4.「身勝手な人だと思わないであげてください」

「ゆーみーづーきーくん。ガッコ行ーこーお♪」

「君は小学生ですか」


 朝、朝食を終え、自室で登校の準備をしていると、佐伯さんがひょっこり顔を出した。


「いいじゃない。それより学校」

「行けばいいのでは?」

「一緒に」

「いやです」

「なんで!?」


 効果音をつけるなら「がーん」といったところか。佐伯さんはオーバーに驚いた。


「いえ、とりあえず反射的に言っただけです」


 我ながらそれもどうかと思う。よけいな反射運動が身についてしまったらしい。


「じゃ、いい?」

「そうなりますね」

「なんか中途半端な態度」


 彼女は眉間にしわを寄せた。


「意思表示ははっきりと。『一緒に学校に行きたいです。ついでにぇろいことも――」

「君ひとりで行ったらどうですか?」

「ごめんなさい。一緒に行きたいのはわたしでした。……じゃ、待ってるから」


 彼女は言うだけ言って、ドアの向こうに消えた。


「まったく……」


 なぜこんなにも一緒に行くことに拘泥するのか。理解不能だ。


 と思っていたら、再びドアが開いた。


「ぇろいことをしたいのもわたしです」


 何か投げつけてやろうと、思わずベッドの上の枕を手に取った。が、それを振りかぶったときには、すでに彼女の姿はなかった。





 学校までのいつものルートを佐伯さんと一緒に歩く。


 弓月恭嗣の一挙手一投足が注目されているなどというのは単なる自意識過剰だとわかったのだが、それでも彼女と一緒に歩くのは慣れない。学校がらみだと特に。


「弓月くん、今夜のおかず何がいい?」

「別に何でもいいですよ」


 佐伯さんはいつも通りだ。人には言えない生活が透けて見える会話をするくらいいつも通りなのもどうかと思うが。というか、迂闊にそういう会話を持ち出すのはやめて欲しい。


 交差点で信号に引っかかり、僕らは立ち止まった。


「やはり見られているような気がするのですが、これも気のせいでしょうか」


 対岸を行く水の森の生徒の何人かは明らかにこちらに目をやっていた。


「例えばさ――」


 佐伯さんはそんなことに気にした様子もなく、正面に顔を向けたまま言う。


「弓月くんが歩いていて、少し離れたところに水の森の制服が見えたら、やっぱり見るんじゃない?」

「ああ」


 なるほど。言われてみれば自然な運動だ。きっと僕だってそうするだろう。そちらに目をやって、知った顔なら声をかけるし、知らない人間なら十歩も歩けば忘れているだろう。


「確かに僕もかわいい女の子がいれば、そちらに目が……ぐっ」


 途中で佐伯さんの肘打ちが脇腹に突き刺さり、僕の言葉は最後まで続かなかった。かなり遠慮なく入ったようで、僕はあまりの痛みにうずくまりそうになった。


「君が怒ることはないでしょう」

「しらないっ」


 痛む脇腹を押さえながら正面を見れば、先ほどよりも多くの視線がこちらに向けられていた。それもじろじろと。


 これも気のせい……ではないのだろうな。





 ひとつ目の事件は昼休みに起きた。


『屋上にきて』


 昼休みも半分が過ぎたころ、昼食を食べ終えて矢神と話をしていた僕のもとに、宝龍美ゆきからそんなメールが届いたのだ。


 教室内を見てみる。

 さっきまで女子のグループの中にいたはずの彼女の姿はいつの間にかなくなっていて、たまたま目が合った雀さんに「ふん」と鼻を鳴らしてそっぽを向かれてしまった。


「どうしたの?」


 突然何かを探すようにあたりに目をやった僕に、矢神が尋ねる。


「宝龍さんから呼び出しを喰らいました。もし僕が帰ってこなかったら、彼女が犯人だと思ってください」

「え……?」

「冗談ですよ」


 僕がそう言うと、矢神はばつが悪そうに苦笑いをした。こんな冗談を真に受けるとは、言った僕に問題があるのか、それとも彼には宝龍さんがそういう人に見えているのか。


「そう言えば最近、宝龍さんは文芸部に顔を出してるんですか?」


 まだ机の上に出しっぱなしだった弁当箱を鞄に突っ込みながら聞く。別に大慌てで屋上に行かなくても怒られはしないだろう。


「うん。うちは週に三回活動があるんだけど、そのほとんどにきてる感じかな」

