第35話「新たな日常」

「それじゃあ、優月さんと涼太さんはこの部屋を使ってください」

 沙菜に案内されたのは如月邸内の一室。廊下の突き当りの一つ手前のこの部屋が優月たちに与えられるということで、端の部屋では龍次が生活しているとのことだ。

 優月としては、あの龍次と一つ屋根の下、しかも隣の部屋ということで胸が高鳴りっぱなしである。

「ちょっと待て。この屋敷、部屋いくらでもありそうだろ。なんでおれが優月と同室なんだよ?」

 如月邸の内部を見渡してみると、天井にはシャンデリアが吊ってあり、廊下の端にはいかにも高級そうな調度品などが飾られている。そして何より、その広さが――マンションやホテルを別にすれば――人間界にいた頃には見たこともないほどだ。

 あくまで少し大きい程度で常識の範疇だった雷斗と惟月の人間界での活動拠点と違い、こちらはさすがに部屋の数が足りないことはありえなそうだが。

「別に部屋や土地の無駄遣いはしてませんよ。使用人がそれぞれの活動の為に利用してますから」

 沙菜の言う使用人たちの中には、時折人間界に赴いて喰人種と戦っている者もいるらしい。

 各使用人の生活や会議、その他諸々に使われていて、この屋敷はただ贅沢の為に広い訳ではないとのことである。

「っていうか、同室の方が嬉しいでしょ?」

「それは、まあ……」

 愛しい弟の傍にいられるのは素直に嬉しいことだ。本人を前にしているので曖昧な返事をする優月だったが、沙菜の視線は涼太の方を向いていたようにも。

 まだ不服そうにしている涼太に対して沙菜は余計なことを言い出す。

「大丈夫ですよ。『男女七歳にして席を同じゅうせず』と言いますが、見た目的にセーフでしょう」

 涼太の拳が、沙菜の腹部に全力で叩き込まれた。

 しかし、全力で殴られた割に沙菜は平然としている。

「ふっ、私はこう見えてマゾですからね。殴ったところで喜ばせるだけですよ。――さあ、殴って喜ばせるか、殴らずに許すか、二つに一つです」

「嫌な二択だな……」

 どう見えてマゾなのか分からないが、涼太は心底うんざりしたような表情になった。

「あ、あの、それで、明日からわたしは何をすればいいんでしょう?」

 ここは話題を変えた方がいいかと思い質問してみる。考えてみれば、龍次の傍に来ることばかりでその後のことはノープランだった。

 少なくとも龍次と一緒に研究を進められるほどの頭脳は優月にはない。

「ああ、それですけどね。優月さんを自立させるよう惟月様から言いつかってますからね、これから優月さんでもやれそうな仕事を回しますよ」

「気が利いてるな、惟月は」

 深くうなずく涼太。

 やはり優月の自立を誰より願い続けていたのは涼太だろう。

 沙菜は優月に与えるという仕事について説明し始めた。

「こっちの世界には征伐士という職業があるというのは聞いているでしょう? 基本的に喰人種を倒せばそのランクに応じた報酬が支払われるんですよ。優月さんたちの存在を公にする訳にはいきませんが、私が倒したことにして協会に報告すればなんとかなるでしょう」

 沙菜の話では、征伐士には正規と非正規の別があり、彼女自身は正規のライセンスを所持しているということだった。

 仕事をもらえるのはありがたいし、自分にできることといえば戦うことぐらいではあるのだが――。

「赤烏さんや玄雲さんみたいな人と、また戦わないといけないんですか……?」

 襲われれば、龍次や涼太の命がかかっているとなれば、戦うつもりではあるが、普段の仕事として常に彼らのような人たちと戦い続けるというのは精神的に辛いものがある。

 弱々しく尋ねる優月に対し、沙菜は明るく返した。

「獣型の喰人種がいたことをもう忘れたんですか? ああいう小物を狩ったらいいんですよ。報酬額も知れてますが、小遣い稼ぎにはちょうどいいでしょう。それに――、実力がついたら『完全変異体』を相手にしてもいい」

「完全変異体?」

 聞き慣れない単語が出て、優月と涼太の声が重なる。

「喰人種化による変異を止めることができずに完全な化物になってしまった喰人種のことです。もはや自我は失われて、力の塊になってしまっていますから、遠慮なく殺してしまって構いません。それが唯一の救いでもありますしね」

 自我を失っているなら赤烏の時のように言葉を交わして胸が締めつけられることもない。喰人種化を治療する手段が存在しない以上、早々に断劾の力で浄化するべきだ。

 勝つことのできる力量さえあれば、その完全変異体と戦うのも選択肢の一つではあると思えた。

 そこまで聞いて優月の脳裏には六年前の映像が蘇る。

(あ……)

