第七章 剣精霊エスト②




「――まさか、おまえがあの剣の〈封印精霊〉だったとはな」


 女子寮を出て学院の中庭を歩きながら、カミトは隣を歩く少女に目をやった。


 もちろん全裸ではない。

 いまはアレイシア精霊学院の制服を着ている。


 人の姿をとれる精霊は元素精霊界アストラル・ゼロでも最高ランクの存在だ。

 カミトが少女の正体にすぐに気付けなかったのも、無理のないことだった。 


「っていうか、服を再構築できるならなんで全裸だったんだよ」

「あの格好のほうが喜ぶと思いました。さすがに生足を見せるわけにはいきませんが」


 この精霊は素足を見せることに羞恥心を感じるらしい。

 よくわからない感覚だった。


 カミトはため息をつきながら、エストの話してくれたことを整理した。


 ――あのとき、エストはカミトの強い想いに共鳴し、精霊魔装エレメンタルヴァッフェとして召喚された。

 だが、カミトが意識を失うと同時にふたたび回路パスが閉じてしまい、元素精霊界アストラル・ゼロに帰還できなくなってしまったというわけだ。


「どうして回路が繋がらないんだろうな。たしかに契約を結んだはずなのに」

「それは、私の本来の存在が強大すぎるというのもありますが――おそらくは、カミト自身の問題です。カミトは無意識のうちに

「そう、か……」


 心当たりはあった。

 黒い革手袋に覆われた左手に目を落とす。


 あのときは、クレアを助けるのに必死で考えないようにしていたが――

 の存在が、カミトの心を縛り続けているのは否定しようがない。


「……悪いな。べつにお前と契約したくないとか、そういうわけじゃないんだが」


 元素精霊界アストラル・ゼロに戻れないこの状況は、精霊にとってかなりのストレスなはずだ。

 しかも、エストは力のほとんどを元素精霊界あちらがわに残してきてしまったため、いまのままでは本来の力を発揮することができないらしい。

 エストが人間の少女の姿をしているせいか、よけいに心が痛む。


「かまいません。どのみち私も剣に封印されているのには飽きていたところです。数百年ぶりにこの世界を愉しむことにしますから。それに、カミト――」


 エストはつい、とカミトの制服の袖を引っぱった。


「私は、あなたに好意らしきものを抱いています」

「……こ、好意?」

「好きかも、ということです」

「あー、それは……ありがたいな」


 カミトは思わず赤くなって、目を逸らした。


 強大な力を持つ封印精霊とはいえ、見た目は可愛らしい女の子だ。

 こうストレートに告げられると、なんというか……反応に困る。


「でも、剣に封じられていたときは、精霊使いとの契約をずっと拒んできたんだよな」

「肯定です、カミト。私はこれまでに五十三人の精霊使いを袖にしました」

「なんでおまえほどの精霊が、俺なんかと契約してくれたんだ?」

「そうですね、強いてあげれば――直感、でしょうか」


 エストは透明な紫紺ヴィオレットの瞳でカミトを見つめた。


「あなたと私は似ている――そういうことだと思います」

「……どういうことだ?」

「カミト」


 エストは人差し指をのばし、そっとカミトの唇にあてた。


「女の子の秘密をあれこれ訊くのは野暮、ですよ」

「……っ!」


 完全な不意打ちだった。

 指先のやわらかい感触にドキッとする。 


 エストはふわっとスカートをひるがえすと、ぱたぱたと走っていった。



 女子寮からけっこうな距離を歩いて、カミトは学院の校舎にやってきた。

 ここにクレアがいないかと思ったのだ。

 リンスレットに部屋を追い出されたあと、すぐにクレアの部屋をたずねたのだが、どうやら、もう部屋にはいないようだった。


 すでに立ち直って、教室で講義を受けているのかもしれない。

 それならいいのだが――なぜだか心が妙にざわついた。


 エストと一緒に廊下を歩いていると、あちこちでひそひそ声が聞こえてくる。


「見て、ほら、例の編入生の男の子よ」

「さすがね、もう新しい女の子を手籠めにしてるわ」

「すごいきれいな娘ね……あんなうちの学院にいた?」

「ね、昨日の夜、エリスたちがあいつをめぐって決闘したってほんと?」

「まさか、この学院の女の子全員を手籠めにするつもりなの!」

「変態……っていうか淫獣?」「淫獣よ」「淫獣だわ」「女の子の敵ね……」


 ざわざわざわざわ。


