十六話「神話より」
気がついた時、最初に目に入ったのは助手席のシートだった。
車は激しく揺れている。山道に入ったようだ。
「気がついちゃった?」
リンカの声。顔を上げると、心配そうなリンカの顔があった。
「ん……そのようです」
「ごめんね。まだ接続時間はあったんだけど……車の振動で接続が切れちゃったみたい」
「いえ、いいんです」
ミコトは自分を奮い立たせるように、殊更に軽い調子で答えた。思いを振り切るように、窓の外に目をやる。
車は崖の中腹にある細い道を登っていた。
「聖地が近いんですか?」
「そうね、おそらくあれよ」
リンカが指差す方向を見ると、切り立った岩山に囲まれるようにして遺跡らしき建物が見えた。ここからでは一部しか見えないため判然としないが、周囲の雰囲気はなんとなく聖地の面影がある。
「それにしても……リンカさんに花の冠を編むような少女チックな部分があるとは思いませんでした」
「うっさいわね……生意気言う前に、ありがとうございましたでしょ!」
「そうですね。本当に……ありがとうございます」
リンカは乱暴にミコトの頭をぐりぐりと小突いた。
乱暴な扱いも、ミコトの気持ちを慮って元気付けようとしているのかもしれないと思えた。
ぽっかりと気持ちに穴が空いた今は、その乱雑さがありがたい。
やがて車はやや広い場所に出て、そこで停車した。
ラジーブが振り向いて眉を下げる。
「ここから歩きで行けそうですネ。ワタシ、ここで車の番をしていますネ」
「そうね。ありがとうラジーブ。少し時間がかかるかもしれないけど。待っててね」
「待ちますヨ、いくらでも。インド人、気が長い」
濃い顔に笑顔を浮かべ、リンカやミコトと握手を交わした。
車を降りると少しひんやりとした。うっすらと霧が出ている。
崖を見下ろすと、小さい土の道があり、階段状に踏み均されていた。
「人気は無さそうだけど、まったく人が来ないってわけでも無さそうね」
遠くから反響してくる鳥の声を聞きながら、足を滑らせないように慎重に降りていく。
近くまで来ると、たしかに神話世界で見た聖地との共通点が見受けられた。
道は居住区の裏手に続いているようだ。
神話世界の居住区ほど立派ではないが、建物が残っている。ほとんどが崩れ落ち、残っているのはほんの一部分のようだった。宝物殿らしき建物も、屋根が崩れ落ち、外壁だけが残っている。
「あれ、ミコト、どこ行くの? アカシャの眼があるとしたら宝物殿でしょ?」
リンカが行く道を逸れ、ミコトはすたすたと歩いていく。直感があった。
「わかりません……でも、たぶんこっちだと思います」
居住区をぐるりと回り、神話世界で庭園があった場所へと向かう。
ミコトは早足で先を歩く。
泣きそうな顔を見られないように。
リンカはその事に気付いていないのか、それとも見てみぬふりをしているのか、何も言わなかった。
目の前の光景を見た時、期待は確信に代わっていた。
一面に咲き乱れるルクリアの花。
緑の葉の上に、小さい薄桃色の花びらが風にそよいでいる。
庭園の中央には、ルクリアの花に囲まれるようにして小さいお堂が建っていた。
質素なものだが、崩れずにしっかりと残っている。
花畑をぬうように走る土の道を通って、お堂の前に立つ。
「ミコトのお父さんが送ってきた石版は、おそらくここの物でしょうね」
お堂の前には石碑が建っていた。風雨に晒されて崩れている。リンカがナップザックを下ろし、石版を取り出した。石碑に当ててみる。石の材質といい欠けた部分の形といい、どうやらここにあったものである事は間違いなさそうだった。
「ここにあったものが、めぐり巡って父の手に渡ったんですね……」
今は亡き父は、おそらくこの場所にたどり着きたかったに違いない。父の代わりに息子である自分が果たした事に、なんともいえない感慨があった。
「さ、中に入ってみましょう」
リンカにうながされ、ミコトはお堂の中へと進む。そこは大人二人がかろうじて並んで入れるほどの狭さだったが、大切に手入れされているのがわかった。
お堂の奥には、子どもが作ったような歪な形の石の台があった。
石のフタらしきものが乗っていたので、リンカと二人がかりでずらしてみる。苔がはがれ、ずるずると重い音をたててフタがずれる。
台の中央には小さい窪みがあり、そこに丸い石がすっぽりと収められていた。
リンカが石を拾い上げ、土埃を手で払う。少し払っただけで、石は赤い輝きを取り戻した。
