4.「そのはずだったんですけどね」

 学園祭二日目。


 朝はいつも通り佐伯さんに起こされ、一緒に朝食を食べたものの、その後、彼女は用意ができ次第慌ただしく家を出てしまい――結局、昨日と同様登校は別々となった。


 僕が学校の校門をくぐったのは、今日も八時半。

 やはりすでに多くの生徒がきている。その顔には多少の疲労の色が窺えるが、今日も目いっぱい楽しもうという意気込みは褪せてはいないようだった。


 教室に入ればこちらもほとんどのクラスメイトがそろっていて、その中には昨日いなかった面々――即ち、滝沢、矢神、宝龍さんらもいた。


「さすが滝沢さん、よく似合ってます!」


 滝沢はホールスタッフをやるらしく、ギャルソンスタイルに着替えていて、居心地悪そうに襟元に指を指し込んだりしていた。それを手放しで褒めているのが雀さんだ。


「確かによく似合ってますよ、滝沢」

「弓月か」


 僕に気づき、彼は笑みを見せた。


「お前だって昨日着たらしいじゃないか。けっこう似合ってたんじゃないのか」

「まさか」

「意外に様になってましたよ」


 僕と雀さんの発音が重なる。


 思わぬ発言にびっくりして、僕は彼女を見た。


「……」

「……」

「……なによ」

「……いえ、別に」


 何せ自分ではまったく似合っていると思えなかったし、それを雀さんにそんなふうに言われるとは予想だにしていなかった。


「ま、まぁ、滝沢さんには負けますけど。それに顔がねぇ。もうちょっとしゃきっとしてくれたら……」

「ほっといてください」


 顔はどうしようもない。というか、文部科学省のガイドラインに従えば、そういう人の身体的特徴についての発言はアウトなのではないだろうか。


「ねぇ、ナツコ。本当に私もやるの?」


 今度は宝龍さんだ。


 彼女もホールスタッフなのだが、こっちはまだ畳まれたエプロンを手で持っているだけで、準備はしていない。どうにもこの役割分担が不満らしい。


「大丈夫です。宝龍さんならばっちりです」


 すでに何でもかんでも褒め倒すブランドショップの店員状態の雀さん。


「私、愛想笑いなんかできないわよ」

「それはそれで需要があるんじゃないですか」


 僕も付け足す。校内でも有名なクールビューティだ。むしろそちらのほうが望まれているかもしれない。


「ふたりで好きなこと言ってくれるわね」


 宝龍さんは諦めたようにため息を吐いた。


「ほらほら、時間も迫ってきましたから。準備お願いします。……弓月君も。教室を離れる前にやることはやってもらいますからね」

「了解です。じゃあ、矢神」


 僕は、本日はキッチンスタッフである矢神を呼ぶ。


 やることはコーヒーの淹れ方についての講義。すでに一度レクチャーしていて今日は単なるおさらいなのだが、以前おしえた以上によく理解しているように感じた。


 聞いてみれば、


「家で勉強したから」


 とのこと。


 熱心なことだ。感心する。


『九時になりました。只今より第九回水の森高校学園祭二日目を開催いたします』


 程なく校内放送が流れた。





 二日目の今日は日曜日ということもあって、一般来場客は昨日よりも明らかに多かった。そのためかコーヒー専門店の看板を掲げた我がクラスのカフェに興味をもってくれる人も多く、開始三十分ほどから客が入りはじめた。


 ある程度軌道に乗ったのを見届けてから、佐伯さんのクラスに向かったのが十時前。


 今日はお互いフリーにして、一緒に見て回る予定なのだが、考えてみれば詳しいことをぜんぜん決めていなかった。最初はどうしても自分のクラスにいないといけないが、その後いつどこで合流するかなど、今朝も何となくバタバタしていてその話をするのをすっかり忘れていた。


 まぁ、僕から迎えにいけばそれですむだろう。



 と、思っていたのだが――。



「キリカ? それが朝はいたんですけど、気がついたらいなくなってて……」


 佐伯さんのクラスを訪れて、応対してくれたのは桜井さん。彼女は今日はシフトに入っていないのか、昨日とは違って制服姿だった。


「そうですか。もし戻ってきたら僕が探してたと伝えてください」

「わかりました。……まったく、どこ行ってるんでしょうね、弓月さんほったらかしにして」


 頬を膨らます桜井さんに、僕は苦笑を返すしかできなかった。


 詳しいことを決めていなかった以上、どちらがどちらをほったらかしにしたとも言えないのではないだろうか。見方によっては僕が今まで佐伯さんを放り出していたともとれる。むしろこちらだろうな。


