5.希望
「この地下都市は、知ってのとおり一番広いウォーターマークが約二千キロ平方メートルあるものの、三年前の事件で生き残った妖魔が増え続け、王制は領土の半分を捨てることを決定した」
スクリーンに映る地下都市の地図を指しながらラン教官が講堂中に響く声で説明する。
「今は、無法地区と居住地区に分断され、防衛壁で仕切られたその境界線は、二十四時間防衛班が監視している。しかし、防衛壁は老朽化しており、妖魔によって破壊されることも少なくはない。そのため、この地下都市の中で一番妖魔の襲来率が高いことは周知の事実だ」
ウォーターマークの街並みが映し出され、その荒れ果てた現状にみな息を呑んだ。
「妖魔は神出鬼没だが、これまでのデータから、人が多く集まっている場所や血の匂いなどに、引き寄せられる傾向があるようだ」
ラン教官がそう言うと、新兵の中でただ一人、ウォーターマーク出身である翼が手を挙げた。
「どうした、翼」
「第一表層都市が一番妖魔に襲撃されるのに、なんでマスィーフはそこから離れた栄華の都にあるんだ? 第一表層都市に要塞を構えれば、すぐ助けに行けるのに」
翼の問いに、ラン教官は大きなため息をつく。
「お前は質問する前によく考えろよ。もし本拠地が襲撃されてみろ、指揮系統は乱れ、下手すりゃ、妖魔に一網打尽だ。しかも、ここには各都市の防衛壁や静寂の門を司る重要なシステムが沢山ある。本拠地を一番安全な場所に構えるのは当然のことだろうが。それに……」
一旦言葉を区切って、ラン教官は講堂に座る隊員達を見渡した。
「戦闘員は貴重な人材だ。毎年、条件をクリアして入って来る新兵が百名、しかし怪我や訓練に耐えかねて残るのは三分の一にも満たない。資格を備え、訓練に耐えた戦闘員という限られた人材を、妖魔がいつ襲ってくるか分からない危険な場所に置いてはおけないだろ。言い換えれば、俺達は常に戦いに備え、ベストコンディションでいなきゃいけないということだ」
そう言いながら、ラン教官は自分の手を見つめた。銀で出来た義手。まるで自分への戒めのように言ったラン教官に、皆黙り込んだ。
ジルがそんな彼の姿を横目で見つつ、こそっと隣のレオンに耳打ちする。
「ラン教官さ、ホントはあのエリート集団の第一部隊に所属する精鋭兵士だったらしいよ。けど、戦闘中に利き腕を失って、それ以来、現場には出ず、教官をしてるって」
「だからか……」
レオンは低くつぶやいてラン教官を見た。飄々としていて何を考えているんだか分からないようなところがあるにも関わらず、彼が放つ言葉は、そのひとつひとつがいつも重みを持っている。
「お前達にプライベートはない。休息も職務だと思え」
そう続けたラン教官に、翼が眉をひそめて、再び手を挙げた。
「それって、聞こえはいいけど、自分たちは一番安全な場所にいて、住民が危険な目に遭うのは仕方ないってことになるじゃないか」
「お前が、一秒でも早く住民を助けに行きたい気持ちは分かった。が、ここから第一表層都市までの高さは八百メートル、カイトの最高速度は人にもよるが平均五十ノット、第一表層都市に行くまでに一分かからない」
「でも、もし門から離れた場所で妖魔が出現したら、駆け付けるまでに時間がかかる。戦闘班が、各地に点在して待機すれば、数分で救助に行けるのに」
ああ言えばこう言って食い下がる翼に、ラン教官はもう一度大きなため息をついた。
「よく考えろと言った先から……。ウォーターマークの居住地区千キロ平方メートルに加え、第二・第三表層都市での出現も考えられる。わずか百人の戦闘班が、どこに出現するか分からない妖魔をやみくもに待つよりも、防衛班が仕入れた情報から場所の特定・妖魔の種類・数を把握し、部隊の戦略を立てて出動した方が効率的だ」
