十四話「再会」


 スーリヤはほうきを片手に、散らかった庭を見回した。

 聖地の庭にはインドラ達が暴れた際に散らかった木の葉がまだ残っている。

 木の枝を集めて作ったほうきで誰もいない聖地をせっせと掃きながら、突然現れて突然消えた闖入者の事を考えていた。

 ミコトという名前の、か弱そうな男の子。

 時々攻めてくるインドラ達以外に人を見かける事のないスーリヤにとって、この少年をどう扱っていいのかよくわからなかった。

 ミコトが現れた翌日、朝早くに起きているか確認しに行ったら、すでにもぬけの空だった。

 おもてなしがまずかったから帰っちゃったのかな……

 帰らなければいけないとは言っていたが、それほど急だとは思っていなかったので、誰もいない部屋を前にぽつんと佇みながらスーリヤはそんな事を思ったものだ。

 客を迎える事など初めてなのだから、どうもてなせばいいのかわからない。

 いや、違う。

 たぶん、インドラ達との戦闘に驚いてしまったのだ。怖がらせてしまったかもしれない。

 ミコトの優しげな面差し。虫も殺した事が無さそうだった。あまりにも弱そうでおびえているから、守ってあげなきゃと思った。

 部屋の前には、ミコトが肉を焼いた際に使った石が燃えカスと一緒に残っている。

 まだ片付けていなかった。

 もしかしたら、また戻ってくるかもしれない。

 おなかがすいているようだったら、また肉を食わせてやろう。その時に使うから、まだ片付けないんだ。温泉に連れて行くと、のぼせるからよく見ておかなければ。長く浸かっているとのぼせるという事を知らなかったのかも。もっと近くで様子を見ていればよかった。

 庭の一区画を掃き終わり、小さい山になった葉っぱを見下ろす。

 でも、もう戻って来ないだろうな……

 そう思うと、いても立ってもいられないような落ち着かない気持ちになり、ほうきで葉っぱの山をぐしゃぐしゃとかきわけた。

 一人で過ごすのは慣れているはずだった。聖地にいた仲間が旅立ってから、ずっと一人で留守番してきたのだ。たまにインドラ達が来るし、それほど寂しくはなかった。

 でも……

 今は聖地がすごく広く感じた。

 あの日ミコトが突然現れたように、荒野に人影がないか時々見にいくのだが、やはり誰もいない。

 宝物殿の埃に残ったミコトの足跡や、ミコトを休ませた部屋に残った毛布や、酒の壺。使用済みの壺は割って捨てるのだが、なぜか捨てる気になれず、そのままにしていた。

 アカシャの眼を欲しがっていた。

 欲しかったらあげるのに。なぜ持って帰らなかったのだろう?

 歌舞殿に散らばった石ころを一つ一つ丁寧に拾いながら、地平線に目をこらした。

 太陽は沈みつつある。空はオレンジに染まり、地平線はゆらゆらと揺れる。

 ミコトは綺麗な絵が現れる不思議な塊を持っていた。仲間と思われる少年少女達と、仲良さそうに写っていたミコト。あの仲間達の所へ帰ったのだろうか。

 変った服を着せてくれた。あの服はどこから出したんだろう? あの服を着てミコトと並んでいると、自分も彼等の仲間入りしたようで、少しうれしかった。

 不思議な少年だった……

 あれから、掃除をしていても、ミルクを絞っていても、食事をしていてもミコトの事ばかり考えてしまう。

 なぜ黙っていなくなったんだろう。やっぱりスーリヤが怖かったのかな。聖地にいた仲間達も、ミコトも、みんないなくなる。

 口をきゅっと引き結び、地平線を眺める目に、何か動くものが映った。

 赤い空を背景に、黒い影が空を飛んでいる。

 おそらく、インドラだ……

 しかし、いつもなら軍勢とともに賑やかにやってくるのだが、今回は影が一つぽつんと空を飛んでやってくるだけだ。

 影は見る間に大きくなり、インドラのまたがる白象だとわかる。空を飛ぶ巨象、アイラーヴァタだ。巨大な翼をはためかせ、背に黄金の甲冑をまとったインドラを乗せて悠然と滑空してくる。インドラが地上を見下ろして大音声を轟かせる。

「スーリヤ、いるか! またやってきたぞ!」

 スーリヤは空を見上げ、ほうきを石塔に立てかけた。夕焼けに赤く染まる歌舞殿の上をアイラーヴァタの影が横切る。

「今回は前回と間が空いていないのでな。私が一人で来てやった。賑やかな宴もいいが、一対一の決闘もたまには悪くあるまい。今日こそ雌雄を決しようではないか!」

 豪快な笑い声が聖地に響く。いつもはわずらわしいばかりのインドラの笑い声も、今日にかぎっては寂しさを紛らわせてくれた。

 なぜ寂しいなんて思うんだろう?

