5.「君の話は続けたくない種類のものが多いんですよ」

 片づけが一段落ついたところで、遅い昼食を取ることになった。


 リビングで大量のサンドイッチの乗った大皿を四人で囲む。さすがにこんなバタバタしている日には、このくらい手軽なものしかできないだろう――と思ったら、BLTサンドやらパンに軽く火を通したアメリカンクラブハウスサンドやらもあった。いつの間にか買いものに行っていたことといい、この品揃えといい、小母さんは意外に要領がいい人のようだ。


「弓月君のおかげで早く片づきそうだよ」


 小父さんはひとつだけある一人掛けのソファに座り、嬉しそうにそんなことを言う。


 僕と佐伯さんは、詰めれば三人は座れるだろうソファにふたりで腰かけ、小母さんは床に座っていた。


「お役に立てて何よりです」


 僕は素直にそう返す。


 飲みものはアイスレモンティ。体を動かした後なので、爽やかな味が心地よい。


「あなた、よっぽど弓月さんが気に入ったのね」


 笑いながら言うのは、僕らの向かいにいる小母さんだ。僕の横では佐伯さんが、「ほんと」と呆れ声。上機嫌な小父さんを見れば、小母さんでなくともそう言いたくなるかもしれない。


「別にそういうわけでは――」


 小父さんは言いかけて、


「いや、そうだな。私は彼を気に入っている。確かだ。認めよう。誠実だし、男らしいところもある。彼になら貴理華を任せてもいい」


 言って小父さんは、自分を納得させるようにうなずいた。


 何を言い出すんだ、この人は。

 佐伯さんが口許を手で隠すようにしながら「ほら」と囁いてきたが、僕は無視した。


「あなたが気に入るのもわかりますが、そこまで希望を押しつけるのはよくないんじゃありませんか?」

「私はただ、貴理華だってまんざらでもないだろうし――」

「だいたい、」


 まだ言葉を続けようとした小父さんを、小母さんが遮る。 


「弓月さんだってこれから先、貴理華よりももっといい女の子と出会うかもしれないじゃないですか。……ねぇ?」


 最後のは僕に向けたものだ。


「さぁ、どうでしょうか。僕としてはあまり期待はできないと思っていますが」

「まあ」


 小母さんは嬉しそうに、上品に笑う。


「う、うむ。まぁ、そうだな」


 一方の小父さんは、どんどん失速していっていた。きっと反省しているのだろう。ついさっき、親の都合を押しつけたくはないと言ったばかりなのだから。それにしてもこんな話、普通は冗談半分だろうに。真面目な人だ。


