47. ゴミ屋敷の姑の家にはお宝がある




 まじわりを終えた二人は、飛び散った母乳を情けなく雑巾で拭いてから部屋を出た。

 吾輩はいつもの趣味の悪いキャリーバッグに入れられて、光矢が天上院に入社時に購入していた一般の軽自動車に乗せられた。

 外はもう真夜中である。


「本当にアパートに帰るの?」


「おう。男に二言は無いぜ」


 そう言って車を発進させ天上院のテーマパークのように広すぎる庭をしばらく走らせてから門をくぐった。


 さっさとあの商店街に帰りたいからとインターチェンジを通り、すぐに下りてインター近くのコンビニに下りた。

 1年はコンビニ絶ちされていた真弦は小躍りし、めぼしい食べ物を買い物かごに沢山詰めていたのだった。それを見て苦笑いする光矢の財布は大丈夫なのだろうか?


 そして、懐かしい商店街裏の路地に軽自動車を停車させる。

 すると、『工事中』の看板が塀の前に立っており、アパートの敷地だった場所は更地にされていた。


「なんだってー!?」


 真弦は驚きのあまり車の中でムンクの叫び状態に顔が変化してしまった。


「うそだろ……」


 アパートの工事を同じく知らなかった光矢も驚いてハンドルを握ったまま凍り付いていた。


 放心状態の後、近くに住んでいる味方は真弦の母親しかいないので、彼女に望みをかけて電話を掛ける事にしたのだった。


 忙しい真琴に電話をかけて数分が過ぎた頃だろうか、光矢の方に電話がかかってきたのだった。

 あれー? 真弦の母親じゃないのかな?