「そうですか」

「最初は本を読んでるだけだったけど、今は小説を書いてるみたい」


 なるほど。順調に文学少女になりつつあるらしい。年上の女性をつかまえて少女というのも失礼だが。


「なんでも身の回りに面白い話があるとかで、それを題材に書いてるみたい」

「意外ですね。あの人は淡々と毎日を過ごしてる印象がありますが」

「それはいいんだけど」


 矢神は顔を曇らせた。


「何かあると必ず僕に聞くから」

「いいじゃないですか、クラスメイトなんですから。あの人も矢神を頼りにしてるんでしょう」

「この前は帰りに一ノ宮の大型書店につき合わされたんだ」


 瞬間、僕は吹き出していた。


 あのクールビューティの宝龍さんと気の弱そうな矢神の組み合わせというのも、これはこれでいいような気がする。まさか荷物を持たされたりはしてないだろうな。


「ひどいよ、笑うなんて。こっちは大変なのに」

「すみません。悪気はないんです」


 確かに矢神では宝龍さんの相手は荷が重そうだ。


「さて、僕はその宝龍さんのところに行ってきます」


 机の上の片づけを終えた僕は、席を立って教室を出た。


 階段を上がって、まず三階へ行く。僕ら二年生がいるのが二階。では三階は三年生かというと、実はあるのは一年生の教室だ。どういう理由か、水の森は学年が上がるごとに教室の配置される階が下がっていくのだ。順調にいけば来年の僕は1階で授業を受けているはずだ。一年の教室で二年間を過ごした宝龍さんのような人もいるが。


 三階。


 ここは一年生、つまり佐伯さんがいる階だ。僕は特にこれといった意味もなく、廊下から佐伯さんのいるであろう教室がある方向に目をやった。普段の十分の休み時間よりも出歩く生徒が多く、騒がしい昼休みの風景。そこに佐伯さんの姿はない。ここでばったり会うほどタイミングよく(悪く?)はないらしい。


「おっと、弓月くん発見」


 と思ったら、背後から聞き慣れた声。振り返ればそこに佐伯さんが立っていた。


「……なぜ君は人の裏をかいて後ろから現れますか」

「悪いことしてるみたいに言わないでよ」


 彼女は心外だとばかりに頬を膨らませた。


「もしかしてわたしに何か用?」


 今度は一転、なぜか期待に満ちた目で僕を見る。


「いえ、別に君に用というわけではないのですが」

「なーんだ」


 さて、ここをどう切り抜けたものか。正直に屋上へ行くことを話すのは論外のような気がする。ここは下手にその場しのぎのことを言うよりは、引き返した方が無難だろう。


 と――、


「屋上?」

「え?」


 不意打ちで図星を突かれたせいで反応ができなかった。


「ふうん。屋上に行くんだ」


 佐伯さんは屋上へと続く階段に目をやる。僕はというと、今から否定しても無駄だろうと、もうすでに諦めていた。


「宝龍さんが待ってるんだ?」

「ええ、まぁ……」


 歯切れ悪く答えると、佐伯さんは僕を観察するようにしげしげと眺めた。


「ふうん……」

「……」

「……」

「……」

「わたしも行こうっと」


 不意に彼女はくるりと体の向きを変え、階段へと向かう。


「え、ちょっと佐伯さんっ」


 僕もすぐに後に続いた。短いスカートを押さえながら階段を登る彼女を追う。


「いったい何しにいくつもりですか」

「いいじゃない。前から一度、屋上に出てみたかったんだから」


 所詮移動距離は一階分。すぐに階段を登りきった。


 止める間もなく佐伯さんは屋上へと出る鉄扉を押し開けた。普段は施錠されているそこも、今は非公式の鍵の持ち主が外に出ている最中なのですんなりと開いた。


 青空の下に出ると、グラウンドとは反対側のフェンス際に宝龍さんがいた。

 鉄扉の開閉音で振り返った彼女は、まず最初に佐伯さんの姿を見つけ、それから怪訝そうな顔をこちらに向けた。僕は黙って肩をすくめる。


「へぇ、こんななんだ、屋上って。あまりきれいじゃないね」

「雨ざらしですから」


 そもそも利用することを考慮していない、単なる屋根の上なのだ。隅には何やらよくわからないガラクタが放置されている。広い物置くらいにしか思われていないのかもしれない。


