3.「……ひとりで帰ってください」

 九月最終週の週末、私立水の森高校はついに学園祭の当日を迎えた。


 空は快晴。

 これなら今日、明日の二日とも天気の心配はなさそうだ。


 佐伯さんとは、それぞれの都合もあって別々に登校した。


 僕が学校に着いたのは、開催三十分前の朝八時半。もうすでにかなりの生徒がきているようで、校庭の野外特設ステージではマイクの最終調整をやっているようだった。ここではエントリィした素人バンドたちによる演奏などのイベントが行われる予定だ。


 また、外でのメインイベントのひとつに、明日のテニスの試合がある。これは学園都市の他校を招いて行われる親善試合で、両校のエースが華麗な戦いを繰り広げるのでなかなかの見ものだという話だ。


 校舎の中へと入る。なお、この学園祭の期間中に限っては土足でも可なので、上靴に履き替える必要がなくて楽だ。


 どの教室も各々の出しもののための飾りつけがされていて、廊下の窓には宣伝のポスターがこれでもかというほど貼られている。生徒の興奮と熱気もあって、もう校舎内は完全に普段とは違う空間だ。


 自分の教室に着いてみれば我がクラスも似たようなもので、朝早くから登校していた飾りつけ班により内装は見事にカフェと化しつつあった。時間になれば教室は三分の一ほどのところでカーテンで仕切られることになり、その裏の狭いほうがキッチンだ。ホールのほうには、机を合わせてクロスをかぶせただけの即席のテーブルが、大小十ほど並べられていた。


 そのテーブルのひとつを使って、クラスメイトの山南さんが作業をしていた。


「おはようございます、山南さん」


 髪につけた大判のリボンが特徴的な背中に声をかける。


 と、次の瞬間、彼女は持っていたチョークを投げ出し、一気に二メートほどの距離をとった。……そこまで驚かせたつもりはなかったのだが、この山南さんはいつもこんな感じだ。


「それが入り口に立てる看板ですか?」


 僕の問いかけに彼女はこくこくとうなずいてリボンを揺らしてから、半歩ずつ戻ってくる。


 山南さんが今やっているのはチョークアート――よくレストランや喫茶店の入り口にメニューボードとして置いてあるあれだ。本来なら専用のボードとパステルカラーの特殊な塗料を使うのだが、今は手ごろなサイズの黒板とただのチョークだ。それでも彼女の趣味と才能とセンスを遺憾なく発揮し、看板兼メニューボードを描いてくれている。


「え、えっと……、ゆ、弓月君からは何か、ちゅ、注文はあります、か……?」


 半分ほど戻ってきた辺りで、山南さんが自分の爪先に目を落としながら聞いてくる。


「僕ですか?」


 思わず反問すると、彼女はうなずき、


「う、うちのコーヒーはぜんぶ、ゆ、弓月君が淹れるから、もう弓月君の、お、お店みたいなものだって……」


 なるほど。それで店長たる僕にデザインの注文はないか聞いたというわけだ。誰だ、山南さんにそんなこと吹き込んだのは。


「いえ、僕のほうからは何も。山南さんにお任せしますよ」

「う、うん。じゃあ……」


 消え入りそうな声で答え。彼女は――下を見ていて気づいたのだろう、足もとに転がっているチョークを拾うために身を屈めた。


「あ、そうだ」


 ひとつ思い出した。


 が、僕の発声に驚き、山南さんはまだチョークを放り投げて、一気に飛び退いた。もう話は終わったものと安心していたせいか、今度の記録は三メートル。祈るみたいにして胸の前で両の握り拳を合わせ、こちらに対して半身になる。


 な、なに……? ――と、目だけで訊いてくる。


「……」


 入り口のボードはお客さんが最初に目にするもので、お店に入るかどうかを決める重要な要素だから、と言おうとしたのだが、彼女のこの様子を見るによけいなプレッシャはかけないほうがよさそうだな。


「いえ、何でもありません。いいものを期待してますよ」

「う、うん……」


 山南さんは首を縦に振り、頭のリボンを揺らした。


 これ以上ここにいても邪魔になるだけだろう(こっちにはそのつもりはないが)。僕は彼女に背を向け、本日の職場となるキッチンのほうへと寄る。


 と、


「さすが店長。のんびりしたご出勤ね」


 そこに雀さんが仁王立ちで待っていた。どうやら僕と山南さんとのやり取りをずっと見ていたようだ。言葉に棘が見え隠れしているのは、忙しさもここに極まって苛々しているからだろうか。