演壇から降りて、翼の方に歩み寄りながら、ラン教官は言い聞かせるように言葉を続ける。
「その間、防衛班は防衛壁の操作により妖魔の行動を制限し、住民の避難を促し、被害を最小限に食い止める。それによって、住民を巻き込んでの戦闘も避けられる。これが一番効率的な戦い方だ」
「防衛壁が閉まるまでに避難し遅れた人はどうなるんだ?」
「翼、厳しいようだが、一人の住民を助けるために、他の住民を危険に巻き込むことも、戦闘員を危険にさらすこともできない。俺達は、この地下都市に住む一千万人の命を守っているんだ」
翼はそれ以上返す言葉を無くし、ぷぅと頬を膨らました。それが正論であることは分かるが、納得がいかない。
その一人だって助けたいんだ。
そんな翼の気持ちをラン教官はよく分かった上で、「全部を救えるほど俺達は万能でも、甘い世界でもない。やれる限りのことをやるしかないんだ」と翼の頭をたたいた。
「いいか、この際だから、言っておく。今後の戦闘で、お前たちは多くの住民と仲間を失うだろう。壮絶な敗北感に打ちのめされることだってある。だけど、そんな中で出来ることをするしかないんだ。お前達は、一つの戦闘で全員を助けることができなくても次の戦闘でまた新たな命を救わなくてはならない。一人を助けるために怪我を負ったら、次の戦闘で助けられる命を助けられないことになるんだ。それを十分に認識したうえで、戦いに挑め」
多くの戦闘を潜り抜けてきたからこそ言える重みのある言葉。だけど、それでも一人として犠牲者を出したくない翼は、どうやったらすべての人を救うことができるのだろうと、頭の中で考えていた。
全部を救いたいと言ったら、それは驕りになるだろうか。
黙り込んだ翼に、ラン教官は苦笑いを浮かべながら、それでも優しい瞳で見つめた。
「分かった、分かった。多くの人を助けるには、敵に対する知識も必要だから、続きの講義もよく聞くんだぞ」
そう言って、翼の頭を再びポンとたたく。
「じゃぁ、話を戻して、今度は妖魔に関する講義だ。妖魔は二種類の種に分けられる。上級妖魔と下級妖魔。下級妖魔は人間を食らうという本能だけで動く。現時点で下級妖魔は三種発見されていて、ひとつは羽虫と呼ばれる空中を浮遊する妖魔、こいつはお馴染みだからお前達もよく分かっているな。全長一メートル、妖魔の中で一番数も多く、出現率が高い」
スライドに宙を飛ぶ羽虫の姿が大きく映し出された。人の体を半分ほど飲み込んだその写真に、新兵たちがざわめく。
「次に、甲殻種。通常二、三メートル、まれに大型なものだと五メートルを超すものもいる。固い甲殻で覆われており、剣では歯が立たない。こいつをやるには関節を狙うしかないが、大きな体のくせに素早い動きをするから油断するな。最後に、軟体種と呼ばれる、ゼリー状の妖魔。こいつは黄色の粘着液を吐き出すのが特徴だ。粘液自体は人に害を与えるものではないが、その粘液で動きを封じた人間を、一口で飲込む」
前方のスクリーンに沢山の写真を表示しながら、ラン教官は淡々と説明する。しかし、その写真はあえて皆の恐怖心を煽るかのように、人が襲われている凄惨なものばかりだった。各地に設置された監視カメラの映像をプリントしたリアルなものである。
講堂全体に緊張の色が走り、新兵の瞳に真剣味が増す。
「次に、上級妖魔。こいつは人に近い姿をしている。お前らも知っての通り、非情にやっかいな種だ。人間を直接食らうこともあるが、主に、人間や動物に憑依する。魔の刻印とよばれる赤い光を放ち、その刻印を焼き付けられたものは、妖魔に姿を変える」
スクリーン上では、刻印を焼き付けられた住民が妖魔に変異する映像が流された。