「もしもしー? ああ、うん、わかった。じゃあ向こうに連絡が付くまで……」


 光矢が電話の向こうの相手の女に返事をすると、通話を切った。


「よし、真弦! 俺の実家へ帰ろう」


「へ……?」


 面食らった真弦だが、数瞬後には顔面蒼白になっていた。


「ええええ……? 姑の家とか嫌だよぉ……」


「大丈夫だって」


 そう言うと光矢はハンドルを切り、またインターチェンジを使って光矢の実家へと向かう。




 2時間後、真弦が住んでいた他県にたどり着き、古びれた分譲マンションの前に車を停めた。


「ヒィィ、義理の父と母が怖い~」


「そうか? そんな事もねえと思うぜ。何回か俺の親の話もしてるだろ」


「そういう訳じゃなくてさ、嫁としてなんていうか……」


 マンションのエレベーターを使い、最上階近くの階で停まる。二人は吾輩の入ったペットキャリーを持って『吉良浩哉』という木製の表札のかかった家前で立ち止まった。


 ピンポーン♪

 何回インターホンを押しただろうか、中の住人は出てくる事は無かった。

 しょうがないので光矢は合鍵を使って住居のドアを開けた。


 すると、ツーンと生ごみの臭いが漂ってきていた。

 玄関に出し忘れている燃えるごみが大量に積んであった。


「うっ……、相変わらず酷え家だぜ」


 足の踏み場がなさそうな靴だらけの玄関を跨ぐと、真弦の手を引いて部屋の中に招いた。

 ……なんつーか、ゴミの臭いもそうだけど、家の中が基本的に乱雑すぎて片付いていない。


「うわぁ……なにコレ?」


 いつも部屋を汚くして使っている真弦でさえ絶句する有様である。


「ああ、コレ、おふくろの仕業だ。あのババア、救急病院に呼び出しが多いからゴミ出し忘れてこんな恥ずかしい事してやがんだ」


「お義母さんって、医者か何かなの?」


「ああ、外科医だな。しかも救急センターに勤めてるからあんま家にいねえし安心しろ」


 光矢はしれっと答えると、その辺に落ちてるごみをゴミ袋にかき集め始めた。


「じゃ、じゃあお義父さんは?」


「内科医だな。コロンビアに勤務しっ放しだから帰ってこねえよ」


「ええー!? 超文系の息子の親は医者とか……すげえーっwww 息子、親の才能引き継いで無くてしょうもねえな」


「うるせえな、ゴミのお蔭さんで寝る場所がねえんだ。片づけるぞ」


 光矢は真弦に抗菌マスクを与えると、一緒に床に落ちているゴミや衣服をかき集めるように促した。

 う、お願いします。猫は汚い場所が嫌いなので早く片付けて下さい。


「……なんか、姑に親近感がわいてきたよ」


 真弦はゴミをかき集めながら、妙に汚い部屋に落ち着き始めていた。


 それから何とかゴミを片づけ、ゴミの日カレンダーを確認した光矢は、明日のゴミが燃えるゴミだと確認する。

 真夜中のうちにベランダに大量に積んであったゴミをゴミ置き場にこっそり捨てに行った。


 真弦は慣れない家でカップめんを温めていた。

 既に、主婦の様相で夫の帰りを食卓で待っていた。


「ふーっ、おふくろの奴、何か月もゴミ溜めてよく平気だよな」


 ゴミ捨ての往復から帰ってきた光矢が洗面所で手を洗って消毒してから、食卓にドカッと座った。


「夜食出来てるよ。食べよう」


 掃除とか特に何もしなかった真弦は、きりっとした表情で2つあったカップめんの一つを光矢に渡した。


 二人でカップめんをすすると、互いに眠くなってきたようだ。

 寝ようとして光矢の部屋のドアを開ける。


 ……。

 …………。

 子供部屋の中央に書棚が不自然にそびえ立ち、少女マンガや腐った本などが溢れ返り、光矢のベッドの上にも漫画の入った段ボールが複数積んであった。


「おふくろ……後でしばく!」


「ぎゃはーっ! 今夜は眠れないぜーっ!」


 光矢は母親が心底腐っていてずぼら通り越したダイナミックさで落胆している様子だが、真弦はそうじゃなかった。

 天上院の母屋を出た時の様な暗さはすっかりと消え失せて久々にはしゃいでいる。


 仕方が無いので、父親の和室に布団を取りにふすまを開けると、母親の服が散乱して悲惨な事になっていた。どうやら光矢の母親は帰らぬ夫の部屋をクローゼットに作り変えたらしい。

