第66話「追憶:沙菜の過去」
五年前。
霊京四番街。妖花学園中等部の昼休み。
「あっ、ごめーん、如月。ごみ箱と間違えちゃった」
教室で昼食を摂っていた沙菜の弁当箱に埃や紙くずが振りかけられる。
やったのは同級生の女子だ。
「…………」
こんなことは日常茶飯事なので、沙菜は無言のまま弁当の中身を丸ごとごみ箱に捨てる。
「如月は今日も人間界から持ち込んだキモイ小説でも読むのかなぁ~」
また別の女子が挑発的な口調で話しかけてくる。
沙菜に対してこのような嫌がらせをするのは五人の女子グループだった。
今日のはまだマシな方。これまでには、演習中に怪我をさせられたり、班行動での魔獣討伐に行った際一人で戦わされたりと、さらに酷い目に遭わされてきた。
学園の教師たちは何もしない。状況を全く知らないということは考えられないが、皆、見て見ぬふりをしているのだ。
「そうだ、如月。どうせ暇してるんでしょ? 購買でパン買ってきなさいよ。もちろんアンタのおごりで」
「そうそう。如月財閥のお嬢様でお金余ってるんでしょ~? あっ、ごめーん。本当の娘じゃないんだっけー」
「浮気相手の子供なのに如月家に居座ってるとかマジありえないよねー」
女子たちの話は無視して、大人しく購買に向かう。
初めのうちは反抗もしていたが、無駄なことだと悟った。
学校という謎の空間においては、人を傷つける犯罪行為が正しく処罰されることはないのだ。
沙菜は、『いじめ』という表現が嫌いだった。
十分犯罪といえる行為に対する表現としては生温いし、被害者側が弱いというイメージを与える。
嫌がらせの加害者たちから標的にされた理由は沙菜の趣味だろう。
沙菜は時折人間界に渡って漫画や小説、ゲームなど娯楽作品を入手してきていた。その中にはかなり特殊な嗜好のものもあり、学園の同級生たちはそれを気持ち悪いと言った。
原因はたったそれだけのことだ。普通の人間――この場合は羅刹を含む――と違っていれば、それだけで同じ人間としては扱ってもらえない。
沙菜は普通と呼ばれる人々を嫌悪していた。
普通であることほど強大で凶悪なものはない。
数が最も多ければ本当に正しいかどうかなど関係なく正義と見なされてしまう。そして、この世界で最も数が多いのは『普通の人』だった。
(全く、腐った世の中だな)
沙菜は中学生にして既に世界に失望していた。
そんな理不尽な学園生活を送る沙菜にも癒しの時間があった。
「
近所に住んでいる沙菜の兄貴分・
彼のところへ遊びに行くことは沙菜の日課になっている。
実の兄である白夜は沙菜が物心ついた頃には家におらず、いたとしても一緒に遊んでくれるような人物ではなかった。
対して、達也は沙菜が好んでいる特殊な嗜好の漫画や小説、ゲームなどにも興味を示し、楽しんでくれていた。
「おー。沙菜、また何か面白いもの仕入れてきたのか?」
達也は沙菜を家に招き入れる。
「色々ありますよ。人間界は娯楽の宝庫ですからね」
人間界が特別というより、羅仙界が娯楽に乏しいのではないかとも思う。皆、羅刹は高尚な種族であるとして、低俗な遊びなど不要と考えている感じだ。
人間界で手に入れてきた戦利品をリビングのテーブルに広げる。
「達兄の好きな幼女が出てくる奴もありますよ」
「おお! どれどれ?」
沙菜は達也のことが好きだった。髪型をポニーテールにしているのも、彼の好みに合わせた結果だった。
ただ、自分たちが結ばれることはないと理解していた。
達也の恋愛対象は小学生まで。最低でもあと二年若くなければいけないところだ。
もっと早く、自分が恋愛対象になる年齢のうちに彼への好意を自覚していれば何かが違っていたのだろうか。
そんなことも考えるが、沙菜は満足していた。
恋人にはなれずとも、こうして一緒に遊んでもらえる。それだけで十分だった。
「それじゃあ達兄、明日も来ますからね」
「おう。またな沙菜」
夜になり、玄関先で沙菜を見送る達也。
そんな達也に一人の幼い少女が声をかけた。
「あっ、たつやお兄ちゃんだ~」
この少女こそが、達也の想い人だ。
沙菜にとっては恋敵ともいえるが、自分には元々見込みがない為、それほど意識していない。
「あれ? こんな時間に帰り? もう遅いし、家まで送っていこうか?」
「ううん。だいじょうぶ~」
この少女に向ける達也の眼差しは、沙菜が今まで見てきた中で一番優しい。
少女も達也のことを慕っている。
もしも二人が結ばれるようなことがあれば、その時は素直に祝福しようと考えていた。
学校で嫌なことがあっても、好きな人に会うことで忘れられる。そんな日々がずっと続くと思っていたのだが――。
「な――ッ」
数週間後。
朝刊の記事を見た沙菜は驚愕した。
その記事には霊京四番街在住の真田達也が騎士団によって捕縛されたと書かれていた。
罪名は略取誘拐罪。
(そんな馬鹿な……)
あの優しい達也が誘拐などするはずがない。冤罪に違いないとすぐ思った。
調べてみたところ、被害者とされているのは達也に懐いていたあの少女だと分かった。
少女が達也の家に遊びに行ったのを保護者たちは誘拐と判断したらしい。
学校でもこの話題は広まっているようだった。
「如月ぃ。アンタと仲良かった変態とうとう捕まったらしいじゃない」