「憑依された人間は、姿のみならず、その人格もまた失われる。現在、地下都市に出現する下級妖魔はもとは人間や動物が憑依されたものだと考えられている。地下都市という閉じられた空間で、繁殖機能を持たない妖魔が、未だ、増え続けているのはそのせいだ」
映像を直視できず多くの新兵がうつむく中で、真っ直ぐに前を向いたミルティオが思いを巡らせた。
上級妖魔……。一体この地下都市にどれだけの数が潜んでいるのだろう。
この地に生き物がいる以上、妖魔は増え続ける。人間が地下都市に潜って五十年が過ぎたのに、マスィーフがどれだけ妖魔を狩っても、一向にその出現率は減らない。加えて、三年前に起こったウォーターマークの悲劇だ。地上との接点は閉じられているはずなのに、突然どこからか湧き上がった二百体近くの妖魔。もしかしたら今もまた、上級妖魔がどこかで多くの妖魔を生産しているのかもしれない。
この狭い地下都市の中でどこかで……。
その現実に、心が沈んでいくのを感じた。
永遠に終わることのない戦い。
ラン教官が教室中に広がった暗い空気を感じ取り、予想した通りの展開に心の中でため息をついた。毎年、初回となるこの講義で、人類を守ると意気込んで入ってきた新兵は、その気勢をそがれる。けれど、ラン教官はあえて、人々が妖魔に食われる凄惨な写真を見せ、その妖魔が日に日に生み出されていることを告げる。彼らに現実を伝えるために。
なぜなら、これから彼らが赴く実際の戦地では、これ以上に残酷で凄惨な場面が、待ち受けているのだから。
シーンと静まり返った講堂の中、
「ってことは、上級妖魔を全部倒せば、妖魔を根絶できるってことか! そしたらすべての人を救うことができる!」
そう叫んだ翼が、キラキラとした瞳で立ち上がった。
「翼……そんな簡単には……」
隣にいたミルティオが驚いた顔をして翼を見上げると、翼は少しのブレもない瞳でミルティオを真っ直ぐ見た。
「簡単じゃなくてもやるんだよ、ミルティオ。だって、俺達は白隼の剣士だろ。人類を青空の元へ導く救世主なんだ!」
本当にできると信じ切った瞳。絶対にやるという信念。翼のその熱い思いに触れたミルティオが息を呑んで彼を見つめた。
「そう、だね。そうだった……ごめん、翼。僕もそう思うよ」
「だろっ?! 俺が上級妖魔をぶっ倒してやる!」
翼がそう言って、ダンと足を踏み鳴らした。
「ほら、お前の熱い思いは分かったから、座ってくれるか? さっきからお前の発言ばかりで、予定の半分も進んでいない」
気付けば一人立ち上がって熱く語っていた翼はペロリと舌を出して席に座った。 講堂に笑いが起こる。
呆れた顔をしながらもラン教官は内心舌を巻いていた。
一気に、空気を変えちまったな。
先程の沈んだ空気が一転し、希望に満ちたものに変わったのを感じる。
過酷な現実に未来を諦めてしまう兵士も多い。そんな中、自分の信念を曲げず、周りまでもその気にさせちまうとは……。
まぁ、こいつの場合は単純なだけか。
それだけが取り柄の翼を、だけどもしかしたらそれが一番必要なこの過酷な世界に、ラン教官は翼にある種の希望を見出している自分がいることに気が付いた。
感化されたのはこいつらだけじゃなくて、俺もか。
いつの間にか翼のペースに乗せられていたことに苦笑いしながら、ラン教官は翼を見る。
こいつなら、もしかしたら本当に、やってのけるかもしれない。
なんて、飛べない翼に何を期待しているんだか……。
自分で自分を突っ込みつつ、だけど、ラン教官は戦闘に出ることができなくなった自分にできる唯一の任務、新兵の育成を改めて心に誓い「俺は俺がやれることをやるまでだ」とつぶやいた。
Under World 琥珀 @sasuke_naruto
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