5.「それはこっちの台詞ですよ」

『どうなっているんだね、いったい!?』


 それが小父さんの第一声だった。


 僕のほうこそ小父さんに聞きたいことがいくつもあったのだが、こんなふうに先制攻撃を喰らうとは思わなかった。しかも、何を問い質されているのかわからない。


「どういうことでしょうか?」

『まだ若いし喧嘩くらいはするだろうと、貴理華がこっちに帰ってきたときも何も聞かずにいたのだがね』


 小父さんは己の頭をクールダウンさせるように、そこで一拍おいた。


『今日、学校を休んだよ』

「え?」


 学校を、休んだ?


『部屋に閉じこもったまま出てこないんだ。病気ではないようなんだが』


 不意に僕は、今日の浜中君の言葉を思い出した。佐伯さんの様子を聞いたときのことだ。



『知るかよ、そんなの』

『その足で教室まで行ってみたらいいだろ。すぐにわかるから』



 あれはこのことを言っていたのか。休んでいるのだから知るはずがない。教室までくれば、彼女が今日は欠席していることがわかる、と。


 原因は、やはり昨日の屋上での一件だろうか?


「すみません。先にいくつか聞いていいでしょうか?」


 確認しておかなくてはならない。


『何かね?』

「水の森にいる桑島聖という生徒のことです」


 小父さんが勤める会社『F.E.トレーディング』の社長の息子であるという桑島聖――。


『なんだ、君の知り合いだったのか』

「いえ、そういうわけでは」

『知っているかもしれないが、うちの社長の息子さんでな。それを知ったのは帰国が決まったときなんだ。まさか娘を入れた学校に、社長のご子息がおられるとは思わなかったよ。せまいものだな、世の中は』


 そう愉快そうに語るトオル氏。


「それで、ふたりを交際させることにしたんですか?」

『……なに?』


 だが、その雰囲気も次の瞬間には凍りついた。


「親同士、そういう約束が交わされたんじゃないんですか?」

『……』


 そして、無言。


『つまり君は、私が娘を政略結婚に使ったと?』

「違いますか?」


 長い沈黙の後、小父さんは深いため息を吐いた。


『残念だよ。君には前に妻の話をして、そのときに理解してくれたものだと思っていたが』

「あ……」


 思い出す。

 佐伯さんのお母さんは、良家の娘ゆえに政略結婚に利用されそうになったのだと。そして、その話を聞かせてくれたとき、小父さんは僕に言ったはずだった。


 そのときの言葉と重なるように、電話の向こうの小父さんは言う。


『私は娘に自分の都合を押しつけたりはしないし、ましてや出世の道具にしたりは断じてせんよ』


 そうだ。

 佐伯トオルという人は、そういう人物だった


「すみません。僕のほうに大きな勘違いがあったようです」

『いや、いいんだ。とは言え、社長には同じ学校に通う歳が近いもの同士、仲よくしてやってほしいと言われたのも確かでね、貴理華にもそう伝えたよ』

「そうでしたか」


 でも、その程度なら普通だろう。社交辞令としても普通だろうし、年の近い子を持つ親同士の会話としても普通だ。

 そうなると、親に何かを強制されたわけではない、という佐伯さんの言葉は本当だったわけだ。


 では、どうしてこんな事態になっているんだ? 桑島先輩が自分の立場を利用して、彼女に無理強いしているのか?


