55. タレ蔵の目線で見る牛山美羽




 ここから先は牛山家の飼い猫のタレ蔵さんからのタレ込みになります。



 こんにちは、私はタレ蔵と言います。父の金玉五郎と母のマチルダから生まれた雑種のメス猫でございます。毛色は汚い汚いと言われる錆色だけど気に入っています。

 一度、玉五郎父ちゃんの家がある天上院真弦宅で飼われていた事があったけど、ひょんな事で牛山美羽が飼い主になってくれて現在に至ります。


 私の飼い主の牛山美羽の趣味はお菓子作りと手芸。

 いつもは兄の為にせっせと小物を編んでたりするのだけど、今日は彼氏の蕪木虎次郎の為に手袋を編んでいるみたいなの。まだまだ、真夏日を観測されたりする季節で早いのに、彼の誕生日の為にマフラーまで用意しているとかそんなご主人様なの。


「今年は気が早いんだなぁー、お兄ちゃんの為に手袋編んでくれてるなんて」


 勘違いしている妹キ●ガイの礼二は美羽の手袋を編んでいる姿を見ながらしきりに照れていた。


「でも、いつもの赤と違わないか? 黄緑なんて派手だぞ」


「ううっ……」


 美羽は兄に色を指摘されて言及に困っていた。だけど、長年この曲者の兄と付き合ってるだけあって優しい嘘は上手なの。


「これはねー、保育園のフリマで売るんだよ」


「そうなのか! お兄ちゃんが真っ先に買いに行かねばっ!」


「ごめんねー、保育園の関係者以外は入れないんだよ。お兄ちゃんはだめー」


「くそぉーっ! クソッ! 何で俺は園児では無いのだ? こんなに悔しい思いしたのは久しぶりだぞ」


 美羽の咄嗟の嘘に悔しがっている礼二は何て純粋なのだろうか……。ただのバカとも言いますけどね。

 美羽が編んでいる『保育園のフリマ用』と称された手袋は子供様にしてはかなり大きすぎるのに気が付かないのも馬鹿な話です。


「大丈夫だよ。後でお兄ちゃんの分も編んであげるから」


「よっしゃー! やったー! 美羽大好きだぞ」


 美羽はそんな馬鹿な兄に物凄く優しい。そして甘い。

 こういう所があるから礼二は今まで彼女も作らずに妹一直線なのです。




 牛山美羽さんの部屋。礼二が兄にいるだけあって根本的に何かが似ています。

 たまに彼女の高校生時代のアルバムやプリクラを出してきてにやけている時があるのです。やっぱり若かりし頃の恋は諦めきれないようで。


 写真でいつも隣に写っているのは天上院真弦。

 高校二年生まではまるで姉妹のように一緒にくっついて歩いていたそうな。


 そんな天上院真弦の若い頃の写真を眺めては「はー」とため息をついている。

 よっぽど昔に戻りたいのだろう。「真弦を幸せにするのはわたしだったのに」とかねちねち呟いたりもしている。

 この子、礼二と同じ血を引いているだけあって諦めが悪いのよね。


 最近の真弦の写真はお腹が大きいものや自分の子供達に囲まれているものばかりで、「私は幸せです」オーラが全開に出ているような気がして、美羽はそっと机の中に戻すのだった。

 美羽は真弦の旦那さんの吉良光矢を恨んでいるのだろうか?

 それは私、猫だから分からない。


 美羽はベッドにごろんと仰向けになると、天井に付いたシミや傷を確認している。これは若い頃からの習慣で、礼二が天井や壁の中に潜んで何かおかしな事をしていないか警戒している。


「よし、今日も異変無し」


 美羽は最近の平穏さにずっと違和感を抱いている。

 礼二が家の中で何か変な事件を起こさないかとずっと待っているかのように。


「真弦がよく家に来た時は騒がしかったんだけどなぁ。……虎次郎さんでもそろそろ家に呼んだらいいのかしら? ううん、そんな事したらお兄ちゃんがショックで死んじゃうかも」


