第一章 噂の後輩

1.

 時間は少し遡り、

 わたしが初めてあの子を見たのは四月の中ごろだった。





 四月の新学年、新学期らしい新鮮味の欠片もないある日の昼休み、


 わたしは遅れている美術の課題を進めるために美術室にいた。教室にはわたし以外にも何人かいる。課題に向かう子、それにつき合って横でお喋りしてる子、理由はそれぞれだけど。


 その教室の中がにわかに騒がしくなった。


 どうやら喧騒の原因は窓の外にあるらしい。みんな課題を放り出して窓のほうへ集まっている。いったい何があるというのだろう。


「司も早く早くっ」


 友人が窓のそばで手招きしている。


「なに? なにかあるの?」

「今話題の遠矢君。一見の価値ありなんだから。ほら、早く」

「はいはい」


 仕方なくわたしは絵筆を置いて友人のもとへと向かった。「あそこあそこ」と指さすほうを見ると、見目麗しい眼鏡の知的美少年がグラウンドの端を友達とともに歩いていた。薄紅色のネクタイをしているところを見ると新一年生らしい。


「あの子がどうかしたの?」

「どうかしたのじゃないわよ。今年の新入生の中で一番人気の遠矢君よ?」


 みんな叫んで手を振って、まるで街中で芸能人でも見つけたかのようなはしゃぎようだった。


「何それ? 一番人気って?」

「もちろん三年女子による人気投票の結果よ。あのきれいな顔と落ち着いた雰囲気で堂々一位の座に輝いたの」

「……」


 そんな人気投票に参加した記憶がわたしにないのはどういうことだろう。三年に上がって早々、一日だけ風邪で欠席したことがあったから、もしかしたそのときにやったのかもしれない。少なくとも不在者投票制度はなかったようだ。


「ただ残念なことに愛想がないのよね、あの子」


 友人は至極残念そうに、ため息まじりでそう言った。


 確かにそうらしい。こちらで騒いでいるのに彼はずっと本に目を落としたままだった。まぁ、愛想云々の問題以前に歩きながら、しかも、横に友達がいるのに本を読んでいるあたり、ある種の奇人変人の部類ではないかとわたしには思える。


「それでね、その横にいるのがナンバー2」


 人気投票に参加できなかったわたしに、友人は親切におしえてくれる。


 遠矢君と一緒にかわいらしい男の子が歩いていた。まだ背が伸びきっていないのか、遠矢君よりも頭半分くらい低い。目測だけど、たぶんわたしより低そうだ。


「あの子と遠矢君で三年女子の人気を三分してるの」

「ふたりで人気を三分? どういうこと? 三番目の勢力は何なの?」

「ふたりでワンセット派」

「……」


 何だか理解を超える世界になってきた――そう思っていると、当人たちが美術室の窓のそばを通り過ぎていった。


 会話が少しだけ耳に入ってくる。


「ねえ、遠矢。僕の話聞いてる?」

「聞いとるし、ちゃんとこうして返事もしとる」


 彼は本を読んでばかりいる友人の態度に不満を漏らしているようだ。遠矢君の顔を覗き込みながら話しかけたり、前に回って後ろ向きに歩いたりする姿がかわいらしい。遊んでほしくて周りをちょろちょろしてる仔犬のようだ。


「まぁ、そうなんだけどさ。無視されてるみたいで何かつまんなーい」

「知らん。そこまで面倒見きれんわ」


 そんな会話をしながらふたりは美術室の外を通り過ぎていった。


「……」


 なるほど。ふたりをワンセットで見てる子の気持ちがわかった気がした。クールな知的美少年とかわいい男の子のふたり組。不健全な想像を巡らせるには十分な要素らしい。


「あーあ、行っちゃったか。でも、まぁ、いいもの見たし、はりきって課題仕上げようっと」


 去っていくふたりの後ろ姿を見ながら、友人は残念そうにつぶやく。わたしの友人は視覚から燃料を取り入れることのできる特異体質のようだった。


 皆、次第に窓から離れ、それぞれの課題へと向かいはじめた。


 わたしはもう一度だけふたりを見た。あの子はどうやら実力行使に出たらしく、遠矢君の腕にしがみつき、ぶら下がっていた。まさしく喰い下がる、である。思わず小さく吹き出してしまう。


(あ、そう言えばあの子、何て名前だったんだろう?)


