4.「確かに僕はその名前ですよ」

「クラブ勧誘会?」


 同居人である佐伯貴理華がフレンチトーストを焼いている横で、僕は皿を用意しながら聞き返した。


 最近いよいよお馴染みになりつつある朝の風景。


 その中で佐伯さんが口にした「今日は午後からクラブ勧誘会があるの」という台詞に端を発した会話だ。


「ああ、そう言えばそうでしたね」


 僕は佐伯さんの言葉でようやく今日がその日であることを思い出した。


 要するに二、三年生でクラブ、同好会に所属しているものは新入生を勧誘し、新入生は自分に合った、入りたいクラブを探す――そういうイベントだ。


 クラブ勧誘会は午後に行われる。僕は午後の授業がカットになったという事実とそれによる恩恵だけを頭にインプットして、イベント自体はすっかり忘れていたのだ。


「弓月くん、クラブは?」


 ほい――と、かけ声を問いの最後につけて、佐伯さんはフレンチトーストをフライパンから皿へと移した。これは僕の分のようだ。


「前にも言いましたが、僕は家から二時間近くかけて学校に通っていましたからね。そんな余裕ありませんでした。無所属ですよ」

「なあんだ」


 つまらなさそうに言いながらも、佐伯さんは自分の分となる次のトーストを焼きはじめた。慣れた手つきだ。


「弓月くんと同じクラブに入ろうと思ったのに」

「まったく君は……」


 何を言い出すのだろうか。学食で手を振ってきた先日の一件といい、佐伯さんはどうも僕の欲しない行動を取ることがあるようだ。注意しないと。


「だいたい主体性というものがないんですか。クラブは自分が何をやりたいかで決めるものですよ」

「やりたいものかぁ。……チアリーダーとか水泳とか新体操とか?」

「やればいいじゃないですか。確か全部クラブがありますよ」

「弓月くんはどのわたしが見たい?」

 その問いはこちらに背を向けた構造のまま発信されたものだが、彼女の顔を見なくても笑っているであろうことがよくわかった。ユニフォームに特徴のあるものばかり選んだのはそういうわけか。


「正直に言えば、家で着て見せてあげないこともないんだけどなぁ」


 彼女は試すように意地の悪そうな声を出す。きっと顔はにやにやと笑っていることだろう。


 が、僕は無視。


「選ぶのは君です。僕がどうこうじゃなくてね」

「……面白くない弓月くん」


 不貞腐れたように言う佐伯さん。


 もとより楽しませるつもりなど毛頭ない。こういうのは反応したら負けだ。


「はい、できたっと」


 言っているうちに次のフレンチトーストが焼き上がった。佐伯さんはそれを自分の皿へ乗せた。


「あれ、弓月くん、待っててくれたんだ。先に食べてくれてもよかったのに」

「作ってもらってる身で、そんな偉そうなことはできませんよ」

「弓月くんのそういう律儀なところ、わたし好きだな」


 邪気のない笑顔を見せながら、佐伯さんはテーブルに着いた。立っていた僕もそれに合わせて腰を下ろす。


「では、いただきましょう」

「いっただきまーす」


 ふたり分の食事がそろったところで、僕らの朝食がはじまった。





 部屋でネクタイを締め、制鞄の中身を確認する。そうしてから僕はブレザーと鞄を持ってリビングへと出た。


 キッチンでは佐伯さんが弁当を詰めていた。ただし、今日はひとり分。本日午後のクラブ勧誘会とは無縁の僕には弁当は必要ない。


 佐伯さんはかすれたような甘い声で、楽しそうに歌いながら作業をしていた。彼女なら軽音楽部に入ってボーカルを担当するのもいいかもしれない。


「佐伯さん、今日は先に行かせてもらいます」

「もう少しで終わるから一緒に行こう……って言っても無駄だよね?」

「無駄ですね」


 僕は即答。


「ふーんだ。さっさと行っちゃえー」


 取りつく島もない僕に、最近では佐伯さんも諦めたらしい。彼女はわざと拗ねた口調を作って言う。


 僕はブレザーの袖に腕を通した。


「じゃあ、先に行きます。ひと通りの戸締りはしてますので、後は自分の部屋と玄関だけ忘れないようにしてください」


 そうして後のことは佐伯さんに任せて、僕は先に家を出た。





 いつもより早く出たので、ずいぶんと早く学校に着いてしまった。


 ほとんど無人の廊下を歩き、辿り着いた教室にはひとりしかいなかった。


 宝龍美ゆき《ほうりゅう・みゆき》だ。


 ひとりだけの教室で席に着き、耳にイヤフォンを入れて、デジタルオーディオプレイヤを聴いていた。耳を澄ますようにして閉じられた瞳。曲にあわせて首を軽く上下させ、指はリズミカルに机を叩いている。


