11. 恋愛は価値観やノリが大事




 空は曇天に包まれようとしている。

 遠くの空でゴロゴロと雷鳴が響き始めた。また雨が降り注いで来そうだ。


 真弦が何かを言いたそうに、もうどこかへ行ってしまいそうな光矢の顔をじっと見つめている。ああ、もどかしいな、「行くな」って言えば済む話だろ。


「あのさ、雨宿りさせてくんねーかな? 雨止むまでで良いから」


 真弦の表情を見て察したのか、光矢は雨宿りを頼んできた。確かにこの先の雨は激しいかも知れない。それに、光矢にとっても真弦を落とすチャンスかも知れなかった。


「……え、あ、うん!」


 真弦が言おうとしていた事を光矢に先に言われて驚いている。お互い考えている事は同じようなもんだったのだろう。


「今度のお礼は何がいい? 漫画の背景描きか?」


 光矢の申し出に、真弦は不意に下を向いていた。コイツ、無意識に光矢の下半身を見てる! まだ男の下半身観察に執着しているみたいだ。

 だが、真弦は通常運転の変態ではなく、ボッと頬を真っ赤に染めた。乙女か? 今乙女モードなのか?


「……じゃあ、背景お願いします」


 真弦は恥ずかしそうにぼそっと返答したが、光矢は聞き逃しておらず、嬉しそうにニコッと微笑んだ。その表情は多分、誰にも見せた事が無いような優しい顔をしていた。


「ほんじゃま、またお世話になりまーす♪」


 光矢は重くてたどたどしい真弦とは違うテンションでとても軽かった。

 重そうなリュックを軽々と背負い、畳んだテントの入ったボストンバッグを手に持って帰路に就く真弦の後を付いて行く。





 真弦の家で雨宿りをしている光矢は、本当に真弦の描いたアナログ人物絵の背景を鉛筆で精巧に描いている。いつもの真弦の適当な背景とは全く違うテイストの和風で不思議な街並みのイラストである。どうやら現実にある街並みではなく、即興で描いたオリジナルらしい。


「……まさか、この背景にペン入れするのって私なのか?」


 光矢の巧みな鉛筆さばきに魅入っていた真弦が正気を取り戻したようだ。


「ペン入れって何だ? この絵をマジックか何かでなぞるのか?」


 光矢の画風は鉛筆画に直接絵具を厚塗りなので真弦の線画を生かす方式とは全く違うのだ。美術部をやっていたとはいえ、油絵を専門としていたのだからそう言うのも仕方が無いのだろうか。


「あー、ゴメンゴメン、もうちっと簡素に描いて置けば良かったか?」


 真弦に気を使ったのか光矢は照れ隠しに笑いながら消しゴムを手に取って背景を消そうとしたが、頑固な真弦はそれを奪い取った。絵師魂が許さなかったのだろう。


「背景が鬼細かい! でもやってみる!」


 果敢にペン入れを始める真弦。まずは自分の描いた人物絵の和服美青年にペンを入れ始める。その姿は必死で真剣そのものだ。


「……真弦、お前って可愛い」


 光矢はそんな真弦の姿を直球の言葉で感想を述べたのだった。


「可愛いくないわ! ハゲ」


 自分の事をあまり自覚していない真弦は本気で怒っていた。確かに、真弦の今の格好としてはジャージにすっぴん、ひっつめ髪の眼鏡で可愛くは無い。光矢は真弦の仕草や態度について「可愛い」と正直に言ったのだろう。真弦はそんな事を解っていなかった。


 黙り込んで黙々と共作したアナログイラストにペンを入れていく真弦は、隣で頬杖をついて真弦の絵を描く姿を見ている光矢の存在を全く気にするそぶりは無かった。

 いつも、真弦はイラストや漫画を描いて集中していると対象物しか目に入らなくなるのだ。光矢はそんな彼女を邪魔するつもりは無く、ただ真剣に真弦のペンさばきを黙って見つめている。


 お互いジャンルは違えど絵が描ける人種なので、意思疎通は全く問題が無い様である。ただの猫で何も出来ない吾輩は蚊帳の外で何だか寂しいが、二人の世界に阻まれて中に入れないからお気に入りのラグの上で丸まって寝たふりをしているしかなかった。





 真弦が絵を描いている途中で光矢が立ち上がっても彼女は気が付かない。

 視界の隅に入れたかと思ったらイラストに集中しているのだ。何だろう? この真弦のやる気のメーターがいつもより振り切った感は……?


 光矢は時間の頃合いを見て食事の準備をしようとする。が、冷蔵庫にはマーガリンしかない事に気が付く。


「ちょっくら買い出しに行って来る」


 そう言い残して光矢は雨の中、傘をさして買い物に出かけて行った。

 吾輩は玄関に出て光矢を見送る。最初は異質なコイツに慣れなかったものだが、不思議な事に光矢は真弦の殺風景な部屋に馴染んでいた。



 大体1時間弱、光矢は買い物袋を引っ提げて帰ってきた。

 お前は主夫か? とでも言いたげな買い出しの量に吾輩は驚いたが、黙過イラストに専念している真弦は光矢の買い物に気が付いていない。光矢は自腹で食材を買い集めてきたようだ。


