第四章 キャット・ファイト

第四章 キャット・ファイト①


「ぜっっったい、認めないわ!」


 夕刻。レイヴン教室寮に、クレアの怒鳴り声が響いた。


「護衛任務で一時的にチームを組むっていうのは百歩譲っても――」


 紅いツーテールの髪をイライラとかきあげて、


「なんでこの娘が同じ部屋なのよ!」


 優雅に紅茶をすするフィアナに向かって、びしっと指を突きつける。

 フィアナはツンとそっぽを向いたまま、ポツリとつぶやいた。


「狭い部屋ね、貴族の住む場所とは思えないわ」

「う、うるさいわね! 文句があるなら学院長に言えば?」

「私が言っているのは、部屋が散らかっているということよ。皮肉も通じない?」

「ぐっ……い、いつもはちゃんと片付けてるわ!」


 やれやれ、とカミトは頭をかかえた。

 この二人、さっきからずっとこの調子なのだ。


「ねえ、カミト君もそう思わない?」

「いや、まあ……」


 涙目なクレアのほうをチラッと気にしながら、カミトが曖昧な返事をすると、


「そういえば、レン・アッシュベルの正体って――」

「ああ、たしかに散らかってるな。クレア、掃除くらいはしたほうがいいぞ」

「なっ……あ、あんたまでそいつの味方するの!」


 クレアは涙目でうーっと唇を噛みしめた。


(……すまん、クレア。俺はこのお姫様には逆らえないんだ)


 なぜか、カミトの正体を知る少女。

 カミトとしては早く問い詰めたいのだが、この状況ではクレアにも聞かれてしまう。

 一応、クレアに秘密を話すつもりはないようなのだが、さっきから名前をちらつかせて脅迫してくるのだ、このお姫様は。


 針のむしろに座らされている気分で、カミトはうんざりとため息をついた。

 バチバチと見えない火花が散る中、エストは猫じゃらしでスカーレットと遊んでいる。

 口ではフィアナにかなわないと思ったのか、クレアは矛先をカミトに向けてきた。


「だいたい、なんであたしの部屋なのよ!」

「まあ、寮で部屋を一人で使ってるのはおまえだけだからな」

「一人じゃないわ、二人じゃない。エストも入れれば三人よ」

「俺はおまえの奴隷精霊ってあつかいなんだろ? 寮のルールじゃ、精霊は同居人にカウントしないんだ」

「う、それは、そうだけど……!」

「まあ、これじゃ、さすがに手狭になるだろうしな。俺は出ていくよ」


 そもそも、カミトは外の小屋に住むはずだったのだ。

 それに、やはり女子の部屋で男が寝ているというのは風聞もよくない。


「ちょっと、出ていくって、どうするの? 野宿でもするつもり?」

「とりあえずはテントで十分だ。なんとかなるだろ」


 部屋を出ていこうとするカミトの襟首を、クレアがぐいっと掴んだ。


「なんだ?」

「だめ」

「うん?」

「そんなのだめよ。だって、あ、あんたがいなくなったら……」


 クレアはうつむいて、きゅっと唇を噛みしめた。


「だれが炊事洗濯するのよ!」

「……いや、おまえがしろよ」

「いやよ。だって、あんたの作るご飯、おいしいんだもん……」


 どうやらカミトの手料理は、缶詰生活だったクレアの舌を虜にしてしまったようだ。


「それに、あんた、出てったらエストと二人きりってことじゃない。そんなのだめ。リンスレットとか、さっきみたいにエリスがちょっかい出してくるかもしれないし。ううん、エリスたちだけじゃない。興味本位であんたを狙ってる女の子は多いんだから」