『話は戻るが、いったいどうなっているんだね』

「それは……」


 何をどう説明したものか迷う。


「佐伯さんが学校を休んだのは昨日あったことが原因だと思いますが、今はまだそれ以上は話すことができません」


 僕自身まだ何も把握できていないのが実情だ。


「少し時間をいただけないでしょうか。必ず解決しますので」

『……』


 小父さんはどうするべきか考えているらしく、少しの間沈黙が続いた。


『わかった。君のほうがどうかすると男親の私よりも貴理華のことを理解してるかもしれないからな。任せよう』

「ありがとうございます。それでは失礼します」


 僕は電話を切り、端末を折りたたんだ。


 ため息をひとつ。

 さて、さっそく明日、桑島先輩に会いにいってみるとしようか。





 翌日。

 こういうときに限って思い通りにことは進行しない。


 昼休みになったら桑島先輩のクラスに乗り込もうと考えていたのだが、その直前となる四時間目の終了間際、授業の五分延長が宣言されたのだ。先生としてもキリのいいところまで説明してしまいたかったのだろうが、ただでさえ集中力がどん底まで落ちる時間帯、ロスタイム中の生徒は完全にやる気ゼロだった。


 かくして、長い五分間が終わる。果たして延長分の内容を覚えている生徒がどれほどいるだろうか。


 授業終了の礼が終わると同時、皆それぞれの昼食タイムへと突入する。弁当を取り出して友達のところにいくもの、先生よりも早く教室を飛び出して学食へ向かうもの……。


 そして。


 出ていった先生と入れ替わるようにして、教室に入ってきた人物がいた。学食組のクラスメイトのひとりが戻ってきたわけではない。


 ノンフレームの眼鏡をかけた、嫌味なほど知的な印象の面立ち。

 桑島聖だった。


 彼は入ってすぐのところで教室内を見渡し――僕にフォーカスした。


 再び歩を進め、未だ席に座ったままの僕の脇に立つ。いきなり入ってきた普段縁のない上級生に目を向けたクラスメイトも少なからずいたが、多くはようやくはじまった昼休みでそれどころではなく、あまり気にしていないようだった。


 桑島先輩は眼鏡のブリッジを押し上げながら切り出してくる。


「……話がある」

「いいですよ。僕もちょうど先輩に話がありましたので」


 こちらも、見下ろしてくる視線を正面から受け止め、応じた。


「そうか。なら、ついてこい」


 桑島先輩は廊下のほうを顎で示し、背を向ける。教室を出ていくその後ろ姿を僕も追った。


 昼休みの廊下を黙って歩く。

 途中、僕のところにくる前に買ったらしい缶コーヒーの二本のうち一本をこちらに差し出してきた。


「やるよ。昼メシ後回しでつき合わせてるしな」

「……どうも」


 僕は受け取った缶に目をやる。……コーヒー、ね。


 会話はそれだけだった。


 着いた先は特別教室が集まる校舎へと続く渡り廊下。何の因果か、学園祭二日目のあの日、佐伯さんと桑島先輩が一緒にいるのを目撃した場所だった。


 渡り廊下は思いのほか人気ひとけがなかった。昼休みがはじまったばかりのこんな時間に、向こうの校舎に行く生徒などいないからだろう。放課後なら特別教室を部室として使っている文化部もあるが、昼休みまで自由に使えるわけではない。


 渡り廊下で僕らは窓に寄り添いながら対峙する。


「さっそくだが――」


 と、先に桑島先輩が口を開く。


「お前ら、いったいどうなってるんだ?」

「は?」


 昨日も違う人の口から聞いた台詞だ。


「お前ら、とは……?」


 僕は念のために聞いてみる。――或いは、無意味な質問。


「お前とキリちゃんだよ。決まってるだろ」


 佐伯さんは彼を『聖さん』と呼んで、桑島先輩は彼女のことを『キリちゃん』と呼んでいるようだ。胸に何か重たいものがのしかかってきた気分だ。


「キリちゃんはお前のことを、近くに住んでるただの先輩って言ってたけどな」

「……」


 これはさすがに先のとは比べものにならないくらいの衝撃だ。


 ただの、先輩?


「そんなわけあるかよ」


 だが、桑島先輩はそれを笑い飛ばす。


「仲がいいのは見ててわかる。ただの友達じゃないんだろうなってな」


 彼は缶コーヒーのプルタブを引き上げた。小気味のよい音が響く。


「それに有名だしな。変人弓月が宝龍美ゆきに続いて、今度は佐伯貴理華を捕まえたって」

「へ、変人……」


 なんだ、その失礼な人物評は。


「お前、まさか自分がそうじゃないなんて言うつもりじゃないだろうな? 自覚しろよ、変人」

「……」


 そう言えば、前には雀さんにも言われたな。変わった人だと。


 思わず目だけで天井を仰ぎ見ていると、桑島先輩はコーヒーの缶を渡り廊下の窓のところに置いた。眼鏡を外して、ポケットから取り出したクロスでレンズを拭きはじめる。眼鏡が取り去られた素顔は思っていた以上に柔和だった。どうやら眼鏡が変な方向に似合い過ぎているようだ。これでずいぶんと損をしている気がする。


「そっちこそ、佐伯さんとはどういう関係なんですか?」


 桑島先輩が佐伯さんに何か無理を強いているという推測は、ひとまず心の中にとどめておいた。追及は彼の主張を聞いてからだ。


「俺か? 残念ながら俺は、お前と違って単なる友達だよ。お互いの親に多少縁があるけどな」

「知っています。彼女のお父さんが先輩のお父さんの経営する会社に勤めているとか」

「らしいな」


 彼から返ってきたのはそれだけ。まるで他人事。親同士の関係など興味がないふうだった。拭いた眼鏡のレンズを窓から差し込む光に透かしてみて、汚れがないことを確認してから再び装着する。


「後は、まあまあ家が近いな」


 言いながら最後にブリッジを指で押し上げて、位置を微調整。嫌味なほど知的な顔の完成だ。


「キリちゃんと話しててお前の話題がぜんぜん出ないんだよ」

「……」

「たまにこっちから聞いてみたりもするんだがな。曖昧な返事でお茶を濁していたころはまだよかったが、今じゃあからさまに話を逸らすよ。なんかおかしくないか?」


 桑島先輩は置いていたコーヒーの缶を手に取り、喉にひと口流し込んだ。


「お前もお前だ」


 いきなり矛先が僕に向く。


「一昨日の朝、キリちゃんとすれ違ったのに無視しただろ。お前らいったいどうなってるんだ?」

「それは……」


 どうにか誤魔化そうとして――やめた。無駄だな。


 僕はため息をひとつ。


「それはこっちの台詞ですよ」

「なに?」


 桑島先輩は眉をひそめた。


「佐伯さんは未だに僕に何も言ってくれません。黙って離れていきました。それで僕は、てっきり彼女は先輩と交際することになったのかと」

「『ことになった』、ね」


 そう言って苦笑した桑島先輩は、そこに含まれる意味を正しく読み取ったようだ。


「ないな、それは。キリちゃんの態度でわかる。それに佐伯さん――彼女の親父さんのほうだが、あの人の差し金でもないだろうな。俺に擦り寄ってくるタイプに見えなかった」

「小父さんと会ったことあるんですか?」

「ああ。親父が呼んだんだろう。一度うちにきたことがあるよ。気に入ったのか気が合ったのか知らないが、せっかくの休日にそんなことをしたら佐伯さんも迷惑だろうに」


 再度苦笑。


 話は続く。


「親父の会社にいて、俺のことを坊ちゃん坊ちゃん言う人も多いんだが――」


 そういうのに辟易しているのか、彼はわずかに顔を歪める。


「でも、あの人はそんな感じじゃなかった。学園祭を見にきたからって、俺のところにまで挨拶にくる妙なマメさはあるけどな」


 桑島先輩が言うには、日曜日は用があって例のテニスの親善試合を見にこられないからと、わざわざ土曜日のうちに激励の言葉をかけにきたのだそうだ。


「そのマメさのうちなんでしょうね、小父さんは佐伯さんに、社長から仲よくしてやってほしいと言われたことも、ちゃんと伝えたそうですよ」

「……」


 そこで桑島先輩は急に黙り込んだ。


 コーヒーをひと口飲む。

 そのわずかな時間で思考は一気に遠くまで到達したらしい。


「……それか」

「え?」


 一方の僕は、その速度にまったく追いつけていなかった。


「たぶんキリちゃんは、その言葉に過剰に反応してしまったんじゃないか? 父親の面子や立場を考えて」

「……」


 まさか。いや、でも……。

 佐伯さんは賢い女の子だ。幼いころ小母さんの態度から、そちら側の家庭に何か言いにくい事情あると察したくらいである。


 今回もそうだというのだろうか?


 だとすれば、頭が回りすぎるが故に、自分の判断で父親の期待に応えようとしたのかもしれない。子どもを親の道具にしないという、小父さんの信条を知らないままに。


「佐伯さんは小父さんのために先輩と……?」

「それもあるだろうが……」


 珍しく桑島先輩が言い淀んだ。


「すまん、弓月」


 そして、唐突に謝る。


「俺はキリちゃんを利用した」

「利用? なんですか、それ」


 彼の不穏な言葉に、僕は我知らず気色ばんだ。


「キリちゃんに頼んだんだ。学祭の二日目、一緒に回ってほしいってな。その後もたまにでいいから時間をつくってくれと頼んだ」

「どうしてそんなことを?」


 彼の言い回しからして、佐伯さんがかわいいから誘った、というのではなさそうに思う。


「こっちにもくだらない事情があってな」


 桑島先輩が苦々しそうに吐き出す。


「お前がいるのもわかってたんだが、彼女が首を縦に振ってくれたこともあって、厚意に甘えた。学祭に関して言えば、二日あるうちの一日くらいならいいかと都合よく解釈したんだ。……あぁ、くそ。失敗したな」

「佐伯さんは、その、桑島先輩と交際を……?」

「いや」


 彼は僕の懸念を即座に否定した。


「俺の印象だが、さすがにそこまで親の道具になるつもりはないと思う。それこそお前がいるんだからな」

「じゃあ、なんで今こんなことに」

「それは……」


 一拍。


「さぁな」


 そして、短いひと言。


「……」


 いや、この人は何らかの答えを思いついたはずだ。正解かどうかは兎も角として。だが、どういう理由かそれを飲み込んだのだ。わからない振りをした。


「それを聞いてやるのはお前の役目だろう。……弓月」


 未だことの真相の見当もつかず戸惑っている僕を、先輩が呼ぶ。


「キリちゃんを本来いるべき場所に戻すぞ」

「は?」


 本来いるべき場所?


「『は?』じゃないだろ。キリちゃんをお前のところに帰すと言ってるんだ」

「いいんですか?」

「いいも悪いもあるか。お前の彼女だろうが。そりゃあ、あんなかわいい子と一緒にいられるのは嬉しいけど、でも、なんか違うだろ、今のこの状況は。最初はそうでもなかったけど、このごろはほとんど笑わないしな」


 僕は会うたびにいつも目を伏せていた佐伯さんの姿を思い出す。


 確かに違う。

 あんなのは佐伯さんではない。


「そうすると、それはそれでまた俺のほうが面倒なことになるんだが、まぁ、仕方ないな。……また連絡するよ」


 桑島先輩は残っていたコーヒーを飲み干し、言った。話は終わったとばかりに踵を返し、校舎のほうへ戻っていく。


「……桑島先輩」


 僕がその背に声を投げかけると、彼は足を止め、振り返った。


「先輩、眼鏡ないほうがいいんじゃないですか?」

「知ってるよ。これじゃ恰好よすぎると思ってかけはじめたんだからな」

「……」


 ……おい、なんだその自信。


「冗談だよ」


 そう笑って言い、肩越しに手を振りながら去っていく。


 僕はその後ろ姿に軽く頭を下げた。

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