第十五章 バケモノ戦争

第113話 バケモノ戦争①

 魔王軍は進軍中に陥落させた砦に駐留していた。


 さして大きくはないが、食糧の蓄えもある堅牢な砦だ。


「食料があることはありがたい」


 魔王の腹心であるエルフ、【林冠】パヌトゥが言った。


 彼には魔王軍のゴブリンすべてを飢えさせないようにする義務がある。


 ゴブリンは数が膨大な上に、少しでも強い者が貪欲に他者の食料を奪おうとするので、飢餓が発生しやすい。


 パヌトゥのギリギリの補給調整により、綱渡りで魔王軍は維持されていた。


「パヌトゥ殿。ご苦労なことだね」


 ドラゴン教の教祖である美女、【悪喰】ルーシャムが笑いながら言った。


「ルーシャム様ですか。いったい誰のせいでこうなっているのか、ご存知なのですか?」


「誰のせい? 誰のせいでもないよ。責任なんて誰にもない。この世界にそういった言葉は存在しないのだよ」


「なんですと?」


「出来る者がやれば良いのだよ。パヌトゥ殿は食料の手配が出来るからやって頂きたいね」


「貴方は?」


「肉を食うのが得意だよ。僭越ながら食べる方を担当するよ」


「……」


「睨まないで頂きたい。でもゴブリンが飢えるのならば、飢えさせればよいじゃないか。ゴブリンとて限界を超えれば、ドラゴンの教えに目覚めるかもしれないよ」


 ドラゴン教は人食いを推奨している。


 つまりドラゴン教の目覚めとは、飢えたゴブリンが同胞のゴブリンを食らうことを意味している。


「そんなものに目覚められたら全軍が崩壊します」


「九割のゴブリンの死をもって、残り一割のゴブリンが精鋭のドラゴン教信者となるよ。それでいいじゃないか」


 まるで素晴らしい未来がくると言わんばかりにルーシャムは語った。


 彼女の口調は神の教理を解く物特有の、人を引き寄せる強さがある。それこそ意思の弱い者は飲み込まれそうになるほどだ。


 だがパヌトゥの業の深さも彼女と同様であるので、彼がドラゴン教の思想に染められることはない。


「どんなにゴブリンが強くなっても、一対十では勝てません。ルーシャム様は間違っています」


「ふふ。世界を数字化するつまらない考えだよ」


「つまらなくて結構。貴方と話していると気が狂いそうだ。どこかへ行ってください」


「パヌトゥ殿がお望みとあれば、僕たちはすぐさま進軍させて頂くよ」


 人を小バカにするようなルーシャムの物言いに、パヌトゥの精神が沸点に達した。


「これ以上戦線を広げないで頂きたい!」


「はは。篭城でもするつもりかい? 有り得ない選択だよ」


 パヌトゥから暴力的な言葉を引き出せたルーシャムは、怒るよりもむしろ満足した様子で聞いた。


「言われなくてもわかっております」


 篭城なんてしていたら、やがてゴブリンたちが砦の備蓄を食い尽くしてしまうだろう。


 しかし今は進軍中に村々で奪った食料の算出と、進軍ルートの策定をせねばならない。


 戦いではもう負けない。


 戦いに勝ち続ければ、 人間たちに組織的な抵抗は出来なくなるだろう。


 飢え死に注意しつつ王都に辿り着くことが出来れば、それで魔王軍は勝利できる。


 王都を陥落された人間族の王国は崩壊し、もって人間族は全滅するはずだ。


 人間族の次は海のマーメイド族。


 その次に大山脈のトロール族。


 最期に恨みの募る大森林のエルフ族を滅ぼせば、世界は崩壊する。


「戦争ではもう負けません。あとは飢え死にだけ気をつければよいのです」


「なるほど。もう負けないのかい。それは魔王様が退屈しそうだよ」


 ルーシャムは悠長な調子で重大な指摘をした。


【火炎山の魔王】ガランザンの退屈。それは非常に大きい懸案事項である。


 戦いがあまりにたやすいと、ガランザンの刃はパヌトゥたちへ向かってくるかもしれないのだ。


 事実、パヌトゥとルーシャムは、ガランザンの大剣によって死にかけた。


「……考えても仕方ないでしょう」


「策が思いつかないのかい。森もたずのエルフ殿も、意外とたいしたことないね」


「黙れ!」


 パヌトゥが乱暴に反論する。


 二人が雑談のような言い争いをしているなか、ガランザンが扉を開けて現れた。


 ガランザンは嬉しそうに、愛用の大剣を肩に担いでいた。魔王を満足させる敵など、この砦にはいなかったはずだが。


「魔王様。いかがしました?」


「ふふ」


 パヌトゥの問いに、ガランザンは目を閉じて、含み笑いをした。


 しばらく待っていると、ガランザンは語りだした。


「俺はこの時を待っていたのかもしれない。たやすい戦いにはもう飽きた。ドラゴンでさえ退けてしまった。もう敵はいないかと思ったが。なるほど、こうきたか」


「魔王様?」


「ついに世界が俺に牙をむいたぞ」


 ガランザンは笑うばかりであった。


 だがパヌトゥとルーシャムはその様子から何かを察し、砦の見張り台へ走った。


 そこから見えた風景に、二人は驚愕した。


 人間族の騎士団。そして義勇兵団。


 トロール族の兵団。


 マーメイド族の兵団。


 エルフの作り出したウッドウォークの軍勢。


 中央にドラゴンまでいる。


 およそゴブリンを除く全ての種族の軍隊が、この砦へと迫っていた。


「なんだあれは? まるで世界中の軍が集結したようではないか」


 パヌトゥが言ったが、傍らに立つルーシャムにその答えがあるはずない。


 代わりにルーシャムは意地悪く笑った。


「もう戦争では負けない? はてさて、いったい何処に目がついているのだい?」


 その神経を逆撫でる言葉が、算術を尊ぶパヌトゥを更に感情的にさせた。


「うるさい! 我々は負けない。魔王様は無敵だ。無敵ならば負けないだろうが」


「ふふふ。なるほど確かに。無敵ならば負けないね」


「そうだ。敵がどれだけ巨大だろうが関係ない。勝てば良いのだ」


「珍しく意見があったよ。要は勝てば良いのだよ。勝った者が全て正しく、負けた者は肉に過ぎないよ。ドラゴン教の真理でもある」


 ルーシャムはかみ締めるように頷き「で、わたしはなにをすればいいのだよ?」と、言葉を続けた。


 ルーシャムが積極的にパヌトゥに指示を求めるのは極めて珍しい。


 パヌトゥもそれを素直に受け入れて的確な指示を出し、二人は大急ぎで惰眠を貪るゴブリンを集結させて、迎撃準備を整えた。



 

《巨大な悪は、正義の力を結集させる。巨大な正義は、悪の力を結集させる》

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