「間違いない……これが、アカシャの眼……」
「リンカさん……これ、何て読むんです?」
お堂の壁には小さな文字が刻まれていた。おそらく、石碑にあった文字と同じ文言だ。
宝石から顔を上げたリンカが、ゆっくりと厳かに読み上げた。
『我らが太陽の聖地 岩山に囲まれ 北西にアムシュマットプラスタを臨む
神々は去り
太陽の娘は一人舞う
約束の園に刻みしアカシャの眼
信じる心を取り返した異国の勇者に捧ぐ』
スーリヤは気付いていたのだろうか。
神々が自分を見捨てて聖地を去り、ミコトが彼等を連れ戻した事を。
あの神話が人々に影響を及ぼしてこのような形で残っているのだろうか。
それとも、人々の信仰があったから、ミコトはあのような結末を見たのだろうか。
どちらでもかまわなかった。
ミコトにとっては、この身で体験した現実に他ならない。
ふと、携帯電話を取り出してカメラを起動してみた。
写真を呼び出す。
「リンカさん……神話世界で撮った写真は現実には残らないんですよね?」
「そのはずだけど……」
ミコトはケータイのカメラをリンカに差し出した。
そこには、ミコトとスーリヤが並んで緊張した面持ちで写っていた。
「これは……初めてのケースね。あんたの気持ちがよっぽど強かったのか、それとも、アカシャの眼の影響なのか……調べてみないとわからないわね」
ミコトはケータイを閉じ、お堂の外に出た。
周囲を見渡す。
切り立った岩山、崩れた建物、ルクリアの花畑……
山にはもやがかかり、周囲にはうっすらと霧が立ち込めている。神話の舞台になってもおかしくない神秘的な雰囲気だ。
今にも、建物の影からスーリヤやシヴァ達がひょっこり現れそうだった。
リンカがミコトの肩を叩いた。振り向いたミコトに、アカシャの眼を手渡す。
「これはあんたがもらっときなさいな。あんた宛に残されていたようなものなんだから」
「いいんですか?」
「いいわよ。ま、その代わりと言っちゃなんだけど、必要になったらあんたにはあたしの仕事を手伝ってもらうからね!」
「はい」
ミコトは素直に頷き、受け取った石を太陽に透かしてみた。
丸みを帯びた赤い石の中に、金の粒子が眼の形に集まっている。
太陽の光を浴びると、中に小さな太陽があるかのように輝いた。
まさに神話世界で見たものと寸分たがわぬ宝石だった。
その赤い宝石を見ていると、あの神話世界と地続きな気がしてくる。
「それを使えば、お父さんの意思と話す事もできると思うけど、どうする?」
リンカの問いに、ミコトは軽く首を横に振って答えた。
「今はやめときます。もっと気持ちの整理がついてからにします。でも、石の力に頼らなくても、今回の経験を通して父の気持ちが少しわかったように思います……父が子どもみたいに世界中を旅してまわる気持ちも……今ならわかる気がします」
「そう」
リンカが片手でミコトの頭を抱き寄せ、乱暴に髪を撫でた。
「じゃあ、帰りましょうか! 目的の物も手に入ったし。そうだ、もしかしたら、神話世界で見た露天風呂が近くにあるかもね。ちょっと探してみるか!」
「……僕は入りませんよ」
「いいじゃない。一緒に入りましょうよ。スーリヤちゃんとも一緒に入ったんだし」
「スーリヤとならいいですけど……」
「あら、生意気。この大人の魅力がわからないっての!」
霧に包まれた遺跡に二人の声が反響する。
ミコトはもう一度遺跡に視線を向けた。
崩れて寂れていても、そこには間違いなくスーリヤや神々の存在を感じる事が出来た。
神話は人の心に教訓と救いをもたらし、連綿と語り継がれていくのだろう。
そして、ミコトは新たな語り手となったのだ。
人が語り継ぐ以上、いつだって神話の神々に会える。
ミコトは目の前の遺跡に神々の姿を思い描いてみた。
崩れずにわずかに残った居住区の建物は、何百人と収容できる在りし日の姿を取り戻し神々で賑わう。屋根が崩れた宝物殿は様々な宝物で溢れかえりガネーシャがのんびりと貴金属を磨く。瓦礫しか残っていない歌舞殿では修行中のシヴァにインドラがちょっかいを出す。
そして……ルクリアの花が埋め尽くす庭園では、スーリヤがミコトに笑いかけるのだ。
岩山の隙間から太陽が顔を出し、聖地を照らした。
太陽神スーリヤの娘 山田なんとか @yamada_nantoka
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