ』ですよ。それもアッシア海峡の上空はほぼ連日、暴風が吹く有様。天候の良い日など数えるくらいしかないではないですか。それに――――」
「気球なんてよほどの金持ちしか持っておらぬでござろうな」
「そういうことです」
まるで、最初から無理と言わぬばかりの口調でヴェロニカが言った。
「それでも、できる限り急ぐべきだよ」
凍太はなおも強硬だった。
結局、その場は凍太とヴェロニカの意見が割れたまま、解散となった。
夜になって――――宿の下にある食堂でヴェロニカはサーシャと酒を酌み交わしながらため息をついた。
「あんなに強情になるとはおもいませんでした」
はぁ――――とまたもため息をつく、ヴェロニカ。しかしサーシャは冷静な顔のままで一枚の紙を取り出し――――ヴェロニカの前に置いた。
「これは?」
「気球の持ち主の居場所です。――――この間気球を購入したらしいので。行くか行かないかはヴェロに任せますがね」
「急ぐ気持ちもわかるのです。王国の危機なのですから。しかし――――」
「まぁいいではないですか。あの時期の子は繊細なもの。そこがかわいい」
サーシャは達観しているかのように呟いて―――― 杯を空っぽにして見せた。
翌日の朝。
ドアをノックする音で皐月とイリスは目を覚ました。
ドアを開け外をのぞくと――――
「皐月、組手しよう?」
少し悩んでいるような表情ままで――――凍太はイリスと皐月の部屋の前にいた。
「いいでござるが、――――ふぁ――――素手でござるか?」
「木剣がいいな」
「なら、鞘付きで相手するでござるよ――――支度する故…」
「あたしも行く!」
イリスは少し怒ったような表情で、皐月の後ろから声を掛けた。
「なぜおぬしが着いて来る」
「監視よ!――――この前のこと忘れた何ていわさないんだから!」
この前とは野営をした時に皐月が凍太に抱きついていた時のことだ。
あの後からイリスはずっと根に持ったように、抜け駆けだと言い続けていた。
「まぁ――――よいか」
あきらめたように皐月は呟き耳をしょんぼりと垂れて見せた。
「じゃあ下で待ってるね」
「相分かった」
そういって階段を下りていく凍太を見送りながら、皐月も小さくだが返事をした。
(どうやら大分思い悩んでござるなぁ。ここは未来の妻としては手助けが必要でござるかな)
皐月はそんなことを思いながら―――――まだ眠気に負けそうになりながらコキリと首を鳴らして見せた。
「いつもの約束事付きでござるな?」
「僕は――――ね。皐月は自由でいいよ」
簡単に言ってしまえば、有効打は、上段 頭部前面・側面 ※(後頭部は禁止)
そして、中段は首から帯までの前面、腋の下から垂直に得られた胴体前面であり
下段は全て禁止となっている。
それに加えて今回は――――人が集まってくれば、その場で終了という特殊条件も付け加えてあり、イリスが特殊条件の判断をすることになった。
「相分かった。それではイリス。掛け声を」
まだ薄暗い朝日が上がる前の波止場に鞘付きの剣を構えた皐月と素手の凍太が
、誰もいない時間帯を見計らって――――対峙していた。
「始め!」
イリスが声を掛けると――――二人が一斉に動き出した。
皐月が突きを出す一瞬前の貯めの動作の時を狙って凍太はすこし横に飛びながら鍔元を蹴り――――続けて上げたままの足で上段の蹴りを皐月の顔面へ入れようとしたところで、剣が横なぎに変化したのを感じ取り急いで腕でガードをしたが大きく飛ばされることになった。
「!」
ガードした腕がきしむのを感じながら凍太は再度、果敢に飛び込んでいく。
2歩助走ののち――――跳躍、反転しながら横蹴りで相手の側面から攻めかかる。
対して、皐月は大上段の構えで待ち――――ここから繰り出されるのは片手持ちの早い振り下ろし。
(どちらが早いか勝負――――)
そんな風に皐月は思っていたのだが――――凍太の頭に鞘付きの剣の切っ先が届く前に――――凍太の直線的だった横蹴りが、くねりと動いて――――皐月の剣を下から迎撃した。
鞘付きの剣をしたから
蹴られたこぶしの感覚がなくなる。それでも皐月は踏ん張り体制を立て直そうとして一瞬下に意識を集中したところで
パァン!
――――凍太のハイキックが首を刈り取る。
(―――――ぁ)
顔をけられた瞬間―――皐月は倒れはしなかったが、一瞬目を回した。
目に火花が散って朦朧となったところで、
「ハイ終わりー」
イリスからの静止の声がかかった。
「お見事に御座った。して――――悩みは晴れ申したか?」
宿に帰る道すがら――――皐月が静かに言った。
「知ってたの?」
「凍太殿がなにやら浮かぬ顔をしてござった故な」
「そうなんだ。心配させちゃったね」
(やはり良人殿にには笑っている顔が良いな)
ハハハと照れ臭そうにわらう凍太の顔を見て――――皐月は自分の心が軽くなるのを感じていた。
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