「誰が店長ですか」

「うちのコーヒーは弓月君が淹れるんだから、弓月君が店長みたいなものでしょ」

「……」


 山南さんに変なことを吹き込んだのは雀さんか。まったく。


「まぁ、今日の僕の仕事は、九時を回ってからですからね。これくらいは勘弁してください」

「別にいいけど。……しっかり働いてもらいますからね。成功するかどうかは弓月君の腕にかかってるのよ」


 そんなに僕に頼りっきりで大丈夫なのだろうか。明日は僕はいないんだから、味が落ちたと言われても責任は持てないぞ。


『9時になりました。只今より第9回水の森高校学園祭を開催いたします』


 校内放送が流れた。


 実行委員による開催宣言だ。外では開幕の花火が上がったようで、遠く破裂音が聞こえてきた。クラスメイトたちのテンションも頂点に達し、教室内に歓声と拍手が巻き起こった。


「ほらほら、みんな、はじまったわよ。準備がまだのところは急いで!」


 我らがクラス委員長、雀さんが声を張り上げる。


「弓月君も。ちゃんといつお客さんがきてもいいようにしておいてよ」

「わかってますよ」


 とは言え、そんなにすぐにくるとは思えないが。





 そうして学園祭の幕が開けて1時間ほどが経った、午前十時。


「こないわね……」

「そうですね」


 我がクラスのカフェには、まだひとりの客もきていなかった。


「でも、まぁ、こんなものじゃないですか」


 狭いキッチン側のスペースで言葉を交わす僕と雀さん。


 雀さんはカーテンの少し開けて、心配そうにホールを見ている。僕はテキトーな台に軽く尻を乗せて、体重を預けるようにして立っていた。


 ホールでは誰か宣伝にいけだの、タダ券を配ろうだのと、皆で案を出し合っているのが聞こえる。その声は実に楽しそうで、きっとこの状況に深刻に悩んでいるのは雀さんだけだろう。


「だいたい街の有名洋菓子店じゃあるまいし、開店と同時に客がきたりはしませんよ。ひと通り回って、疲れてきたころ休憩として寄ってもらうのがベストでしょうね。まずは昼前くらいじゃないですか」


 となると、ここが二階なのが地理的に不利だな。それに比べ同じく喫茶店をやっている佐伯さんのクラスなどは本来なら三階なのだが、外に店を出すクラスの空いた教室に詰めるかたちで、期間中は一階を使っている。非常にラッキーと言えるだろう。


 なお、そうやって下へ下へ詰めているので、どの校舎も三階は立ち入り禁止区域になっている。


「ま、ゆっくり待ちましょう。まだはじまったばかりですよ」


 僕はホルダーつきの紙コップにコーヒーを注ぎ、口に運んだ。


「ちょっとぉ、あんまりがぶがぶ飲まないでくれます? それ、売りものなんですから」

「いいじゃないですか、これくらい。それにそろそろ冷めてきて、ホットでは出せそうにないんですよ」


 因みに、これはいつでもすぐ出せるように、最初に作ったブレンド。つまりは僕好みだということでもある。役得だ。しばらくは客がこない状況を見越して、今のところこれ以外は作っていない。


