第25話 イカサマは報復の武器



 ※ ※ ※




 結局。

 その後は、匡の圧勝だった。


 その前の半荘二回のぼろ負けがなんだったのかというくらい、匡は圧勝した。

 それもそうだ。

 だって、相手がイカサマをする前に、匡はあがりを決めているのだ。


 しかもそれからは――役満ばかりを、あがった。


「ツモ。国士無双。役満・16000と900オール!」

「ロン。緑一色・四暗刻。ダブル役満・48000と2700!」

「ツモ。純正九連宝燈。役満・16000と1100オール!」


 もう、麻雀を打っているのか、匡の一人ショーを見せられているのか、わからない状態だった。


 卓を囲んでいる三司馬たちも、いったい何がどうなっているのかわからないという顔で目を白黒させている。

 気持ちは真樹にもわかる。

 麻雀はわからないが、彼らが匡にいたぶられていじめられているということだけは、よくわかる。


 しかし、こうなった匡は止まらない。


 悪乗りやおふざけも、許されると自ら決めた時には――彼は、残酷なまでに鬼になる。


 おそらく、自らそんな機会を選ぶことは一生はないだろうが、それでも真樹は、そっと心に誓った。




 ――匡を怒らせるのはやめよう。




「さて。三司馬が箱ったから、これで半荘終了な」


 さっきまでのあらぶりはどこに行ったのか、匡は何事もなかったかのように点数計算を始める。


 卓を囲んでいる三人は、疲れ切ったのか言葉を発するのも面倒そうだった。

 そんな三人に、匡は言う。


「二回戦までで、三司馬の点数は七万二千点。三回戦は箱ったから、ゼロ。それに対して、俺は二回戦が二万三千で終了して、今五万二千点だから、七万五千。つーわけで、差額三千点に、掛けるの千円で、三百万だな」


 かー、しょっぺーな。とぼやくように言う。


「まあいいや。とりあえず出すもんだせよ。金はあってこまんねぇし」

「………てめぇ。人をコケにするのもいい加減にしろよ」


 とうとう、三司馬がキレた。


「自分の立場わかってんのか!? 調子のってんじゃねぇぞ、クソガキ!」

「その言葉、そっくりそのまま返すぜ、クソ野郎」


 上機嫌だった口調を低くしながら、匡は言い返す。



「先に人をコケにしたのはどっちだ。確かに立場は違うかもしれねぇが、だからと言って、ルールをコケにすんのは、冒涜だ。俺だけじゃねぇ。世界中の、まっとうに勝負している奴らへのな」