 通り過ぎていくふたりを見ているとき、横で友人が解説してくれていた気もするが、まったく耳に残っていなかった。


 まぁ、いいか。

 さして気にもせず、わたしも課題へと戻った。





 五月の初旬――


 こともあろうにわたしは校内で襲われかけた。


 体育館裏で四人の男子生徒に囲まれたのだ。そう言えば親友の円がしきりに「あいつらには近づくな」と言っていたのを思い出した。そんなこと言われても、向こうから近づいてきたのだからどうしようもない。そんな忠告は看板と一緒。落石も熊も鹿も、注意したところで出てくるときは出てくる。


 わたしは怖くて足が震えていた。これからどうなるのか考えたくもないけど、嫌な想像ばかり浮かんでくる。


 そこに現れたのがあの子だった。


「先輩から離れろ!」


 そう叫びながら竹刀を手に殴り込んできた。


「片瀬先輩、逃げてっ」


 彼の声をきっかけにわたしは一目散に逃げ出した。


 わたしはこの時間なら必ず誰かがいるであろう美術室に駆け込んだ。そこでしばらく何ごともなかったかのような顔で友達としゃべっていた。先ほどのことはクラスの誰にも話さず、先生にすら言う気はなかった。そう、すべてはなかったこと。心のうちに押し込めることで、何もなかったことにしようとしたのだ。


 次第に気持ちが落ち着いてくると、今度はわたしを助けてくれたあの子がどうなったかが気になりはじめ――三十分ほどがたったころ、わたしは適当な理由を言って美術室を後にした。


 おそるおそる体育館裏に行くと、そこであの子は傷だらけで倒れていた。竹刀一本で四人の不良を撃退した、なんて格好よくて都合のいい話はなかったのだ。わたしは一度校舎に戻り、濡らしたハンカチを持って彼に駆け寄った。


 彼はわたしに言う。


「たまたまあいつらが話してるとこを聞いちゃって。今ここで何もしなくて、後で先輩がひどい目に遭ったなんて知ったりしたら、絶対に後悔すると思って……」


 つまり彼は自分が傷つくこと以上に、自分が見て見ぬふりをしたことで誰かが傷つくのを嫌ったのだ。


(ああ、この子は……)


 なんて真っ直ぐな子なんだろう。

 わたしはそう思った。


 そして、何の前触れもなくこの子が愛おしく感じた。


 だから――


 だから、わたしは彼の頬に口づけをした。





 なんという不覚だろう。わたしはまた彼の名前を聞きそびれた。


 翌日からわたしはさり気なく彼を捜しはじめた。教室移動の際、ルートを変えて一年生の教室の前を通ったりもしてみたが、それでも見つからなかった。


 彼は三年女子の中では有名人らしいので誰かに聞けばすみそうなものだが、それは躊躇われた。変な勘繰りをされたくなかったし、そうなると彼にまで迷惑をかけてしまうかもしれない。


 そして、四日目、ようやくわたしは彼を見つけた。


 千秋那智――それが彼の名前だった。






 千秋那智。


 那智くん。


 それは不思議な名だった。


 その響きを紡ぐだけで幸せな気持ちになれた。わたしは何度その名をつぶやき、ひとり微笑んだことだろう。


 もっと彼のことを知りたいと思った。





 次に那智くんを見つけたのは第二体育館でだった。


 ある日の昼休み、わたしが友達数人とおしゃべりをしていたところ、そこに那智くんが友達と連れ立って入ってきたのだ。中には遠矢君もいて、わたしたちの間でちょっとした騒ぎになった。どうやら定番のスリー・オン・スリーをはじめる気らしい。遠矢君の話題で盛り上がる友達の話に相づちを打ちながら、わたしはこっそり那智くんだけを見る。


 ゲームがはじまった。


 途端、彼はどきっとするほど真剣な顔になった。一瞬にして目の前の敵を抜き去り、ゴールに向かってジャンプする。だけど、フォローに入った相手プレイヤも跳んで那智くんの行く手を阻んでいた。


 次の瞬間、わたしは魔法を見た。


 那智くんはシュートを撃ちかけた手を止めると、空中にいながらにして相手を避けてから改めてボールを放ったのだ。ボールはそれが当然であるかのようにリングを通った。


 それはきっとバスケットボールのテクニックのひとつだったのだろう。でも、わたしから見れば魔法にしか見えなかった。そうでなければ、彼の足には翼がついているに違いない。そう思った。


