第101話 混沌の幕開け⑥

【悪喰】ルーシャムと、【朱の騎士】ベルレルレンとの戦いが始まった。


 素人同然の義勇兵で固められたベルレルレンの旗色は悪く、義勇兵たちは次々と傷ついていった。


 義勇兵の若者が、ベルレルレンに哀願するように言った。


「先頭にいる姫様に、救援を頼みましょう」


 しかしベルレルレンは、一顧だにせずに首を振った。


「ダメだ!」


 もともとルーシャムを【太陽の姫君】レィナスに寄せ付けない為に、戦いを挑んだのだ。


 わざわざレィナス姫をここ呼んでしまっては本末転倒である。


「我々が粘れば、姫君は必ずこの戦場で勝利を収めてくださる。つまり我々の頑張りが、この戦いの勝利へと直結しているのだ」


「でもこのままでは我々が死んでしまいます」


 義勇兵たちは悲鳴を上げた。


 ルーシャムとドラゴン教信者たちの鉄の爪が、次々と義勇兵たちを屠っている。


「姫君は必ず敵を倒して、我らを助けに来てくれる。それまでの辛抱だ」

 ベルレルレンは自身の希望に希望的観測をのせて、義勇兵たちを激励した。





 一方、戦場の最前線に【太陽の姫君】レィナスはいた。


 敵軍にはゴブリンしかおらず、戦況はもう一押しで敵を瓦解できるところまで来ていた。


 そんな中、義勇兵の一人がレィナス姫に報告した。


「姫様。後方の様子がおかしいです」


「どうした?」


「どうやら敵将が、奇妙な集団を率いて強襲している模様です。このままでは後方部隊が全滅してしまいます」


「む」


「今のところベルレルレン様が食い止めておりますが、旗色は悪いようです」


 義勇兵の報告を聞いて、レィナス姫は迷った。


 戦闘開始前の奇妙な動きは、最前線から混乱にまぎれて後方部隊を襲撃する布石だったのだろう。


 だとすれば敵も突発的な思い付きではなく、部隊として動いているはずだ。


 だがこちらもあと少しで、戦場を指揮しているゴブリンを倒せるところまできている。


 後方部隊を救援に行っては、全てが水の泡だ。


「ベルレルレンが、食い止めているのだな?」


「はい。しかしどれだけ持つか」


「……大丈夫だ。あいつは我々が敵を倒すまでは、敵を食いとめてくれる」


「いやしかし。旗色は非常に悪い様子です」


「救援の要請が来ているのか?」


「いえ」


 救援の要請がなく、しかも敵を倒せないのであれば、状況の推測は簡単だ。


 敵が倒せないほど強力で、だが負けないように粘っているに違いない。


「全軍、全力疾走!」


 レィナス姫は再度、味方を鼓舞した。


「敵を一気に叩き潰すぞ! しかる後に、後方部隊を救援に行く」


 姫は義勇兵たちをせかし、一気にゴブリン軍を追い詰めた。





【朱の騎士】ベルレルレンの周囲にいる義勇兵たちはその尽くが傷つき、息も絶え絶えであった。


 しかし彼らは逃げ出すことが出来ない。


 逃げることはベルレルレンが許さないし、太陽の姫君の軍にいるという誇りも邪魔をする。


「逃げるな。姫君が来てくださるまでの辛抱だ」


 ベルレルレンが必死の形相で奮戦しながら、義勇兵達を戦場へと縛り付けていた。


 普段は農作業をしている義勇兵たちは、泣き出しそうになりながら彼に訴えかけた。


「もう無理です。逃げましょう」


「我らが撤退すれば、それでこの戦いは負けが確定する」


「でも死ぬのは嫌です!」


 叫びかけた義勇兵が、また一人息絶えた。


【悪喰】ルーシャムの爪で、喉元を貫かれての即死である。


「君は素晴らしいよ」


 ルーシャムがベルレルレンを褒めた。


「なんだと?」


「その胆力。実力。勇気。余すところなくドラゴンを目指すにふさわしい。一瞬だけ改宗する余地をあげよう。僕たちと共に、ドラゴンの高みを目指す気持ちはないかい?」


「ない」


「それは残念だよ。ではその肉を僕が喰らい、僕の身体をもってドラゴンとなることにするよ」


 ルーシャムの合図で、その部下であるドラゴン教の信者たちが左右からベルレルレンに襲い掛かった。


 義勇兵たちはもう数も少なく、それを止めることができなかった。


 ベルレルレンはなんとか両側からの攻撃を、剣を円形に振るって弾くが、その間にルーシャムが至近距離まで近づいていた。


「!」


 ベルレルレンの背に凍りつくほどの悪寒が走るが、どうすることも出来ない。


「怖がることはないよ。君の血潮は、やがて僕の身となり、そして神へと至るのだから」


 ルーシャムの鉄爪が、ベルレルレンの顔面を縦に切った。


「きゅ、救援を」


 義勇兵が前線へ走りかけたが、ベルレルレンは血が吹き出す顔を抑えながら言った。


「呼ぶな! 貴様! 我々を敗北させる気か!」





【太陽の姫君】レィナスたちは、ついにゴブリンの司令官の首を討ち取った。


「我々の勝利です。流石は太陽の姫君様。ゴブリンの軍など……」


 義勇兵の一人がレィナス姫を褒め称えようとしたが、そんなのに耳を傾ける余裕などは一切ない。


