幼児編

第12話 散歩のついでに

「おはよう。おばちゃん」

「今日も早いね。また山の上まで行くの?」

「うん。レイレイが行きたがってるからね」

「気を付けていくんだよ?山には魔物が住むっていうからね」

 そんないつもの会話をしながら、町の入り口へと歩く。声の主は、3歳になった、凍太と、朝早くから開店準備をしていた食堂の主人との会話だ。糸目で少しやせぎすだけれども、まだ40半ばで、毎朝こうやって凍太と話をするのが、

 主人の日課になっていた。

 ナァウ。

 凍太の横には大きな白い虎----雪虎せっこが公箱座りをしながら、凍太に尻尾でじゃれついている。

 虎の名前はレイレイと言う。もとは雪乃が乗っていた戦闘用の雪虎で、名前もなかったのだが、2年ほど前からはレイレイと名付けられて、凍太と行動を共にするようになっていった。

「レイレイはふかふかだねー」

 凍太はレイレイの首に横から抱き着いて、顔をうずめる。

 ナァアウ。猫よりも数段太く低い声を上げながら、尻尾をときおり地面にびたんびたんと叩きつけているレイレイは

 早くいくぞ。とでも言いたげにもう一度ナァウと鳴いて見せた。

「おやおや。レイレイは待ちきれないみたいだね」

 主人が腰を伸ばしながら、凍太の頭をなでる。

「あんたも、しっかり凍太を守っておやり」

 つづいて、レイレイの頭をポンポンと打った。

「じゃぁ行ってくるー いこうレイレイ」

 凍太の声に従って、座った体制からのっそりと立ち上がる。立った全長は3メートル近くはありそうだったが、

 身のこなしは柔らかく、静かだった。

「朝ごはんまでには帰っておいで。おばちゃんがおかゆ作っといてあげるよ」

「わかったー」

 そういいながら凍太は、今日も町の外へと出かけていった。



 とっとっと・・・

 静まり返った、森の中を凍太とレイレイは駆けていく。レイレイにとってはゆっくりとした速度だが、まだ手足の短い凍太にとってはレイレイの速度は、早めのジョギングと同義だった。

「気持ちいいね。レイレイ」

 走りながらレイレイに話しかけると、レイレイはナァウとだけ鳴いてきた。

 山道を駆け上りながら、朝の新鮮な空気を吸い込むだけで、肺が膨らみ、頭がさえわたる。このまま、あと小一時間も走れば、山の中腹にある開けたところに出る筈だった。

(ここにきてから、疲れがないんだよね)

 走りながら、そんなことをひとりごちる。かれこれ、この異世界に来て、3年間。

 凍太は、前世のときのような倦怠感に悩まされるようなことはなくなっていた。むしろ、毎日身体が軽く、すこぶる調子がいい。ならばと、半年ほど前からジョギングと足腰の鍛錬を兼ねて、毎日、この「ルポポ山」を町から走って

 いるというわけだった。

 少し前を先導するようにレイレイが軽い身のこなしで歩いていく。凍太はそれをなぞるように追いかけていく。

 木々に足を取られないように、注意しながら、速度を落とさずにすすむと、やがて少し開けた平地が現れた。

「ガアウ」

 レイレイが早く来いと言わんばかりに、凍太を見た。

 レイレイにとっては、ここからが、楽しみでしかたない。毎朝この場所で繰り返される、二人のじゃれあい。

 戦のない毎日に飽きていた、レイレイのお気に入りの一つだった。



「よっし。やろっか」

 凍太はそういうと、足のスタンスを軽く開いて、構えて見せる。半身に構えて、右肩が前側、左肩が後ろに来る。

 左手は顎を立てて守るように、右手は、腰のあたりに軽く開いてゆったりと。

(やっぱりこの構えが一番しっくりくる)

 そんなことを思いながら、「おいで」そうレイレイに呟くと、レイレイがとびかかる様にして前に出た。

 相手が動く動作を予測して、動け。

 それは、凍太が浩太として生きてきた人生のときに「師匠」から教えてもらったことだった。

「相手が来ることが予想できれば、それに反応することは簡単やねん」

「師匠」である人物の言葉が頭の中でフラッシュバックし、凍太は虎レイレイの動きを寸前で躱していた。

「グルルル」

 虎レイレイは嬉しそうに喉をならすと、大きな体をあづける様にして、凍太へとのしかかる。

 それも、凍太は予想したのだろう、後ろに下がりながら避けて見せる。と、今度は、凍太が虎レイレイに小さな体で攻撃を仕掛けた。

 バックした勢いをそのまま、反動として、前進する。そのまま勢いを殺さずに---ジャンプして横蹴りヨプチャギを打った。

 ぺちんっと虎の頭に小さな踵がヒットしたが、もちろん、虎レイレイは痛くもかゆくもない。そのため、頭を少し前に出すだけで幼児の体などは押される形となった、が、今度は横から---ぽこんっと次の一撃が当たる感触がした。