「何をごちゃごちゃと、わけのわからねぇこと言ってんだ!」



 三司馬は怒鳴りながら、とうとう懐から、武器を抜いてしまった。




 黒光りする鉄の塊。




 それを匡に――ではなく、真樹に対して、向けてくる。



「く、ぅ」


 覚悟はしていた。


 匡があんな無茶をやったのだ。そりゃあ、こういう展開になるだろうとは思っていた。

 そして、その時に真っ先に狙われるのは、人質である自分であるということも。


 だからこそ、匡は真樹に謝ったのだし、そしてそれを覚悟の上で、真樹はうなずいたのだ。


 けど、やっぱり怖い。

 黒光りする鉄の塊を向けられて、足がすくむ。血の気が引く。気が遠くなる。


 覚悟していたはずなのに、やっぱり自分は、情けない。


「人質を、最初に殺すのか」


 ぽつりと。

 匡がつぶやくように言った。


「そりゃいい。もしそんなことしたら、鹿って証明することになるな。三司馬」

「なんだとッ」


 あっさりと、匡は言ってのける。


 その言葉に、真樹は内臓を直接つかまれたような寒気を感じた。目の端から涙がこぼれそうになる。――でも、こらえる。


 だって言ったのだ。


 一緒に地獄の底まで付き合うって。


 だったら――匡の言うことに、いちいちショックを受けていられない。

 それに、匡はただじゃ終わらせない。



「真樹ちゃんはもう、人質としての意味を持ってねぇよ」

「はあ? 御託並べてんじゃねぇ。だったら本気で殺してやろうかッ!」

「だからいいって言ってんだろ。ただし――」



 そこで匡は、まっすぐに三司馬の目を見つめる。

 正面から、静かに、鉄のように冷たい視線を向けて――そして、宣言する。




「そん時は、刺し違えてでも、この部屋の全員を殺す」



 匡は本気だ。


 元から、死んでもいいと思ってやっているのだ。


 成功条件の中に生き残るという項目を入れていない。現在匡の中での、この場での成功条件は、いかにこの部屋の住人に復讐するか。


 それくらい、腹に据えかねたのだ。


「そもそも、人質ってのは失ったら困る場合に機能するもんだ。自分もどうせ後を追うような状態で、まともに機能するかよ、ドアホ」

「じ、じ、じゃあ! 貴様を殺してやる!」


 言葉とともに、銃の照準を真樹から匡へと向けかえる。

 怒りのためか、三司馬の銃を握る手はカタカタと小刻みに揺れている。


 それを匡は、歓迎した。


「いいぜ、ほら撃て。さあ撃て」


 両手を広げて、迎え入れるように、言葉を重ねていく。

 余裕を見せつけながら、匡はにやりと、意地悪く笑ってみせた。


「なあ。三司馬。あんた、人を殺したことないだろ?」

「な、んだと」


 三司馬の表情が凍りつく。

 そんな彼に、匡は言い募るように言葉を重ねていく。


「そりゃあ、組の若頭張って、しかも実質的な指揮をとってんだから、人を死に追いやったことくらいあるだろうさ。死なせるように命じたことだってあるだろう。だが、自分の手で殺したことはないよな? そりゃそうさ。だってこのご時世、人を殺すには、あまりにも平和すぎる。なあ三司馬。人を殺すのって、すっげぇ難しいよな?」


 だからよ。と匡は笑う。

 可笑しそうに。

 可笑しくて可笑しくて仕方ないとでもいうように、笑ってから、まくし立てる。



「森口組と交渉じゃなくて戦争をしたいってんなら、好きなだけ撃ってみろよ。今おれたちを殺せば、森口さんはただじゃ置かねぇぜ? そういう事情がある。だからほら、やってみろ。おれは人間だからな。死ぬぜ? 簡単に死ぬぜ? たやすく死ぬぜ? あっさり死ぬぜ? ムカついてるってんなら、思いっきり鉛玉ブチ込んでみやがれやこの腰抜けチンピラが!」



「うぉおおおおおおおおおおッ!」


 発狂でもしたような咆哮をあげながら、三司馬は引き金を引く。


 骨の芯にまで響いてくるような重たい音が、室内に響いた。耳がキンとする残響が痛い。思わず目を閉じてしまった真樹は、その決定的な瞬間を見逃してしまった。


 一体、どうなった――?