「あなたもきたのね」


 近寄ってきた宝龍さんは、特に感情を含めずフラットな声で言った。


「ええ、一度きてみたかったものですから」


 対する佐伯さんは、宝龍さんには興味はないとばかりに相対することもせず、彼女の横をすり抜けていった。てっきり宝龍さんに突っかかっていくものだと思っていたので、僕は少々拍子抜けした。


 宝龍さんは僕を見る。


「運悪く下で捕まってしまったんですよ。……佐伯さん、グラウンド側には行かないようにしてください。見つかってしまいますから」

「わかったー」


 僕と宝龍さんもフェンスの方に寄った。屋上の淵、フェンスの土台となっている部分に並んで腰を下ろす。少し離れた場所では佐伯さんが学園都市の街並みに目を向けていた。


「こんなところに呼び出して、何の用ですか?」

「特に用はないわ」

「……」


 僕は特に用もないのに呼び出されて、副次的なものとは言え佐伯さんと宝龍さんが顔を合わせるという心臓に悪い場面に立ち会わされたのか。


「強いて言うなら、呼び出すこと自体が目的ね。今私がきてと言ったらきてくれるのかしらと思ったの」

「そんなことでしたか。でも、たぶん僕は断る理由がない限り、ひとまずは呼び出しに応じると思いますよ」

「確かにそうね。恭嗣、誰が相手でものこのこ出て行きそう。これじゃ判断基準にならないわね」


 いや、まぁ、相手が雀さんあたりなら少しは考えるかもしれない。行ったら竹刀持って待っていそうな内容と場所なら断るだろう。


「どうなの最近、彼女とは」

「なんですかね、その特別な意味がありそうな質問は。……順調ですよ。うまくやってます。ルームメイトとしてね」


「ほーんと、そこだけ順調。もう少し進展があってもいいと思うんですけれど」


 ぎょっとして振り返れば、いつの間にか佐伯さんがそばにいて、宝龍さんの横に立っていた。座っている彼女を見下ろす。


 宝龍さんは佐伯さんを見上げて一瞥しただけで、すぐに顔を正面に戻した。


「そう。まだ何もないのね。少し安心したわ」


 短く、それだけ。


 不機嫌顔で宝龍さんを見下ろす佐伯さんと、その視線にも動じず涼しい顔で無視する宝龍さん。つくづくこのふたりの間にいなくてよかったと思う。そんなところにいたら、みっともなく右に左にきょろきょろしていたことだろう。