 光矢が服の大海原を渡り、押入れを開ける。

 ドドドーッ! とブランドの模造品らしきバッグ類がなだれ落ちてきた。


「リビング掃除した後にこれはねえぜ! 糞ババアーッ!」


 珍しく光矢が怒っている。

 今まで実家に一度も帰らなかったのはこういう理由があったのか……。


 消沈していた筈の真弦は光矢の部屋で昔の同人本に囲まれて幸せな時間を過ごしている。


「ぬふふ、あはは」


 気色の悪い笑みを浮かべているが、時折薄い本にビッグネームを見つけては光矢の母に尊敬の念を抱いていた。


「おい、おふくろの部屋は無事だからそろそろ寝るぞ」


 全身がゴミ塗れになって、ジャージに着替えた光矢が真弦に注意する。


「ああん、江崎こうさき明治先生のデビュー前の作品がぁ……」


「そんなモン寝床に持って行っていいから、寝ろ!」


 珍しく不機嫌な光矢が真弦を段ボールごと母親の寝室に引きずって行く。


 光矢の母親の寝室は物凄い潔癖で、10畳の洋室に清潔なダブルベッドが1組だけ置いてあった。後は彼女の寝巻が3組ハンガーに掛けられているのみだ。

 ……吾輩は光矢の母親の性格がどんなのか推測し辛くなっていたのだった。

 まあいい、吾輩も光矢達と一緒にベッドで寝るだけだ。




 午前8時。

 小太り気味のタレ目で背の低い女がよれよれになって帰ってきた。

 未だ、この実家の息子の光矢と、婚約者の真弦は母親の部屋でぐっすりと寝ていた。


「おやまあ、やっと部屋がきれいになったわ~。で、君が光矢のペットね?」


 そう言うと、このおばさんは冷蔵庫を開けてチーズを分けてくれた。そして、朝のワイドショーをソファーの上で見ながら横になり始めた。




 午前10時頃。

 寝室からのそのそと光矢が出てきた。あくびをしながらソファーの前を一旦通り過ぎる。

 光矢の母は疲れ切ってテレビをつけたまま寝息を立てている。光矢は彼女を一瞥し、寝室からタオルケットを持ってきて掛けてやった。

 細かい気配りのできるいい息子だよな! 吾輩も眠くなったので、今回は中年おばさんの肉布団に挟まって寝てみようと思う。

 が、タオルケットに気が付いた母親が起きた。


「お帰り」


 腹筋をぼりぼり掻きながらトイレに行こうとする息子の背中に母親が声を掛ける。


「ああ」


 光矢は振り向かずに短く返事をするとトイレに消えて行った。


「アンタ、少しは天上院家で鍛えられたみたいね。立ち居振る舞いがパパの若い頃に似てきてダンディになって来たわ~」


 母親はでかい声でトイレの中にいる息子にベラベラと口やかましく喋り始めた。こういう部分は職業が医者でもどこにでもいる普通のお母さんと変わらなかった。


「こーちゃん、コーヒー好きね。ついでに私のも淹れて」


「……ハイハイ」


 台所に動くのは普通、母親なのだが、大小便を済ませて台所で料理しようと手を洗っている光矢にコーヒーを所望するあたり親と子が逆転している家庭である。


 色々と親子の会話(と言っても母親の質問ばかり)が続いていると、やかましさに目を覚ました真弦がこそこそと物陰に隠れるようにして出てきた。

 当然ながら、見慣れない人影は気が付かれる。


「あらー、あなたが真弦さんね? いやぁ~美人さんね~!」


「は、初めましてお義母様……。天上院真弦と申します」


 真弦は緊張しながら天上院流のお辞儀して光矢の母親の第一声に応じた。意外と初対面の人間には礼儀正しいんだよな、真弦ってお嬢様の端くれだから。


 光矢の母親は真弦の登場で初めて吉良泰子きらやすこという平凡な名前が判明する。ジャンピング土下座に近いような素振りで、「光矢をよろしくお願いします」と真弦に挨拶をしたのが驚きだった。


 そして、真弦と泰子は何故か意気投合して食卓に二人で座って光矢の朝飯を待っている……。


「お義母様って江崎明治こうさきあけち先生のファンなんですね」


「そーそー、ペンネームが江咲こうさきぐりこの時からファンなんよ~。彼女が描く『メタモルフォーゼ』って漫画の起源がここにあるやね」


 ……こいつらの話題にちょくちょく出てくる江崎も女流作家なのかよ。男の名前をペンネームにする女の人って多いんだね。

 因みに『メタモルフォーゼ』って漫画は普通の少年漫画だが、BL臭さが最も漂っていると噂の作品である。


「奥付にも住所書いてあるなんてすごく親切ですよね! 昔の同人誌って今の同人じゃ考えられない事やってますよね。江崎先生って本名が吉田数子だったんだって感動しましたもん」


「あれに書いてある住所に今更ファンレター送っても迷惑だからやめなさいね。ストーカーの原因にもなるからいつからか本名と住所消えたねー」


 奥付、それはかつて昔の同人誌では当たり前のように「私が描きました」っていうアピールと礼儀を備えたページだった。インターネットが普及してない時代の漫画の感想を聞く手段が奥付だったのだと泰子が説明した。


「ふむ、現代はネットで反響がすぐに来ますもんね」


「んで、こーちゃん、ご飯まだね?」


 女達がだらだらと同人談義をくっちゃべってる中で、光矢は黙々とご飯を炊いたり味噌汁と付け合せの煮物を作っていたりしていた。

 朝からコンビーフ肉じゃがなのは、冷蔵庫にあった根菜と溶けかかった糸こんにゃくを拾い集めたらしい。







 午後、人間共は大型スーパーかどこかへ出かけて行った。

 光矢が冷蔵庫には食べ物を入れておくようにと母親の泰子を諌めたからだ。健康を心配して料理をするように勧めたからでもある。


 ……で、数時間も慣れない家に一匹で閉じ込められる吾輩である。


「アオーン、アオーン!(腹減ったー飯ー)」


 叫んでも何も返事はなく、シンクの所に溜めてある洗い桶の水を舐めて空腹を凌ぐしかないのか……。

 初夏の陽が傾きかけているって事は大体遅い時間だって判明する。

 ああ、人間共早く帰って来いよ!