「ったくよぉ」


 面倒くさそうな。


 それでいて、面白いことをこらえきれないとでもいうような、低く、押し殺した笑い声がこだまする。



「きひひ。これだから、早漏は扱いやすいんだよ。なあ」



 匡が三司馬を組み伏せていた。

 銃を握った右腕をひねりあげ、銃口を上に向けている。三司馬の体を押さえつけるように、匡は三司馬の体の上に乗っかっていた。


「ぐ、う。お、お、近江ぃいいいい!」

「うるせぇ! 黙れ」



 パンッと。



 ひねりあげた三司馬の手に、匡は自らの手を添えると、銃の引き金を引いた。

 上に向けて撃たれた弾丸は、天井に穴をあける。

 ……この上の階、人がいなければいいけど、と、半ば現実逃避気味に真樹は考えた。


「わめくな」

 どすの利いた声でそう言った後、匡は笑いをこらえるように続ける。


「せっかく思い通りにことが進んでいい気分なんだ。ちったぁ浸らせろ。なあ?」


 続けて匡は、三司馬から無理やり拳銃を奪い取る。

 そして、三司馬を組み伏せたままで、右手で銃を持つと、四方八方へと銃を向けた。


「フリーズ! アクション映画のご定番、動いたら撃たれるゲームってな! つーわけで、てめぇら動くなよ!」


 楽しそうだった。

 めちゃくちゃ楽しそうだった。


 それこそ不謹慎なくらい、テンションが上がって仕方がないとでも言う感じで、ハイになっているのが見ていてわかる。


「ぐ、お、近江!」


 よせばいいのに、三司馬はまだ何かを言おうとしている。


「これだけ囲まれた状態で、そんな脅しして、なんになると思ってる!」


 三司馬の言うとおり、室内にいる三司馬の仲間は、全員銃を構えて匡と真樹を狙っていた。

 三司馬が人質として機能しているから今はこう着状態となっているが、これなら、匡が一発撃つ間に、彼らは十発近い弾丸を二人に叩き込めるだろう。


 しかし、そんな三司馬の言葉にも、匡はまったく動揺したりしない。

 軽く三司馬の腕の締め付けを強くしてから、言う。


「はあ? どうなるって?」


 すべてを笑い飛ばすような口調で言いながら、匡は続けた。



、大馬鹿ども」



 瞬間、匡が三司馬の上から飛びのいた。


 急に自由になった三司馬はおろか、室内にいる誰も、その動きにあっけにとられた。

 匡は床に臥せっている三司馬を蹴飛ばしながら後退する。

 数メートルほど離れた匡は、手に持った銃を構える。



 そして――あろうことか、、銃弾を放ったのだ。



「い、っつぅ」

「な、何のつもりだ!」

「か、はは。かはは。いや、なんつーかさ」


 左腕から血を流しながら、匡は銃を投げ捨てた。


「銃で脅されてるのに、怪我の一つもないと、かっこ付かないだろ?」


 その言葉が最後だった。




 で、室内の扉が開かれた。




「いったい何事だ!」




 言葉とともに、武装した警備員が突入してきた。

 続けて、武装をした人間たちが数人、室内になだれ込んできた。


「銃を捨てておとなしくしろ!」


 四人の銃装備をした警備隊。このサングローリー号船内において、最大警戒レベルの警備を任されている者たちだ。


 それもそうだろう。


 消音もせず、ただ勢いだけで銃を撃てば、その音は外に漏れて当たり前だ。

 確かにこの麻雀ルームは防音が整っているが、それでも立て続けに騒ぎが起きれば、誰かが気付く。


 ましてや、極めつけは匡の放った天井への一発だ。


 上の階で人が傷つかなかったかどうかはわからないが、銃弾が放たれたとわかったら、このVIPだらけの船内、対処が遅れることは、大失態へとつながる。


 だからこその、この対応の早さ。

 そして、それを見越したうえで――匡は、完全なる被害者を演じたのだ。



「悪かったなぁ、三司馬」



 警備隊の姿に目を丸くしている三司馬に対して、匡は追い打ちをかけるように言った。



「チェックメイトだ」




 ※ ※ ※




 銃弾は左腕を貫通しており、その点がまだましと言えるところだった。

 しかし、もちろん大けがには違いなく、一応応急処置は取られたものの、安静を命じられていた。



「しっかし、てめぇは俺に迷惑をかけないと死ぬ病気なのか? 近江よ」



 そんな風に、森口敏和は苦々しそうな顔で言った。

 現在、医務室で診察を受けたところである。森口が来たことで、船医が席を外したので、簡単に状況を確認し合ったのだ。



「申し訳ないです……」

「まったく。てめぇらはホント、次から次に面倒事を増やしやがって」

「てめぇ『ら』?」

「こっちの話だ。お前には関係ねぇよ」


 吐き捨てるように、森口は言い捨てた。




 あのあと。

 羽柴組の連中は全員警備員に拘束され、連行されて行った。

 警備員の動きが早かったのは、ひとえに匡の発砲だけが理由ではなく、榎本や森口といった人間が、匡のことを探していたからというのもあった。


 聞くところによると、榎本もちょっとしたトラブルに巻き込まれたそうで、それが解決してからは、なりふり構わず、森口を呼んで、匡の捜索にあたったらしい。


 そして、発見した所には、羽柴組とのトラブルの後である。



「しかも、プラチナの流通ルートまではっきりと判明するとはな」

「や。別に狙ったわけじゃないくてですね。これは本当に不可抗力といいますか」



 普段なら、せっかく知った情報なので利用してやろうかと考えるところなのだが、今度ばかりはそんな気も起きなかった。何より、この船に乗ってから、森口には迷惑をかけっぱなしなので、これ以上面倒事を起こしたくなかったのだ。


 そんな矢先に、まさかこのような事態になるとは、自分の悪運もひどすぎる。


「てめぇが騒動を起こさなきゃ、あの分のプラチナはしっかりさばけただろうに。明らかに密輸入品だから、さすがに押収されるぞ」

「あー。その辺の公権力は、ちゃんと機能してるんすね、この船」

「当たり前だろうが。看過されてるのは、龍光寺グループの権力者たちが認めたものだけだ」


 そもそも、それもあって、今回のプラチナ探しが始まったようなものだった。

 羽柴組の独断で行われているこのプラチナ裏取引であるが、船側の許可がない状態で行われているので、判明したらもちろん差止めになる。無論、その際は出禁になるだろうが、同じ系列の暴力団である浪川組も、その煽りを受ける可能性が高い。


 だからこそ、浪川組としては、秘密裏に処理したい案件だったのだが。


 それを、匡が見事に台無しにした形になる。



「……すいません。なんかもう、ほんと色々」

「謝って済む問題じゃねぇが、まあ、今回も含めて、てめぇへの大きな貸しにしといてやる。そのうち呼び出すから、覚悟しておけ」

「……麻雀っすかね?」

「いや。ポーカーだ。随分腕が立つのが分かったからな。せいぜい期待してるぞ」


 にやりと笑って、森口は去っていった。


 どうやら、代打ちの仕事が決まってしまったらしい。

 ここ数年は遠慮していたのだが、ここまで迷惑をかけた以上、さすがに断る訳にはいかないだろう。しかし、ポーカーとは。以前は中国に連れて行かれたことがあるが、今度はどこに連れて行かれるのやら……。



 先への不安を覚えながら、匡は怪我をした腕を軽く確認する。そこに、船医が戻ってきたので、今後の経過などを話し始めた。




 ※ ※ ※




 医務室で治療を受けた後。

 軽くベッドで休んでいた匡の元に、同じく簡単な診察を受けた真樹が、神妙な顔をしてやってきた。

 拉致に軟禁、そして長時間の精神的恐怖。

 肉体的な怪我は殆ど無いとはいえ、精神的にかなり疲弊していた。


 そんな彼女を安心させるためか、匡は軽い調子で語りかける。


「ごめんって真樹ちゃん。結果的に助かったけど、怖い思いさせちゃったな」

「……いえ。それは別に」


 問題ではない。

 むしろ真樹は嬉しかったくらいなのだ。匡と危険を共にできたということに誇らしさすら感じている。


 だから今元気がないのは、単に疲れてしまっているだけだ。


「すみません。私の気遣いなんかさせてしまって」

「何言ってんだよ。おれが真樹ちゃんを気遣うのなんて当然だろ?」


 ニッと笑いながら、そんな風に匡は言った。


 治療がひと段落ついたため、医師が作業具を片づけるために席を立った。

 そのタイミングを見計らって、真樹は匡に尋ねる。


「あの……さっきの勝負なんですけど」

「うん? どうかした」

「あれはいったい、なんだったんですか?」


 『あれ』

 もう、そう言い表すしかない勝負だった。


 いったい何が起きていたのか。

 さすがにルールをよく知らない真樹でも、最後の怒涛の役満連続が幸運によるものなどとは思わない。

 おそらくは匡が何かやらかしていたんだろうとは思うが、それがなんなのかすらさっぱりだった。


「なんだったって言われてもなぁ」

 困ったように頭を掻きながら。

「まあ、こういうこと」


 言いながら、匡は手のひらを見せる。


 そこに、麻雀牌が一個だけ乗っていた。

 どうやらあそこからくすねてきたらしい。



 それを指で持って、絵柄を見せる。

 『』と書かれたそれを真樹が見たのを確認して、匡は一度それを握りこむ。

 続けて開いた手のひらには、『』という絵があった。



「え、……え?」


 すり替わった。

 しかし、どこですり替わったのかすらわからない。


「ちなみに、今おれが持ってる全部」


 そんなことを言って、匡は袖口やらポケットやらから、合計十五個の牌を出してきた。いったいどこに隠しているのかというくらいに、鮮やかな出し方で、真樹はぽかんと、あっけにとられてしまった。


