――#2

1.「そんなところに座らないでください」

 日曜日の午後。


 そのとき僕は、リビングでぼうっとしていた。座椅子の背もたれをいつもより二段階ほど倒し、腹の上で手を組んで、目を閉じている。


「弓月くん、ヒマ?」


 と、そこに同居人である佐伯貴理華の明るく澄んだ声。昼食とその後片付けの後、自室に引っ込んでいたが、また出てきたようだ。


「見ての通り、ぼうっとしてます」


 僕は目を閉じたまま答えた。


「じゃ、ヒマなんだ」

「いえ」

「ぬ?」


 疑問形の小さな発音。彼女はきっと首を傾げているに違いない。


「別に暇だからこうしてるんじゃなくて、わざわざ時間を割いてこうしてるんです。僕はね、意識的にこういう無駄な時間を作るようにしてるんですよ」

「わたし、時々弓月くんが哲学者か何かに見えるな」

「そんな偉いものじゃありませんよ」


 僕はようやく閉じていた目を開けた。


 正面に立つ佐伯さんは、最後に見た昼食のときとは装いを新たにしていた。

 膝丈のスカートに、アームウォーマーとワンセットになった半袖カットソー。スカートは黒で、カットソーとアームウォーマーもやっぱり黒を基調にして、アクセントとして白が入っている程度。全体的にパンク系だ。


「それにしても真っ黒ですね」

「そ。黒でトータルコーディネイト」


 僕の見たままの感想に、佐伯さんは得意げに答えた。それから一転して意地の悪そうな笑みを浮かべる。


「どこまで黒か知りたくない?」

「何か僕に用があったんじゃないんですか?」

「……無視されるとつまんないんですけど」


 僕を非難するようにジト目でそう言うと、今度は伸ばしていた僕の足に跨って向かい合うようなかたちで膝の上に腰を下ろした。


「そんなところに座らないでください」

「ぇろい?」

「重いです」

「もうっ」


 佐伯さんは一度だけ体を揺すった。本当は口で言うほど重くないので、これもさほど痛くはない。


「知ってる? 女子高生の携帯電話普及率」

「確か九割は越えていたと思いますね」


 それはいいとして、この構造のままで会話を続けるつもりなのだろうか。案の定、僕の不満混じりの疑問をよそに、彼女は話を進めていく。


「そう。で、わたしはその持ってない一割なの」

「あぁ、そう言えば君はそうでしたね」


 彼女は日本に帰ってきて日が浅いので、そういうものは後回しになっていたようだ。因みに、この家には佐伯さん名義の固定電話があり、ご両親との連絡はそれを使っている。


「今から買いに行くから、弓月くん、ついてきて」

「またいきなりですね」

「だって、お京も持ってるんだよ?」

「桜井さんは関係ないでしょう」


 とは言え、そのあたりはもてるものにはわからない、もたざるものの悩みなのだろう。周りがみんな持っていて自分だけ持っていないというのも、何か焦るものがあるのかもしれない。


「だって、先越されたら立場ないじゃない。この前だって……」


 佐伯さんの言葉は尻すぼみに消えていく。


「何の話ですか?」

「いいのっ。兎に角、今から行くから、弓月くんも一緒に行くのっ」


 まるで決定事項のような言い方だ。しかし、ここで承諾しないと、佐伯さんが膝から降りてくれないかもしれない。


「仕方ありませんね。一緒に行きましょうか」

「ほんとっ!? ありがとー!」


 無邪気に喜ぶ佐伯さん。我ながら甘いことに、その姿を見ていると多少のわがままならつき合ってもいいかと思えてしまう。





 学園都市の駅に向かうことにした。確か駅前のショッピングセンターには携帯電話のすべてのキャリアを扱ったショップがあったはずだ。


 ふたりで歩道を行く。


 大きな道路に沿って歩いているわりには車の交通量も少ないし、人の姿もあまりない。休日はいつもこんな感じだ。教育機関を集め、街も景観を重視して整えられているが、人口は意外に少ないのだろう。


 僕の隣を佐伯さんが弾むような足取りで歩いている。足にはショートブーツ。やっぱり黒だ。


「あ、そうだ、弓月くん。ケータイ持ってきた?」

「いちおう。家を出るときは持つようにしてますので」

「えらいえらい」


 佐伯さんは笑顔を見せる。楽しそうだ。


 そんな他愛もない話をしていると、やがて駅とショッピングセンターが見えてきた。このあたりまでくると、人通りも交通量も増えてくる。要するに、学園都市という街がこの駅を中心にデザインされているということなのだろう。


