3.「君には着物は似合いませんね」

 僕たちは徒歩で佐伯邸へと向かう。


 前はトオル氏の車で道路に沿って走ったが、今回は住宅地を突っ切るようにして歩いた。前回も思ったことであり、こういて歩いていると改めて思うが――やはりこのあたりは敷地面積の広い家が多い。意外と高級住宅地なのかもしれない。


 道すがら佐伯さんが聞いてくる。


「ね、ゆーみさんは元気?」

「相変わらずですよ」


 活力に欠けるというか、気が向いたときにしかやる気を出さない猫みたいやつだ。


「わたしたちのことは? 何か言ってた?」

「いえ、特には」


 思わず今朝のことを思い出し、


「うちにきたのは一回だけで、後はもう一回外で僕と佐伯さんが一緒のところを見られていますが、まぁ、それだけじゃバレたりはしないでしょう」

「……」


 そこで佐伯さんはなぜか無言。横目で彼女を見てみれば、軽く天を仰いでいた。


「いつ気づくかなぁ?」

「さて、どうでしょうね。この調子だと、おしえるまでわからないんじゃないですか」

「……」

「……」


 彼女はちらとこちらを見――深々とため息を吐いた。





 程なく佐伯邸に到着した。

 思っていたほど距離はなかった印象だ。住宅地を通って最短ルートを歩いたからだろう。


 前庭を横切って玄関ポーチへと向かう。前庭の隅には車庫スペースがあり、クーペが停められていた。運転手が朝から酒を楽しんでいるのなら、この車も今日は正月休みだろう。


「ただいまー」


 佐伯さんが玄関ドアを開ける。


「おかえりなさい。……お久しぶりね、弓月さん」


 出てきたのは佐伯さんの母、冴子さん。少し下がり気味の目が愛らしい方だ。今は目尻をさらに下げて笑みを浮かべている。佐伯さんの母親だけあって際立った美貌の持ち主で、さすがに姉というにはむりがあるが、それでも年よりもはるかに若く見える。髪はいつものように短いポニーテール風にアップにしていた。


「明けましておめでとうございます」

「ええ、明けましておめでとう。今年も貴理華をお願いしますね」


 挨拶は程々にして、さ、上がって――冴子さんはそう言うと、来客用のスリッパを出してくれた。佐伯さん母娘の後についていくようにして廊下を進み、リビングへと這入る。


「おお、弓月君。よくきてくれたね」


 そこにいたのは佐伯さんの父、トオル氏。まだそんな年ではないであろうに、耳の上あたりの髪に白いものを混じらせてはいるが、活力にあふれた男性だ。


 正月は朝から飲むという話だが、今はテーブルの上はきれいに片づけられている。一日飲みっぱなしというわけではないようだ。代わりに正月特番を見る傍ら読んでいたらしい実用書が無造作に置かれていた。おじさん自身は思っていたよりも普通。飲んでもあまり変わらない人なのだろう。


「明けましておめでとうございます。昨年は何かとお世話になりました」

「いやいや、世話になったのはこちらほうだ。今年もどうかよろしく頼むよ」


 ……いや、心なしか尊大かもしれない。


「さぁ、立ってないで、座ってゆっくりするといい」


 僕はトオル氏に勧められるままソファに腰を下ろした。対面ではない。ソファはL字に配置されているので、おじさんから90度転写した座標になる。


「お父さん、弓月くんは挨拶にきただけなんだから、あまりしつこくしたら迷惑よ」

「いいじゃないか。せっかくきてくれたんだ。少しくらい話でも」

「もう」


 言うことを聞かないトオル氏に、佐伯さんは腰に手を当て、ため息を吐く。


 そんな父と娘のやり取りの間に冴子さんが紅茶を出してくれた。どうやら僕の訪問に合わせて用意してくれていたようだ。軽く頭を下げ、頂く。


「そうだ、弓月くん。初詣には行った? まだなら今から行かない?」


 僕を父親から引き剥がそうと、佐伯さんがそう提案してきた。


「いいですね。僕はまだです」

「わたしもまだ。じゃあ、用意してくるから。待ってて」


 そして、彼女はリビングを飛び出していった。


 残された僕はトオル氏と言葉を交わす。まだこの人とは数えるほどしか会ったことはないが、普段よりも口数が多く陽気に感じた。今は飲んでいなくても、多少酔いは残っているようだ。


 僕のこと、佐伯さんのこと、学校のこと、いくつかの話題について小父さんと話をしたが、未だ佐伯さんが戻ってくる気配はない。ずいぶんと用意に時間がかかっているな――と思ったところで、小母さんも紅茶を出してくれたっきり姿を見ないことに気づき、遅まきながら佐伯さんが何をしているのかを理解した。