 次にわたしの目を奪ったもの――それは彼の笑顔だった。


 先ほどの真剣な顔から一転して満面の笑顔。シュートを決めた喜びからだろう、ただでさえ幼く見える顔が子どものように無邪気に笑う。わたしはその素敵な笑顔に見とれた。


「ふうん。なるほどねぇ」


 横で親友の四方堂円が感心したように声を上げた。


 見ると円もわたしと同じ方向に視線を向けている。那智くんを見つめていたことがバレた! わたしは何とか言い繕おうと慌てた。


「いや、あの、わたしは別に……」

「ありゃ上手いわ。スピードもあるし、空中でのボディバランスもいい。それにディフェンダの動きもよく見えてる。そうじゃないとダブルクラッチなんかできないもんね。あの思い切りのよさは、アタシは好きだけど、場合によっちゃ裏目に出るかも。それでも総合的にはレベルは高いわね。賭けてもいい。あの子、中学ンときに男バスでレギュラー張ってたね」

「え? ええ。そ、そうね」


 ほっと胸を撫で下ろす。


 どうやら円は純粋にひとりのバスケットボールプレイヤとして彼を観察していただけで、その体育会系思考はわたしが那智くんに目を奪われていた本当の理由にまでは行き当たらなかったようだ。


「円、ちょっときて」

「ん、なに? って、おっとと……」


 不意に思いついてわたしは円の腕を掴んで引いた。ほかの友達とは離れた場所につれて行き、話を切り出す。


「何も聞かずにわたしの頼みを聞いて」

「珍しいね、司がそんなこと言うなんて。……いいよ。で、なに?」

「あの子のことが知りたいの。どんなことでもいいから情報を集めてくれない?」


 わたしがそう言うと円は大きく目を見開いて絶句する。やはり驚きを隠せない様子だった。むりもない。わたし自身こんなことを言う自分に驚いているのだから。


「なに、司、あの子が気になってるの?」

「ち、違うわっ。わたしは別に那智くんとは――」

「那智?」

「……」

「……」

「何も、聞かないでって、言ったのに……。わたし、言ったのに……」

「アンタねぇ、壁に頭押しつけるほど自己嫌悪に陥りながら、そのくせ八つ当たり気味に人を責めるのヤメてくんない?」

「う、うん……」


 でも、ここ最近の自分の迂闊さにちょっと凹む。


 円はそんなわたしを見て面倒くさそうに頭を掻いた。


「下の名前で呼ぶくらいの仲なら本人に聞けばいいと思うけど。……まぁ、いいわ。一度は引き受けたし、アンタが動くと騒ぎになりそうだしね。じゃあ、まずはそこにいる我ら三年女子の憧れの的、遠矢クンにでもあたってみるか」


 円は早速コート脇で那智くんたちを見ている遠矢君に向かって歩き出した。


「ごめんね。変なこと頼んで」

「いいっていいって。気にしないの。それになかなか面白そうな展開になってきてるみたいだしね」


 そう言うと円は背中越しに手を振った。


(お、面白そう……?)


 今の円の言葉を聞いて微かな不安が頭をかすめる。

 もしかしたら人選を間違えたかもしれない。





 円が集めてきた那智くんに関する情報――


千秋那智ちあき・なち


・現在十五才(まだ今年の誕生日を迎えていないらしい)


・一年七組 普通科特別進学クラス(頭いい?)


・身長160cm(やはりわたしより小さかった)


・三年女子による人気投票では二位(ただし、これは多分に個人の好みに寄るところが大きい。それ以前に人気投票が行われたかも定かではない)


・性別に関係なく人に接し、女の子の友達も多いらしい(……。)


・現在、特定の女の子はいない模様(ただし、狙っている上級生の女の子は多いとのこと)


・特に仲がいいのは、出席番号の関係で席が前後になった遠矢一夜君。たいていいつも一緒にいる(特殊な関係ではないと思いたい)


・中学の時はバスケットボールに所属。ただし、レギュラーではなかった(これに関して円は納得いかないらしく、ずっと首をひねっていた)





