第12話「死の足音、勇者の資格」

 盗賊の頭が付いていた嘘は三つ。

 一つ、元魔猟に属していたという嘘。彼は元魔猟でもなんでもなく、レオード地方の南、サイード地方ののチンピラ上がりだということ。失った片目も部下には魔物との戦闘で失ったと語っていたがその実、ケンカで相手にナイフを持ち出されたことによる失明であった。

 二つ、魔力を自在に扱えるという嘘。盗賊の頭は魔力扱えない訳ではない、だがそれは初級程度(魔力によって軽い肉体強化ができる程度)、村の大会で優勝した時の、勇者の力に覚醒する前のユアン程度である。

 三つ、その腰に下げた剣は魔剣だという嘘。99体の魔物を狩った魔剣だと部下に話していたが、実際は魔剣ではなく、普通の鍛冶屋が打った剣である。だから、魔力を通すことによって剣が強化されることはないし、その剣は一体の魔物すらも切り伏せていない。そもそも魔力を剣に通す技術など彼は持ち合わせていない。


「馬……鹿な……」


 そしてその嘘の代償が、今彼の胸を貫いている剣なのだろう。他の6体のゴブリンの中でも一番大きく色も一体だけ黒色のゴブリン、そのゴブリンを前にし、盗賊の頭はただ一つの剣を入れることもなく、心の臓を貫かれた。

 仲間と己がついた嘘に囲まれ引けに引けなくなった盗賊の頭は魔物に特攻をかけるしかなく、その嘘を孕んだまま命を散らしたということだ。


 静寂が訪れる。それは一秒にも満たない空白の時間で、見ていた皆が声を失った。それほどの衝撃的な出来事であった。


「お、お頭!!! お頭がやられた……そんな馬鹿な!! お頭は元魔猟で……!!」


 混乱し理解が追いつかない盗賊たち。そのせいで盗賊たちはすぐには逃げるという選択肢を選べずにいた。

 元魔猟で、自分たちの中でも一番強かった頭が魔物相手になにもできずに死んだ、その事実は盗賊たちをパニックに陥れるには十分すぎる材料だった。

 そもそも盗賊たちのほとんどがレオード地方出身で、魔物すら見たことない者がほとんどだ。そんな中、目の前であっさり剣を胸に貫かれ、すぐに剣を抜かれると地にゴミのように倒れ、盗賊の頭は地面に生える草を己のあふれ出る真紅の鮮血で汚していく。

