2-12 タイミング

 家族連れ以外は誰もが無口だった行きとは打って変わって、帰りの車内は大いに賑わっていた。墓石屋の営業の話が落語家並みに面白かったせいだけでなく、墓参りが参加者たちの色々な何かを刺激したに違いない。ツアーの終点まではもう少しだけ時間がある。それまでの短い時間を楽しんで過ごすのは悪くない。


「ホントに、ありがとね」

 金子さんが他の席から見えないように封筒を里佳の手に押し付けた。


 目が赤いままだ。墓園で墓の前に立った時はそうじゃなかった。墓石を清め花を添え両手を合わせる。晴れやかな表情で振り向いて、里佳と浩人と目を合わせて微笑んで、後ろを見ずに歩き出して。小さな鼻をすする音に気がついたのはしばらく進んでからだ。目を赤く染めた金子さんは、ゴメンナサイと言ってハンカチで目を覆った。


「いえいえ」

 押し付けられる封筒を押し返す。


 そんな里佳のささやかな抵抗を物ともせずに金子さんはぐいぐいと押してくる。何回かの押し問答のあと、諦めたように受け取る。何もかも、もどかしい。もどかしいままに受け止めるしかない。


「よかったね。皆さん、なんだか元気になってるね」

 金子さんはとってつけたように大きな声を出した。封筒のやり取りなど無かったかのように。


「金子さんのおかげです」

 嘘偽りではない。


 見よう見真似よと言いながらお年寄りの扱いに随分と慣れていた金子さんのおかげで、往路復路とも余計なトラブルもなく、墓石屋もこれだけ人が集まれば笑顔で、結局色んなことが丸く収まり、無事に終わった。


 仕事としては全然満足はいかなかった。企画旅行でもない。取次でもない。なんだか不思議な仕事だった。とはいえ、日々、来ない客を待っているよりずっといい。


 独立してようやく潰れた代理店の社長や管理職の苦労がわかる気がする。ひとつのひとつの仕事はそれで終わりじゃない。これも多分そうだ。どうやって次につなげるか。そういうことの大切さを噛みしめる。


 前の席の浩人の頭がガクンと揺れた。間違いなく寝てる。心の中でむかっ腹を立てる。都合のいい時だけ寝ちゃって。


「でも、ホント、よく見つけてくれたわよね」

 金子さんの声がまた上ずっていた。


 前の席で寝ているこの野郎のおかげなんですよとは言えなかった。なんだか、そんなことはこの場で言ってはいけない気がしてならなかった。


「無理だと思ってたの、わたし。良かった。ホント。ホントにありがとね」

 また同じ話の繰り返しになりそうだ。


 でも、それでいいのかもしれない。




 店の客はやはり里佳と浩人の二人だけだった。


「でさあ、どうしてわかったわけ?」

 里佳はもうだいぶ出来上がっていた。


「何が?」

 浩人も酔っている。悪い酔い方ではなかった


「金子さんの、ほら、あの、例の」

 山川の前で金子さんの不倫話はしたくない。奥歯にものが挟まった物言いになる。


「あーあ、あれな」

 里佳の気持ちを分かっているのかいないのか。浩人も曖昧に返す。


「そう、あれあれ」


「あれはなあ……」

 ジョッキを空中で止めた浩人はあらぬ方向を見つめた。


「何よ、なんなの、なんか超常現象的なあれなの、そうなの?」

 里佳が両手で口を覆う。まさか浩人にそんな力があったとは。


「ちげえよ、んなんじゃねえよ」


「じゃあ、なんなの?」


「聞いたんだよ」

 浩人はジョッキを置いた。


「聞いたって何を?」


「ちょっと言えない相手の墓を探してるって」


「誰に?」


「墓園の管理事務所だよ」


「マジで。でも、それってどうなの?」

 いいのか悪いのか、里佳にはわからなかった。


「そしたら言われたんだよね、管理事務所の人に。墓っていうのは家族とか兄弟とか親族のためだけのものじゃないからねって。それ言われて、ああ、ウチがやってる葬儀とおんなじだって。でさ、この人もきっとどんな話を聞いてもそれを自分の心の中だけにしっかりとしまっておける人だって。そう思うとなんかちょっと嬉しいっていうか親近感っていうか、そんなの感じちゃってさ」


 墓は親族のためだけのものじゃない。葬儀も親族のためだけのものじゃない。三国が大真面目な顔で言いそうだ。浩人が嬉しくなった気持ちが里佳にも少しだけ分かった。


「色々調べてくれてさ。亡くなった時期とか年齢とか色々。多分そうだろうっての見つけてくれた。まあでもさ、正直、外れたらそれはそれってことで。よかったよ、当たって」


 死に際に間に合わない人がいる。葬儀があったことすら知らぬままに過ごし、別れがとっくに過ぎ去っていたことを後から知る人もいる。


「そっか……、なんかそれ、分かる」

 里佳は両親や祖父母の葬儀に集まった人々のことを思い出していた。故人との別れを悼む知らない人たち。


 浩人も、東京に戻ってくる直前に逝った年下の友人のことを思っていた。彼女の葬儀に集まった若者たち。浩人が雇われ店長だったライブハウスで輝いていた彼女の、まったく別の世界。


 二人の前に山川がよく焼けた串を置いた。


「なにこれ」


「オレのおごり」


「マジかよ。山川、おまえ、いい奴だな」


「今頃気がついたのか」


「山ちゃんありがとう」


「お礼はいいから、熱いうちにいっちゃってよ」


「おいひー」


「山川、おまえ、腕上げたな」


「毎日焼いてんだよ、当たり前だろが」


「でも、私たち以外にお客さん見たこと無いよ」


「ヒント。時間帯」


「どういうこと?」


「タイミング。最近は違う時間にはお客さん結構いるから」


「タイミングかあ」

 浩人は手に持った串を見つめた。


「どうしたの?」


「いや、タイミングって、自分だけじゃないなって、さ」


「どういうこと?」


「いや、葬儀屋の仕事ってさ、タイミングって言うか、そういうのって葬儀屋の都合でも故人の都合でも無いんだけど、なんていうか、案外バタバタっていうか、一気に進んじゃうもんだろ?」


「んー、そう言われるとそういう気もする」


「ってか、そうなんだよ。そう。そうなんだよ」


「なによぉ」


「いや、だからさ、それとは別のタイミングもあるんだなってさ」


「それって……、金子さんのお墓参りのこと?」

 里佳の中で、浩人の話がようやくつながった。


 別れを想い出に変えるもうひとつの機会。流れるように押し寄せるその瞬間ではなく、時が経って受け入れられるようになってからだからこその時間。墓の前で振り向かなかった金子さん。


「いい仕事じゃない。間に合わなかった誰かのためのタイミング」

 新しい串を焼き始めた山川がボソッと言った。


「間に合わなかったのかな。取り残された、違う。でも、そう、自分で決めるタイミング。多分いい仕事。それが、さよならツアー」


「これでもうちょっと客が増えたらなあ」

 浩人のひと言に里佳と山川が同時に目を剥いた。


「ねえ、それ、どっちに言ってんの?」 

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