3.「昔の話をしましょうか」

 ゴールデンウィーク最終日――、


 最後の休みである今日は、妹の襲撃を受けたり佐伯さんと遊びにいったりしたこれまでとは違い、非常にゆったりしたものだった。夕方になって初めて駅前のスーパーに出かけるために外出し、今はその帰り。


「それにしてもずいぶんと買いましたね」


 ショッピングセンターを出たところで、僕は改めて自分の手の中にある荷物を見た。


 大量の食料品。

 レジ袋はひとつだが、目いっぱい詰め込んである。大雑把なことをしてしまったものだ。これならふたつに分けた方がよかったかもしれない。数は増えても持ち運びやすかっただろう。


「明日から学校だから、お弁当のおかずとかもいろいろ買い込んどかないと。学校の帰りに寄ってもいいけど、遠回りになるしね」

「何が必要かおしえてくれたら、僕が行きますよ?」


 僕はこの街を気に入っているので、多少の遠回りも平気だ。


「や、そこは、ほら、買いものはわたしの担当だから」

「そのわりには今、僕もつき合わされてるわけですが」


 僕は荷物持ちなのだろうか。


 しかし、佐伯さんは誤魔化すように白々しい笑いをもらすだけだった。


 と、そこで僕の携帯電話がポケットの中で着信メロディを奏でた。あいている手でそれを取り出して見てみると、液晶には相手が宝龍さんであることが示されていた。

 片手で端末を開き、電話に出る。


「はい」

『恭嗣?』


 聞こえてきたのは温度の低い声。気の弱い人間なら思わず謝ってしまいそうだが、これが彼女のデフォルトだ。


『今から会えない?』

「今から、ですか?」


 何とも唐突な。


 かつて携帯電話が出回りはじめたころ、これが普及すると人は外へ出て人と会うことが少なくなると懸念されたらしい。だが、蓋を開けてみれば携帯端末の最も多い使用目的は、人と会う約束をすることだったという。


