10. 真弦、再び男を救う




 吾輩が天上院真弦の様子を伺えるのは青葉台駅前までだけだ。あいつが通う若草学園に行く事は猫ゆえに許されないのでどうなったのかは知らない。

 散歩を済ませて児童公園を通りかかると、梅雨時期には珍しい晴れ間だからと小学生くらいの子供と幼児連れの親子で賑わっていた。

 緑色のキャンプ用テントが異彩を放っている。


 子供がふざけてテントに突撃して遊んでるし……。


「コラーッ! やめなさいアンタ達!」


 子供の親らしきオバサンが子供達を叱責してテントから追い払ってくれた。


「ホント、いつから置いてあるのかしら? このテント」


 おせっかいそうな子連れのオバサンがもう片方のオバサンと会話しているのが聞こえた。なんか嫌な予感するなぁ……。吾輩はどうする事も出来ないまま横の茂みを子供に警戒しながら通過するのみしか出来なかった。



 真弦の家に帰ると、テーブルに置いてある書きかけの漫画やノートを暇つぶしに読んだりして過ごしているんだが……。


 だらしない真弦には珍しく、BL用の漫画ノートは閉じられていた。肉球では上手く表紙がめくれないんだよなぁ……。


 描きかけのアナログイラストはいつもの出来損ないのキノコを銜えた淫乱で裸な女性達ではなく、珍しく着衣の美少女だけであった。着色に使ったコピックの色が途中で止まっている。やっぱ、異性が家に一日中ずっといたので気を使っていたのかなぁ……。





 雨がまたしっとりと降り始めた時、真弦が家に帰ってきた。


「ただいまー」


 シーンとなっている中、吾輩は真弦の気配を感じてラグから起き上がり、玄関まで走って行った。


「ニャーン」


 濡れた傘を玄関ドアに立て掛けた真弦にすり寄るが。


「ああ、帰ったんだ……」


 残念そうに独り言を言って室内の電気を点けて靴を脱いだ。え? 吾輩を無視かよ?


 様子が変な真弦は吾輩にカリカリを用意すると、自分はカップめんにお湯を注いでいた。どうやらこの感じだと、親友の美羽はまだ怒っているみたいだった。

 カリカリって食ってる時に音が鳴るだけでお菓子みたいだしパサパサしてるからあんま食った気がしないんだよなー、と、隣を見ると、真弦ももそもそとカップめんの麺を味気無さそうに啜っていた。いつもはこんなジャンクフードでも美味しそうに食べる女なんだけどなぁ。

 変態な天上院真弦もやっぱり人の子なんだろうな。一人暮らししてると孤独に弱いみたいだ。

 

 今日の真弦はいつもとは違う弾けっぷりである。

 BLカップルのイラストがうっふんあっはんしてた。構図によって売りのチンコが隠れており、それがまた色っぽかった。イラストサイトにUPしたら、いつもの裸美少女イラストと同じように票を稼ぎそうだ。

