第一章 チーム対抗戦

第一章 チーム対抗戦①


「う、ん……」


 アレイシア精霊学院、レイヴン教室寮。

 さわやかな朝陽が射し込むその一室で、カゼハヤ・カミトは目を覚ました。


(ん、今日はたしか……午前中にチーム対抗戦があるんだったな)


 いつもならもう少し微睡みの時間を楽しむところだが、今日はそうはいかない。

 遅刻してフレイヤ教師に説教をくらうのはこりごりだ。

 シーツを跳ね上げ、起きあがろうと両手を伸ばしたところで――


 ふにゅっ。


 ……なにか、やわらかい感触が手に触れた。


(なんだこれ? 小さくて、やわらかくて、少し冷たくて……気持ちいいな)


 ふにゅっ。ふにゅんっ。


 寝ぼけたまま、謎のやわらかいものを手のひらでもてあそんでいると、


「ようやく起きましたか、カミト」

「……」


 その瞬間、カミトの動きが凍りつく。


 胸の上に、全裸の美少女が座っていた。

 朝陽を浴びて輝く白銀の髪。しぼりたてのミルクのような白い素肌。

 なめらかな曲線を描くその肢体は、小柄ながらも、ちゃんと女の子の体つきだ。

 神秘的な紫紺ヴィオレットの瞳が、カミトを無表情に見下ろしていた。


「どうしたのですか? もう私の胸で遊ばないのですか?」

「って、おわあああああ!」


 カミトはあわてて起きあがると、目の前の美少女を指差しながら、


「お、お、おまえなにしてるんだ!? っていうかなんで全裸なんだ!」

「全裸ではありません、ちゃんとニーソをはいています」


 カミトの腹にまたがったまま、すすす、と膝を立ててみせる少女。

 妙に色っぽいその仕草にドキッとして、カミトはあわてて目を逸らした。


「いや、なお悪いからな! 裸ニーソは全裸よりもその……アレだからな!」

「ニーソを脱いでほしいのですか? カミトの……えっち」


 銀髪の美少女は無表情のまま、もじもじと膝を擦りあわせる。

 なぜそこで恥ずかしがるのかわからないが、どうやらこの精霊にとっては、素足を見せることのほうが恥ずかしいらしい。


 そう。この雪の妖精のような美少女は、人間ではない。


 剣精霊エスト。


 数日前にカミトと精霊契約を交わした、きわめて強大な力を持つ〈封印精霊〉だ。


 もっとも、いまの状態では本来の十分の一程度の力も発揮できていない。

 カミトが無意識のうちに彼女との精霊契約を拒んでいるため、本体のある〈元素精霊界アストラル・ゼロ〉へ帰還できなくなっているためだ。


「と、とにかくどいてくれ、エスト!」

「了解しました、カミト」


 エストはちょっと不満そうにしながらも、素直にしたがってくれた。

 もぞもぞと動くシーツ。

 ……やわらかいふとももの感触が心臓に悪すぎる。


 やれやれと寝癖のついた髪をかきながら、カミトがようやく身を起こした、そのときだ。


 ちゅっ。


「……っ!?」


 完全な不意打ち。

 キス、されたと気付くのに、数秒ほどかかった。


 そっと離れていくやわらかい唇の感触。

 頬がカアッと熱くなる。


「おまえ……い、いきなりなにするんだ!」

「目覚めのキスです、カミト」


 エストは無表情に答えた。


「なんでそんなこと――」

「不公平だからです。クレアだけなのですか? 私とはしてくれないのですか?」


 糾弾するようなエストの口調に、カミトはぐっと声を詰まらせた。


「おまえ、み、見てたのか……を」

「はい。あのとき、私もあそこにいましたから」

「……ああ、そういえば、そうだったな」


 すぐに思いあたって、カミトは重いため息をついた。


 いまから一週間前。

 学院都市で狂乱した軍用精霊と戦ったときのことだ。


 エストはたしかにあの場にいた――精霊魔装エレメンタル・ヴァッフェの剣の姿で。

 どうやら、あのときの現場を目撃されていたらしい。

 ふぬけたカミトの目を覚ますために、クレアがカミトにキスした瞬間を。

 一発で目が覚めたのはたしかだが……いま思えば、めちゃくちゃ恥ずかしい。


「口づけは精霊契約の正式な儀式だと聞きました。なら、エストも」


 エストが、頬にかかる白銀の髪をそっとかきあげた。

 目を閉じて、可憐な桜色の唇をわずかにとがらせ、ゆっくりと顔を近づけてくる。


「だから、なんでそうなるんだよ!」

「当然の権利です。私はカミトの契約精霊なのですから」

