第63話 姫君と樹海の苗②

【放浪の姫君】レィナスは、エルフ族の天才である【樹海の苗】ピクラスに先導されて、大森林を観光して回った。


 エルフの大森林は、世界最高の技術の宝庫であった。


 燃えない服。


 常に発光する葉。


 舌が溶けるほど甘い果実。


 弓矢を通さない傘。


 音声を記憶する蔓。


 植物の兵士、ウッドウォーク。


 レィナス姫の知識では理解できない数多くのエルフの発明物が並んでいた。


「さすがエルフだ。まるで魔法のようだな」


 理解を超越するものは全て『魔法』としてしか表現できない姫君は、それでも感心した様子で感想を口にした。


「魔法ではない。技術だ。理解すればおのずと得られる論理の機構だ」


 ピクラスは反論するが、レィナス姫は生返事を返すだけだった。


 持っている知識に違いがありすぎて認識できないのだ。


 蟻に象の体高を聞くようなものである。


 蟻には象が、同じ生物とすら認識は出来ないだろう。


「まあ、なんとなくわかった。ありがとう。ベルレルレンを待たせているので、そろそろ戻らせてもらう」


 レィナス姫は半日ほどエルフの大森林を見て周り、感嘆する心が疲れ果てて、【朱の騎士】ベルレルレンの待つ森の入り口まで戻ろうとした。


「……しばらく待たれよ」


 一方で、招き入れたピクラスは悩んでいた。


 森を訪れたレィナス姫に、なんとかしてトロールが持つ赤褐色の鉱石を取ってくるよう頼まねばならない。でなければエルフ族は永遠の命が得られず、神から受けた呪いによって近い将来絶滅してしまう。

 

 しかしピクラスはレィナス姫が森を見学している間ずっと考えたが、上手い案が思いつかなかった。


 レィナス姫にはエルフ族との利害関係が、まったくないのである。


 まさか観光を受け入れた見返りに頼むわけにはいかないだろう。交渉の天秤がまるで釣り合わない。


 不平等な条件を無理やり飲ませたところで、レィナス姫が途中で投げ出してしまっては元も子もない。


 更にピクラスの推察では、レィナス姫は先に説得に失敗したトロール族と似たような気質であるとも思えた。


 単純な愚か者だが、金銭や脅しでは決して動かない。


 エルフ族が最も苦手にするタイプだ。


 だからこそレィナス姫ならばトロールを説得できると考えたが、その手前である姫君自身の説得をする方法が思いつかなかった。


 懊悩するピクラスの足元に、小川が流れていた。


「……この川は浄水されてはいないが、細菌管理は万全だ」


「なんだって?」


「つまり、いくら飲んでも細菌により腹痛を起こす心配がない」


「それはありがたい」


 レィナス姫は最後の言葉のみ理解し、川に近寄って水を飲んだ。


 この川にはその昔、マーメイドが住んでいたとされている。


 もちろん今は住んでいない。


 エルフが今ほど知識に偏重しておらず、マーメイドが森の中の河川を支配していた頃の、遠い過去の話だ。


 だが確かな歴史上の事実として、川に住んでいたマーメイドと、森のエルフは、身を惜しまず助け合う親友であったと記録されている。


 知性の高いエルフと、愚鈍なマーメイドが友人になることなどありえないと、ピクラスは思っていた。


(ご先祖様の、なんと愚かなことか)


 振り返って我が身を思う。


(いや、愚かなのは私の方か)


 友人が少ない方が賢いとはいえないだろう。


 ピクラスは近い未来、同族のエルフたちに愚か者と指を指される覚悟を決めた。


「【放浪の姫君】レィナスよ」


「はい?」


 ピクラスが急に重々しく、思い詰めた口ぶりで話しかけたので、レィナス姫は驚いて川から顔を上げた。


「私は君を知っている」


「……は?」


「君も私を知っている。これは定義として知人に当たる。間違いないか?」


「ええと。たぶん合ってる」


「重ねて聞くが、今日は楽しかったか?」


「ああ、楽しかった」


「姫の言ったとおり、私も楽しかった。楽しい時間を共有できるという知人は、友人を意味すると思うのだが、この定義に間違いはないか?」


「そう、かな」


「私と姫は友人であるか?」


「まあ、うん。そうだと思う」


「では友人として、お願いしたい事がある」


「ん?」


 ピクラスは話を始めた。


 トロールの持つ赤褐色の鉱石がどうしても必要な事と、既にトロールを激怒させてしまっている旨を、事細かに伝えた。


「友人になったばかりで心苦しいが、頼めるだろうか?」


 ピクラスは深く頭を下げた。地面を向く顔は、赤面していた。


 相手に何もメリットもなく、『友人』という不可解な名目で頼み事をする自分が、どうしようもなく愚かで恥ずかしかった。


 しかしもう、これしか方法がないのだ。


「ええ、と」


 レィナス姫はずいぶん間を置いて考え、頭を掻き、ようやく心が落ち着いた。


 そして出した結論は、簡潔なものであった。


「仕方ない。友達に頼まれては、断れないな」


 任せておけと、レィナス姫は自身の胸を叩いた。




《手を握って下さい。貴方の赤が私を朱に染めて、私の青が貴方を蒼く染めるでしょう。》

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