「…………」
自分のことだけならいざ知らず大好きな達也のことまで悪く言われるのは耐えがたい。
だが、ここで自分が何かを言ったところで達也の立場は改善されない。
せめて、彼が出所してきた時に誰よりも温かく迎えよう。そう思っていた。
結果としては、沙菜が達也を迎えることはなかった。
達也は獄中で死んだ。
監獄内で囚人に対する虐待があるという話は聞いたことがある。
子供を誘拐した罪で服役しているとなると余計に風当たりが強かったことだろう。
沙菜は絶望した。この世界はこんなにも自分たちに辛く当たるのかと。
失意のまま登校すると、やはり女子のグループから話しかけられた。
「あの変態死んだらしいじゃない。まあ自業自得だけど。アンタも気をつけないと同じことになるわよー」
「ねー、如月。今どんな気分? 変態仲間が死んじゃって悲しいー?」
耳に響いてくるこの雑音を消したい。
「うるさい黙れ」
「はあ!? 如月アンタ誰に口利いてんのよ?」
女子の一人が詰め寄ってくる。
何故こんな連中に自分たちの尊厳を踏みにじられなければならないのか。
――いや、本当に踏みにじられたままでいいのか。
「ふっ、はははっ」
笑いがこぼれてきた。
「な、何よ……? いきなり笑い出して……」
沙菜は腰に差した刀に手をかけ――。
目の前の女の喉を斬り裂いた。
「なッ!? 如月アンタ!」
「きゃあああ!」
周囲にいた他の生徒たちが騒ぎ出すが、気にしない。
「ふ、ククク。最初からこうすれば良かったんですよね。この学校に張られた脆弱な結界ごときじゃ私の霊力は抑えられないんですから」
一応、学校の敷地内には攻撃系の霊気を封じる結界が張られており、霊力を使った問題が起こらないようにしてあるのだが、沙菜の力は既にそんなものは通じないレベルまで成長していた。
教室にいた生徒たちは我先にと逃げ出すが、嫌がらせをしていたグループの残り四人は逃がさない。
「
構成式にアレンジを加えて効果を変化させた霊法によって、四つの光の筋を発生させ、四人それぞれを貫き動きを止める。
その後は、通報を受けた騎士団が到着するまでの間に五人全員を殺して、さらに死体を弄って醜い化物の姿に変えてやった。
なんとも清々しい気分だ。
街に出た沙菜は達也が捕まる原因となった少女を見つけて、ついでに殺した。
この少女の死を誰よりも悲しむはずだった人はもうこの世にいないのだから問題ない。
逃亡を続ける沙菜の前には何度も追手の騎士団員が現れた。
沙菜はそれらを全て退けていた。
学校の中でくすぶっている必要などなかったのだ。
兄の白夜がそうであるように、自分もまた騎士団が手を付けられない域に到達していた。
そうして逃亡生活を続ける中、彼が現れた。
「如月沙菜だな?」
ロングコートを着た灰色の髪の男が、森の中に潜む沙菜に呼びかけた。
「あなたは――」
一応名前は知っている人物だ。
「碧血の
「惟月様が貴公と話したいとおっしゃっている」
「ふん。騎士団の連中に泣きつかれたんですかね? こっちは話すことなんてないですよ」
「ならば力ずくで聞いてもらおう」
秋嵐はどこからともなく両刃の剣を取り出す。何かに変化させて持ち歩いていたのだろうが、よく分からなかった。
今までよりは歯ごたえのある相手だろう。
そう思い、霊魂回帰しようとする沙菜だが。
「戰戻――隻翼――ッ!?」
戰戻の鎧と翼が砕け散った。
(なんだ、この術は……!?)
「霊法四十四式・
沙菜は両手首、両足首に光の輪をつけられ力を封じられた。
「ぐッ……」
地面に倒れ込んだ沙菜は苦々しそうに秋嵐を見上げる。
そこへ――。
「ご苦労。秋嵐」
惟月が姿を見せた。
戰戻を封じたのは彼が開発した術式か。
「蓮乗院惟月……!」
惟月は穏やかな声音で話しかけてくる。
「如月沙菜さん。罪を償う気はありませんか?」
「それは死ねということですか?」
這いつくばったままの沙菜が聞き返す。
自分が犯した罪を考えれば、極刑は免れないだろう。贖罪の為に命を捨てるつもりなどなかった。
「いいえ。あなたには生きて罪を償ってもらいたいんです」
惟月の提案はこうだった。
沙菜がA級以上の喰人種を複数体討伐する代わり、その功績を以って恩赦を受けられるよう惟月が騎士団と交渉すると。
A級以上の喰人種ともなると、その者が喰らう魂の数は、沙菜が殺した人数を大きく上回る。それでも簡単な交渉とは思えないが、惟月は本気のようだった。
「要はあなたの存在が世界にとって必要なものだと知らしめれば良いのです」
「何故私の為にそこまでするんです?」
沙菜はまだ惟月を完全には信用していない。
「私に力を貸してほしいんです。私が設立した霊子学研究所、そこの四番目の研究室で室長をやっていただけないかと」
「酔狂な話ですね」
惟月は沙菜に手を差し伸べてくる。
それと同時に沙菜の身体の封印が解かれた。
「沙菜さん。共に世界を変えていきませんか?」
世界を変える――それは沙菜が心のどこかでずっと願い続けてきたことだった。
「面白い。やってやろうじゃないですか」
沙菜は惟月の手を取った。
第十一章-英雄VS殺戮者- 完
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