 兄の病を心配する妹は、自分の彼氏を未だ兄に紹介できずにいる。

 どこか煮え切らない複雑な思いを抱きながら、美羽だけのプライベートの夜は更けていく。




 私は天上院真弦に『ウンコタレ蔵』と名前を付けられてからずっと『タレ蔵』として生きています。今の飼い主達にも『タレ蔵』と呼ばれています。

 夏の間は持病の鼻炎が酷くならないのでとてもいい季節です。

 だけど、私は去勢手術をしてからずっとお腹が緩いので、月一回の定期検診は欠かせません。


 今日も検診を終えて帰る途中です。

 ピンクのチェック柄の美羽らしいキャリーバックに入れられた私は、美羽の歩みが止まったのに気が付きました。


 キャリーバックの中からなのでよく分かりませんが、メッシュで出来た窓から見る事にします。

 窓の向こうでは、真弦が知らない黒づくめの男の人と喫茶店に入って行くのが見えました。


 ゴトン!


 キャリーバックが落とされて私ごと揺れた。

 あいたたた……!


「真弦……あの男の人と親しそうに……!」


 美羽はファミレスの外で一人、ぐるぐると悩み始めました。

 背広の男の人は真弦の旦那さんの光矢よりも幾つか年上そうで、服と同じような黒い髪の毛を束ねている痩躯。アウトドア系の光矢とは全く正反対そうなインドア系の趣味をしているのは間違いありません。


「今日が非番で良かった……!」


 美羽は鞄から携帯を取り出して母親のパトリシアを呼び出す。


「もしもし、ママ? 今からテディズでお茶しない? あ、うん、わたし先に待ってるから。うん」


 連絡を終えると、美羽は私の入ったキャリーバックを持ってファミレスに一人で入って行った。


「あそこのカップルが見える禁煙席でお願いします!」


 ……ファミレスでは猫はキャリーバックに入ったままで待機。自由に伸びは出来ないようです。

 大人しくキャリーバックの中で荷物扱いされながら話を聞いていようと思います。


 美羽はケーキセットを頼んで真弦と謎の男の様子を伺う。


「どうしよう、タレ蔵ちゃん? この状態を光矢君に伝えるべきかな?」


「にゃーん(わからないよ)」


 私は美羽の不安を拭う為に一声鳴いて励ます。

 母のパトリシアはまだ来ない。


 向こうの席で真弦がピザとパスタを頼んでいたようで、「おおーっ」っと歓声を上げていた。「ご馳走になります!」とか答えている。

 真弦の向かいに座っている男の人は穏やかに微笑んでいた。


 真弦と黒づくめの男の関係がわからない。


「浮気かしら? ねえ、タレ蔵ちゃん?」


 幸せそうにピザを頬張る真弦を嫉妬半分疑問半分で美羽が見つめている。


 閑散としたデザートタイムの店内で耳を澄まして会話を聞くのは猫にとって容易な事である。

 私は耳をピクピクさせて件の二人の会話を聞いてみました。


「折角のお祝いなのにこんなもので良いのか? 真弦ちゃん」


「いいんれふよ……はぐ、ほぐ……!」


「俺のおごりなんだから、寿司とか焼き肉とかそういう物でも……」


 黒づくめの男の人は真弦の食いっぷりに面食らいながら話している。

 なにコレ? 浮気なのー!!??

 妊婦と美羽が知らない男の関係やいかに!?


 そんな時、


「やあ、美羽さん」


 美羽の現彼氏の虎次郎が照れくさそうに現れた。


「え……?」


「君のお母さんからここに来るように連絡があった」


 普段着の虎次郎はシンプルなTシャツにチェックのシャツを羽織り、カーゴパンツとブーツで合わせている結構なお洒落さんなのです。最初の格闘マンガみたいな胴着とは大違いの格好をしています。