 翌日、学生食堂で合流したときは、すでに円はこれだけの情報を集めていた。


「さぁて、これから楽しみだわ。撃墜王エースの司が、今度は別の意味で墜としにかかるのか。はたまた逆に撃墜されるのか。あぁ、楽しみ楽しみ」

「……」


 やはりわたしは人選を誤ったらしい。

 これでは週末に那智くんと一緒に遊びにいく約束があるなんて、口が裂けても言えない。





 これだけは誓って言える。

 この時点でわたしは那智くんの魅力に惹かれはしたものの、彼を手に入れようという大それた思いはなかった。


 だから、最初から一貫して人目につくところで声をかけるようなことはしなかったし、不自然な接触も避けていた。学年にしてふたつも上の女の子が周りをうろうろして迷惑をかけたくなかったからだ。


 ただ、ほんの少し、ほかたち女の子たちよりも近くで彼を見ていたかっただけ。


 けれども、そんなわたしの決意も少しずつ狂いはじめていた。





 あるころからわたしは少しおかしくなっていた。


 那智くんが気になる。


 円のおかげで那智くんと会う機会が増えた。それは那智くんを近くで見ていたいというわたしにとって都合のいい状況だったけど、会うたびにどんどん那智くんのことが気になっていく自分がいた。


 わたしはいつの間にかそれだけでは満足できなくなっていたのだろう。


 だから、夕陽の差し込む教室で、居眠りをする那智くんがかわいくて頬にキスをした。

 だから、女の子から告白を受ける那智くんを見て、誰かのものにならないでほしいと強く願っていた。

 だから、もう好きな人がいると言われて落ち込み、それが嘘だと聞いてほっとした。

 だから、円と仲よくしてるのを見て腹を立てた。


 わたしは那智くんのやることひとつ、言葉ひとつで一喜一憂する。こんなにも心が揺れている。


 いや、揺れているのではない。

 傾いているのだ。


 今やわたしの心は危険なほど那智くんに傾いていた。






 そして――

 ついにわたしは、那智くんが差し出したその手を取った。





「うわあ、円、どうしようー?」

「いや、どうしようも何も、アタシとしては"やったじゃん”としか言いようがないんだけど?」


 図書室での一件があった翌日の昼休み、円が女子バスケ部の部室に用があると言うのでクラブハウスまでつき合い、誰もいない部室で昨日あったことをすべて話した。


「今更ながらとんでもないことしてしまったって感じよ、わたしは」


 わたしは部室の中央に置かれた長机に突っ伏したままこぼした。


 対する円はわたしの正面に座っている。何やら探しものだか忘れものだかがあったらしいがそれもすぐに見つかり、わたしたちは誰もいないのをいいことに部室で内緒の恋話(コイバナ)をしているのだ。


「だって年下よ? 年下で、背もわたしより低くて、顔は格好いいっていうよりはかわいいってタイプで、性格は見たまま子どもで。でも、ボールを持ったときの真剣な顔が格好よくて、バスケも上手いし。ちょっと無鉄砲で危なっかしいけど、そこが……」

「もう帰れ」


 円がわたしの言葉を遮り、出入り口を指さしながらぴしゃりと言った。


「後半、ていうか、八割方意味不明だったけど、それは聞かなかったことにする」

「え、ええ、そうして。そのほうがわたしも助かるわ」

「とりあえず、司が何やら心配してることはわかった。でも、それって違くない? そんなの理屈じゃないでしょうが。なっちが手を握ってきて、アンタが握り返した。それが事実」

「うぅ……」


 昨日のことを思い出して、また恥ずかしくなった。足でバタバタと無意味に床を踏みつける。


「それで一歩か二歩か、はたまた半歩か知らないけど、ちっとは前に進んだのも事実。まぁ、アタシから見たら十歩くらい進んだと思うけど」

「前に進むも何も、わたしはこんなつもりじゃなかったのよ?」


 でも、気持ちに変化があったのは確かだ。


 那智くんが愛おしいという思いは最初からあった。誰かのものにならないでほしいとも思った。でも、実際にこういう展開になり、一夜明けて冷静になると少し怖くなってきた。


「あっそ。じゃあ、いいよ。なっちはアタシがもらっていくから。アタシ、けっこうなっちのこと気に入ってるんだ」

「ダ、ダメよっ! 那智くんはわたしの……」


 思わず立ち上がって叫んでいた。


 が、勢いよく放った言葉も尻すぼみに消えていった。円がニヤニヤと笑いながらわたしを見てたからだ。わたしの親友はいつからこんないやな性格になったんだろう? ……あぁ、最初からか。