 陽が落ち、具合悪そうな真弦がスーパーのビニールを持った光矢に肩を抱えられて帰宅する。光矢の母親の泰子の姿は無い。泰子は救急病院勤務なので緊急に呼ばれたのだと見える。

 とりあえず吾輩は、乳臭い真弦の周りを「アオーン」と泣きながらすりすりと体を擦りつけた。


「……ハァハァ、ごめんよ玉五郎。お腹がすいてたね」


 真弦はビニール袋から猫缶を開けて皿に中身を出した。飼い主が具合悪そうなんだが、吾輩は気にせずに猫缶のささみ味を貪る様に食べた。まずは腹ごしらえしないと落ち着いて様子が伺えないからな。


「今ホットタオル作ってやるから待ってろ」


「うん……」


 真弦はバスルームから木製の手桶と洗面器を持ってくる。食卓テーブルに座って大きな胸をペロン出した。手桶の持ち手の部分を脇に挟んで片乳房を突っ込み、もう片方の真っ赤になってる乳房を持ち上げて乳首を摘まんで乳汁を出した。


「いだだだだ……」


 自分で乳汁を出しながら痛がっている。カチコチに固まった胸はまるで金属のように固いのであろう。真弦は光矢から受け取ったホットタオルで乳腺の詰まりをほぐしながら乳汁を絞り出している。


「ヒィ~、無病息災の私が乳腺炎にかかるなんて聞いてないよ」


「おふくろから処方された薬飲んでおけよ」


 二人はそんなやり取りをしながら、フランスにいる筈の真琴から連絡が付くまで吉良家でもう一夜を過ごすのだった。





 翌日、光矢は休みが明けて一旦会社に出社する。

 真弦は彼が帰って来るまで留守番をする事になった。

 ……宿直明けの姑が帰ってきたらどうなるのだろうか?


「お帰りなさい、お義母さん」


「ただいまー。疲れたから寝るんね」


 そう会話しただけで、泰子は寝室に引っこんで高いびきをかいて寝たのだった。光矢が定時で上がって首都圏から高速飛ばして帰って来る直前までである。


 暇を持て余した真弦はというと、特にする事もないので光矢の部屋に積んであった同人誌を読み漁っていた。

 なんてフリーダムな嫁姑だろうか!

 血の繋がらない女二人は特に干渉するでもなく、互いに水と空気のような関係を築き始めていた。


「お義母さーん、ココア飲んでもいいですか?」


「いいよー。ついでに私にも頂戴な」


 上下関係はやはり泰子の方が強いようである。真弦の扱いが光矢と一括りにされているようだ。

 泰子に使われて人の世話をあまりしない真弦があたふたしている姿を見ているのは面白い。

 無事にホットココアを作り終え、泰子と一息つく真弦である。


 そんな平和なひと時に光矢が帰宅してきた。


「ただいまー。早速だけど真弦の実家に帰ろうぜ」


 光矢が真弦の自宅の物と思しきカードキーを持っている。


「えー? 嫁と姑の関係をもっと深めさせてー!」


 ブーイングしたのは泰子の方だ。真弦の方は特にこれと言って表情の変化はない。ただ、手に持っていた昔のBLの同人誌を胸に抱いて阻止の姿勢を示している。


「出社すんのにガソリンと時間を費やしていられるか。ほら、荷物はそんなに無いんだから帰るぞ」


「あううう……」


 真弦は光矢に強引に引っ張られて荷物と一緒に駐車場に連れて行かれたのだった。

 で、猫の吾輩はというと、出発しようとした頃に取りに来られた。



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