3-12 急がば回れ
三国に急がば回れと言われて気がついた。とにかく今日中に東京に帰りたいのであれば、福岡空港ではなく別の空港から飛べばいい。キャンセル料は気にしないと言っていた。福岡から出発して羽田までの便にまだ間に合う空港はどこか。佐賀は飛んでいない。北九州空港、飛んでいる。博多から高速バスで一時間かからない。これだ。迷っている暇はない。
「いやあ、色々面倒かけて悪かったね」
東京に帰ってきた杉浦惣太郎は新婚旅行に旅立つ前より随分としゃっきりとした表情になっていた。
「いえいえ。仕事ですから」
里佳は手土産を受け取ってひたすら恐縮していた。新婦が逃げ出した旅を終えた杉浦が、わざわざそんなことをしに来るとは思ってもいなかった
「なんだか急に機嫌が悪くなってさあ、帰るって言い出した時は驚いたよ、俺も」
さばさばとしたものだった。
「そうでしたか」
なんと言っていいのか。言葉が思い浮かばない。
「いやいや、俺が悪いんだ。青島に行ったら急に色々思い出しちゃってさあ。ああ、ここで死んだ母ちゃんと写真撮ったなあとか、この売店で冷たい飲み物飲んだなとか、バスでケツ痛くなったって言うから揉んでやったらくすぐったいって大笑いされたとかさあ」
目を細めた杉浦は、いきいきとした、いい表情をしていた。
「きわめつけは、ほら、例の鵜戸神宮の、運玉」
「投げましたか?」
思わず聞いていた。
「ああ、投げた投げた。俺もミキちゃん、あ、新しい奥さんね、ミキちゃんも入らなかったんだ。そん時、すっかり思い出したよ。死んだ母ちゃんがさ、入れたんだよ。最後の一発で。飛び上がって喜んで俺に抱きついてきちゃってさ。周りからニヤニヤされるわ照れるわ大変だったけど、それからずっと手繋ぎっぱなしでさ。安産祈願のおちちあめもらって帰りに運玉で何お願いしたのって聞いたら恥ずかしがって教えてくんねえんだ。手握ったまま下むいちゃって肩揺すってさ。もう、なんもかんも初々しくってさあ。俺さあ、もうさあ」
鼻が赤くなり目に薄っすらと涙が浮かんでいた。
「そんな話してたら怒り出したんだよ、ミキちゃんが。なによって言って。妬いたのかなあ。すっかり膨れちゃってさ。運玉の残り全部ぶちまけちゃって。もう帰るって言い出してね。けどさあ、止まんなかったんだよなあ。想い出がさあ、死んだ母ちゃんの想い出がさあ、溢れてくんだよ。次から次へと。可愛かったなあ。あの時、青島で一緒だったあの時さ、もう一生こいつと一緒に添い遂げようってそう思ったんだ。そんなこと思い出してさ。もう、たまんないよね」
杉浦惣太郎は泣いていた。声こそ上げていなかったものの、涙は溢れて頬を伝わっていた。
「はあ」
本当に、どう声をかけたものかまったくわからない。
「何かお飲み物でも」
とりあえず飲み物でも。その前にティッシュを。
「ああ、悪いね」
杉浦惣太郎は受け取ったティッシュで目を拭き、鼻をかんだ。
「お茶でよろしいですか」
「お茶? あ、そうだ、ここ来るとさ、よくコーヒーのいい匂いがしてんだけど、あれ、どうかな、コーヒーって、いただけるかな」
「コーヒー、ですか」
浩人がいないとコーヒーはちょっと。
「はいはい」
浩人の声が聞こえる。愛想のいい声だ。見ると、櫛田家の男たち、三国と浩人と泰人がいつの間に帰ってきたのか、生ぬるい笑顔を浮かべて立っている。
「あ、すみません、コーヒー」
なんとなく敬語になる。
「少々お待ちください」
浩人が慇懃に答えた。
三国と泰人は顔を見合わせながら笑いを噛み殺していた。
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