「それに貴理華がわたしみたいになったらどうするんですか」

「え、なに、お母さんみたいって?」


 佐伯さんが喰いつく。

 どうやらそのあたりのことは、佐伯さんは聞いていないらしい。


「いいんだ、そんなことは。いちいち言わなくてよろしい」


 小母さんが言ってしまいそうな雰囲気を察したのか、小父さんが止めに入る。そりゃあ聞かせたくはないだろう。家を飛び出したなんて話。


「そんなにたいした話じゃないわよ」


 小母さんは、小父さんが精いっぱいの威厳を込めた制止の言葉を、あっさり無視した。


「お母さんはね、親が決めたことに反発して、高校を卒業すると同時にお父さんのアパートに転がり込んだのよ」

「ぶふっ」


 危うくレモンティを噴き出しかけた。なんだ、それは。親子の縁を切ったとか、そういう話じゃなかったのか。


 僕は小父さんを見る。


 小父さんはばつが悪いのか、むすっとした顔でサンドイッチを口に運んでいた。そりゃあ聞かせたくなかっただろう。こんな話。


「お母さんって、そんな思い切ったことしたんだ」

「ええ、そうよ」


 感心する佐伯さんと、どこか自慢げな小母さん。……このふたり、確実に親子だ。


 ふと、佐伯さんが再度僕のほうへ身を寄せ、やはり口許を隠して囁いた。


「勝った?」

「……」


 僕はそれを無視――はできないので、軽く彼女の頭を叩いておいた。そんなところで張り合ってどうするつもりだ。


「お母さんが唯一躊躇ったのは、お父さんの名前が『佐伯』だったことね」

「ああ、お母さん今、『佐伯冴子』だものね」


 そう言って笑い合う。


 それだけの行動力があっても、そんな瑣末なことで躊躇するのか。よくわからん……。





 昼食が終わると、また片づけの続き。


 作業はふたりがかりでやっている分効率よく進み、程なく終わったのだが、「実はまだあるんだ」と、廊下にある箱を示されたときには、少しばかり閉口した。


 新しい箱を部屋に運び込む。

 開けると中は、和書と洋書が半々といったところか。きっと海の向こうで買ったものなのだろう。


「読みたいものがあれば、持っていくといい」


 小父さんはそう言うが、経営学や貿易関係、ビジネス英語の本は、さすがに僕には早すぎる。洋書に至っては問題外。


「そろそろ休憩にしませんか」


 夕方、小母さんがそう言いにやってきた。


「はい、弓月さんにはこれね。弓月さんと貴理華の分。あの子のところに持っていってあげて」


 渡された盆には、オレンジジュースのグラスとロールケーキがひと切れ乗った小さな皿が、各ふたつずつ。


「なんだ、貴理華に下りてこさせればいいじゃないか」

「何でもかんでも家族と一緒じゃ、貴理華だって息が詰まりますよ。それに親の前じゃ思い切って話ができないでしょうし」


 つくづく子のことをよく考えている人だと思う。子どもは親の前では、遠慮なく友達同士の会話ができないことを知っているのだ。


「佐伯さんの部屋は二階でしょうか?」

「ええ、そう。上がってひとつめの部屋よ。ドアを見ればわかるわ。階段、気をつけてね」

「わかりました」


 僕はさっそく二階へ行ってみることにする。


 階段は玄関を入ってすぐ脇にあったのを覚えていた。二階に上がってひとつめ。――ここか。ドアには『きりか』と書かれたプレートがかけられている。確かにわかりやすい。


 僕は今まで両手で持っていた盆を片手で支え、あいた手でノックした。


「はーい」

「僕です。小母さんが休憩にしてはどうかと」

「あ、そうなんだ。鍵かけてないし、入って」


 深呼吸をひとつして、ドアを開ける。


 中は和室で言えば八畳ほどの広さで、全体に女の子らしい淡い色彩に統一されていた。勉強机にベッド、本棚、スチールラック。クローゼットはビルトインのようだ。その他には、男の部屋にはまずないであろう化粧台に、大きな姿見があった。


 床はフローリング。中央に小さめのカーペットが敷かれていて、その上にテーブルが置かれている。


 中でも目を引いたのは、座イスとソファの混血児みたいな家具だった。立派な座イスというか、下半分をぶった切ったソファというか。ほぼ床と同じ高さに座るのだが、ソファ並みにしっかりした背もたれと肘掛けがついていて、余裕でふたりは座れる幅がある。


 僕が中に入ったとき、佐伯さんは布団も枕もないマットレスだけのベッドに座っていた。どうやら寝転がって本を読んでいたらしい。片づけは終わったようだ。


「ありがとー。そこに置いてくれる?」


 僕の持っているものを認めた佐伯さんが、テーブルを指し示した。言われた通りにそこに盆を置くと、彼女は膝で歩いてテーブルに寄り、さっそくグラスを手に取った。そのまま座らず、またベッドに戻る。