 スーリヤは気のない様子で歌舞殿の真ん中に立ち、インドラを見上げた。白い象が落日の光を浴びて金色に染まっている。やる気まんまんのインドラは腕輪をつけた腕を高々と上げた。

「用意はいいかスーリヤ! いくぞッ! どうした、返事がないぞ!」

 舞うそぶりすら見せずに佇むスーリヤに、インドラが焦れったそうに声をかける。

「いつものように舞わんのか? それならこちらから行くぞ!」

 アイラーヴァタの周囲に黒雲が集まってきた。時折雲の中で稲光が瞬き、ごろごろと不気味に唸るような音を立てている。

「まずはほんの挨拶よ!」

 インドラが指差すと同時に、雲から稲妻が迸る。ばりばりと大気を引き裂き、周囲を青白く染めて一筋の雷光が歌舞殿の石塔を直撃して焼き焦がす。

 弾けた欠片がスーリヤの頬に当たった。それでも、かすかに片目をしかめただけで、舞おうとはしない。

 みんないなくなる。

 仲間も、ミコトも……

 一人でも平気だったのに。一人の少年が現れて、短い間一緒にいただけで、これほど脆くなるとは。人の温もりを知らなければ寂しいなんて思わない。知ってしまったから、こんなに寂しいのだ……

 きゅっと拳を握りしめ、うつむく。

 もう、うまく踊れないよ……ミコト……

 今までは何も考えずに舞えたのに。今はこんなに手足が重い。

「どうした、スーリヤ……戦意を失ってしまったのか? ふむ……いつかはこんな日が来るかもしれないとは思っていたが……止むを得まい。長きにわたる宴に幕を引くとしようか」

 うつむいたまま戦おうとする様子のないスーリヤを見下ろし、インドラは軽く溜息をついた。

 アイラーヴァタの周囲に、一際大きい黒雲が集まる。雲から雲へ小さい稲妻が飛び交う。今にも迸りそうなほど電荷が集中していく。

「次に生まれる時には、立派な戦士として生を受けるがよい」

 インドラは無抵抗なスーリヤを見下ろす。一発で決めるつもりのようだった。すぐには雷を放たずに、極大の一撃になるまで威力を溜めているようだ。

 十分に時間をかけ、暗雲は空を覆い尽くすばかりに巨大になり、インドラの手がゆっくりと上がっていく。その手がまさに振り下ろされんとした時――


「スーリヤ!」


 うつむいていたスーリヤがハッと顔を上げた。

 歌舞殿からやや北東、居住区の辺りに、一人の少年が立っていた。いなくなったはずの。

「ミコト……帰ってきたんだ」

 微笑もうとしたが、遅かった。

 インドラが腕を振り下ろす。

 聖地が光に包まれた。

 極大の稲妻が雷雲と地面を結び、大気は張り裂け草木をなぎ倒すほどの音の壁が地表を押しつぶす。衝撃波が駆け抜け、荒れ狂う放電が聖地を焦がす。

 光の奔流から目を守るために腕をかざしていたインドラは、ややあって、動く者のいないはずの地表を見下ろした。

「ぐぬぅ……」

 太い喉から思わず唸り声が漏れる。

 雷雲と地表を遮るように、焼け焦げた両手を上空にかざして宙に浮いている人物。

 褐色の肌、腰に巻いた虎、首飾りのように肩に乗った蛇――

 シヴァだ。

 その下では、驚いた表情のスーリヤが見上げていた。

 インドラが低く声を絞り出す。

「なぜ貴様がここに……」

「神の中の神たるこの私の両腕を焼き尽くすとはさすが雷神インドラといった所だな。だがこの勝負、一旦私が預かろう」

 褐色の顔に不敵な笑みを浮かべたシヴァが、スーリヤを見下ろした。

「久しいな、スーリヤ。元気が無さそうだが」

「シヴァ……」

 一瞬シヴァを見上げたスーリヤだったが、すぐに視線を逸らし、居住区へと頭を巡らせる。  

 ミコトは居住区の壁にもたれかかるようにしてへたりこんでいた。どうやら生きているようだ。スーリヤは駆け出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る