 昨日は遠慮してたみたいだからな。こっちの方はいつも通りとも言っても良いだろうか……。




 翌日は学校が休みだと、ついつい寝る時間が遅くなってしまうのが創作を趣味としているものの性なのか……。


 朝日がカーテンの隙間から差し込んできてようやく、真弦は寝る気になったのか。

 万年床にゴロンと横になった。


「……ぬるい」


 真弦が寂しがらないようにと寝床を寝ながら暖めていたのに、期待していた感想はこんなものだった。

 むかつくので横になって寝ている(胸が大きくて仰向けが難しいのだ)真弦の大きな胸の下に潜り込んでやった。あったか~い。


「うう~ん……」


 除湿機能をかけていないと寝苦しい。そんな季節である。

 真弦は昼過ぎまでダラダラ寝ていた。




 昼過ぎ、ようやく真弦が目を覚ましたので飯を懇願するとまたカリカリが出てきた。わぁい、2連続嬉しくねーねこまんま食いたいな。


「さて、私の朝ごはんをだな……」


 冷蔵庫を開けると。


「ねえよ!」


 そういえば一昨日の晩に、光矢が冷蔵庫を掃除しちゃったからな。冷蔵庫は飲みかけの飲み物を抜かすとほぼ空っぽだった。マーガリンのみが冷蔵庫のライトに照らされていた。


「くそー」


 真弦は歯噛みして乾物類が入っている吊り戸棚を開けた。空っぽだった。


「ううっ……買い物に行くしかないのか。休日ぐらい私に引きこもりやらせろよー」


 嘆きながら真弦は素早く着替えた。コンビニ着であるパーカーと外が歩けるジャージのズボンに。髪の毛は左右非対称のツインテールにして、慌てて外を飛び出していった。

 吾輩は飯にありつけたわけだし、散歩に出ようと真弦と一緒に外を出たのだった。





 吾輩が隣の児童公園で、雨の影響で湧いてしまった羽虫を追いかけていたら、公園の片隅に勝手に建てられていたテントに異変が起こった。


「困るんだよねー、ここにテント張られてもさー。町内会から苦情出てるんだよねー」


 警官がテントの主に職務質問をしていた。

 ハゲから坊主頭に進化した光矢がヘラヘラと笑いながら応じているのが見える。


「アンタ、ホームレスなの? ねえ? ねえ?」


 警察の野郎は嫌がらせの様にネチネチしつこい。つまり暇つぶしなんだなコイツ。


「いやぁ、ここにいるのはキャンプっつーかー」


 のらりくらりとまずい会話をはぐらかしてそうな光矢もさすがに警官の制服の威圧感に負けて狼狽えている。


 ネチネチと回りくどい職務質問を受けていると、


「コラーッ! アンターッ!」


 真弦が腰に手を当てて叫んでいた。買い物した袋は地面に置いてあり、意を決したのであろう。根が引きこもりだからかなりの勇気が要った様だ。

 そして、走るには邪魔な乳をたゆんたゆん揺らしあまり速く無い女走りで近づき、嫌がらせの様に職務質問をする警官に襲われた光矢の前に立って彼を庇う。


「ウチの人が本当にすみません。ただ喧嘩して家出しちゃっただけなんですぅ。悪気は無かったんですぅ! この人いじけてるだけなんですぅ!」


 かなり演技がかっているが、真弦は警官に捲し立てる様に事情を説明している。

 警官の視線は真弦の立派な胸に目が奪われており、眼鏡ですっぴんの若々しい顔はそんなに見ていない。多分、真弦が女子高生と気が付いていないのだろう。


「あーハイハイ、解りましたから。住所教えて」


 警官は不審者の奥さん(?)登場に呆れ、事務的に返答した。

 すると真弦は警官の持っていた書類が挟んだボードを奪い取った。即座に自分の住所(見えないけど慣れた手つきだからそうだろうな)を書き殴って警官につき返した。


「後はウチで片づけますから、ホントすみませんでした」


 帰れ帰れしっし! みたいな素振りで警官を追い払う。


「あー……、サーセン」


「困るよ、今度やったら署まで来てもらうからねー」


 あまり反省した様子の無い光矢を睨みつけ、書類を手に入れた警官は自転車に跨ってダラダラと帰って行った。


 すると真弦は、今まで張りつめていた意識がしぼんだ風船のようになってヘタヘタとその場に尻もちをついてしまった。慣れない事はするもんじゃない。表情に出ていた。





「大丈夫か? 真弦」


 真弦に助けられた光矢は、彼女の肩に手を置いて意識を確かめる。


「……慣れない事するんじゃなかった」


 真弦は緊張が解れたのか、いつの間にか滲んでいた涙を拭って自力で立ち上がった。尻に付いた泥をパンパンと払う。


「ありがとう、真弦。マジで助かったぜ!」


 光矢は真弦に助けられて本当に嬉しそうで、思わず真弦を抱きしめてしまった程だ。


「なっ……!」


 驚いた真弦は抱きしめられたまま硬直して何も出来ないでいる。

 真弦が抵抗せずにしばらく抱きしめられ続けているのだが、心なしか彼女の表情はうっとりしている。おい、お前こんな気だるい感じの変な男が好みなの? ねえ?


「あ、ゴメン……!」


 しばらく抱擁している事に気が付いた光矢が気まずくなって真弦を引き離した。彼はかなり照れているのか、耳まで顔が赤くなっていた。おい、お前もこんな干物みたいな腐女子でいいの? いや、おっぱいがある女であればいいのか?


 なんか初々しいカップルが放つ甘酸っぱい空気を二人が放っている。傍観者としてはかなりイライラもどかしい感じなんだが、しばらく二人がちらちらお互いの様子を伺いながら見つめ合っている。


「そうだ、テント片付けなきゃなぁ」


 こんな甘酸っぱい空気を何度か味わっていたのだろうか、光矢が正気に戻るのは案外早くて、テントの方に向き直った。


「……片付けるのか?」


「ポリに見つかった以上、ここに居座る事も出来ねえしな」


 光矢はばつが悪そうに頭を軽く掻き毟る。あった筈の存在感ありまくりだった髪の毛が無い事に気が付くとなぜかブッと噴き出してまたばつが悪そうにする。


「勿体ないな、アンタの住処なのに」


 真弦がテントに飾り付けられた装飾を見て残念そうにしている。テントの表面にはガーランドやマジックで描いたイラストが付いた布が飾られている。まるでそのテントは光矢の城であるように存在感を放っていた。