「狙ってるって……俺とエストなら、大抵の連中は返り討ちにできるぞ」

「そ、そういう意味じゃないわよ……ばか」


 クレアは襟首を掴む手を離した。


「あ、あんたは、あたしのものだもん。だれにもあげないわ」

「んなこといったってな……」


 カミトが小さくため息をつく――と、


「ねえ、って、どういうこと?」


 フィアナが静かな声音でつぶやいた。


「クレア・ルージュ、あなた、いったいカミト君とどういう関係なの?」

「ど、どういう関係って、それは……」


 クレアはもじもじと顔を赤らめて、


「こ、こいつとは、ど、奴隷と主人の関係よ!」

「な、なんですって……!」


 フィアナは愕然とした表情でカミトを見つめた。


「ま、まさか、そんなマニアックな関係だったなんて……」

「まて、誤解を招くような発言をするな!」

「ふ、ふん、だいたいあんたこそ、カミトとどういう関係なのよ。編入生のくせに、ず、ずいぶん親しそうだったじゃない」


 こんどはクレアが逆に訊きかえす。

 すると、フィアナはコホン、と咳払いして――


「私? 私は……妹よ、カミト君の」

「ええっ!」

「……? 俺には妹なんて――」

「ねえ聞いて、じつはレン・アッシュベルの正体って――」

「そ、そう、妹なんだ、妹!」


 フィアナが魔法の言葉を囁くと、カミトは即座にこくこく頷いた。


「い、妹……そう、あんた妹なんていたんだ」


 クレアはなぜかほっと胸をなでおろす。


「ただし義妹」

「義妹!?」

「そうよ、しかもイケナイ義妹」

「い、イケナイ義妹!?」


 クレアの顔はみるみるうちに真っ赤になった。

 ……いったいなにを想像してるんだ。


「ヒント、義妹は兄と結婚できるのよ。ね、お兄様♪」


 突然、フィアナが大きな胸をぎゅーっと押しつけてくる。

 ほどよくやわらかいその感触に、カミトは思わずドキッとして――


「な、なな、な……ば、ばかっ、この鬼畜変態っ!」

「痛っ、まて誤解だ、やめろ――」


 紅玉ルビーの瞳になぜか涙を浮かべ、カミトを鞭でピシパシ打つクレア。


「ちょっと、カミト君になにをするの!」


 パシッ――と、振り上げたクレアの腕をフィアナが掴んだ。


「む、な、なによ!」

「カミト君はあなたの奴隷じゃないわ」

「うん、その通りだ」


 カミトはうなずいた。


「彼は私のものよ」

「いや、あんたのものでもないからな?」


 半眼でツッコミを入れるカミト。


(……ったく、俺の周りはどうしてこんな奴らばかりなんだろうな)


「残念だったわね。カミトはあたしの奴隷精霊よ、だって――」

「だって?」


 フィアナが訊き返すと、クレアはかすかに頬を赤らめて、


「だ、だって、その……カミトと精霊契約の儀式も……したし」

「……」


 フィアナはぽかん、と口を開けた。

 ギギギ……と首を軋らせカミトのほうを向く。


「ねえ、それは、本当なの? カミト君」


 ニッコリと、悪魔のような笑顔。


「いや、それは……」


 あのときのことは、正直、思い出すだけでも恥ずかしい。

 それはクレアのほうも同じらしく、顔を真っ赤にしてうつむいていた。


 恥ずかしがるくらいなら言うなよ――とは思うのだが。

 と、そんな二人の反応を観察したフィアナが静かにつぶやいた。


「そう、なんだ……キス、したんだ」


 口調こそ穏やかだか、なにか恐ろしいものを孕んだ声音だ。

 ……怒っている。間違いなく怒っている。


(いや、そもそもなんでフィアナが怒るんだ?)


