#03 不安

 首が痛くなるほど高い山を見上げ霊弐は、自室の前の通路の柵にもたれ掛かる。霊弐の家は3階建てのアパートの一室だ。築年数は古く、今世紀の初めに建てられたらしい。ILHENアイレンの管理の下、人々の多くは都心部の居住区へ移住してしまったため、このアパートも3階の端の霊弐の部屋以外空き部屋になってしまっている。政府直属の建物には管理人が付くが、このアパートは民間に譲渡されて以降、週に一回業者所属の保守点検ロボットが数台やってくるだけである。山に近く交通の便も都心に劣るため閑散としており、周囲には同じような古い建物が数軒並ぶだけであとは、数キロ先に物資輸送機の発着場があるくらいだ。誰も住まなくなった建物は取り壊して資源として再循環されることになっているから、残っている建物には少なくとも一人は住んでいるのだろうが、霊弐は会ったことが無いのでおそらく、倉庫か別荘代わりにでもなっているのかもしれない。


 それにしても彼女、どこから来たのだろうか。追われている、と言っていた。まさか友達と鬼ごっこやかくれんぼをしているわけではあるまい。しかし、この街で誘拐や監禁なんて物騒なこと、ILHENが見過ごすわけがないだろう。そもそも、市民に動機が発生し得ない、というのがこの街の姿だった。


「なんであれ、ただ事ではなさそうだ。一応応援を呼んでおくか。」


そう呟いて霊弐は、胸ポケットから端末を取り出す。その時。


ドン


霊弐の後ろで音がした。振り返るともう一度、ドン。自室の扉からだ。霊弐が扉に近づくと、少しだけ開いて声だけの彼女が言う。


「着替え終わったから、呼んだ。」


なるほどと頷き、霊弐は扉を開けようとした。すると扉のほうが勢いよくしかし半分だけ開き、中から出てきた白い手に霊弐の腕は引っ張られた。体勢を崩した霊弐はそのまま中へ倒れこむ。霊弐の身体が中に入りきったのを確認すると同時に扉を閉め、鍵を掛ける彼女。


「そんなにしなくても追っ手なんて来やしないよ。」


霊弐の言葉に彼女は真剣な顔で、そんなのわからないじゃない、と言う。


「さっき誰と通信していたの。」


倒れたままの霊弐の手に握られた端末を見て、彼女は不安そうに訊く。状況はわからないが、ものすごく不安なのだろう。霊弐は答えた。


「助っ人を呼ぼうと思って。」


霊弐が実質的なカウンセラーであるのに、探偵を名乗っているのにはわけがあった。彼は他人の話を聞くのが好きでカウンセリングをしていたが、それは趣味の域を出ていなかった。彼にはパトロンとでも言うべき存在がいた。毎日のように他人の相談に乗っているとごく稀に、彼一人では手に負えない事態が転がり込んでくる。手に負えないと言っても、大事になるようなことであればILHENが動くはずで、彼が本格的に動く必要のある事態というのは具体的には、お金が必要なとき、ではあるが。そのパトロンとは長い付き合いで、カウンセラーである霊弐のカウンセラーでもあった。困ったときはまず相談する、そんな間柄なのだった。

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