「お願いしました」


 僕は桜井さんに背を向け、少し歩いたところでポケットから携帯電話を取り出した。


 メモリィから佐伯さんのアドレスを呼び出し、電話をかけてみる。

 やけに不安を煽る長いコールの後、ようやく出たと思ったら、それは音声ガイダンスだった。


『只今電話に出ることができません。ご用の方は――』


 留守番電話に切り替わる。

 何かメッセージを残しておくべきか――と思ったとき。


『間もなく十時より校庭、テニスコートにて水の森高校テニス部と藤代学園高等部テニス部による親善試合を行ないます。皆様お誘い合わせの上、ぜひご観戦におこしください』


 校内放送。


 まさかこれに重ねてメッセージを入れるわけにはいかないだろう。結局、何となくタイミングを逸して、そのままひとまず通話を切った。


 活気溢れる廊下を通り、階段を上がる。

 二階に足を踏み入れたところで、僕は再度のアプローチを試みた。


 今度はすぐにつながったのだが――、


 思わず立ち止まっていた。


『おかけになった電話は、只今電源が切れているか、電波の届かないところにあるため――』


 電波が届かない?

 さっきは曲がりなりにもつながったのに?


 なら――電源を切られた……?


 どういうことだ?


 首を傾げながらも歩を進め、自分の教室に辿り着く。『関係者以外立ち入り禁止』と書かれたそのドアを開ければ、そこはカフェのキッチン。


「ああ、弓月君、丁度よかった。手が空いてたら手伝ってくれない?」


 入るなり焦ったふうの雀さんの声が耳に飛び込んできた。


 見ればかなり忙しそうな状況だった。オーダーを受けたホールスタッフはひっきりなしにキッチンを出入りし、キッチンスタッフはそれに対して追いついていないようだった。


 盛況で何よりだ、などとのん気なことは言っていられないようだ。


「八割方うちの生徒ってどういうことよ!? まったく、いったい何が目当てできてるんだか」


 怒りのナツコさん。


 どうやら我がクラスが誇る美男美女を立たせたことは、予想以上に効果覿面だったようだ。


「仕方ないですね」


 どうせ改めて佐伯さんのところに行くにしても、時間をおいてからになるだろうし。それまでは特にするもない。いい時間潰しだ。


 いちおういつ電話がかかってきてもわかるように、注意だけはしておこう。





 そうして再び僕が佐伯さんのクラスを訪れたのは、時計が十一時半を回ったときだった。


 教室の前にいた一年生をつかまえ 佐伯さんか桜井さんはいるかと問うと、程なく出てきたのは桜井さんのほうだった。その時点である程度の状況は察することができる。


「キリカ、ですよね? え、えっと、どうしちゃったんだろ…・・? 結局あれから見てないっかなー? あはははー……」


 出てくるときから少々挙動不審だった彼女は、ここにきて白々しい乾いた笑いまで発した。


 と、横から割り込む声。


「桜井さん、ちゃんと言ってあげたら? 佐伯さんは一度戻ってきたけど、僕たちの知らない男とまた出ていきましたよって」

「浜中君っ」


 そこにあからさまに不機嫌そうな顔をした浜中君が立っていた。驚いて桜井さんが振り返る。


「それは本当ですか?」

「さぁてね」


 彼はそれだけを言って、歩調も荒く教室の中に戻っていった。


 僕は桜井さんへと向き直る。


「すいません。キリカが帰ってきたときにちゃんと伝えたんですけど、キリカったら『あ、うん……』って生返事するだけで、そのまま出て行っちゃって……」

「そうですか」


 彼女はそれを僕に言いたくなかったらしい。


「キリカと約束してたんですよね?」

「そのはずでしたけど、最近はその話もあまりしなかったし、いつの間にか有耶無耶になっていたのかもしれませんね」


 言っておいて気づく。確かにそうだ。最初は学祭デートだ何だと浮かれていたわりには、いつからかその話はしなくなっていた。学園祭の話題は出ても、今日のこの日のことについては触れなかったように思う。