「その言い方だと学園都市にいるわけですね?」


 僕はひとまず返事を保留にした。


『ええ、学校にきてたの。今は学校を出て七分から九分というところね』

「そうでしたか」

『後ろで聞こえる騒音の感じだと、恭嗣は外かしら?』

「当たりです」

『私の予想だと、かわいい彼女と買いものね』


 なかなか鋭い。


『そして、今ちょうどふたりそろってショッピングセンターから出てきたところ。大きな買いもの袋をひとつ、恭嗣が持ってる。今の服装は――』


 これにはぎょっとした。

 さすがのホームズ先生もそこまで推理できるとは思えない。ということは、結論はひとつだ。


 僕は辺りを見回し――見つけた。


 少し離れたところで制服姿の宝龍さんが、携帯電話を耳に当てて立っていた。僕が気づいたのを見て、小さく手を振ってくる。


「趣味が悪いですね」

『私だもの』


 お互いの顔をその目で見ながら、端末を通して話す。そのやり取りを最後に僕らは通話を切った。歩み寄る。僕の横には佐伯さんがいた。


「こんにちは、佐伯さん」

「こんにちは」


 宝龍さんは余裕のある微妙に挑戦的な笑みを浮かべて、対する佐伯さんは不躾なやぶ睨みで、挨拶を交わした。


「今日はまたどうして学校に?」


 問うたのは僕だ。放っておいたら佐伯さんがずっとガンを飛ばしたままになりそうなので。


「この前言ったでしょ。部活に出てたの」

「なるほど。それで、どうでしたか?」

「矢神君にお薦めの本を聞いて、少し読んでみたわ。なかなか面白かったわね」


 と、彼女は淡々と述べる。

 この様子だと面白くても表情ひとつ変えずに読んでいたのだろう。本を薦めた矢神としては、気が気でなかったに違いない。


「それと文芸部員らしく、自分でも何か書いてみようと思うの」

「書くって、小説をですか?」


 少し意外な気がして、僕は問い返していた。


「そうよ。書き方の本も借りてきたわ。恭嗣、どう思う?」

「率直な感想を言うと――」


 と、前置きする。


「あなたは何でもできる人だから、良くも悪くも教本通りに書いて、面白くないものができ上がりそうな気がします」


 途端、宝龍さんはおかしそうに笑い出した。


「鋭いわ。実は私もそうなるだろうと思ってるの。これは恭嗣を驚かすためにも頑張らないといけないわね」


 そうして最後に微笑を僕に投げかけて、この話題を締め括った。


「ところで、見たところあなたたちは買いもののようね」

「そうです」


 横で黙って威嚇の眼差しを放っていた佐伯さんが応じた。


「弓月くんと一緒に買いものにくるのは、わたしの楽しみのひとつですから」

「そう。羨ましいわ」

「羨ましい?」


 一転、不思議そうに問う。


「私は恭嗣と一緒にどこかに行くといったことを、あまりしなかったから」


 同意を求めるように、宝龍さんは僕を見た。


「ですね」

「そうなの?」

「そうですよ」


 一時期つき合っていたわりには、僕らは休日に会うようなことをしなかった。たまに土曜の帰りに一ノ宮に寄ったりしたくらいか。


「まぁ、お互いそういう気持ちは欠片もありませんでしたから」

「そうね」


 今度は宝龍さんが僕の言葉に同意を示した。


 が。


「でも、今の恭嗣なら違うわね。前よりはいろんなところに一緒に行ってみたいと思うわ」


 彼女は誘うような、挑発するような目で僕を見た。その視線は攻撃的でありながら、吸い込まれそうな魅力があった。


「恭嗣だって、今の私ならと思うでしょう?」

「まぁ、そうですね」


 それが彼女の迫力に圧倒されて出たものなのか、本当にそう思って言ったものなのか、自分でも判断がつかなかった。


「ぁ痛っ」


 すると突然、脇腹をペンチのようなもので捻り上げられた。もちろん、それは佐伯さんの指だ。


「帰ろ、弓月くん」


 佐伯さんは僕の手首を掴み、ずんずんと歩き出す。


「怒らせたみたいね」


 苦笑する宝龍さんに、僕は肩をすくめて応えた。

 佐伯さんにも聞こえているだろうが、彼女は無言。


 そのまま僕は、微笑みながら手を振る宝龍さんに見送られ、連行されていった。





 次に佐伯さんが口を開いたのは、駅前の大きなスクランブル交差点で信号待ちをしているときだった。尤も、ここ学園都市はこれまで何度か言ったように、平日の登下校時間を外れると案外人通りは少ない。むしろ雰囲気は閑静な住宅街のそれに近いだろう。なので、スクランブル交差点と言っても、行き交う人の数は一ノ宮のようなターミナル駅のものとは比べるべくもない。


「わたし、あの人きらーい」


 まるで拗ねた子どもだ。


「あれでも性格が丸くなった方ですよ」

「そうなの?」

「まぁ」


 僕が出会った頃の宝龍美ゆきというのは、美しくて聡明だが、常に一歩引いて、世のすべてを見下しているようなところがあった。きっと優秀すぎるのだろう。それが少しずつやわらいできたのは、ここ数ヶ月のこと。僕と別れた後くらいからだ。


「……今でも性格悪いと思う」


 佐伯さんは口を尖らせた。


「それにまだ弓月くんのことが好きみたいな態度。もう終わったことのはずなのに」

「終わったこと、ね」


 少し笑ってしまった。


 それは傍からは自嘲的な笑いに聞こえたかもしれない。そして、佐伯さんはそれを耳ざとく拾っていた。


「なに?」

「いえ、まぁ」


 そこでちょうど信号が変わった。歩行者用の信号機がいっせいに青になり、待っていた人が縦、横、斜めに横断歩道を渡り出す。


 僕は向こう側へ渡り切ってから続けた。


「終わったことどころか、はじまってもいなかったんじゃないかな、と」

「どういうこと?」


 佐伯さんが首を傾げた。

 どういうこと?――と、彼女は問う。当然だ。こんな説明でわかるはずがない。


 僕はため息をひとつ。


「昔の話をしましょうか」

「え?」

「君が知りたがっていた話ですよ」

「あ、うん……」


 力なく返事をした後、佐伯さんはおとなしくなった。


 さて、話そうか。


「まず最初に言っておくと、僕と宝龍さんはお互いのことを何とも思っていませんでした。好きだとも嫌いだとも、ね」

「……それ、本当なの?」


 佐伯さんは横を向き、僕を見上げてくる。


「本当です」


 僕はそんな彼女の問いにきっぱりと答えた。


「それがどうやったらつき合うことになるの?」

「簡単ですよ。彼女がそう言い出したからです」





 あれは確か去年の夏休み明けだったか。放課後、一度下校した僕だったが、電車に乗る直前に忘れものをしたことに気づいた。引き返して教室に戻ると、そこにはもう誰も残っていなくて――中に這入ってドアを閉めると、教室は外界から隔絶された。


 グラウンドの部活動の声は遠く、

 磨りガラスの向こうの廊下を時折生徒が歩いていくが、この教室には見向きもせず通り過ぎていった。


 これ幸いと、僕はこの孤独に身を委ねることにした。


 窓枠に軽く腰掛け、腕を組んで目を閉じていると、不意に教室のドアが開いた。――宝龍美ゆきだった。


 このとき僕は、突然の彼女の登場にも拘らず慌てなかった。単純に宝龍さんの美貌に見惚れたのもあるが、それ以上に何かただならぬ雰囲気があったからだ。


 互いの顔を見合うこと数秒――そうして彼女は言った。


「私とつき合って」


 と――


「僕はあなたに興味はありませんが?」

「私もあなたに興味はないわ。でも、だからいいのよ」





「変な理屈」

「そうですか。僕は面白い思考だと思いましたよ」

「天才と哲学者……」


 ぼそっと佐伯さん。


「何か言いたいことでも?」

「別に。……それでつき合うことにしたの?」

「しました」


 そうしたのに大きな理由はなかった。お互いがお互いに興味がないのなら、それはゼロだ。もしどちらか一方でもプラスなりマイナスなりの感情を持っていたなら、僕はきっぱりと断っただろう。