 その光景はこの世のものとは思えないほどに、絶望を含む。


 ウゴォオオ。

 そして剣を血の色に染めた黒いゴブリンは、その剣を、血を飛ばしながら盗賊たちに向ける。

 剣を向けたときに放たれた重低音の醜い声は、他の自分より少し小さい6体ので緑のゴブリン達を呼応させた。

 すぐさま動き出したゴブリン達は盗賊たちに襲いかかる。

 反応の遅れた盗賊たちは、ゴブリンたちが10メートル近くまで迫ってようやく現在の状況に、その命が置かれた危機的状況に気付く。

 しかし盗賊たちの行動パターンはここでも二つに分かれた。それは逃げるものと戦うものだ。

 半数の10名ほどの盗賊が愚かにもゴブリンに、己が慕っていた盗賊の頭のように特攻をかける。相手の力も未だ理解できずに……。

 そして同じように、命を散らした。盗賊の剣ではゴブリンの棍棒に力負けし弾き飛ばされ、そのままの威力で一撃の名の元に骨を砕く鈍い音とともにその命ごとぎ払われたのだ。

 ゴブリンは一人殺すごとに醜い声で咆哮ほうこうしていた。


 しかしその僅かな時間稼ぎは逃げる選択肢を取った10名ほどの命を救った。逃げる者の時間稼ぎ程度にはなったのだ。

 しかし、まだ逃げてない者が一人、正確には逃げられなかった少女がいた。

 その少女は地面にうずくまり、頭を抱えただ怯えていた。

 目の前で繰り広げられた血に染まる光景は、その少女のトラウマを呼び起こすには十分すぎる材料だったのだ。

 死んでいく村人たち、そして両親の顔がフラッシュバックする。

 それは絶望の記憶で、逃げなきゃいけないと分かっていたのに、それが少女の足を鉛のように重くし動くことを許さない。一度目は動いた足も、2度目は動かなかったのだ。

 それほどの混乱と悲しみを同時に抱えた少女は、その近くに死の足音が迫っていることにも直前になるまで気付かなかった。


「えっ……」


 その少女は自分の目の前、ほんの3メートルほど前までその足音が迫ってようやく顔を上げた。

 そしてそこには他の6体のゴブリンよりも少し大きく、一体だけ剣を持った黒いゴブリンが荒い鼻息を立てて立っていた。

 そして黒いゴブリンはその血に染まった剣を大きく振りかぶった。

 その剣が振り切られる頃には、あと数秒で少女の命は……。


「パパ、ママ……」


 ――剣が振られる。

 最後の瞬間、自分の死の運命を知った少女は最後に両親のことを思った。

 そしていつのまにか涙が溢れ出ていた瞳を閉じ、ただその瞬間を待っていた。


 キンッ。

 甲高い音が響く。少女はその音を自分の命を散らした音かと思ったが、いつまでたっても痛みを感じない。少女は瞳を開いた。そこには――。


「――――――――間に合った」


 青年がいた。目の前の青年は己の剣を抜き、盗賊たちでは誰も受け止めることのできなかった黒いゴブリンの剣を受け止めていた。

 そして逆にその青年はその剣で黒いゴブリンの剣を押し戻し、そして押し弾いた。

 剣を押し弾かれた黒いゴブリンは体勢を立て直すため、初めて後ろに下がった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 苦悩し、悲しくて虚しくて、そして――許せなくて、一度目はその少女に助けの手を差し伸べる選択ができなかった青年が、盗賊の少女の前に剣を手に立っている。魔物からその少女を助けるために。


「ユアンさん、奥にたくさんいるのがEランクの魔物グリーンゴブリン、そして手前の黒いやつが――Dランク相当のブラックゴブリンです」

「Eランクに、Dランクか。ケイリィ、俺が黒いのをやるから、ケイリィは――」

「分かりました、私が奥のやつらを倒します」


 そう言って目深にフードを被り、青年と一緒に現れた少女はそのフードの下から銀の短剣を取り出した。

 この人たちは誰だろう。

 死んでいたはずの少女の体は、頭は、その理解を遅らせる。

 だが、ここで少女は思い出す。私はこの二人を知っている。

 今日の朝出会った二人組、その二人組の一人、今目の前に立っている青年の銭袋を盗み、そしてすぐにばれて追いかけられ捕まったのだから。けれど。


「なんで……あなたが!?」


 盗賊たちでは誰も受けることのできなかったゴブリンの一撃をその剣で受けることができ、さらにはその剣を跳ね除けることができるのか。いや、それよりも――なぜ、あたしを助けてくれるのか。


「――助けにきたんだ」


 青年はその青年の魔力に鼓動する剣を手に、黒いゴブリンと向かい合ったまま、そう言った。

 助けにきた? 盗賊の少女はその言葉を思った。そして思い出した、この青年に「助けは求めないのか?」と聞かれたことを。じゃあ、なぜ? あの時は助けてくれなかったのに、今は助けてくれるのか?

 それに今後ろで緑のゴブリン達に近接し、目にも止まらぬ速さで振られる棍棒を軽々と躱しその銀の短剣を魔物の胸に刺し入れ、一撃で屠っているあの少女と、この青年の正体は一体!? ――魔猟なのだろうか。

 しかし少女はここで気づいてしまう。その事実に――。


「……まさか――勇者……」


 少女は、自分を守りながら距離を取った後再び攻めてきた黒いゴブリンと剣を交えている青年の左目が赤くなっていることに気付く。戦いの最中、片目が赤くなる人間のことはこの国に住む人間なら、誰もが知っている、もちろんそれはこの少女も例外にもれない。


「なんで! なんで勇者があたしを……助けてくれるんだ!!」


 少女は叫んだ。

 それほどに、声をあげずにはいられないほどに、その事実は少女にとっては有り得ない、存在するはずのないものであった。勇者は自分たちを見捨てた存在、それだけが今の彼女の中の勇者像になっていたのだから、身を張って助けてくれるはずなどないのだ。けれど――。


「ずっと迷ってた――でも、それはただ逃げてるだけって気付いたんだ」

 

 己の剣で、ブラックゴブリンの剣と互角の剣戟を交わしながら、なおも青年は言葉を続ける。


「怖かったのかもしれない。勇者である俺が、勇者に見殺しにされた君と関わる資格があるのかって……。でもそれは、俺の心が弱くて、君を遠ざけようとしただけだった」


 少女はその青年の言葉を、勇者である彼の言葉を、初めは信じられないという風に聞いていた。

 

 しかし、息を切らし必死になって、自分に振り下ろされた死の剣を止めてくれた勇者の姿。そして今も自分を守りながらゴブリンと戦い続ける勇者の姿、その二つの姿は歪んだ少女の勇者像を少しずつ溶かしていく、本来の、昔絵本で勇者の神話を見た時の姿に書き換えられるように。


「だから……! 勇者である俺が君を! 暗闇から引きずり上げる……!!」


 勇者の青年は、そう言った瞬間己の剣で、競り合っていたブラックゴブリンの剣の刀身を砕いた。

 ブラックゴブリンの存在、そしてその持っていた剣も魔力で出来ている。だから刀身の砕けた剣は、その存在の拠り所を失い、瞬時に空気に溶けていく。

 残ったのは唯一の武器を失った黒い魔物。勇者の青年はその無防備なブラックゴブリンに剣を振り切る。

 無防備な状態だったとはいえ、Cランクの牛頭の剣魔すらも屠ったその一撃をDランクの魔物が受けきれるはずもなく、一閃が走り、勇者の青年が通り過ぎた後の黒き存在は、その体を横一文字に両断されていた。

 

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