「あ、あの、キリカが戻ったら、今度はちゃんとつかまえておきますからっ」


 そう言ってくれた桜井さんに対し、僕はお願いしますとももういいですとも言えず、力なく笑って「ありがとうございます」とだけ返した。





 三度、教室へ戻る。


「あ、帰ってきた。何度も悪いんだけど、また手伝って。ぜんぜんお客が途切れないの」


 こちらはいつ戻ってきても熱烈歓迎だな。


「またですか。……でも、すみません。そんな気分じゃないので」

「あ、あぁ、そう? まぁ、もともと今日はそういう予定じゃなかったから、別にいいけど」


 少しだけ怪訝そうな顔をする雀さん。


 そして、どうやらたまたまキッチンに入ってきていた宝龍さんがこれを見ていたようだ。


「恭嗣、何かあったの?」

「別に。何もありませんよ」


 確かに何もなかったな。


 しかし、宝龍さんは雀さん以上に怪訝な表情、というよりは、探るようにじっと僕の顔を見つめてくる。


 挙げ句。


「恭嗣、ちょっとつき合いなさい」

「は? どこへですか?」

「どこだっていいわ。私も慣れないことをやって辟易していたところなの。……ナツコ、ちょっと出てくるわ。もう戻らないかもしれないけど」

「え? ええっ!?」


 慌てふためく雀さんにはおかまいなしに宝龍さんはエプロンを外し、そのへんに放り出した。


「行くわよ、恭嗣」


 僕は彼女に腕を掴まれ、引きずられるようにして廊下に連れ出された。





 宝龍さんと廊下を歩く。


 もう腕は掴まれていなかったが、かと言ってほかに行くあてがあるわけでもなく、黙って彼女の横に並んでいた。いつもの見慣れた制服の生徒だけでなく、私服の老若男女であふれた廊下というのは実に奇妙な光景だった。


「いったい何があったの?」

「……」


 宝龍さんはもう一度同じことを聞いてくるが、僕は黙っていた。


「今日はあの子と一緒に見て回るんじゃなかったの?」

「そのこと宝龍さんに言いましたっけ?」

「聞いてないけど、それくらいわかるわ。昨日ずっとクラスにかかりっきりで、今日は丸々フリーにしてたんでしょ?」


 たったそれだけで予想されるのか。そんなに僕の行動は佐伯さんに支配されているように見えるのだろうか。


「あの子とケンカでもした?」

「してませんよ。それ以前の問題です。佐伯さんとは会えませんでしたから」

「約束してたんじゃないの?」


 宝龍さんは不思議そうに問いを重ねた。


「そのはずだったんですけどね」


 苦笑が漏れる。


 あまり多くは語りたくなかった。しかし、相手は聡明極まる宝龍美ゆき。一を聞いただけで十を推測してしまう。今も黙り込んで、何があったか大方のことはもう想像がついているようだった。


「あっちの校舎でもいろいろやってるんですよね。少し行ってみましょうか」


 渡り廊下に差しかかり、僕は提案する。本当に見にいきたかったわけではなく、ただ単に話題を変えたかっただけだ。


 特別教室がある校舎は主に文化部が使っている。化学実験や料理など、部に因んだパフォーマンスをやっているところもあれば、まったく関係ない店をやっているところもあるようだ。


 渡り廊下を往く。


 窓から外に目をやれば下には中庭が広がっていて、屋台が軒を連ねていた。少し離れたところには、校庭のものよりひと回り小さいステージが組まれている。その前の空間にユニフォームを着たチアリーディング部が集まっていたが、今は演技を披露する時間ではないようだ。


 僕は目を再び手前の屋台通りへと戻し――そして、そこで見つけてしまった。


 多くの人が行き来するその中に、佐伯さんがいた。

 そして、その横には見慣れぬ男子生徒の姿も。


 ただ、桜井さんや浜中君は知らなくても、僕はその理知的な面立ちとノンフレームの眼鏡に見覚えがあった。先日、佐伯さんの自転車の練習をしたときに会った三年生だ。


 ふたりは、一緒に歩いているというよりは、佐伯さんが彼についていっている感じに見えた。


 眼鏡の先輩のほうは、こういう場所だからか、以前に見たキザっぽさは薄れ、学園祭を楽しむようにやわらかい笑顔を見せていた。その横を佐伯さんがややうつむき加減に歩いている。


 ――……なぜ?


 そう思っても答えは出ない。彼とはあのとき初めて会ったと言っていなかったか。それがなぜ一緒に歩いている?


「どうかしたの?」


 僕は我知らず足を止めていたらしく、宝龍さんが5歩ほど先で振り返り、問うてくる。


「いえ、別に何でもありま――」


 言いかけた言葉が途切れる。

 遅かった。窓の外の一点を凝視する宝龍さんは、すでに僕と同じものを見つけてしまったようだ。


 彼女はゆっくりと僕を見た。

 何か言いたげな視線。


「今日のところは何も見なかったことにしておいてください」

「……」

「……」

「……わかったわ。恭嗣がそう言うならそうする」


 宝龍さんは深くため息を吐いた。納得はしていないようだ。


 僕は再び窓の外を見る。


「……」


 ここで窓を開けて恥も外聞もなく彼女の名前を呼ぶくらいのことをすればよかったのかもしれないが、こんなときにもよけいな理性がはたらき、ただ見ていることしかできなかった。