 ……心が痛い。

 思いっきり本人に聞こえているんだが。


「カミトは淫獣なのですか?」


 さらに心を折りにくるエスト。

 まあ、悪気はないのだろうが。


 シャランッ――と背後で鞘走りの音が聞こえたのは、そのときだった。


「――カゼハヤ・カミト、き、君という男は!」

「……!」


 振り向く間もなく、首筋に剣の刃をぴたりとあてられていた。

 両手を上げ、おそるおそる視線だけを動かすと――

 ポニーテールの騎士団長様が、凄まじい殺気を放っていた。


「エ、エリス……?」

「見損なったぞこの色魔め、そのようないたいけな少女を、て、手籠めにしているとは!」

「……あのな」


 カミトはため息をつくと、半眼でうめいた。


「おまえはものすごく失礼な誤解をしてるようだが、こいつは俺の契約精霊だよ」

「……なに?」


 エリスがぴくっと眉をつりあげる。


「この少女が、あの魔精霊を一撃で斬り捨てた剣の精霊だと?」


 じーっと疑わしげにエストを見つめ……やがて、カミトに向きなおった。


「下手な嘘はやめるのだな、カゼハヤ・カミト」


 シャキンッ――ふたたび剣の刃が立てられる。


 が、その瞬間。エリスの目が驚愕に見開かれた。


 首筋に突きつけていた剣の刃が、ぐにゃぐにゃに折れ曲がっていたのだ。


「なんだ、これは!?」

属性共鳴ハウリング――剣精霊である私は、あらゆる刀剣類に自在に干渉することができます。信じていただけましたか?」

「……!」


 エリスは目をまるくして、折れ曲がった自分の剣を見つめていた。


 精霊魔術でも似たような現象を引き起こすことはできるが、エストは指先ひとつ動かさずにこれをやってみせたのだ。


「なるほど……疑ってすまなかった」


 エリスは剣を収め、きちんと二人に頭を下げて謝罪した。


「いや、俺だって最初は、まさか精霊だとは思わなかったからな」


 カミトは肩をすくめながら首を振る。

 ちょっと堅物すぎるところはあるが、こういう素直なところは好感が持てる。


「そういえば、あの二人の様子はどうだ? えっと、騎士団の――」

「ラッカとレイシアなら、今朝、意識を取り戻した。君たちに手ひどくやられたからな。精霊を使役できるようになるまでは、しばらく休養させるさ」

「悪いな……精霊魔装エレメンタルヴァッフェまで使えるとなると、あまり手加減できなかった」

「決闘でのことだ、気にするな。彼女たちにとってもいい薬だ」


 エリスは、こほん、と咳払いして――


「その……すまなかった、な」

「ん?」

「だ、だから、すまなかった。私は、君が男だからというだけで君を嫌っていた。そのことを、謝らなくてはならない」


 頬を赤らめながら、カミトの目をじっと見つめた。


「クレア・ルージュを助けるために魔精霊に立ち向かっていった君は、その……とても、カッコよかった。正直、私は足が竦んでいたよ」

「狂乱した精霊とは、前に何度かやりあったことがあるからな。経験だよ」


 カミトはちょっと照れたように頭の後ろをかく。


「カミト、私はのけものにされて不機嫌です」


 エストがむっと頬をふくらませて言った。


「ああ、悪い……」


 ――と、カミトはここに来た理由を思い出した。


「そうだエリス、クレアの居場所を知らないか?」

「クレア・ルージュなら、まだ部屋に引き籠もっているのではないか? 契約精霊を失ったのが相当ショックのようだったからな」

「それが、もう部屋にはいないみたいなんだ。なにか心当たりはないか?」

「む……」


 エリスは、ちょっと考え込むように顎に手をあてると、


「そういえば、今日の午後、学院都市で〈軍用精霊〉の契約式典セレモニーがあったな」

「契約式典?」

「ああ、学院生の中から志願者を募って、軍用精霊と契約させるのだ」


 要するに軍のスカウトだ――と、エリスは説明した。


 オルデシア騎士団が強力な軍用精霊を提供する代わりに、学院側は学院生を差し出す。

 軍用精霊と契約した学院生は以後軍属とされ、強力な精霊を手に入れる代償として、騎士団からの要請があった場合にはただちに従わなければならなくなる。


「軍属になるといろいろ面倒なこともあるが、強力な精霊と契約できるとあって志願者は多い。もともと精霊騎士を目指して学院に入学した者も多いからな」

「その大勢の志願者の中から、契約者をどうやって決めるんだ?」