 だけど――ゼロ。


 差し引きした解がゼロだったわけではなく、原点から微動だにしない、まごうことなきゼロ。それならば僕にさしたる影響はないだろう。そう思って僕はそれを受け入れた。


 これが経緯。

 では、そもそもの理由は何だったのだろうか。


 後に僕はそれを知ることになる。





「男の子とつき合うというのがどういうものか知りたかったの」


 ある日、彼女はつまらなさそうにそう述べたのだった。





 つまりはそういうことだったらしい。


「当然、そんな歪な関係が長く続くはずもなく、三ヶ月足らず――クリスマスを前に終わりを迎えました。切り出したのは彼女のほうでしたね」


 たぶんそのころの僕たちは興味がなさ過ぎたのだろう。お互いにも、異性にも、そして、男女交際そのものにも。思いつきではじめてみたものの、結局その体裁すら整えることができなかったのだ。


「前は弓月くんが振ったって言ってなかった?」

「それは噂です。勝手に広まって事実として定着した、ね」


 当時流れた噂はふたつあった。


 宝龍美ゆきが弓月恭嗣を振ったという説と、その逆。


 前者はそのころの宝龍さんの性格を考えると、非常に"らしい"真実味を帯びていた。反対に後者だと、あの宝龍美ゆきが捨てられたということで悲劇性があり、同情が集まった。


 結果とした定着したのは後者の方だった。


 そして、その後しばらく僕は、宝龍さんとつき合う幸運に恵まれながら、三ヶ月で彼女を振った悪ものとして指弾されるようになる。


「そんなわけで僕は学校ですこぶる評判が悪いです。君もあまり近寄らないようにしてください。巻き込まれますよ」


 その急先鋒が雀さんだ。あれから三ヶ月が過ぎて、多くの生徒はきっかけがあれば思い出す程度で、すでに過去の出来事になりつつあるのに、彼女だけは怒りの火が鎮火する気配がない。何ともパワフルなことだ。


「否定しなかったの?」

「しませんでした。面倒だったので」


 というのは嘘だが。


 噂を否定するには、本当のことを語らなくてはならない。

 この場合、本当のこととは、思いつきでつき合いはじめたら、案の定、長続きしませんでした――ということだ。僕たちのことは学校中に知れ渡っていたので、そんなことを言えたはずもない。


 加えて、どちらの噂が事実にすりかわっても、『宝龍美ゆき』のブランドは守られるはずなので、僕は黙っていることにしたのだ。


 まぁ、そんなことまで佐伯さんに打ち明けるつもりはないが。


「滝沢にも言ってない話です。君も黙っていてください」

「どうも納得いかないんですけど。弓月くんだけが悪ものみたいで」

「それも僕が決めたことですから」


 僕がそう言い切ってしまうと、佐伯さんは納得しかねる様子ながらも、口をつぐんだ。


「以上が去年のことの顛末です。要するにね、宝龍さんから言い出した彼氏彼女ごっこだったわけです」


 だから、終わったことどころか、はじまりもしなかった話。


「そっか。ちょっと安心した、かな」

「何がですか?」

「弓月くん、自分で自分のこと悪く言ってたけど、やっぱり弓月くんは弓月くんなんだと思った」


 僕が周囲の無責任な噂にわざわざ自分を合わせてきたのは確かだ。

 しかし、佐伯さんが僕のことをどう見ているかわからない以上、彼女の言葉には何とも答えようがない。


「あ。でも、あの人、またっていうか、今度こそ本気なんだよね?」

「さぁ、どうでしょう」


 単にからかっているだけの可能性もある。僕をか、或いは、僕を通して佐伯さんをか。どういう心境の変化なのだろう、宝龍美ゆきはこのところ愉快な性格に変貌しつつあるようだ。


「もしそうだったら?」

「大変ですね」

「困る?」

「困ります」

「じゃあさ――」


 と、佐伯さんは僕の前に回り込んだ。


「わたしのことが好きだって言っちゃえばいいじゃない」

「え?」


 思わず僕の足が止まる。


「ね♪」


 そして、彼女は微笑みひとつ。

 そうしてから、くるりと身を翻し、先に行ってしまった。


 果たして、今のはどういう意味なのだろう。おそらくは宝龍さんにそう言って牽制しろということなのだろう。

 でも、今の僕には、




 ――いいかげんに白状したら?




 そう言われた気がした。


 僕は少しの間立ち尽くし、佐伯さんを追えなかった。

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