 ――宝龍美ゆきは、異端である。


 通った鼻筋に、繊細な顔の輪郭。丁寧な筆遣いで描かれたような眉と目のライン。毛先の少しカールしたセミロングの髪は、艶やかに黒く輝いている。誰もが目を奪われるような美少女は、それだけである種の異端だ。


 しかし、何よりも彼女を異端たらしめているのは、留年しているという事実だ。


 僕らよりも一年早く入学し、二年生に上がれず二度目の一年生を経験した。入学試験を最優秀の成績で通過し、新入生総代まで務めた彼女に何があったのかは、僕も聞いていない。


 ほんのわずかな逡巡の後、僕は教室に踏み込んだ。黙って真っ直ぐ自分の席へ向かう。


「無視はないんじゃないかしら」


 そう声をかけられたのは、僕が机の上に鞄を置くのと同時だった。


「邪魔したら悪いと思ったんですよ」


 僕は宝龍さんへと振り返った。


 彼女はちょうどイヤフォンを外すところだった。両の耳からイヤフォンを抜き、首を振って髪を揺らす。そうしてから怒ったような顔で僕を見つめた。しかし、本当に怒っているわけではない。もとからこういう顔の作りなのだ。怜悧すぎる美貌がそう見せているのだろう。おかげでこの学校でクールビューティと言えば、即ち宝龍美ゆきを指す代名詞となっている。


 僕は宝龍さんから少し離れた座標の机に、軽く体重を預けるようにして立った。


「何を聴いてたんですか?」

「昨日買ったばかりの新譜。いい曲よ」

「さては宝龍さんが好きなあのグループですね」


 僕は前に彼女が好きだと言っていたアーティストのことをすぐに思い出した。何度か話題にのぼったことがある。


「今度貸そうか?」

「ぜひ。僕も嫌いじゃないです」


 これまでも何度かCDを貸してもらったことがあった。


「恭嗣、最近楽しそうね」


 宝龍さんは不意にそんなことを言った。


「二年になってからずっと様子を見てたけど、そんなふうに見えるわ」

「実は滝沢にも同じことを言われました」


 滝沢にも言われ、宝龍さんにも言われ。どうやら僕は本当に楽しそうに見えるらしい。


「私と別れたからかしら?」

「それは関係ないですね。宝龍さんとつき合い出したことも、別れたことも、僕にとっては何のターニングポイントにもならなかった」

「あいかわらずね、恭嗣は」


 彼女は苦笑した。


「じゃあ、春からひとり暮らしをするって言っていたから、そのせい?」

「ああ、それなら半分ほど予定が狂いました」

「半分?」

「内緒の話ですが、実は急に同居人ができたんです。宝龍さんの耳にも入っているかもしれませんが、相手は一年の佐伯貴理華さんです。今、彼女と同居しています」

「……それ、本当なの?」


 宝龍さんはじろりと僕を睨んだ。いや、これだって彼女としては睨むつもりはないのだろうが、冷たい美貌故にどうしてそう見えてしまう。しかし、その鋭い視線の中には、かすかに驚きの色が混ざっているのが僕にはわかった。


「本当です。今のところ周りにはまだ伏せてますので、有事の際は協力してください」

「それはいいけど……それって同棲って言わないかしら?」

「同棲? それは少しニュアンスが……」


 僕としては彼女が口にした『同棲』という単語を否定したかったのだが、それを上手く説明できないでいると、宝龍さんは「ふうん」と納得したように頷いた。


「じゃあ、きっとそのせいね」

「何がですか?」

「かわいい女の子とひとつ屋根の下にいるから、毎日楽しいんじゃないかしら?」

「それは……」


 僕はまたしても言い淀んでしまう。


 と、そのときだった。


「ちょっと弓月君! あなた何やってるのよ!?」


 誰かが教室に入ってくるなり叫んだ。


 振り返ればつかつかとこちらに歩み寄ってくる女の子がひとり。一年のときも同じクラスだった雀さんだ。校則違反とは無縁のショートの髪を揺らし、利発そうな顔には怒りの表情。


「何って、僕は宝龍さんと話を……」

「それがおかしいのっ」


 雀さんは僕と宝龍さんの間に割って入り、僕と向かい合った。


「あなたに宝龍さんと話す資格なんてありません。それとも何? よりを戻したいとでも言うの?