「雀さんも飲みます?」

「まぁ、そういうことなら」


 不承々々うなずく雀さん。


 僕は紙コップに取っ手付きのホルダーをセットして、コーヒーを注ぐ。


「砂糖とミルクはご自分で。……それと彼女にも飲むか聞いてもらえますか?」


 僕が視線で示した先には、大判のリボンが目立つ背中があった。この時間のキッチンスタッフのひとりである山南さんだ。窓から中庭を見下ろしている。


「そうね。……山南さーん」


 雀さんが呼びかけると、山南さんは目で見ても明らかなほど飛び跳ねた。ついでにリボンまでもが飛び上がるように天井を向いたのは気のせいだろうか。


 そうしてから彼女は、例の胸の前で握り拳を合わせる構造で、おそるおそる振り向いた。


「山南さんもコーヒー飲む?」

「コ、コーヒー?」

「そ。弓月店長特製ブレンドコーヒー」


 雀さんが答え、僕がサイフォンのフラスコを掲げて見せる。


 山南さんは僕とフラスコを交互に見てから、


「い、いただきます」


 と、うなずいた。


 同性の雀さんにもあの調子なのか。一日驚いてばかりだろうな。





 予想通り十一時付近からお客が入りはじめた。


「ブレンドふたつにモカひとつ、クッキーセットも三人分ね」

「はーい」

「こっちも了解です。それと二番テーブルのコーヒーできてます」


 エプロンをつけたホールスタッフの女子もカーテンの向こうとこっちを、忙しなく行き来する。


「なぁ、このホルダー、やっぱ洗いにいかないとダメかな」

「ダメにきまってるでしょ。衛生面で不精しない!」


 ひと昔前に世間を騒がせた数々の食品衛生問題を思い出しなさい、と雀さんの怒声も混じる。


 そんな状況の中、ふいに廊下へと続くドアが開いた。表には『関係者以外立ち入り禁止』と書かれているそこから入ってきたのは滝沢だった。丁度そばにいた山南さんが、持っていた紙コップホルダーを放り投げて飛び退いた。


「おっと」


 宙を舞うそれを滝沢がキャッチ。


「どうだ。何も問題はないか?」

「今のところは特に」


 どうやら彼は運営側として巡回しているらしい。二の腕には生徒会と書かれた腕章をつけている。


「盛況そうだな」

「スタートダッシュは遅かったですけどね」


 手があいたので滝沢とふたりで、カーテンの隙間からホールの様子を窺ってみる。テーブルは6割ほどが埋まっているようだ。


「滝沢さんもちょっと手伝っていきません?」


 僕らの後ろから雀さんも一緒に顔を覗かせる。


「そうしたいのはやまやまだけど、今日は生徒会の仕事にかかりっきりでね。明日なら少しは手伝えると思う」

「滝沢さんがホールに立てば、お客さんも倍増間違いなしだと思ったのに」


 それはさすがにナツコさんフィルターかかりすぎだろう。しかし、明日には宝龍さんもこちらを手伝うというし、我がクラスが誇る美男美女がそろえば、それはそれでいい宣伝材料になるのではないだろうか。


 因みに、カフェというのはホールに男性がギャルソン(英国風ならボーイ)として立つのが普通なのだが、やっぱり女の子のほうが華やかでいいだろうということで、ここでは女子がメインでホールスタッフをやっている。明治時代、日本最初のカフェ、『カフェ・プランタン』も女給だったのでそれに倣ったとも言えるが、誰もそんな歴史は知らないだろう。


 そのままホールを見ていると、見知った顔の中年夫婦が入ってきた。

 耳の上辺りに白いものが混じった髪を後ろに撫でつけている精悍な男性と、パーマのかかった髪をポニーテールのようにした少しタレ気味の目が愛らしい女性――。


「ちょっといってきます」

「なんだ、知り合いか」

「佐伯さんのご両親ですよ」


 僕は応対に出ようとした女給役の女子を手で制して進み出た。


「いらっしゃいませ」

「おお」

「あら」


 テーブルについたトオル氏と冴子さんは、僕を見上げて楽しそうに笑みを見せる。


「何も考えずに入ったのだが、ここは君のクラスだったか」

「ええ。しかも、噂によると僕が店長らしいです。どうぞゆっくりしていってください」

「オススメはあるの?」


 おばさんが問うてくる。


「ブレンドですね。何せ店長の自信作ですから。佐伯さんも気に入ってくれてます」

「そうか。なら、それをふたつもらおうか」

「わかりました。少しお待ちください」


 僕は一礼してキッチンに下がり、コーヒーをふたつ用意する。加えて、ミルクの入ったミルクピッチャーとスティックのコーヒーシュガーを数本。サービスでクッキーセットもつけておこう。