 程なくして廊下から足音が聞こえてきた。


「ようやくお披露目のようですね」

「ああ、そうらしい」


 トオル氏が笑う。


「お待たせー」


 お色直しを終えた佐伯さんの再登場だ。


 リビングの入り口に背を向けて座っている僕は、腰をひねり、そちらを見た。そこには予想の通り、赤い着物姿の佐伯さんが立っていた。髪はアップにして髪留めでまとめられている。


「似合う?」

「ええ、よく似合ってますよ」

「えへへー、やったァ」


 両の握り拳を口に当て、照れながらも嬉しそうに喜びを表現する佐伯さん。


「あらまぁ、子どもみたいにはしゃいじゃって」


 隣では着付けを手伝ったらしい冴子さんが、呆れつつ微笑んでいる。


 さて、反射的にというべきか、素直にというべきか、似合っていますと答えた僕だが、実はかすかに違和感を感じていた。確かによく似合ってはいる。が、何か引っかかってもいる。髪が鮮やかなブラウンだからだろうか。いや、それは関係ないな。もっと別のことだ。


「じゃ、行こっか」


 ともあれ用意はできた。


「それでは失礼します」

「ああ、今日はわざわざきてくれて、ありがとう。またゆっくり話をしよう」


 僕は立ち上がり、小父さんに頭を下げてリビングを後にした。


 小母さんは玄関まで見送るつもりらしく、廊下を行く僕たちの後をついてきていた。その最中、佐伯さんが口許を隠し、僕に囁く。


「因みに、一度脱ぐと自分では着れません」

「……脱がなければいいでしょう」


 親が後ろにいるこの状況で何を言い出すか。


 玄関で履いてきたスニーカに足を突っ込む。もちろん、佐伯さんは着物に合わせ、履物は草履だ。


「お邪魔しました」

「貴理華を先に帰国させてひとり暮らしをさせると決めたときは不安で仕方なかったけど。近くにこんなしっかりした先輩がいるなら安心だわ。またいらしてね?」


 冴子さんに見送られ、僕らは家を出た。 寒々しくもどこか改まったような、新年を迎えて空気が入れ替わったような元日の空の下に身を晒す。


「さ、どこの神社に行く?」


 そして、佐伯さんの第一声がこれだった。問われた僕はひっくり返りそうになる。


「決めてなかったんですか? てっきり近くの神社にでも行くんだと思ってました」

「あるにはあるし、別にそこでもいいんだけど、せっかく張り切って着物も着たんだし、もっと大きいところに行きたいじゃない? ……あ、そうだ。一ノ宮に大きな神社があったよね?」

「ありましたね」


 大昔にいわゆる格差婚で話題になった芸人と女優が結婚式を挙げたところだ。


 そのことを話すと佐伯さんは、


「そこにしよう。何となく縁起がよさそうだし」

「そうですか?」


 その何年か後には離婚したと記憶しているのだが。


 佐伯さんは手にした巾着を振り回しながら、弾むような足取りで颯爽と歩いていく。


「ああ、そうか」


 僕はその背中を見て、思わず発音した。


「ん、なに? うなじが色っぽいとか?」

「いや、まぁ」


 そう思わなくもない。普段の長い髪を流している姿もいいが、たまにはこうしてほっそりとした首筋を晒しているのも悪くはない。


「よかったらちょっと着物が乱れるくらい後ろから抱きしめて、首筋から耳まで責めてください。わたしはそれだけでけっこういけます」

「何をわけのわからないことを……」


 相変わらずの佐伯さん的発想だ。


 僕はため息で一拍してから、


「やっぱり君には着物は似合いませんね」

「ここで前言撤回!?」


 大袈裟に驚く佐伯さん。……こういうところなのだろうなと思う。


「いや、似合っているとは思いますよ、とても。でも、佐伯さんは快活だから、着物というイメージではないんですよね」

「ひっどーい。せっかく着物でキメたのにぃ」


 彼女はぷいとそっぽを向くようにして踵を返し、歩き出す。


「……」


 少しばかり機嫌を損ねてしまったか。どういう言い方をしたところで、女の子に対し今着ている服を否定するのは、怒らせることにしかならないな。普段の元気な佐伯さんが好きですよと言っておくべきだろうか。