 美羽は顔を反らしながらぼそりと呟きます。


「……ママの馬鹿」


 折角の彼氏の登場なのに別にときめいたり喜んだりしてないのは、向こうで食事している真弦が気になっているからだと思いたいです。


「どうしたんだい? さっきから向こう側をチラチラ見てるみたいだけど?」


 ほら、彼氏の虎次郎が美羽の異変に気が付きましたよ。


「じ、実は……」


 美羽は「友人が妊娠してるのに旦那とは違う男性と食事をしている」と、虎次郎に耳打ちして友人の浮気を疑っている。


「ああ、それは怪しいよな」


 虎次郎も同意すると、ウェイトレスからコーヒーを受け取って真弦ウォッチングを美羽と一緒に始めた。なんていう正直で真っ直ぐな青年なんでしょうか。

 確かに虎次郎が「いい人」なのは間違いないです。


 美羽は虎次郎と二人でパスタを頬張っている真弦を観察していると、視線を感じた真弦がこちら側を見た。


「あーっ! 美羽じゃないかー」


 席に座りながらブンブンと手を大きく降ってくる。明るい表情なので、特に浮気ではなさそうな気がする。

 真弦の向かいに座っている男もやましい気持ちは無く、「真弦ちゃんだからしょうがないな」といった表情で美羽の座る席を見ていた。


 美羽と虎次郎は真弦と黒髪ロン毛の男が座る席に強制的に移動する。


「真弦っ! 光矢君がいるのにこれはどういう事なの?」


 やはり美羽はまだ真弦が浮気していると勘違いして詰め寄る。

 詰め寄られた真弦は、美羽の唾を華麗に避けながらニコニコしている。


「そういや美羽には顔を教えてなかったっけ。この人が私のシナリオのお師匠さんの寿ヤックン先生だよ。ヤックン先生はコンビだから、漫画描く女性の方は知ってるでしょ」


 真弦は満面の笑顔で答えた。やましい気持ちは全くないようだ。


「こら、声が大きい」


 美羽は人気漫画家と対面していきなり緊張を始める。隣にいる虎次郎は別に何ともなく普通だ。

 虎次郎は胸ポケットに入っていた名刺ケースから自分の名刺を取り出した。


「初めまして、真弦さんの友人の蕪木虎次郎と申します」


「あ、どうも。八雲プロジェクトの大神京平といいます」


 男二人は突然名刺交換を始めた。

 パティシエと漫画家は接点が無いので、互いに人脈を広げようという魂胆が見え見えだった。


「真弦、漫画のお師匠さんと食事してたなら言ってよ! わたしだけ勘違いして馬鹿みたいじゃない」


「はあ? どうかしたのか美羽?」


 事情が掴めてない真弦は疑問符を沢山浮かべながら美羽の顔を覗き込んでいる。


「男性のお師匠さんと仲よさげだし、……真弦がてっきり浮気してると思ったじゃないの」


 美羽は赤面しながらぼそりと心中を告げた。

 すると、


「ぶわーっはっはっはっは!」


 真弦は大声を出して笑い出した。ついでに隣にいた京平というお師匠さんも。

 美羽はこういう純真なところが馬鹿で可愛いのかも知れない。


「ないない。それはありえない」


 京平は笑いながら答えた。彼には八雲という新妻がいて、真弦みたいな沢山の子持ちのお母さんと不倫する気は毛程も無いという。


 誤解が解けた真弦と京平は、漫画の構想について専門的な話をしていた。


「あー、浮気じゃないのかぁ……。疑ってごめんなさい」


 消沈した美羽はカプチーノを飲みながら楽しそうな漫画家二人を見ている。


「真弦ちゃんはやっと漫画の月刊連載が決まったんだ。そのお祝いに師匠として奢ったってだけで別に他の感情は無い」


「ぶはは、そんな身も蓋もない!」


「本当は八雲も連れてくるべきだったが、つわりがひどくてな」


 師匠と弟子のやり取りを見てると本当にやましい気持ち無いんだねー。

 美羽は取り残された気持ちになってしゅーんとしていた。

 それにしても真弦は妊娠中なのに仕事に意欲的で凄いですね。産休はどうするのかがちょっと心配にはなりますが、他人の職業なので美羽は口出しが出来ません。


「美羽さん、仕事の話の邪魔になるから俺達はそろそろ出ようか」


 虎次郎は漫画家達に気を遣って席を立った。美羽の荷物、私の入ったキャリーバックを持って伝票を持って先にレジに向かう。


「話を中断させてごめんなさい。それじゃ、真弦の事よろしくお願いします」


 美羽は真弦の親友として、京平に彼女を任せて虎次郎を追いかけた。


「あ~ん、虎次郎さん待ってよぉ……」


 背の低い美羽は長身でガタイのいい虎次郎と歩調を合わせるのに早足で歩いていた。ヒール付きのパンプスを履いていたので大変そうです。

 美羽の歩調に初めて気が付いた虎次郎は彼女のパンプスを見ながらばつが悪そうに立ち止まって追いつくのを待っていた。



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