「基本は、すり替えと、ガン牌――要するにしるしをつけるってことなんだが。この二つを使って、どの牌が何かを判断して、欲しいもんを掏り取ってきていただけだ」

「そ、そんな。簡単に言いますけど」

「簡単じゃないよ。でも、訓練次第でできないことはない」


 実際に匡は、訓練の挙句にこれを習得しているのだから。



「仕掛けを打ったのは、台を換えてからだな。ほら、『中』が六枚もあって、おれがキレた時があっただろ? あの後台が変わるときに、十五個ほど、牌を拝借していたんだ。それから、その十五個をほかの牌と交換したり、赤下の手牌から牌を抜いたりして、自分に都合のいいようにゲームを進めた」


 おもむろに、匡はテーブルにばらまいた十五枚の牌を二段に重ね始める。そして、牌をとるような動作をとりながら、解説をする。


「一番効率がいいのは、ツモのすり替えってやつでな。牌をツモるときに指先で絵柄を判断して、もし必要ない牌だったら、すぐ隣の牌とすり替えるんだ」


 二段に積まれたうちの一段目を指でつかみ、その次の瞬間、すぐ隣の牌とすり替えた。

 音もなく、また注視しなければ見逃してしまいそうなくらい自然で素早い動作だったため、真樹は目を丸くする。


「いらん牌が入ってくるのを極力抑えられるし、何より山の状況をいち早く把握できる。昔から使われているイカサマの一つだよ」

「ぜ、全然そんな風には見えませんでしたけど……」

「わかるようにやったら、イカサマがばれんだろ。まあ、結果はあからさまではあったけど、麻雀は特に疑わしきは罰せずが基本だ。イカサマの現場、それこそすり替えている瞬間を押さえられたら終わりだっただろうが、そんなへまはやらかさねェよ」



 きひひ、と楽しそうに笑う匡。


「ただまあ、役満連続はさすがにきつかったけどな。どうせならやってやろうと意気込んで三回頑張ってみたけど、無茶もいいところだった。最後の純正九連なんて、さすがに指がマヒしてきて何度牌を落とそうとしたか」


 対局中の匡の仕草は、すべてがイカサマをするためのものだったのだ。


 思えば、一番初めの役満、天和の時が顕著だ。

 あの時匡は、演出のために一度牌を伏せて、一つ一つ表にしていった。

 あの大げさな仕草は、すり替えを行うために必要な仕草だったのだ。


 逆に言えば、そんなあからさまなことをしても、すり替えそのものは見破れないほど、高度な技術であったということでもある。



「でも。それじゃあどうして、最初から使わなかったんですか?」



 確かに、真樹を人質にとられているという関係上、妙な真似は出来なかったというのはあるのだろう。

 だからこそ匡は、イカサマを始める前に、真樹に覚悟を問うたのだ。

 あんなにあからさまなプレイングをすれば、勝っても負けても、三司馬と争いになってしまうのだから。



 しかし、匡ならば目立たずに地味なイカサマを行うこともできたはずだ。


 そうやってちょっとだけ有利に対局を進めるくらいだったら、最終的にあんな乱闘騒ぎを起こさずに済んだはずなのに。


 その疑問に、匡は少しきょとんとした顔をした後、ふっと表情を緩めた。



「あのね真樹ちゃん。本来、イカサマってのはしちゃいけないもんなんだよ」


 思った以上に常識的な答えが帰ってきた。


「え、と。それはそうでしょうけど」

「おれが、曲がりなりにもイカサマの基本を押さえているのは、相手がイカサマを使ってきたときに対応できるようになんだよ」


 手の中で麻雀牌を弄びながら、匡は続ける。


「相手に好き勝手やらされるだけじゃなくて、ちゃんと対等に戦うため。だから、イカサマってのは相手が使ってこない限り使っちゃいけないんだ」



 それは、ギャンブルの、ひいてはゲームそのものの公平性を欠くものだから。


 その匡の言葉に、真樹はようやく彼が怒った理由について腑に落ちた。


 この勝負は、相手から持ちかけてきたものだった。

 そして、勝ち負けについての取り決めをきちんと決めて、ゲームのルールにのっとって勝負をするというものだったはずだ。

 しかし、それを相手側は最初から守る気がなかった。

 ただ匡をコケにするためだけに、麻雀を利用した。


 だから――彼は、怒ったのだ。


「ま、あんなに馬鹿にされたのなんて久しぶりだったから、ついついキレちゃったんだけどね。そのせいで真樹ちゃんに命張らせちゃったことは、本当に悪いと思ってるよ。まだまだ、おれも子供だ」