「勿体ないか。ハハッ、照れるじゃねえの。片付ける前に中入ってみるか?」


 褒められた光矢は悪い気がしないのか、真弦をテントの中に招き入れた。






 吾輩も真弦を追いかけて光矢のテントの中に入ろうと入り口の前に立った。


「ニャーン」


「お、玉五郎も来てくれたのか!」


 光矢は狭いテントの奥で吾輩を来い来いと手招きをする。

 人間が二人入ると精一杯のテントはマジで狭い。光矢はこんな無茶苦茶狭い場所で生活していたのか……。


「本当に狭いな。私の部屋より……」


 身を屈めているままの真弦はテントの狭さを体感している。尻に当たった一眼レフの高級そうなカメラを思わず手に取ってしまう。


「ああ、それは俺の一番の宝物だ。風邪で意識失ってお前の家に匿われていた時に盗まれてないか一番心配してたんだ」


 優しい表情で笑う光矢は真弦から一眼レフのカメラを受け取る。大事そうにしているので、本当に彼の宝物らしかった。


「あ、あれは?」


 真弦が突然光矢の背後を指差す。さほど大きくないキャンバス画が積まれていた。


「ああ、コレ? 風景画だな」


 光矢は真弦にキャンバスを渡した。あまり気に入っていないのだろう、扱いは雑だ。

 だが、キャンバスの風景画は結構上手に見えるんだけど……。猫でもわかる富士山も含まれてて構図や色使いも解りやすい。絵の中で精巧な作りの東京タワーも見えた。


「誰が描いたんだ?」


「誰も彼もあるか。俺だ」


 当然とばかりに光矢は自分を指差す。


「ええー!?」


 真弦は光矢の性格の雑さ加減からはこんな繊細な絵を描くとは想像していなかったようだ。


「俺は中高と美術部だったからな。今は山岳部入っててこんなナリしてっけど」


 確かに、光矢の肉体は過去に文科系の部活に所属していたとは思えないほど筋肉質でしっかりしている。どちらかと言えば誰しも体育会系と言える体型である。


 光矢を見つめる真弦をふと見上げると、奴は当たりの萌える同人誌を見つけた時の様に目がキラキラと輝いていた。まさかこんな変な男が真弦の王子様とか言わないよな? 





 光矢が黙々とテントの中の荷物を巨大なリュックに詰め込んでいる中、真弦は放置されているキャンバスの一つをずっと見つめている。


「それ、纏めるから返してくんねえか?」


「あ、うん……」


 真弦は残念そうに光矢にキャンバスを返した。その絵の中には真弦が住んでいる青葉町商店街の一角が切り取られていた。日付は半年以上前で、雪が積もっていた日だったのだろう、街並みが薄い雪化粧をしていた。


 光矢がキャンバスを淡々と纏め、風呂敷の様な布で包んでリュックに括り付けた。

 テントの中が空っぽになり、残るはテント本体を畳むのみだ。


「真弦、手伝ってくんねえ?」


「えー? 嫌だ。私、腹が減って力が出ない。力仕事無理」


 真弦は光矢よりも先にテントの外に出て、児童公園の入り口に放置されていたビニール袋を拾いに行った。

 そのまま家に帰るのではなく、また光矢の元に戻ってくる。


 真弦がテント近くのベンチに座り、菓子パンの袋を開きながら、テントを一人で片付ける光矢の姿をずっと見ている。

 吾輩は真弦の側に行ってパンのおこぼれを貰おうと、彼女の膝の上に座った。


 もしゃもしゃ……。

 真弦はテントを片付ける光矢をひたすら見ながらパンをむさぼる。何かをあれこれと考えているようで、膝の上にいる吾輩に全く気が付かないようだ。


 口の中にパンを詰め込んでいる作業をし終わった真弦は、機械的にロイヤルミルクティーのペットボトルを開けて口を付け、喉を潤す。テントを片付けている男をガン見しながら飯を食ってる女ってどうよ? つか、おこぼれくれよ。


 テントが畳み終わり、テントと同じ色の袋に詰められると、光矢は緩慢にリュックを背負った。結構な重みがありそうだな。


 そんな時、真弦が慌てて立ち上がった。吾輩はそんな真弦に振り落とされた。


「あんた、どこに行くんだ?」


「んー、そうだなーどこだろうなー? また適当に場所があれば……」


 光矢は無計画で、特に次に行く場所を決めていないようだった。



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