「勝ち鬨を上げつつ、後方の支援に向かうぞ。全速だ!」


「姫様。新手です!」


「なんだと?」


 伏兵かと聞くが、義勇兵の回答は明瞭ではなかった。


「よくはわかりません」


 義勇兵の指し示す方向にレィナス姫が眼をやる。


 地平線の向こうに、うっすらと軍の影と魔王軍の旗が見えた。 


 澄み切った空の下、手をかざして限界まで遠くを凝視する。


 敵軍の中には、白髪のトロールと黒い肌のエルフがいた。


 間違いなく【火炎山の魔王】ガランザンと、その腹心【林冠】パヌトゥである。


「魔王が来ている!」


「さ、流石は姫様。ここから肉眼で見えるとは」


 義勇兵は見当違いに感嘆したが、レィナス姫はその言葉を無視した。


 時間がない。


「魔王が率いているということは、こちらが敵の別働隊で、向こうが敵の本軍か?」


「そう、でしょうか?」


 戦場の経験が少ない義勇兵には判別がつかなかった。


 レィナス姫もそういった戦場の知識は少ない。


 戦場の知識が豊富な騎士は、今回は【朱の騎士】ベルレルレンしか従軍していない。


 しかもベルレルレンは後方にいて、レィナス姫の質問に答えることは出来なかった。


「姫様。もう後方部隊が限界です。このままでは、軍の半分が壊走します」


「姫様、魔王軍に動きが! 全速でこちらに迫ってきている模様です」


「姫様!」


「姫様!!」


「……むぅぅ」


 レィナス姫は迷いの余り無意識に爪を噛んだ。


 目の前の敵を倒したはずが、敵がもっと増えている。


「後方部隊から、救援の要請は?」


「来ていません」


「ならばこのまま新手の部隊を一蹴し、そして後方を救援に……」


 出来るのか?


 そこまで後方部隊は持つのか?


 将来を共に生きると誓った、ベルレルレンの身が心配だ。


 しかし新手の魔王を倒せば大戦果となる。


 間違いなく爵位を授かり、ベルレルレンと二人で暮らすことが出来る。


 だがしかし、そこまで簡単に魔王ガランザンが倒せるか?


 そもそも万全の状態だとしても、ガランザンとパヌトゥの2人を相手にして、たった1人で勝てるのか?


「……全軍」


 自分自身を過大に評価していないか?


 自己評価を誤れば、自分どころか、ベルレルレンも、彼女を信じてきてくれた義勇兵の全ても、悉く死に絶えることになる。


「……全軍……」


 レィナス姫は、覚悟を決めた。


「……全軍、後方部隊を救援する。しかる後に撤退だ!」


 レィナス姫が叫び、全軍が反転した。





 ほぼ敗走の体で、【太陽の姫君】レィナスは後方部隊の救援に急行した。


 そして見た光景は、全身が真紅に染まった【朱の騎士】ベルレルレンであった。


 顔面からも血が止め処なく流れ落ちている。


 しかしそれでもベルレルレンは倒れず、【悪喰】ルーシャムとその一党と交戦を続けていた。


「あれ? 僕は粘り負けたかい? いや、勝ったのかな? ともかく今日はこれまでのようだよ」


 ルーシャムは鉄の爪をシャリシャリと鳴らした。


 彼女に付き従うドラゴン教の者たちは、散り散りになって戦場の喧騒へと消えていった。


「まだ食べ足りないけど、おかわりの機会を待っているよ」


 ルーシャムもまた血濡れた鉄の爪を舐めながら言うと、敵味方が入り乱れる戦場の中に消えていった。


 レィナス姫はベルレルレンに駆け寄り、その身を抱きしめた。


「よくぞ頑張った。お前は、わたしを守ってくれたのだな!?」


「姫君。敵は倒しましたか?」


 ベルレルレンがレィナス姫からの賞賛などは捨て置き、戦場の趨勢を確認した。


 ベルレルレンの顔に縦に刻まれた傷から、どす黒く濁った血が流れ落ちていた。右目の眼球が潰れている。


「しゃべるな。馬に乗って休め」


「質問にお答え下さい! わたしと義勇兵たちは、そのために命を賭けたのです」


 ベルレルレンの真摯な表情に、レィナス姫は口ごもりつつも話した。


「敵は、倒した」


 その言葉の最期に「当初の敵は」と、付け加えた。


「どういうことで?」


「司令官のゴブリンも殺した。だが魔王が率いる新手が現れたので、軍を反転させた。戦いは……我々の負けだ」


「そうでしたか」


 ベルレルレンは全身の痛みを押して考えた。


 まさか新手まで用意していたとは、完全に誤算だ。


 その誤算を前提に、当面の敵を倒し、新手との交戦を避けて部隊を退かせた姫君の手腕は、見事である。


 その戦局眼に誤りは見つからない。


 ベルレルレンは自身の粘りが報われたことを誇りに思った。


「姫君の武名に喜びを。見事な指揮です」


「そう言ってくれるか」


「本当に、姫君は素晴らしい騎士になりました」


 もはや英雄と呼んで差支えはないでしょうと、ベルレルレンは言った。




《わたしは貴方を信じている。だから貴方を助けない!》

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