 それから、虎がせめて、ひたすらに凍太がそれをしのぎ、避けて、たまに、ぽこんっと足で蹴り返す。

 そんなダンスにも似た動作が何度も繰り返されて----ついに

「ナゥーーぅ」

 凍太の上に覆いかぶさるようにして虎レイレイが嬉しそうに声を上げていた。

「おもいっおもいよっ」

 虎レイレイに前足で下半身を抑えられながら、ゴロゴロと顔を凍太に擦り付けてくる。

(ぐるじい)

 体毛が覆いかぶさってまともに動きが取れないばかりか、ごく軽くだったが絶妙な踏みつけ具合で凍太の体を潰してて動けなくして、子供をあやすかのように顔をこすられてから、やっとのことで解放された。

「負けましたぁ。レイレイは強いね」

 もう何度目になるかわからない降参宣言を凍太は笑いながら言った。

(でも、だいぶ動けるようになってきた)

 笑いながら確信する。ここで虎レイレイとのじゃれあいをするようになってから、転生以前に得意としていた戦い方を----小さな手と足とではあるけれど----思い出すように試し始めた結果、ずいぶんと、思った通りの体の動かし方が出来る様になってきていた。

(やっててよかったなテコンドー)

 転生前の人生では、最初は軽い気持ちだったのだが、しだいに唯一の身を守る術として覚えた技テコンドーがまた使える様になっている。

 つらいことも、くやしいことも、試合に負けたことも、吐き戻したことだってあったが、転生前の人生では苦労をして、黒帯まで上り詰めることが出来た----そんな唯一自慢できる技を、また、使えるようになっていく感覚が、どうしようもなくうれしくて、レイレイとのじゃれあいに負けても、どうしても辞める気にはなれなかった。


 テコンドー。軍隊格闘技しても採用されている他、NSAなどでも採用されている格闘技である。WTFとITFがあり、オリンピックで採用されたのがWTF。

そして凍太の習っていたのがITFだ。

 日本の松濤館を祖としてもち、基本、銃を持って戦いながら、空いている足で相手を打ち倒すコンセプトをもとにしてこの武術は造られた。蹴り技が主体なだけではなく、突き(チルギ)と呼ばれる、手業、貫き手、手刀、果ては、足技による立ったままのサブミッションなども存在し、意外なほど、汎用性は高い。

 カウンターによる攻撃も多彩で、一見すると卑怯にも見える逃げからのカウンター等も面白い技としてあげられる。

一説には足でするボクシング等とも言われており、とにかく足がくねくねと動くことが一番の特徴かもしれない。



「おばちゃん」

「鶏肉のおかゆある?」

 食堂に入った凍太おれはおばちゃんに注文をだした。

「ああ、おかえりねー」

 おばちゃんは俺を撫でながら、おかゆをすぐに目の前に盛り付けて、上から鶏肉のゆでたものをたっぷりと載せてくれた。

「ありがとー」

「おなかへったろ?たんとお食べ」

 レイレイは食堂の外で、おばちゃんが用意した肉の塊をむっしゃむっしゃと豪快に食べ進んでいるのをみて、

「いただきます」

 今日も俺はほかほかのおかゆにあり着く。

 鳥のだしが聞いたスープがここちよく、お腹を満たしていく。ほどよく湯だった鳥もボリュームがあって嬉しかった

 。

「おぃひぃ」

 幸せな笑顔になっているなと感じながら、おかゆを食べ進む。と

「おお、坊やじゃないか。いま飯か?」

 後ろから、男のこえが聞こえてきた。

「あ、ロンおじさん。おはよう」

「おう。きょうもいい返事だな。さすが町長の切り札だよなぁ」

 そんなことをいってロンおじさん。――――ロン・ジンは俺の横に座ると、

「女将、俺にも、坊やとおんなじのくれよ。大盛りで」

 オーダーをしながら、茶を俺に注いでくれた。

「ありがと。ロンおじさん」

 お礼を言って茶を受け取る。

「しっかりしてるなぁ」

なんて言いながら、ロンおじさんは俺の頭を撫でてくれる。

「こら、ロンさん。あんまり凍太ちゃんにさわんないの。」

 おばさんがおかゆをおじさんに渡しながら、そう注意したが、ロンおじさんは頭を撫でる手を止めようとはしなかった。のだが

「――――凍太様?」

 外からの澄み切った声に、食堂が一瞬で凍り付いた。

(あっ、やばっ)

 声が聞こえた時には、茶碗をもって逃げようとして----なぜだか、つぎの瞬間には----目の前に、乳母でもあり、教育係でもある紗枝さんのにこやかに笑った顔があった。

 一瞬で間を詰められて、しゃがんだ体制で俺の顔をじーっとみて来ると、「朝ごはんはお屋敷で食べることになっているはずですが」

「まぁ、いいじゃないかい? 散歩から帰ってきてお腹が減ったんだろうよ?そんなに叱らなくても・・・」

 おばちゃんが割って入ろうとしてくれたのだが、

「凍太様?分かっておいでですね?今日は雪乃様に報告をして、しっかり反省していただきます。たっぷりと食べたのですから、お勉強は3倍はいけますね?」

 いやん、いやん。――――必死に首をふる。三倍なんて、キツすぎだ

「い・け・ま・す・ね?」

紗枝さんは笑顔のまま許してくれそうになかった。

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