「お待たせしました」


 フロアに戻り、おばさんのほうから順にコーヒーを置いていく。最後にテーブルの中央にクッキーの盛られた紙皿。


「これは僕からのサービスです」

「まあ、嬉しい」

「佐伯さんのほうへはもう?」

「いや、この後にいこうと思ってる。客としていくと嫌がるかもしれないから、少し声をかけるだけにするつもりだよ。少しばかり話しておきたいこともあることだしな」


 おじさんはミルクピッチャーからミルクを少量たらしてから、コーヒーを口に運んだ。


「これは美味いな」

「ええ、本当に」


 どうやらふたりの舌を満足させることができたようだ。


「ありがとうございます。では、ごゆっくりと。この学園祭も楽しんでもらえれば、水の森の生徒として嬉しく思います」

「弓月さんもがんばってね」

「ありがとうございます」


 僕はもう一度お礼を言い、その場を辞去した。





 正午過ぎてもまだ忙しさは続いていた。


 その最中のこと。


「弓月君、佐伯さんきてるわよ」


 カーテンから顔を覗かせ、ホールスタッフの女子が僕を呼ぶ。


「わかりました。後で顔を出すと伝えてください」

「それが弓月君をご指名なのよ」

「おいおいおいおい、いつからここは執事喫茶になったんだ」


 ふざけんな弓月死ね、とクラスメイトの声。


「……」


 少なくとも看板をかけ替えた覚えは、僕にはないな。


 仕方がない、行ってくるか。いちおう用意しておいた男子のホールスタッフ用のギャルソンベストに袖を通し、エプロンを腰に巻く。ご指名とあればそれなりの格好をしていくべきだろう。


 ホールへと出る。


 テーブルのひとつに制服姿の佐伯さんと、その向かいに桜井さんが座っていた。ふたりは僕に気づくと手を振ってきた。


「いらっしゃい、ふたりとも」

「いらっしゃいましたー」


 と、元気な桜井さん。


「おー、弓月くんがギャルソン。似合ってるぅ」

「そんなわけないでしょう」


 今着たばかりで、着慣れた感じがないのが自分でもわかる。


「そっちはどうですか?」

「キリカのおかげで大繁盛。いつまでもキリがないから、むりやり一時間休みをもぎ取ってこっちにきちゃいました」


 言って桜井さんはかわいらしく舌を出した。


 盛況なのはいいが、少し心配な気がしないでもない。特に期間中は一般の人も入ってくるし、変な人間が寄ってこなければいいが。後で滝沢にひと言言って、警戒してもらうことにしよう。


「そう言えば、佐伯さん。先ほどおじさんとおばさんに会いましたよ。そちらにもこられましたか?」

「うん、ちょっと話した、かな。……あ、そうだ。ね、このブレンドって、弓月くんのいつものやつ?」


 ふいに佐伯さんは、テーブルの上に置いてあるラミネート加工を施した手書きのメニューを手に取り、聞いてきた。


「そうなりますね」

「じゃ、わたしはこれで」

「え、なになに? いつものやつって?」


 今度は桜井さん。


「まぁ、言ってみれば僕のオリジナルブレンドコーヒーというところです」

「はいはーい。わたしもそれでお願いします」

「わかりました。少し待っててください」


 オーダーを受けた僕はギャルソンとして軽く一礼し、キッチンへと体を向ける。


 と、その背中に桜井さんが声を投げかけてくる。


「あ、弓月さん。弓月さんも後でこっちに遊びにきてくださいね。絶対に損はさせませんから」

「そうですね。時間を見つけて覗きにいきますよ」


 僕は振り返り、そう答える。まぁ、佐伯さんとも約束していたことだしな。





 このコーヒー専門店には食べるものといえばクッキーのようなお茶菓子程度しかないのに、ありがたいことに二時近くまでお客は途切れることなく続いた。ようやくひと息ついて休憩をもらえることになり、僕は約束通り佐伯さんのクラスに足を運んだ。


 因みに、休憩の許可をくれたのは雀さん。僕が店長なら、彼女はオーナーだろうか。


「よかったら寄っていってくださーい」


 廊下にまで飾りつけがされた教室の前では、男子生徒が熱心に呼び込みをやっていた。このクラスで唯一僕が知る男子生徒、浜中君ではなかった。彼がここに立てば、少なからず売り上げに貢献するのではないだろうか。


「客でなくて悪いのですが、佐伯さんいますか?」

「佐伯さん? ……ああ。すぐに呼んできます」


 彼は僕の顔を見て「ああ」と納得したように言った。それはどういう「ああ」なのだろうか。あまり深くは考えたくないな。


 程なく姿を現したのは、まずは桜井さんだった。


「ずっきゅーん!」


 文字通り飛び出してきて、右目の前で両手でハートマークを作る。妙にハイテンションだ。夏休み中プールに行ったときもそうだったが、こういうお祭りや人が多い場所だとテンションがうなぎ登りになるようだ。


 桜井さんに続いて佐伯さんが出てくる。


 ふたりは共通してひらひらした感じの服を着ていた。スカート丈は長く、見方によっては所謂メイド服に見えなくもない。きっとこの喫茶店のユニフォームなのだろう。


 堂々とメイド喫茶と名乗ってしまうと運営や学校の審査に引っかかってしまいそうだから、ユニフォームもこの程度のギリギリのラインに抑えたのだろう。案外、今日まで隠しておくくらいの小技を使ったのかもしれない。


「出てきて大丈夫でしたか?」


 教室のドアのほう目を向けてみれば、見える範囲のテーブルはほぼ埋まっているようだった。うちよりも遥かに盛況だ。


「うん。少しくらいなら」

「ちょうど休憩がほしいと思っていたところですから。……それより、これ、かわいいと思いません?」


 桜井さんは僕に見せ付けるようにして、スカートを指でつまんで広げてみせた。


 どうやらユニフォームは手作りか、既存の服に手を加えて作ったようだ。どちらにしても手間がかかっている。それに比べてうちは男女のエプロンを用意しただけ。一年生はエネルギッシュだ。


「ほら。キリカなんて凶悪ですよ。お客の大半はこれが目当てできてるようなものですから」


 その客の気持ちはわからなくもない。確かによく似合っている。きっと服と呼べるたいていのものなら、彼女は着こなしてしまうのだろう。


 そうやって僕が改めて佐伯さんも見ていると、ちょうど目が合ってしまい――彼女は少しだけ恥ずかしそうに目を逸らした。


「キリカ、よかったらその服、持って帰る?」

「こ、こんなかさばるの、持って帰ってどうしろってのよ!?」

「ご主人様とメイドごっこ、とか?」

「するかっ」


 それには同意見だ。


 そうして桜井さんは、今度は僕のほうに寄ってくると、口許を手で隠しながら囁いた。


「弓月さん弓月さん、極秘情報です。着替えるときに見たんですけどね、今日のキリカったらセクシー且つキュートと言いましょうか、ぇろかわいいと言いましょうか。なので、ご主人様とメイドごっこで、そのまま引ん剥いて……ぎゃお!」


 桜井さんの首に佐伯さんのチョークスリーパーが決まる。


「よ・け・い・な・こ・と・言・わ・な・い・のっ」

「ぐおおおぉぉぉ」


 ぎしぎし締め上げてくる佐伯さんの腕を、桜井さんがばしばしとタップする。


「言っとくけど、そっちが見てるってことは、こっちも見てるんだからね」


 まるでニーチェの言葉だな。


 しかし、桜井さんは佐伯さんの腕を掴んで発声するだけの余裕を確保すると、思いもよらない逆襲に出た。


「甘いわね、キリカ。そんなの自分から言っちゃえばいいだけよ。今日の桜井、上も下も青と白のボーダー柄でーす」

「……」


 何を言い出すのだろうな。


「ほら、あれですよー。夏休みに見た水着と同じだと思えば、恥ずかしくないモン?」


 時々特殊な理屈を持ち出してくるな、この娘は。


「うむむ。こうなると果たして何が両者を分けるのかという形而上学的に深い疑問が」


 あるか、そんなもの。


 と、矢継ぎ早に撃ち出されるアレな発言に、僕も佐伯さんも軽い頭痛とともに唖然としていると、その隙を突いて桜井さんがチョークスリーパーから抜け出した。


「とうっ」


 素早く佐伯さんの後ろに回り、両手でその背中を押す。


「きゃっ」

「おっと」


 突き飛ばされた彼女のその先には――僕。


 メイド服姿の佐伯さんが抱きつくようなかたちで、ぼすんと僕の腕の中におさまった。


「……」

「……」


 僕らはしばしそのまま固まり、


 それから佐伯さんがゆっくりと顔を上げて、僕にだけ聞こえるボリュームで言う。


「この服、持って帰ったほうがいい?」

「いりません」


 何に使うつもりだ。


「じゃあ、わたしは? 持って帰る?」

「……ひとりで帰ってください」


 ここはあえて惚けておくことにする。もちろん、佐伯さんは「……面白くない冗談」と頬を膨らませていたが。


 そんな学園祭らしいドタバタがあり、一日目は無事に終わりに近づいていった。

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