「当然――精霊剣舞ブレイドダンスだ」


 対戦形式は精霊使いが入り乱れての無制限戦闘バトルロワイヤル

 オルデシア騎士団の市民へのデモンストレーションも兼ねているため、剣舞は元素精霊界アストラル・ゼロではなく、学院都市の闘技場で開催されるらしい。


「契約精霊を失った彼女が、今回の契約式典に志願した可能性はあるな」

「でも、契約精霊を失った状態で精霊剣舞ブレイドダンス出場エントリーなんて――」


 言いかけた言葉を、カミトは呑みこんだ。


 ない――とは言いきれない。


 契約精霊なしで剣舞を舞う――そんなのは自殺行為でしかない。

 精霊の力なしに精霊使いに勝つことはできない。考えるまでもないことだ。


 だが、いまのクレアは――

 カミトは、雨に打たれながら立ちつくしていた、彼女の姿を思いだした。


「……エリス、その契約式典の会場はどこだ」

「たしか、学院都市のオリビエ通りをまっすぐに行った――カミト!?」

「――わかった。ありがとな、エリス!」


 カミトはエストの手を引いて走りだした。


(一人で抱えこむなよ、ばか――)



     ◇



 クレアは、学院都市の路地を一人で歩いていた。


 悄然とした表情。

 その足取りはひどく重い。


 だが、行かなければならない。

 前に進まなければならない。


 身を挺して自分をかばってくれたスカーレットのためにも、誰にも負けない圧倒的な力を――強力な精霊を手に入れなければならない。


 ……悔しかった。あの恐ろしい魔精霊を前に、なにもできなかった。

 そればかりか、自分の傲慢と愚かさのせいで、スカーレットを――子供のころからずっと一緒にいてくれた、大切な相棒を失ってしまった。


 それに、あのときカミトが助けてくれなければ、きっと命を落としていた。


「……っ、どうして、またあいつの顔が浮かぶのよ」


 クレアは首を振り、脳裏に浮かんだカミトの顔を振りはらった。


「――あんなやついらない。あたしは、ずっと一人だった」


 そうだ、ここで立ち止まるわけにはいかない。

 クレア・ルージュは一人で戦うのだ。


 ――力が欲しい。なにものにも負けない強い力が。

 もう二度と失わないための力。

 失ったものを取り戻すための力。


 たとえば、そう――三年前、ひと目見て憧れた彼女。

 最強の剣舞姫レン・アッシュベルのような、圧倒的な力が。


「――そんなに、力が欲しいの?」

「……っ!?」


 ふいに聞こえたその声に、クレアは鋭く振り向いた。


 そこに――一人の美しい少女が立っていた。


 闇色のドレスを纏った、艶やかな黒髪の少女だ。

 幽玄めいた、どこか人間離れした美貌。

 見つめていると吸いこまれそうになる、漆黒の瞳。


 クレアは一瞬、警戒するのも忘れて、少女の美しさに魅入られた。


「感謝するわ。あなたのおかげでカミトが目覚めてくれた」

「あんた誰? なにを言ってるの?」

「でも、まだ足りない。本当の彼は、あんなものじゃない」


 少女はくすくすと笑いながら、ゆっくりと近づいてきた。

 クレアはその場から動かない。いや、動けなかった。


「なに?」

「力が欲しいのなら、これを受けとりなさい」


 少女は、たおやかな手をすっと差しだした。

 手のひらに、なにか禍々しい、黒い靄のようなものが浮かんでいる。


「これは……精霊!?」

「そう、あなたのほんとうの力を引き出してくれるものよ」

「あたしの、ほんとうの力……」


 クレアはぼんやりとつぶやいた。


 いつものクレアなら、迷わずにその手をはらいのけていたはずだ。

 契約精霊は自分の手で掴みとるものだ。誰かに与えられるものじゃない。


 けれど、いま、クレアの心の焔は消えかかっていた。

 いまにも消えそうなほど、弱りきっていた。


 だから――その手を、とってしまった。

 少女の差しだした精霊を、受け入れてしまった。


 黒い靄が、すっとクレアの手に染みこむように消えていった。

 左手に鋭い痛みが走り、黒く禍々しい精霊刻印が刻まれる。


「狂精霊〈ゲシュペンスト〉――気に入ってくれたかしら?」



 闇色の少女が微笑んだ。

 残酷な童女のように。

 無垢な悪魔のように。

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