 カミトのそんな疑問をよそに、フィアナはすっと立ちあがると――

 もじもじと赤くなっているクレアに向かって、ビシッとひとさし指を突きつけた。


「勝負よ、クレア・ルージュ!」

「勝負?」

「ええ、勝ったほうがカミト君を好きにできる勝負」

「だ、だめよ、そんなの! だいたい、カミトはもともとあたしのものよ!」

「だから違うって言ってるだろ……」


 カミトが口を挟むが、二人は聞く耳など持っていない。


「あなたが勝ったら、私はこの部屋を出ていくわ。二人きりでカミト君と好きなだけえっちなことをすればいいじゃない」

「そ、そ、そんなことしないわよっ!」

「あら、じゃあ、一人でするほうが好みなの?」

「な、ななな、なにを……」


 真っ赤になったクレアが頭からぷしゅーっと湯気を噴く。


(……完全に遊ばれてるな)


 クレアはこういう方面を責められるとめちゃくちゃ弱い、超うぶなお嬢様なのだ。


「それとも、自信がない? カミト君を私にとられちゃうのはいや?」


 フィアナがさらに挑発すると、クレアがとうとうキレた。


「くっ……の、望むところよ! 来たれ、焦熱の火猫ヘルキャット!」


 スカーレットを呼び寄せ、その手に精霊魔装エレメンタル・ヴァッフェ――炎の鞭フレイムタンを握りしめる。


「おい、寮を破壊する気か! 風王騎士団シルフィードの連中が飛んでくるぞ!」

「大丈夫よ、その前にカタをつけるから」

「ぜんぜん大丈夫じゃねえ!」


 クレアさん、目がマジだった。……殺る気だ。


「そうあわてないでよ、クレア・ルージュ」


 だが、フィアナは余裕の表情でひらひらと手を振った。


「なによ、この期に及んで命乞い?」

「私はなにも剣舞ブレイドダンスで勝負するとは言ってないわ。なんでも暴力で解決しようとするのは貴族としてどうなのかしらね。頭にいくはずの栄養がぜんぶ胸に――」


 フィアナはクレアの胸を見て、くすっと微笑した。


「――いってるわけではないようだけど」

「焼き尽くせ、灼熱の劫火球!」

「まて、クレア! 精霊魔術はやめろ!」


 火炎球ファイアボールを唱えようとするクレアをカミトはあわてて羽交い締めにする。

 ただでさえ学内ランキングの底辺をうろついているのだ。これ以上問題を起こせば〈チーム・スカーレット〉の成績は最下位ランクまで落ち込んでしまう。


「くっ……じゃあ、なにで勝負するのよ!」

「そうね――」


 フィアナは指先を顎にあてながら、部屋の中をゆっくりと見まわした。


 ――と。その視線が、キッチンに積み上がった缶詰の山にとまる。

 彼女の目がキラッと輝いたのをカミトは見逃さなかった。


「じゃあ、先にカミト君の身体を満足させたほうが勝ち――というのはどうかしら?」

「か、身体を満足させる……!?」


 クレアの顔がぷしゅーっと真っ赤になった。


「だ、だめよ、そんなの! だ、だって上手なやり方とか、ぜんぜん知らないし……って、そうじゃなくて、そ、そんなのぜったいだめなんだからっ!」

「なにを勘違いしてるのか知らないけど、私が言っているのは料理対決のことよ?」

「料理!?」


 クレアの顔が凍りつく。

 当然だ。初めて出会ったとき、こいつは缶詰しか食べていなかった。

 まともな料理なんてできるわけがない。


「だめよ、そんなの決闘とは呼べないわ!」

「あら、精霊を楽しませる御膳を奉納するのは剣舞と同じ〈神楽〉の一種、立派な精霊使いのスキルよ。学院の基礎科目にもあったでしょう?」

「そ、それは……」

「それとも、自信がないの? ……その胸と同じで」


 プチッ。その瞬間、なにかのキレる音がした。


「わ、わかったわ……」

「うん?」

「う、受けてたとうじゃないの、料理勝負!」


 フィアナに向かってビシッと指を突きつけ、勝負を受けてしまうクレア。

 その瞬間、王女様はくすっと小悪魔じみた微笑を浮かべた。


(っていうかクレア、料理が苦手なこと見抜かれてるぞ!)

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