 今晩のメニューは野菜たっぷりの五目焼きそばと中華スープだ。デザートに市販の牛乳プリンが添えられていた。


「真弦、飯出来たから中断しようぜ」


 光矢は未だに絵に集中している真弦の両肩に手を置いて作業を中断させた。


「ええー? まだ途中だってば」


 真弦は抗議の声を上げたが、光矢に、真弦を子供の様に世話をしてくれる美羽の影がだぶって大人しく食卓に着く。

 そういえば美羽はどうしてるのか……? 気になる所だが、未だ連絡をくれていないのは真弦の表情でなんとなくわかる。


「いただきます……」


 真弦は光矢の作った料理を食べ始める。すぐに箸の動くスピードが速くなる。


「どうだ、隠し味のからしマヨネーズ美味いだろ?」


 ドヤ顔の光矢に対して、真弦はキッと睨んだが、黙々と焼きそばを食べている。やっぱり美味いんだろうな。吾輩の分はからしマヨネーズはダメだから入って無くてわからないけど。

 光矢はもしかしたら、たまに身の回りの世話に来る美羽以上に真弦に必要な存在になりそうな気がする。吾輩はそんな気がした。






 夕食も終わり、光矢は食器を片づけてから真弦のイラストの調子を伺いに近づく。

 真弦の線画は細かい背景をなぞろうと努力の跡がにじんでいる。繊細なデザインの建物と小物に苦戦をしているようだが、何とかペン入れの終わりは見えて来ている。


「へえー、すげえや。俺の絵をここまで綺麗に線画にしちまうなんて」


 真弦は光矢の関心ぶりに手を止め、彼を見上げてニンマリと笑った。「どうだ」と言いたげな表情だが、何も言わずまた作業に戻る。


 光矢は真弦の線が完成を待つのに、その辺に転がっている漫画を手に取って読み始めた。よりによってシリーズもののBL漫画だ……。その表情は難解な小説を手に取った読書初心者みたくなっている。

 どうやら光矢は腐った思考を持った真弦を理解しようと努力しているらしい。


「できたー!」


 所要時間6時間にして真弦は一気に線画を仕上げたようだ。それにしてもすげえ集中力で仕上げたな……。


「案外早かったな」


 光矢はBL漫画を閉じて放り出し、真弦が完成させた線画を見に画用紙を見に行く。

 腐った漫画に嫌気がさしていたのだろう、光矢は真弦の美しく仕上げた線画にしばし癒され、自分の背景画の変身ぶりに驚いていた。


 そして真弦は間髪入れずにコピックで背景から大まかに色を付け始めた。人物画にはマスキングテープを貼ってあらかじめガードしている。


「色付け楽しそうだな。俺も手伝っていいかい?」


 子供の様に目を輝かせた光矢は真弦にダメ元で申し出てみる。いつものだるそうなタレ目はどうしたんだよ?


「へ? ……うーん」


 真弦は首を捻っていたが、色塗り途中の線画を見て頷く。


「真の合作だな。楽しそうだからどうぞ」


 サインペンやコピックを光矢の前に差し出して一緒に色塗りする様に勧める。

 真弦も童心に帰った様な表情をしていた。





 二人の合作のアナログ絵は会話を楽しみながら作業が進められ、すっかり夜も明けて朝になってしまう。

 後はキャラクターの陰影を加えて光彩を整えるための仕上げをするのみだ。

 光矢はさすがにキャラクターの色には手を加えず、真弦の作業を見守るのみだ。


 その時、光矢は一眼レフを持ってきて真弦の真剣な表情をファインダーに収めた。


「ちょっと! 明け方の酷い顔を撮らないでくれよー!」


 真弦はすっぴんの顔を撮影されるのを嫌っていて、作業を止めて激昂している。


「あー、すまねえ。つい、真弦が綺麗だったから」


 光矢に悪びれた様子は無かった。いつもの様な直球の言葉が真弦の心臓を直撃したようで、彼女は赤面したまま固まってしまった。腐女子はこういう真摯な褒め言葉に慣れていないのだ。


「……わり、作業もう少しだから続けてくれよ」


 光矢が自分が言った言葉に真弦の反応で気が付いたのか、照れて彼女から目線を逸らした。この人、何でか知らないけど真弦に本気で惚れているようだな……。


 真弦が人物画に色を入れ終わり、仕上げにハイライトを入れた。


「出来たー! 出来たよ!」


 真弦は今までで一番の充実感があったのだろう、いつもの冷めたような表情が全く無く、幼くて純粋な少女の様な笑顔で光矢に絵を見せて喜んでいる。


 そんな真弦を見た光矢ははしゃぐ彼女を捕まえる。


「……!」


 咄嗟な事に驚いた真弦は硬直する。その隙に光矢は邪魔な真弦の眼鏡を外した。

 間髪入れず、光矢は真弦の唇を奪う!


「んんっ! んはっ」


 真弦は抵抗して光矢の唇を離す。


「真弦、すっげ可愛い……」


「ああん、恥ずかしい事連発すんな馬鹿ぁ!」


 嬉しさと恥ずかしさとむず痒さを覚えた真弦は軽く抵抗しながらも光矢の唇を再び受け入れている。うちのご主人様はまんざらでもなさそうだ。


 一見共通点が無さそうに見えた二人だが、蓋を開けてみるとノリや根は似たようなものだったので、こうなってしまうのも時間の問題だったのだろう。



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