 携帯電話の店は、ショッピングセンターの中でも人が盛んに行き交う場所にあった。休日だけに商品を見ている人も多いし、通りすがりに目を向ける人もいる。


「佐伯さん、キャリアは決めてるんですか?」

「キャリア?」


 彼女は首を傾げる。


「保菌者?」

「そのキャリアじゃありません」


 経験経歴を意味するキャリアを持ち出さないあたり、意外に知識が豊富だ。


「携帯電話の会社です」

「あ、そのことか。……弓月くんは?」

「僕は――」


 最も有名であろう会社の名前を挙げた。僕が携帯電話を持ったのは中学の卒業と同時。その際、選ぶ基準がいまいちわからなかったので、単純にシェアの大きさで決めたのだ。


「じゃ、わたしもそれで」

「えっと、佐伯さん? そういうの決めてこなかったんですか?」

「だって、よくわからないんだもん。仕方ないじゃない」


 確かに今まで携帯電話に触れたことのない人間には、どこに着目すればいいかさっぱりだろう。しかも、今は携帯電話ガラケーからスマートフォンへ移行する過渡期で、店頭にはその二種類が共存している。まずそこからして混乱するに違いない。僕だって選んだ理由は先にも述べた通りだし、人のことを言えた義理ではない。


 佐伯さんはさっそく店舗の入り、僕が言ったキャリアの端末が陳列してある付近へ向かった。


「おー、いっぱいあるー。弓月くんのはどれ?」

「僕はこれですね。これの黒です」


 買ったときは最新だったが、今ではもう新しいシリーズが出ているので、ひとつ前の型ということになる。とは言え、最新の機種も特に画期的な機能が付加されたわけではない。今使っているのがけっこう気に入っているので、しばらく買い換えることはないだろう。


「黒かぁ。……あ、さっき言い忘れたけど、ちゃんと黒だから」

「……」


 また余計な情報を……。


「わたしもこれにしよっと。すみませーん」

「ちょっと待ちましょうか、佐伯さん」


 僕は思わず彼女を制止した。

「さすがにそれは自分の考えがなさすぎるでしょう」

「そう? なんかどれでも同じみたいだし、だったらこれでいいかなって」


 まぁ、確かにどう違うのかと問われたら返答に窮するが。


「でも、せめて色くらいもう少し考えたらどうです? 女の子らしく赤とかピンクとかもありますよ」

「む。その考えは偏見だと思うな。女の子だからピンクとか、黒はダメとか」

「それはそうですが」

「そこはむしろ『毎日黒で』って言うくらいじゃないと」


 いったい何の話だ。


「わかりました。もう僕は何も言いませんから、君の好きなようにしなさい」

「はーい」


 僕が諦めて口を挟むことを放棄すると、彼女は元気のいい返事をして、さっそく店員を呼びつけた。


 結局、佐伯さんはメーカーから色から、僕とまったく同じものを買った。自分が誰かの行動に影響を与えるというのはあまり好きではないのだが、彼女がそう決めたのだから仕方ないだろう。


 なお、佐伯さんは未成年なので契約に際して保護者の同意が必要だったが、そこは彼女の母親に直接確認することでクリアした。つまり国際電話だ。こんなことをさせられる店員も大変だが、夜に電話をかけてこられる彼女の母親も大変だと思った。





 無事に契約を終え、きたとき以上に軽い足取りの佐伯さんと一緒に帰宅する。


 さて、その夕方。


 自室にいるとドアがノックされた。僕の返事を待って佐伯さんが顔を覗かせる。


「弓月くん、ケータイ貸してー」

「そのへんにありますよ。でも、何に使うんです?」

「ちょっとねー」


 僕の携帯電話はベッドの宮に置いてあった。佐伯さんはそれを手に取る。僕は彼女の座標が変わるのに合わせて座っている椅子を回転させ、その行動を追った。


「おー、これが弓月くんのケータイかぁ」


 彼女とまったく同じ機種なので、この場合、その興味は外観ではなく中のデータに向けられているのだろう。


「勝手にメールなどを見ないように」

「わかってるって。電話帳登録するだけ」


 そう言いながら佐伯さんはボタンを操作し、それぞれの端末を向かい合わせた。赤外線受信をしているようだ。買ってきたばかりなのに慣れている。


「はい、完了。電話帳登録第一号は弓月くんー」

「それは光栄ですね」


 開いたケータイをこちらに見せる佐伯さん。その姿は新しく買ってもらった玩具を自慢する子どものようで微笑ましい。


「番号知ってるのは弓月くんだけだし、今これが鳴ったら相手は弓月くんってことだよね」

「そういうことになりますね」


 火事でそれぞれの部屋が分断されでもしない限り、僕がわざわざ電話をかけることはないだろうが。


「じゃ、何かあったら遠慮なくかけてね」


 そうして彼女は嬉しそうに部屋を出ていった。


 この日、佐伯さんは寝るまでネックストラップで首から端末をぶら下げていた。誰からかかってくるわけでもないだろうに。

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