「そんな、ことは」


 謝らないでほしかった。


 だってそれをやられたら、真樹の喜びが、意味のないもののように思えてしまうから。


 それを言いたくて、真樹は口を開いた。



 その時、病室の扉があいた。



「羽柴組の対処は終わったで。匡君」


 榎本だった。

 麻雀ルームに警備員が押し入った時、少し遅れて彼女もいっしょに入ってきたのだった。さすがにそれは読めなかったのか、匡は彼女の姿に驚いていた。


 すでに状況が収束しているのを見て、榎本は柄にもなく腰を抜かして安心していた。

 一言匡に対して「この馬鹿もん」と文句を言った後は、警備員とともに羽柴組の拘束に参加し、今に至るという感じだった。


 彼女はちらりと真樹に意味ありげな視線を送った後で、匡に向き直って言った。


「なんや、プラチナがどうとか、込み入った問題があるみたいやけど、問題としては匡君たちの監禁と傷害やな。そのへんは、まあ船から出てしもうたら終わりやけど。せやから、今のうちになんかしときたいことあるか?」

「いや。別にどうでもいいよ」


 あっさりと匡は、つい先ほど殺されかけた相手のことを流した。

 その代わりとでもいうように、彼は榎本に問う。


「それより、あのディーラーはどうなった? 組員殺した奴が、羽柴組に連れて行かれてったんだが」

「ん? ディーラーってなんのことや?」

「ちっ、さすがにその辺りは仕事が早いな。隠しきったか」


 苦々しそうに匡はつぶやいたが、すぐに話を切り替える。


「おれたちが拘束されたのには、ちょっと込み入った事情があってな。なんか出来過ぎというか……なあ。榎本。おれは、龍光寺紗彩に、お前との待ち合わせ場所が変更になったって言われてあの部屋に行ったんだが、どうなんだ?」

「……やっぱり、サーヤちゃんやったんやな」


 ふぅ、と一息つくようにして、榎本は口を開く。


「正直、うちにもようわからんことができてしまったから、全部を説明するっちゅーのは無理や。せやけど、当初話そうと思うとったことは、言おうと思う」


 せやけど、と言って、彼女は真樹に視線を移した。

 じっと、まるで敵意でもあるかのように睨みを利かせる。


「そこの子は、出来れば聞かんとって欲しいんやけどな」

「うん? 真樹ちゃんには内緒なのか?」

「そりゃあ、龍光寺グループの暗部ともいえる話やからな。できることなら、極秘にしておきたい。匡くんに話すんは、あんはんがこの問題を解決できるかもしれへんからなんよ。だから」


 そう榎本は、真樹を邪魔だということを隠そうともしない視線を向けてくる。


 言いかけていたことも言えず、なんとなく居心地が悪かった真樹は、その言葉に余計に居場所をなくしてしまう。


「うーん。じゃあ、悪いけど、真樹ちゃん少し外してくれる? あ、でも。正直目を離すのは怖いな」

「やったら、警備員連れてくるから、それまで待っといてな」


 そう言って、榎本は立ち上がってさっさと病室を出て行った。

 残された二人は、なんとも微妙な空気に包まれる。


「んー。ごめんね、真樹ちゃん」

「いえ。それはいいんですが」

「しかし、榎本の奴、妙な態度だな。もしかして真樹ちゃんのこと嫌いなのかもな」


 ドキリ、と真樹は痛いところを突かれた様な気分になる。


 思い当たる点などはないのだが、榎本の自分に向けての態度が冷たいのは前からなんとなく思っていたことだった。

 いったい何が悪いのかは知らないが、彼女はあまり真樹と友好的ではない。


 これまでの人生で、他人から嫌われた経験と言うのが少ない真樹には、理由も分からない敵愾心と言うのはちょっとしたストレスでもあった。


 そんな答えの出ないものに悶々としている間に榎本が戻ってきて、その場はなあなあとなった。







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