 と、思っていると、


「ふーんだ。今に見てろ。わたしが着物も似合うおしとやかな女の子だってところを見せてやるんだから」

「今にって、いったいいつですか?」


 僕は彼女の横に並ぶ。


「さぁ? 知らなーい」

「……」


 まぁ、いいか。そんな佐伯さんが見れるなら楽しみにしていよう。きっとそれも彼女の一面なのだろう。


 佐伯さんは特に本気で機嫌を悪くしたわけではないようで、この後、僕たちは電車に乗って一ノ宮の神社に向かい、初詣を果たしたのだった。





 そして、翌日。

 佐伯さんから電話がかかってきたのは昼過ぎのこと。着信音を鳴らす端末を手に取り、通話に出る。


『きちゃった』

「……」

『……』

「……」


 僕はしばし考え、


「今すぐ帰ってください」

『門前払い!? 普通この場合どこにって聞くと思うんですけどー』


 厄介ごとを持ち込まれそうなときは、その話すらさせず、聞かないのが最大の防衛策である。


「……今どこですか?」


 とりあえず期待に応えて聞いてみる。どうせ駅あたりだろう。駅名は普段の話の中で言ったことはあるし、それを覚えていても不思議ではない。


『家の前』

「嘘ですよね?」


 僕は間髪入れず聞き返していた。


『ぴんぽーん』


 しかし、僕の問いには答えず――彼女が口にしたのはそんな擬音。


 直後、玄関チャイムが鳴った。……本当だった。


 僕は端末を放り出し、部屋を飛び出した。短い廊下を進み、ゆーみが無意味に建造中のバリケードを避け、二階から階下へと駆け降りる。リビングでは母が今まさにインターフォンに出ようとしていた。


「出なくていいです。僕の友人です」

「え? そうなの?」


 母を声で制してから玄関へと向かう。

 ドアを開けると、そこには笑顔の佐伯さんが立っていた。


 今日の彼女は、赤いチェックのミニスカートに、同じ柄のレッグウォーマー。袖口に白のボアのついたやわらかそうな黒い上着に、首の周りにはマフラーを巻いていた。全体的にかわいらしさが前面に出ていて、短いスカートもそれほど挑発的には見えない。


 僕はがっくりと項垂れた。


「誰に聞いたんですか?」

「ゆーみさん」

「……」


 そういえば昨日、こたつでずっとスマートフォンをいじっていたな。佐伯さんとやり取りしていたのか。


 と、そこに、


「恭嗣、お友達?」


 出てこなくてもいいのに、母まで出てきてしまった。


「あ、お母様ですか?」


 お母様?


「わたし、水の森の一年生で、佐伯貴理華と言います。学園都市では弓月さんと家がすぐ近くで、とても親切にしていただいてるんです」


 弓月さん?


「今日は近くまできたものですから、挨拶をと思って立ち寄らせてもらいました」

「あら、そうなのね。それはそれはわざわざご丁寧に」


 礼儀正しい少女の出現に、母の頬はすっかり緩んでしまっている。……人それを術中にはまるという。


「恭嗣、せっかくだから上がってもらったら?」

「いえ、部屋が散らかってますので、彼女に失礼です。……少し出てきます。佐伯さん、ちょっと待っててください」


 僕は一度部屋に戻り、外出着へと着替えた。コートを羽織り、再び階段を降りる。途中から母と佐伯さんの談笑する声が聞こえてきた。一階に降り立つと母が小走りに駆け寄ってくる。


「佐伯さんってとてもいい子ね。すごくかわいらしいし」

「……知ってます」


 困ったところも持ち合わせているが。


 彼女のことをすっかり気に入ったらしい母を振り切り、僕は玄関を下りてスニーカに足を突っ込んだ。


「行きましょう、佐伯さん。……いってきます」


 佐伯さんの横をすり抜け、先に外へ出る。背後では彼女の「失礼します」の声が聞こえ――ドアが閉まり切る直前、遅れて彼女も表へ出てきた。


「お母さん、いい人じゃない」

「……」


 本当にいい人なら人を裏切ったり欺いたりしないものだ、と言いかけて、その言葉を飲み込む。

 女というのは、よく知りもしないうちから相手のことを褒めて持ち上げることのできる生きものなのだろうな。


「で、どうだった?」

「どうって……」


 ああ、つまりは昨日のおしとやか云々の話の続きだったわけだ、これは。


「微妙におしとやかとは違う感じですね」

「むぅ」


 難しいなー、と腕を組み、首をひねる佐伯さん。まぁ、かわいくはあり、僕もおおいに見惚れたが。


「君はこのためだけに、わざわざきたんですか?」

「それもあるけど、やっぱり一日も欠かさず毎日弓月くんと会いたいなぁと思って

「……」


 そうか。明日には学園都市のマンションに戻って、また佐伯さんと寝食をともにする日々がはじまるのか。


 結局、年末年始も僕は彼女を中心にした運動だったな。

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