 ふたりの姿がこの渡り廊下の真下の死角に消える。

 僕はもう、彼女の姿をもう一度見つけようという気にはならなかった。





 そのまま何ごともなく学園祭は進行し、幕が下りると同時に僕は学校を出て、家に帰ってきた。片づけは明日の振り替え休日にやるようだが、多くのクラスメイトは今もまだ教室に残って打ち上げと称してに飲み食いしているはずだ。


 当然のことながら、家に佐伯さんの姿はなかった。


 部屋で着替えてから、キッチンでコーヒーを淹れる。使うのは昨日と今日で見飽きたサイフォンではなく、コーヒーメーカーだ。


 コーヒーが抽出される間、僕は立ったままじっとコーヒーメーカーを見下ろしていた。サイフォンのように目に見える変化があるわけでもないのに、何も考えず、ただ、見つめる。


 不意に玄関のほうでドアの開閉する音が聞こえた。


 やがてリビングに入ってきた佐伯さんは、僕を見てぴたりと足を止めた。


「おかえりなさい」


 先に僕が言葉を発した。


「……た、ただいま。ゆ、弓月くん帰ってたんだ……」


 玄関の鍵が開いていた時点でそれはわかっていたはずだが、きっと僕がキッチンにいるとは思っていなかったのだろう。いきなり顔を合わせて、咄嗟に口をついて出たのがそんな言葉だったのだ。


「あ、あのっ」

「はい?」

「今日は……ごめん……」


 彼女は視線を落としながら、つぶやくように言う。


「どうしたんですか、いったい」

「その、同じ中学にいた友だちがきてて、それで懐かしくてつい……」

「……」


 まずその言葉を信じた。そして、眼鏡の先輩が本当に佐伯さんと同じ中学出身で、そのときからの知り合いだと仮定して――やっぱりダメだった。辻褄が合わない。設定は破綻する。


 なぜか彼女を見ていられなくなって、僕は視線をコーヒーメーカーに戻した。


「……そうでしたか。なら仕方ないですね」

「う、うん。ごめん……」


 力のない言葉が紡がれる。


 しばしの無言。


 部屋にはコーヒーメーカーがコーヒーを抽出する、あまり情緒的とはいえない音だけがあった。


「それでね――」


 やがて意を決したように、彼女は切り出してきた。


「急に家に帰らないといけなくなったの……」

「……今日、ですか?」


 本当に急な話だ。


「うん。今晩は向こうに泊まることになると思う」

「そ、そうですか」


 僕は動揺しているのかもしれない。口から出たのは、ただそれだけだった。


「ごめんね……」


 ここに帰ってきてから何度目かの「ごめん」。


「すぐに出るつもりなんだけど、コーヒー淹れてもらっていいかな? それ飲んでから行きたいなって思って」

「ええ、いいですよ。丁度もうすぐできるところですから。先に着替えてくるといいです」

「うん。ありがとう」


 ようやく見られた彼女の笑顔は、やはりどこか弱々しいものだった。

 佐伯さんはぱたぱたと自室へと入っていく。



 そうして――、



 十五分ほど後には、僕らは一緒にコーヒーを飲んでいた。

 キッチンにある二人用の小さなテーブルに向かい合って座り、淹れたてのコーヒーの入ったマグカップを口に運ぶ。


 会話はほとんどなかった。


 互いに視線を合わせないようにしつつ、ただ黙ってコーヒーを味わう。


「ごちそうさま。うん、美味しかった」


 やがて佐伯さんがカップを置いて立ち上がった。


「駅まで送りましょうか?」

「ううん、大丈夫。まだ明るいから」


 首を横に振る彼女。


「そうですか。じゃあ、気をつけて」


 うん――そう頷いてから、佐伯さんは出ていった。


 玄関で彼女を見送ってからキッチンへ戻り、

 僕は保温ポットの中にある淹れたばかりのコーヒーを、すべて捨てた――。





 翌、月曜日は振り替え休日。


 教室の片づけ作業は片づけ班のメンバー以外は自由参加で、僕はその自由参加のほうだった。が、歩いてすぐの距離に住んでいることでもあるし、手伝いにいくことにした。


 何より家にいるとよけいなことを考えそうで、やることがあるのはありがたかった。


 このとき僕は根拠もなく思っていた。

 昨日のことについては佐伯さんなりの何か事情があって、彼女はその『事情』を整理するために家に帰るのだと。そして、またここに戻ってくるのだと。


 しかし、僕が学校から戻ってきても彼女はいっこうに帰ってくる気配がなく、また、その連絡もなかった。


 夕方になって、ようやく一本の電話が入った。


 そこで彼女は僕にこう告げた。


「しばらく家から学校に通おうと思うの。ごめんね……」


 昨日何度も聞いた「ごめん」だった。

 佐伯さんは最初からこうするつもりで、昨日ここを出たのだろうか――。

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