「わたし――」


 と、佐伯さんが切り出す。


「前にあなたと弓月くんの間に何があったか、弓月くんから聞きました」

「……そう」

「ゆるせません。思いつきで弓月くんとつき合いはじめたことも、弓月くんが事実とは違う非難に晒されているのを知って黙っていたことも」

「佐伯さん、それは僕も承知の上でのことです」

「わかってる」


 彼女は相変わらず宝龍さんを見下ろしたまま、僕の言葉に答えた。


「それでもわたしはあなたをゆるせません。本当は学校中に弓月くんはそんな人じゃないって言いたいけど、でも、そんなことは弓月くんも望んでいないだろうからやりません」


 そこでひと息。


 そして、


「あなたの弓月くんへの気持ちが前とは違ってるのかもしれませんが、あなたにそんな資格があるとは思わないでください」


 それが最後の発言だった。


 佐伯さんは踵を返し、僕にすら何も言わず、鉄扉を開けて校舎の中に消えていった。


 残された僕らの間に言葉はない。


 遥か下、グラウンドのほうからは生徒の声が遠く聞こえる。五時間目に体育をやるクラスの生徒が早く出てきて遊んでいるのだろう。


「佐伯さんの言ったこと、気にしないでください」


 先に口を開いたのは僕だった。


「でも、あの子の言う通りだわ。きっとあの子が学校でも恭嗣と一緒にいたがるのも、昔の噂を払拭するためね」

「さて、どうでしょうね。そこまで深く考えていないかもしれませんよ」


 というのは軽口で、宝龍さんに言われるまでもなく先の佐伯さんの言葉を聞いているうちに、今までのことはそういうアピールの意図があったのだろうとの推測に至っていた。


「私も今のままではあの子と同じ土俵に立つ資格はないわね」


 それを聞いて僕は深いため息を吐いた。


「どうしたの?」

「いえ、いつの間に僕はこんな色男になったのだろう、とね」


 少なくとも水の森に入学したときは平々凡々な一介の高校生だったし、そのまま卒業するつもりでいた。こんなことになるとは誰が想像できただろうか。


「恭嗣は前からそうだったわ。恭嗣なら私の横に立っても釣り合うと思って選んだし、私を庇って進んで悪ものになっていたときもそう感じていたわ」

「それは初耳です」


 今まで気がつかなかった新しい自分を発見した気分だ。

 僕はもう一度ため息を吐いた。





 バン――

 と机を叩かれたのは五時間目の授業が終わった後の休み時間、僕がさっきまでやっていた数学演習の教科書を片づけているときだった。


 机の上に置かれた掌から腕を辿って見上げてみると、そこに雀さんの顔があった。左の耳の上辺りにヘアピンが刺さっているだけの短い髪には、校則違反になるような隙は一分もない。そして、性格なのかクラス委員だからなのか、いつも険しい表情をしている顔は、今は明らかに怒りを溜め込んでいた。


「雀さん、ヘアピン変えましたか?」


 尋ねると一転、彼女は嬉しそうに笑顔を見せた。


「あ、わかる? 昨日、帰りに一ノ宮の高架下で見つけて……って、そうじゃなくて!」


 再度、机を叩く。今度は両手だ。


 休み時間に入り、授業から解放されて教室内が騒がしかったこともあって、その音はさほど周囲には響かなかった。それでも近くにいたクラスメイトが数人、何ごとかとこちらに目をやった、


「何か?」

「最近またいっそうあの佐伯さんと仲がよくなったそうね」


 雀さんは呆れと怒りを混ぜたような複雑な表情をした。


「そうですか?」

「今日も一緒に登校してきたらしいじゃない」

「それに関しては客観的事実ですね」


 ただ、過去数回は強引な佐伯さんに根負けしての妥協の結果で、別にいいかという気持ちになったのは今日が初めてなのだが――そんなことは言っても仕方ないだろう。僕の主観でしかない。


「昼休み、宝龍さんと一緒だったみたいだけど、どこに行ってたの?」

「話が飛びましたよ」

「飛んでませんっ」


 間髪容れず言い返された。


「いったいどういうつもり? 未だに宝龍さんと仲がいいことだけでも許しがたいのに、佐伯さんにまで手を出すってどういうことよ。二股かける気!?」

「まさか」


 誰がそんな恐ろしいことをしようと思うか。僕は命がけでチキンレースをするほど酔狂ではない。


「しかし、雀さん」

「何よ?」

「一緒に登校することもクラスメイトと話をすることも、通常の生徒間交流の範囲内だと思いませんか」


 僕自身、前者などは少々不本意な部分もあるが、かと言って指弾されるほどの行為だとも思わない。


「確かにそうです。でも、弓月君の場合それを足がかりに、次に何をするかわかったものじゃありませんから」

「僕はいったいどれだけ悪人なんだ……」

「去年――」


 僕の言葉にかぶせるようにして雀さんが発音する。


「あなたがどれだけ不誠実なことをしたか、忘れたわけじゃないでしょうね」

「……」


 例の僕にまつわる噂や悪評もいいかげん忘れ去られつつあるのだと思い直しはじめていたのだが、雀さんだけは相変わらずのようだ。恨み骨髄というやつか。


「弓月君、あなたはね――」

「ナツコ」


 先ほど雀さんが僕にしたようにして、今度は彼女の言葉が別の声に遮られた。


「宝龍さん……」


 見れば宝龍美ゆきが厳しい表情で立っていた。怒っているのとはまた違う、どちらかと言うと緊張の面持ちだった。


「ちょっときて」

「でも、宝龍さん」

「いいからきなさい」


 彼女は雀さんの手首を掴むと、かまわず歩き出した。手を引っ張り、教室の外へ出て行く。完全に置いてけぼりの僕だったが、彼女たちの後姿を見てなにやら嫌な予感を感じていた。