「ここ、座らせてもらいますよ」


 僕もグラスを取り、座ソファに腰を下ろす。予想通り、尻の下の感触は座イスで、もたれたときに体を包む感覚はソファのものだった。


 座ソファはベッドと反対の位置にあるので、僕らはテーブルをはさんで向かい合うかたちになる。目線は彼女のほうが少し高い。足をそろえて座るその姿勢がきれいだった。


「こっちに座ればいいのに」


 佐伯さんが自分の横を掌で叩く。そこはベッドだ。


「遠慮しておきますよ」

「下に親がいると思うと燃えませんかっ」

「何を考えているんですか、君は」


 どうしてそんな危ない発想が出てくるんだろうな。


「なんてね。すでにひとつお母さんに隠しごとしてるから、さすがにそんなことはできないけどね」


 しかし、ジュースをひと口飲んだ後はけろりとしてそう言い、彼女は苦笑した。確かに僕らが同居していることは、まだ小母さんに内緒にしている。どこかのタイミングでちゃんと言っておくべきかもしれない。


「お母さんと言えばさ――びっくりしたよねぇ。そんなことがあったなんて」


 高校を卒業すると同時に小父さんのアパートに転がり込んだことだろう。佐伯さんは驚いているというよりは、どこか嬉しそうだ。


「お母さんのそういう話とか実家のこととか、初めて聞いたかも」

「君から尋ねたことはないんですか?」

「自分で言うのもなんだけど、聡い子どもだったから、小さいときに一度聞いてお母さんが話しにくそうなのを見て、もう聞かないほうがいいのかなって思ってた。だから、お母さんのほうのおじいちゃんやおばあちゃんとも会ったことがないし」


 ということは、家を飛び出した小母さんが、今は親とも絶縁状態なのは確かなようだ。


「なら、きっとこれからは少しずつ話してくれますよ」

「ん、そだね」


 佐伯さんは笑う。


 喉も潤った僕らは、改めてテーブルに向かい、小母さんが用意してくれたロールケーキを食べはじめた。





 その後、佐伯邸はひと通り片づき、夕食をご馳走になった後、僕らは午後九時前には学園都市の駅に戻ってくることができた。


 ありがたいことに、小父さんがこちらの駅まで車で送ってくれた。所要時間は一時間弱というところか。

 なぜ家ではなく駅までなのかというと、「娘が男と一緒に暮らしているのを見ると、やはり複雑な気持ちになるよ」なのだそうだ。


 そんなわけで今、僕たちは学園都市の駅から家へと向かって、街灯が照らす夜道を歩いていた。


「それにしても何やらいっぱい持って帰ってきましたね」


 僕の肩には佐伯さんのものであるスポーツバッグがかかっている。彼女が家から持ち出してきたものが入っているのだが、けっこうな大きさがあるので僕が持つことにしたのだ。


「これから季節が変わるから、秋冬ものをちょっとね」


 ちょっと? これがちょっとという量だろうか。最初見たとき、海外旅行でも行くのかと思ったのだが。


「でも、改めて見ると、案外着れないものが多くて」

「太りましたか?」

「失礼な。実はいろいろ成長して……って言いたいところだけど」


 と、佐伯さんは一度言葉を切る。


「彼氏がいるのにフルヒップの下着とか、ありえないと思わない? さぁこれからってときに引かれたら目も当てられないし」

「そう言えば君、今日は家にいなくていいんですか? 久しぶりに家族全員が顔を合わせたのに」

「……弓月くんて時々人の話を聞かずに話題を変えるよね」


 半眼、横目で僕を睨む。


「君の話は続けたくない種類のものが多いんですよ」


 だいたいなんでいつも臨戦体勢なんだ。


「まー、確かに家族がそろうのは久しぶりで、お母さんとは半年ぶりだけど……明日だって学校じゃない? 家に泊まると朝が大変だから」


 それもそうか。ただでさえ遠いのに、学校に行く前にこっちの家に寄らないといけない。仮に小父さんに車で送ってもらったとしても、向こうを朝の七時には出ることになるだろう。


「それに――」


 と、佐伯さん。


「今のわたしの家はこっちだから」

「なるほど」


 納得する。


 気づけば僕と佐伯さんの家は、もう目の前だった。

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