「……っ!」


 強大な力を秘めた封印精霊とはいえ、いまのエストの姿はただの可愛い女の子だ。

 こんなふうに迫られて、胸がドキドキしてしまうのはしかたない……と思う。


「お、おい、エスト……」

「目をつむってください、ご主人様マスター


 エストは一気に顔を近づけた。

 鼻先に甘い吐息のかかる距離。

 薔薇の蕾のような唇が触れそうになった、その寸前。


「カミト、今朝はチーム対抗戦なんだから、朝ご飯はいつもより豪勢に――」

「……っ!」


 バンッと開け放たれたバスルームの扉。

 そこに――


「な、なな、な……」


 紅い髪の美少女が、紅玉ルビーの瞳を大きく見開いて立っていた。


 バスタオルにくるまれた、ゆるやかな曲線を描く肢体。

 ほんのりと桜色に色づいた柔肌から、白い湯気が立ちのぼっている。

 胸こそお子様レベルだが、そのわずかな膨らみも十分に魅力的だ。


 濡れそぼった紅い髪の尖端から、水滴がポタリと床に落ちた。

 ベッドの上。目の前には全裸の――いや、全裸ニーソのエスト。


 そして、時間が凍りつく。


「……カミト?」

「クレア……ち、違うぞ、これはだな――」


 カミトがあわてて弁解しようと立ちあがった、瞬間。


 ゴゴゴゴゴゴ……!


「な、なにやってんのよ、こ、ここ、このヘンタイ色魔―――――っ!」

「ぐおっ!」


 いきなり飛んできた調教用の革鞭が顎にクリーンヒット。

 カミトの身体はシーツを巻きこみ床に落下した。


「み、見損なったわ、こ、この淫獣っ、ケダモノっ!」


 少女は片手でバスタオルを押さえたままつかつか歩いてくると、床の上でのたうつカミトの頭を素足のかかとでぐいぐい踏みつける。


 クレア・ルージュ。


 なんの因果かカミトと一方的な主従契約を結ぶことになった、同じ教室の同級生。

 顔だけはとんでもなく可愛い美少女なのだが、性格はこの通り、凶暴きわまりない。


「な、なな、なにをしてたの? ねえ、いま、そこの剣精霊となにをしてたの?」


 ピシッ、ピシッ、ピシィッ!


「ちょ、まて、やめろ……ぐおっ!」


 容赦なく振り下ろされる鞭の嵐。

 逆立つ紅い髪は、さながら燃えさかる焔のようだ。


 ――と、吹き荒れる鞭の嵐の中で。

 カミトは気付いた。気付いて――しまった。


「ま、まて……クレア、それはまずいだろ」


 そして、気付いてしまったなら、言わなければならない。彼女のために。

 こういうところで、カミトは妙に律儀な性格なのだった。


「……? なによ?」


 透き通った紅玉ルビーの瞳が、カミトをキッと見下ろした。


「いや、そのアングルは……その、見える」

「へ?」


 クレアは――カミトの頭に素足をのせたまま、パチパチと目を瞬いた。

 そして、ようやく気が付いた。


 カミトの頭上。バスタオルの隙間から、露わになった太ももが覗いていることに。


「……〜っ!」


 クレアの全身がカアアアッと火照る。

 あわててバスタオルを巻きなおし、ぶるぶると肩を震わせる。


「あ、あ、あんたって、あんたって〜!」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!


「ま、まて、誤解だ、安心しろ! その、!」


 カミトの必死の訴えは――


「……」


 どうやら、逆効果だったようだ。


「……そう、わかったわ」


 クレアはゾッとするような声で告げてきた。


「これから、あんたに二つの選択肢をあげる。正直に答えなさい」


 カミトは唾を呑み込み、こくこくとうなずいた。

 ここは慎重に答えるべきだ。

 返答しだいでは本当に消し炭にされかねない。


「焼き加減は、ミディアムがいい? それともウェルダン?」


 ……最初から選択肢など存在しなかった。


「で、できれば、レアがいいんだが……」


 カミトが答えると同時、


「スカーレット!」


 虚空から紅蓮の炎を纏う火猫ヘルキャットが出現した。


消し炭ローストね、決定」


 そんな、思わず見惚れてしまうほどさわやかな死刑宣告の笑顔と共に――


 今日もレイヴン教室寮に派手な爆音が響きわたる。

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