「司、アンタ、ひとつ大事なこと忘れてる」

「なに?」


 わたしは聞き返しながらイスに座り直した。


「なっちの気持ち。下心ミエミエの妹尾みたいなやつなら兎も角さ、男が好きでもない女の手、握る? 単なる友達、単なる先輩にそんなことしないでしょうが」

「そうかも……」

「でがしょ? てことは、ベクトルの大きさはどんだけか知らないけど、少なくとも矢印の先はアンタのほうに向いてるってことじゃない? ……まぁ、尤も、なっちがホントに子どもで、深い意味もなく手を握ったって可能性もあるけど」

「……」


 ここにきてオチつけるとは思わなかった。わたしはこのいい性格をした親友を相談相手に選んだことを少し後悔した。


 と、ちょうどそこで昼休みの終わりを告げる予鈴がスピーカから流れてきた。


「はい、時間切れー」


 思わず深いため息がもれた。





 その日の帰り道、那智くんを見かけた。


 珍しくひとりで歩いている。でも、声をかける勇気がどうしても出なかった。たぶん、会えば人目以上に那智くん本人を意識してしまうからだろう。実際、昨日も一緒に帰っておきながら、恥ずかしさのあまりほとんど何も話していない。お互いの顔すら見てなかったように思う。


 しばらくの間、わたしは那智くんがギリギリ見える範囲で距離をあけながら後ろを歩いていた。駅五つ分電車に揺られ、降りたころには同じ制服を着た生徒は疎らになっていた。


(よし……)


 心の中で気合いを入れてから那智くんに歩み寄る。


 あと十歩ほどでその肩に手が届くというとき――、


「あ……」


 突然、那智くんが駆け出した。


 いったい何があるのだろう? そう思って那智くんの向かう先を見ると、そこにひとりの女の子がいた。


 染めていると思しき赤い髪のショートカットの女の子だ。着ているのは公立高校の制服。どこの学校かまではわからないけど。上着は脱いでいて、代わりに白のベストを着ている。歳や学年はわたしと同じくらいに見えた。


 顔立ちはいいのに柄が悪そう――そう思ったのは女の子が煙草を手にしていたからだろう。


 那智くんがその子の前に立つ。

 びっくりする女の子。


 那智くんはその口から煙草を引ったくると、そのまま地面に落として足で踏みつけた。


 まったく、何という子だろう。好んで煙草を吸っているような高校生をいちいち注意していたらきりがないというのに。そこが那智くんらしいと言えば那智くんらしい。少し顔が緩む。


 相手の女の子も最初は何か言い返していたようだけど、ついには根負けして降参した様子だった。ポケットから煙草の箱を取り出すと、それを那智くんの差し出した掌の上に乗せ、立ち去った。


 ようやく終わったらしい。わたしは改めて那智くんに声をかけようと決めた。今見たことを話題にして切り出せば少しは話もしやすくなるだろう。


 でも、また那智くんが駆け出した。


 先ほどの女の子を追いかける。そして、追いついて横に並ぶと、体当たりをするかのように肩をぶつけた。そのまま一緒に歩いていく。それは友達同士でふざけ合っているか、まるでじゃれつく仔犬のような仕草だった。


「え……?」


 一瞬、自分の目を疑う。


 那智くんが、楽しそうに笑っていた。今まで見た笑顔とはほんの少し、だけど、何かが決定的に違う笑顔。


 それはわたしの見たことのない横顔プロフィール


 女の子も鬱陶しそうに那智くんを押して遠ざけながらも、つられたように笑みを見せている。彼を見る目が優しい。


 ふたりが遠ざかっていく。


(あれ? なんだろう……?)


 ふいに地面が揺れた。地震だろうか?


 立っていられないくらい揺れてる。こんなときはどこに逃げればいいのだろう。建物の中よりロータリィの真ん中とかのほうがいいのだろうか。


 ああ、そうじゃない。


 揺れているのはわたしだ。

 わたしの頭だ。


 何だか頭がぐるぐるする。


 そんなぐるぐると回る風景の中、那智くんの姿が次第に小さくなっていった。

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