 漆黒の巨体を持ち、何の動物ともつかない不気味な姿をした化物に襲われ、月白の着物を纏った羅刹の女性――蓮乗院風花に助けられた時のこと。

 あの時風花が最後の力を振り絞って倒したのが、まさしく喰人種完全変異体だったのではないか。

 だとしたら、当時の彼女を超える力を手にしなければ生きたまま完全変異体と戦い続けることなどできない。

「沙菜さんは、その完全変異体と戦ったことがあるんですか?」

「まあ時々倒してますね。今の騎士団には完全変異体を倒せる実力者はろくにいないみたいですし、私たちがなんとかしてやらないと」

 『騎士団』という言葉も初めて聞いた気がするが、質問ばかり続けるのもどうかと思ったので今は詳しく聞かないことにした。

「ま、その辺はまだ先のことですし、今日のところは部屋で休んでください。明日以降、ちょうどいいのが出たら教えますから」

「あ、はい。ありがとうございます」

 沙菜に促され、新しい自分の部屋――正確には涼太と相部屋――に入ることに。

「わ……」

 如月邸全体の造りから予想はしていたが、新しい部屋は自分などが生活するにはもったいないのではないかと思うぐらい豪華なものだった。

 そしてベッドの数は――、ちゃんと二人分あった。

 ――安心したような、残念なような。


 翌朝。

 如月家の料理人が作ってくれた食事を摂った後、龍次から声をかけられた。

「これから研究室の方に行くんだけど、優月さん一緒に来ない? 俺がこっちで何をやってるか少しだけでも見せられたらと思って」

「い、いいんですか……? そういうことでしたらぜひ」

 龍次からの誘いを断る理由などない。沙菜から仕事に関する話もまだ来ていないのでついていくことにする。

 母屋を出てから第四研究室に着くまでにはそれなりに歩く必要があった。それだけ敷地全体が広いということだが、羅刹化の修行の成果もあってか途中でバテることもなく無事到着。

「ここで、龍次さんは働いてるんですね……」

 研究室内には、和服を着ている羅刹たちにはある意味似つかわしくないようなコンピュータ――霊子端末と呼称されている――が並んでおり、いかにも科学の最先端という趣だ。

 優月は優月で、羅刹化の為に大変な修行を乗り越えたが、龍次もまたその頭脳を活かして大変な仕事をこなしているのだろう。

「大抵ここのデスクに向かってるんだけど、まあ、見ても何やってるかまでは分からないかな」

 龍次は自分のデスクの霊子端末を起動する。見た目の上では、人間界のパソコンとあまり変わらない。

「ここで俺が研究してるのは、羅刹の霊力戦闘技術について。どうやったら効率良く霊力を扱えるかとか、技の効果を活かす為の戦法とかだね。それで――」

 研究内容について説明していた龍次が、その優しげな眼差しをまっすぐ優月に向けてくる。

「今度、近いうちに優月さんに見せたいものがあるんだ。見えるものかどうか微妙だけど……。でも、きっと優月さんの役に立つものだから」

「わたしの……役に……? あ、ありがとうございます……! わたしなんかの為に、龍次さんのお時間を割いていただいて……」

 龍次の言葉に感激していたところ、どこからともなく沙菜の声が聞こえてきた。

「優月さん。出ましたよ、喰人種。研究室を出てすぐのところです」

 声が聞こえたのに続いて、優月にも喰人種の気配が感じられた。

「如月? どこから喋ってるんだ?」

 辺りを見回す龍次だが沙菜の姿はない。

「霊法で声を転送してるんですよ。四十二式の転音てんおんですね」

 沙菜に促されて外に出ると、身体中に黒い斑点のようなものが浮かんだ鳥の姿が。

 普通の鳥よりかなり大きく巨鳥とでもいうべきもので、研究室の上空を飛び回っていたのだが、優月たちの存在に気付くとまっすぐに襲いかかってきた。

(……!)

 優月はとっさに刀の変化を解くと共に氷の壁を作って龍次を守る。

 分厚い氷にくちばしを弾かれた鳥型喰人種は再び上空へ飛び上がろうとしたが――。

 壁を形成していた氷がバラバラになり、鋭い槍と化して喰人種の全身を貫いた。

 霊戦技――氷柱撃。修行の成果によって技の強度は確実に上がっていた。

「すごいね……、優月さん」

 感嘆の声を漏らす龍次。

「あ、いえ。わたしなんて全然……。わたしには戦うことぐらいしかできないですし……」

 それしかできないとはいっても、その『戦い』自体自分にできるようになるとは、少なくとも以前なら考えられなかっただろう。一つはできることがあるようになったことを喜んでいいのかもしれない。たった一つできるようになることが『戦い』だとは優月の性格を知る者なら誰も予想しなかったであろうが。

「あっ……」

 喰人種をあっさり倒した優月だが気がかりなことができて声を漏らす。

「喰人種って断劾で倒さないといけないんでしたっけ?」

 前に霊刀・雪華から聞いた話では、断劾の力で罪を断ち切ることで喰人種と化した者が地獄に堕ちずに済むようにできるとのことだった。

 今のは獣型とはいえ地獄に堕ちてしまうのはどうかと思う。

「ああ、それなら大丈夫ですよ。断劾を習得している今の優月さんなら、他の技を使った場合にも十分な浄化性能が発揮されてますから」

 転送されてくる沙菜の言葉を聞いて一安心。

 ともあれ、これで優月の羅仙界における初仕事は完了した。

 この先も今日と変わらない日々が続いてくれれば良いのだが――。

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