 それが兆候。

 そして、本日ふたつ目の事件は放課後に起きた。





「相変わらず眠そうな顔をしてるわね」


 終礼終了後、席を立とうとした僕に声をかけてきたのは、またしても雀さんだった。


「この顔のつくりは生まれつきですよ」


 やる気のない眠そうな半眼と、それに擬態するように隠れた目つきの悪い黒目は弓月恭嗣のトレードマークみたいなものだ。生まれつきかどうかは別にして。


「ちょっと話があるんだけど」

「何ですか? もう帰るつもりなので、手短にお願いします」

「歩きながらでいいわ」

「……」


 えっと、滝沢は……もういないか。今逃げるようにして教室を出て行った背中は矢神だろうか。意外に素早いな。


「なにきょろきょろしてるのよ」

「いえ、別に……」


 矢神と宝龍さんは文芸部の部活、滝沢は個人的に生徒会に顔を出しにいくのだろう。どうやら助けは現れないらしい。


「わかりました。でも僕、駅までは行きませんよ」

「いいわ」


 仕方がない。覚悟を決めよう。僕は席を立った。


 教室を出て昇降口へ。靴を履き替え、校門を出る。間、雀さんは話をするのを躊躇うかのように、ずっと押し黙ったままだった。時間は有限。言いたいことがあるのなら早くしてほしいのだが。


 思い切って僕から切り出す。


「宝龍さんから何を聞いたんですか?」

「え?」


 直後、雀さんは小さく体を振るわせた。

「どうしてそれを……」

「だいたい予想がつきます」


 そして、何を聞いたかも。


「……」

「……」

「去年、何があったか聞きました」


 下校する生徒の流れに乗って少し歩いてから、雀さんは委員長の口調で切り出した。


「どうして何も言わなかったの?」

「もとより誰にも言うつもりはありませんでした」

「あれだけ非難されていたのに?」


 確かに当時はずいぶんと白い目で見られた。水の森で随一の美貌を誇る宝龍美ゆきと交際する栄誉を授かりながら、三ヶ月足らずで振った男。宝龍さんの人気が高い分、僕への非難は厳しかった。


「あたしなんか、ついさっきまで弓月君を責めてたし」

「そうですね」


 雀さんは特に熱心な信奉者だから仕方のないことだろう。


「……だから、その、ごめんなさい……」


 雀さんは気落ちした調子で、謝罪の言葉を口にした。


「まぁ、終わったことですから、気にしないでください」

「やっぱり宝龍さんの人気とか評判を守るためだったの? そうじゃないかって宝龍さんが言ってたわ」

「……」


 よけいな推測まで言ってくれたものだ。


「まぁ、世間の評価や評判なんてプラスもマイナスもない僕が、多少悪く言われたところでたいした実害はないとは思ったのは確かですよ」

「やっぱり宝龍さんをかばってたんじゃない」

「……」


 日本語は柔軟性が高いな。


 それにしても、なぜ今になって宝龍さんは本当のことを話したのか――。それには昼休みの佐伯さんとの一件が影響しているだろうことは容易に想像できる。


「雀さん、宝龍さんのことを身勝手な人だと思わないであげてください」


 いちおうフォローは入れておかないと。


「弓月君ってお人好しね」


 雀さんは笑う。


「あたし思うんだけど、宝龍さんも辛かったんじゃないかな」

「あの人も?」

「だって自分のせいで人が辛い思いをしてるのに、それを見ても平気な人なんてそうそういないでしょ。好きとか嫌いとか関係なく」

「そうですね」


 この分だと雀さんの宝龍さんへの評価が180度変わったということはなさそうだ。


「ねぇ、もう一度つき合ってみたらどうかな?」

「は?」


 ほっと安心していたところに不意打ちがきた。


「もしもし、雀さん? つい昨日までと主張が真逆になってますよ」

「そ、それくらいあたしも自覚してますっ」


 雀さんは恥ずかしそうに、そして、不貞腐れたように言う。


「でも実際、弓月君くらいしかいないと思うの。宝龍さんって頭がよすぎて独特の思考を持ってるでしょ? だから弓月君みたいな少し変わった人の方がうまくいきそうな気がする」

「人を変な人間みたいに言わないでください」

「あなた、自分が平凡な人間だと思ってるの?」


 横目でじろりと睨まれた。そこまで言われると自信がなくなってくる。


 やがて交差点が近づいてきた。


「僕、次で曲がりますから」

「あ、そうなの?」

「そうなんです。なので変な期待を押しつけられないうちに帰ろうと思います」


 信号はちょうど青だった。


「そういう言動が変だって言われるんです。……じゃあね、弓月君」

「では、また明日。ナツコさん」

「ナツコ言わないっ」


 僕はその声を背中で聞きながら、逃げるように駆け足で横断歩道を渡った。


 どうやらこれで雀さんにからまれることはなくなりそうだ。まぁ、それはそれで寂しくはあるのだが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます