2.「学園祭の準備のためですよ」

 その日の放課後、僕は雀さんと並んで学校から駅までの道を歩いていた。


 と言っても、ふたりで仲良く下校しているわけではなく、そして、仲悪く険悪なわけでもない。


「悪いわね、つき合わせて」

「かまいませんよ、これくらい。僕もクラスの一員として、学園祭には喜んで協力させてもらいますよ」


 僕がそう言うと、雀さんには「弓月君って、どうにも白々しいのよね」とため息混じりに言われてしまった。日ごろの行いが悪いせいだろうか。


 僕たちは今、今週末に迫った学園祭のための買いものに向かっている。


 準備のそのまた準備のための買いものなので、たいしたものは買わない。せいぜい試作品をつくる程度のものだ。それでも誰かが家まで持って帰って、明日また学校に持ってこなくてはいけない。その役に抜擢されたのが、家の近い僕というわけだ。他にもアドバイザーという役割もあるが。


「それにしても、『本格コーヒーの店』を謳い文句にした喫茶店ってどうなんでしょうね?」

「あたしに言わないでくれます? 言い出したのは滝沢さんなんですから」

「それに諸手を上げて賛成したのは雀さんでしょうに」


 そうなのだ。我がクラスの出しものは、本格コーヒーを売りにした喫茶店と決まったのだ。


 言い出したのは滝沢。「そう言えば弓月がコーヒーを淹れるのが得意なんじゃなかったか?」と。そのひと言のおかげである程度の方向性が定まってしまった。彼はこのたび、めでたく生徒会の副会長に就任し、そのため学園祭当日は実行委員と一緒に運営側として奔走することになる。だから、せめて準備の段階でクラスに貢献しようとしたのだろう。彼に悪気はない。


 因みに、ここにいる雀さんは二学期以降もクラス委員を続投となり、準備から当日までずっと陣頭指揮をとる予定になっている。また、宝龍さんと矢神は、クラスと文芸部の掛け持ちだ。


「いいじゃない。弓月君、コーヒー淹れるの好きなんでしょ?」

「あのですね、僕を一日中コーヒーを淹れてたら幸せみたいな人間だと思ってませんか?」


 僕が好きなのはコーヒーを飲むことであって、淹れることではない。単に美味しいコーヒーを飲む過程において、多少の拘りがあるだけだ。好きな豆や濃さ、などなど。だいたいそれにしたって極力手間をかけないという前提があって、所詮はコーヒーメーカー任せだ。本当に手間暇を惜しまない人なら、コーヒーケトルを使ってじっくり淹れるだろう。


「でも、コーヒーサイフォンっていうの? そういうのも使って本格的なものもできるんでしょ?」

「まぁ。つい最近からですけどね」


 研究と試行錯誤のおかげで、たいぶ満足のいくものを淹れられるようにはなった。


「運営には四つほどリースしてもらうように頼んでるから。もし拘りがあるなら、自分のも持ってきてくれていいわよ?」

「それは謹んで辞退させてもらいます」


 学園祭でテンション上がっている連中の前に差し出して、無事に返ってくる保証はない。そして、そうなった場合、僕も連中を無事に帰す保証はできない。


 それにしても――と僕は思う。


 当日、喫茶店をやるクラスは多く、それをわかった上でほかとは差別化を図ろうという意図には賛同する。でも、いかんせんやることが中途半端だ。当日お客に出すコーヒーは紙コップだし、コーヒー豆も今から行く駅前のスーパーで買おうというのだから。いちおう紙コップには取っ手のついたホルダーをつけるし、豆も高いものを選ぶらしいのだが。……まぁ、所詮は高校生の学園祭か。


「ま、やれるだけやってみましょう」


 豆はそこそこのものでも、淹れ方次第でけっこういい味が出せるものだ。


「アドバイザーもするし、土曜はフルで働きますよ。でも、その代わり日曜はフリーにしてくださいよ?」

「何か予定があるの?」

「ちょっと、ね」


 学園祭二日目である日曜は、佐伯さんとふたりで校内を見て回る予定になっている。


 さて、言ってる間に駅前のショッピングセンターに到着だ。さっさと買うものを買ってしまおう。





 駅前のショッピングセンター一階に入っているスーパーを、雀さんと回る。


「ねぇ、テキトーに高いのをいくつか買っていけばいい?」


 コーヒーの粉が並ぶ棚を見ながら訊いてきた。


 僕としては、せめてコーヒーショップで豆を買って、コーヒーミルで挽くくらいのことはしてほしいと思うのだが。


「多少気取りたいのなら、大雑把にコーヒーなどと一緒くたにしないで、モカやキリマンジャロといった銘柄をちゃんとメニューに書き並べるといいでしょうね」

「あ、なるほど。それがいいわね」


 納得しながら雀さんはコーヒーの粉をいくつかピックアップし、僕が持っていた買いものカゴに放り込んだ。


「後は、と……」

「コーヒーシュガーやミルクでしょうね。……こっちです」


 春からこの学園都市に住みはじめて、買いものと言えばここなのですっかり商品の並びは覚えてしまった。僕が先行し、雀さんを案内する。


 陳列棚がつくる縦の通路から、それと直交する広い横の通路に出たときだった。


「あれ、弓月くん?」


 よく通る澄んだ声に振り返れば、そこには僕と同じように買いものカゴを持った佐伯さんがいた。


 彼女の顔がぱっと笑顔になる。


「どうしたの? 何か買いもの?」


 跳ねるように寄ってきて、腕に腕をからめてくる。


「それだったらわざわざ自分で買いにこなくても、わたしに言ってくれたらよかったのに」

「ちょっと、佐伯さん」


 しかし、僕の制止の声は無視。彼女は腕をからめたまま、僕を振り回すようにしてくるりと一回転する。


「あ、そうだ。今日の晩ごはん何がいい? まだ買ってないから、今ならいくらでも修正可能です。食べたいものがあったら言って。それとも、わた――」

「佐伯さんっ」


 僕は語気を強めて、彼女の言葉を遮る。というか、最後いったい何を言おうとした。


 それから顎で指し示して、あっちを見るように促す。


 佐伯さんはおそるおそるそちらに目を向け、そして、そこに唖然として立っている雀さんを見つけた。


「きゃっ」


 小さな悲鳴を上げて、僕の腕から離れる。


「「 えっと、これは…… 」」


 不味いところを見せてしまった佐伯さんと、見てしまった雀さん、それぞれがそれぞれの気まずさを抱えて言葉を発する。弁解と問いかけ、同じ文章でも別の意味なのが面白いな。


 ここはひとり冷静な僕がフォローするしかないだろう。


「前にも言いましたが、僕と佐伯さんは家が近いんですよ。それで時々夕食をご馳走になってるわけです。食費も節約できますから」


 これで説明し切れているとも思えないのだが。


「そ、そうなんです」

「そ、そうなんだ」


 あはははー、と乾いた笑いが続く。


 と、


「ちょっとちょっと、弓月くん」


 佐伯さんが僕の腕を引き、雀さんから離れる。


「なんで弓月くんがあの人と一緒に買いものしてるの。まさか晩ごはん――」

「そんなわけないでしょう。学園祭の準備のためですよ」

「あ、なるほど」


 コーヒーばかりが放り込まれた買いものカゴを見て、すぐに納得したようだった。


 短い内輪話を終えて戻ってくると、なぜか雀さんはまだ気まずそうにそわそわしていた。まだ何かあるのだろうか。そう訝しんでいると、


「ゆ、弓月君っ」


 意を決したように雀さんが声を上げた。


「あれ取ってきて、あれ」


 あれ?


「あ、あれよ、あれ。えっと……そう、紙コップ!」

「それは買い出し組に任せるはずでは」

「明日の分がいるでしょ。いいから取ってきて!」


 明日の試作品の分は、雀さんが家から持ってくることになっていたはずだ。何をそんなに必死に……ああ、そういうことか。ようやく理解した。


「いいですよ。ちょっと行ってきます」

「あ、じゃあ、わたしも」

「佐伯さんはここにいてください。すぐに戻ってきますので」


 ついてこようとする佐伯さんを振り切り、僕はその場を離れた。すぐに戻ってくると言いつつも、実際にはゆっくりと売り場を回って、テキトーに十個セットの紙コップをひとつ手に取った。


 戻ってくると、通路で立ち話をするふたりは、ちょうど僕に背を向けるかたちで、


「その、ごめんなさいね」


 話はこれからのようだった。意外に思い切りが悪いな、雀さん。


「前にあなたに向かって、弓月君がひどいやつだみたいなこと言っちゃって。あたし、ずっとわかってなかったの」

「いえ、いいんです。もう終わったことだし、わかってくれたなら」


 と、佐伯さん。


 雀さんが言っているのは、一学期、廊下で会った佐伯さんに雀さんが、忠告なんだか僕の悪口なんだかよくわからないようなことを言った件だ。その後、去年の僕と宝龍さんの事の顛末を知り、彼女はさぞかし気に病んだことだろう。


「でも、もっと最初からわかろうとしてあげてもよかったと思います。だって、去年も同じクラスのクラスメイトだったんですよね?」

「……う。まぁ、そこも反省してる……」


 雀さんはそれだけしか言えない。


 当然だろう。当時の出来事について、誰が振った誰が振られたの犯人探しをすれば、僕か宝龍さんのどちらかを疑わなくてはいけなくなる。そうなると宝龍さんの熱心なファンである雀さんが、宝龍さんを悪ものに設定することはあり得ない。


 何も言えない代わりに雀さんは、


「あたしね、弓月君のことけっこう好きなの」

「えっ?」


 え?


 危うく声を出しそうになった。何を言い出すんだ。


「あ、違うの。そういう意味じゃなくてね。あくまで友達とかクラスメイトとか、そういう意味でってこと。弓月君ってよくくだらないこと言ってからかってくるけど、あまり嫌味がなくてね。そんなだからあたしにとってはいちばん話しやすい男子なの」


 ダメだ。さすがにこれ以上聞き続けるわけにはいかない。完全に盗み聞きの領域だ。僕は再びその場を静かに離れた。


 近くの陳列棚を数列分ぐるりと回り、彼女たちの正面に出てくる。


「あー、やっと見つかった。戻ってくる途中で迷ってしまいまして」


 我ながら白々しいことをやっていると思う。


「もしかして移動しました?」

「してないわよ。しっかりしてよね、もう」


 雀さんは呆れたように言った。……まったく、こちらの気遣いも知らないで。


 僕はちらと佐伯さんを見る。

 と、目が合い、

 ぷい、とそっぽを向かれてしまった。


「……」


 怒られるようなことは何もしていないと思うのだが。少なくとも、人から好意を抱かれることは不可抗力のはずだ。





 買うものを買って、雀さんとはショッピングセンターの入口で別れた。


 今は佐伯さんと帰路についている。


 比較的軽い我がクラスへの買いものが入った袋を佐伯さんが持ち、けっこうな量になったうちへの買いもの袋を僕が持っている。


「すみません。そんなものを持たせてしまって」

「ううん。その代わりに重いほうを持ってもらってるから」


 ふたりで夕暮れの歩道を歩く。大きな道路に沿った、真ん中には街路樹が等間隔に並んでいる幅の広い歩道だ。車道も広いが、相変わらず交通量は少ない。


「弓月くんのクラスはコーヒーショップだっけ?」


 佐伯さんが買いもの袋に目をやりながら問うてくる。


「そのようなものですね」


 正確にはカフェなのだが、果たしてどれほどのことができるのやら。いや、むしろ中途半端なほうが高校生の学園祭らしくていいのかもしれないな。


「時間があったら遊びにいくから」

「それはかまいませんが、僕は裏方ですよ」


 キッチン担当。下手をすると一日中コーヒーを淹れていることになりそうだ。


「残念。弓月くんのウェイター姿、見たかったな」

「仮にホールスタッフだとしても、そこまで本格的な衣装は用意してませんよ。……佐伯さんのクラスも確か喫茶店ですよね?」

「うん。因みに、わたしはウェイトレス」

「ま、適材適所でしょうね」


 きっと人が集まるだろうな、と考え――少し複雑な気持ちになった。


「僕もうまく時間をつくって、見にいかせてもらいますよ」


 いちおう様子を見にいっておこう。いろいろ心配だし。それくらいの休憩はもらえるだろう。


 何となく話はそこで途切れ、僕らはしばらく黙って歩いた。

 思い出したように一対のヘッドライトが、前から後ろへ流れていった。それをきっかけにしたように、佐伯さんが口を開く。


「そっか。もう学園祭なんだ」


 妙に寂しげに、そうこぼした。


 まぁ、お祭りなんて準備しているときがいちばん楽しかったりするものだ。当日が近づいてくると、祭りの終わりが見えてきたようで寂しく感じるのかもしれない。


「ねぇ」


 と、切り出してくる。


「わたしが、日曜日は他の男の人と見て回るっていったら、弓月くん、どうする?」

「おや、そんな予定があるんですか? そうですね、そうなったら僕は一日のんびりできていいですね。万々歳です」


 直後、佐伯さんがぴたりと足を止めた。僕も遅れて立ち止まり、振り返る。


 彼女はじっと僕の顔を見ていた。


「佐伯さん?」


 呼びかけても、しかし、何も言わず。

 やがて足を踏み出した彼女は、僕の横を通り抜ける際、ぽつりとひと言。


「……バカ」

「……」


 僕は思わず呆然と立ち尽くす。


 思ってもみなかった反応。

 おかげで我に返るのに、しばしの時間を要してしまった。


「さ、佐伯さん……?」

「もういい。知らないっ」


 慌てて後を追うが、彼女はぜんぜん待ってはくれなかった。


 しまったな。少し悪ふざけが過ぎたか……。

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