第13話潔癖男子の平穏

「ニョキニョキってー生えってくっださーいねー。フワフワってー咲いってくださーいねー…」


「鼻歌歌って、ご機嫌だね。紫倉ちゃん」


「はい! って…はわっ!? ハシバさんにシナガセさん、まさか聴いてらしたんですか!?」


 調子はずれの鼻歌を歌いながら、ポットに撒いた種の様子を見ていた紫倉さん。


 そんな紫倉さんの後ろ姿に羽柴が声をかけると、彼女は魚のように肩を跳ねあがらせた。それから華奢な肩を縮こまらせ、蚊の鳴くような声で呟く。


「うう……お恥ずかしいです。私の創作したお花の歌第七番を聴かれてしまうなんて……」


「……機嫌、いいんだな」


 七番まであるのかという突っこみは心の中に仕舞い、俺は紫倉さんに声をかける。紫倉さんは頬を赤らめてはにかんだ。


「はい! 毎日シナガセさんたちが来てくれるのが、嬉しくて。こうやって、放課後にオトモダチを待つことって、今までなかったので」


「……そうか」


「そーちゃん、鼻の下伸びてるよ」


 こっそり耳打ちしてきた羽柴に除菌スプレーを食らわせ、俺は口元をさっと隠す。


 ……だって仕方ないだろう。計算高い女が何を言おうと心を動かされはしないが、打算を知らない紫倉さんに「来てくれて嬉しい」なんて言われれば、ニヤけてしまうに決まってる。


「それで? 紫倉ちゃん。百日草の方はどう?」


 俺をからかい終えた羽柴が言った。


「昨日で蒔き終えましたので、しばらくは芽が出てくるのを待ちましょう。見て下さい、シナガセさん。これ全部、シナガセさんの努力の証ですよ」


 努力の証――――温室の床一杯に並べられた黒いポットを見下ろして、紫倉さんは自分のことのように喜んだ。


 そう―――――活動初日は己の無様なヘタレ具合を晒してしまったわけだが、実はそれから二日かけて、俺は紫倉さんたちとともに全ての種を蒔いたのだ。

 途中何度か発狂しそうになったものの、幸いなことに慣れというものは俺にも備わっていて、初日ほど気が動転することはなかった。


 あと、手洗いをなかなか切りあげられない時には必ず「綺麗になりましたね」と紫倉さんが声をかけて止めてくれるため、俺の皮膚はまだあか切れにならずに済んでいる。


 惚れた相手だからだろうか? それとも紫倉さんの人柄か――彼女の言葉は、マザーズタッチのような優しさで俺に響くから、彼女の言うことは割とすんなり聞き入れることが出来た。


 それでも俺が落ちつかない時は、


「セロトニンを増やしてみてはどうでしょうか」


 と、貧乏ゆすりなどをして外側から一定の刺激を与えることで、心を安定させる作用を持つセロトニンという物質を分泌させるように促してくれたりもした。


 まあ、温室で貧乏ゆすりを始める俺を指さし馬鹿笑いした羽柴が、除菌グッズで武装した俺の報復によって沈んだことは言うまでもないのだが。


 それでも、三人での活動はなかなか心地よかった。

 潔癖症がコンプレックスの俺にとって、それと向き合い克服しようと活動するのは、何もせずに燻っているときよりもずっと充足感があったし、強大な敵に立ち向かっているような気にもなれた。


 それに……。


 俺は紫倉さんへと視線を向ける。思った以上に熱烈な視線を送りすぎてしまっていたのか、紫倉さんはこちらを向いて首を傾げた。


「ほえ? どうしました? シナガセさん」


「いや……何でもない。紫倉さんは作業を続けてくれ」


「? そうですか? 何だかおかしなシナガセさん」


 肩をすくませて微笑む紫倉さんに数秒見とれてしまう。そう――――……三人の活動の何が居心地いいかっていうと、だ。


 紫倉さんとの会話が楽しい、これに尽きる。


 普段から女子に囲まれているせいか話術の巧みな羽柴が会話を上手く広げてくれるお陰で、同年代の女子と最後にまともな会話を交わしたのが小学校高学年の俺でも、紫倉さんと普通の学生らしい話が出来ている。


 紫倉さんは話を聞く姿勢にはいると小首を傾げる癖があるとか、近所の猫に引っかかれたのか三日月形の傷が手の甲にうっすら残っていることとかを、園芸の合間に発見するのも、こう……言い方はクサイが、宝物を見つけたような気持ちになって嬉しかった。


 何より、紫倉さんは柔和で優しいし、昔からの付き合いである羽柴も俺の潔癖症がどんなものか熟知しているので、潔癖症に寄り添ってくれる人がいる空間というのは、とても居心地がよかった。


 けれど当然のことながら――大きな器の持ち主である紫倉さんや変わり者の羽柴のような存在はごく少数だ。俺はそれを承知していた。


 いや、承知、しているはずだった。

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