 あなたが宝龍さんを振ったのに?」


「……」


 相変わらず嫌われているなと、思わず苦笑しそうになる。去年から雀さんは一貫してこの調子だ。まぁ、仕方ないのかもしれない。クールビューティ宝龍美ゆきの恋人になるという栄誉を授かりながら、後に僕は彼女を振ったのだ。同性なら彼女に味方するだろう。


 見れば雀さんの後ろで宝龍さんが笑いながら肩をすくめていた。


「わかりました。僕は退散することにしましょう」

「ええ。そして、二度と宝龍さんに近づかないで」


 僕と宝龍さんが別れたのは冬のことなのだが、雀さんの怒りは未だ冷めていないらしい。当時も散々罵られたが、その勢いは衰えていない。


 踵を返す僕。


 その間際、宝龍さんが口だけを動かして「またね」と言っていた。





 その日の休み時間のことだった。


 次の授業の準備をする僕のところに、矢神比呂が寄ってきた。


「ごめん、弓月君、少し頼みたいことがあるんだけど……」


 気弱な眼鏡の友人は、そう言って話を切り出してきた。


「今日、クラブ勧誘会があるよね」

「ありますね」

「それを手伝って欲しいんだ」


 僕はひとまず返答を保留し、頭の中の情報を整理した。


「矢神は確か文芸部でしたね」

「うん」


 矢神は頭の回転が速い。僕が聞きたかったことを、先回りして説明してくれた。


「文芸部はもとから部員は多いほうじゃない上に、前の三年の卒業で半減してね。残ってるのもほとんどが幽霊部員なんだ。今日だって実際に何人が集まるか……」

「なるほど。くるかどうかも怪しい部員を当てにするより、先に助っ人を集めておこうというわけですね」


 慎重な矢神らしい事前準備だ。


「大変ですね。じゃあ、今の文芸部は矢神先生がひとりで支えているわけだ」

「やめてよ、その言い方」


 矢神は照れたように苦笑した。


 僕が矢神を指して『先生』と呼ぶには理由がある。彼は実はプロの小説家なのだ。とは言っても、文芸雑誌に時々短編を掲載している程度なのだが。それでも十分に誇れることだろう。


 ただし、矢神が公にすることを避けているので、そのことを知っているのはごく少数だ。


「それで、手伝いのことなんだけど……」

「ええ、いいですよ。矢神の頼みですから。でも、僕でいいんですか?」

「うん。あまり張り切って人を集めるつもりもないから」


 矢神はなぜか申し訳なさそうに告げた。


 何となくわかるような気がする。これは矢神の性格というよりは、文芸部の性質だろう。勧誘に力を入れたところで、文芸に興味のないものは鼻にもかけないだろうし、反対に興味のあるものは放っておいても足を運んで覗いていってくれるだろう。矢神はただ待っているだけのつもりなのだ。


「了解です。助っ人は僕ひとりで大丈夫でしょうか?」

「あ、うん。たいしたことはしないし」


 矢神は力なく笑った。


 残念ながら、こちらは矢神の性格によるものが大きい。彼はあまり交友関係が広いとは言えない。僕以外でこういうことを頼めそうなのは、後は滝沢と雀さんくらいだろう。しかし、生憎とそのふたりは、先日そろってクラス委員に決まってしまって(委員長が雀さん、副委員長が滝沢だ)、今日のイベントでは運営側として駆り出されているのだ。


「では、午後に文芸部の部室に行けばいいですか?」

「そうだね。ありがとう。引き受けてくれて助かるよ」


 矢神はしきりに僕に感謝していた。


(あぁ、そういえば……)


 矢神が去ってから僕は思い出した。

 確か宝龍さんも文芸部だったはずだ。ただし、僕が彼女を知ったころにはもう立派な幽霊部員だったが。


 僕は首を巡らせ、宝龍美ゆきに目をやった。彼女は今日のイベントなど他人事のようにクラスメイトと話をしていた。





 四時間目が終わると、僕は学食で手早く昼食をすませ、文芸部の部室へ行った。


 準備は実に簡単なものだった。運営側が用意した中庭のブースに、去年文芸部が発行した会誌を置いておくだけ。閲覧自由。希望者には進呈。部についての質問があれば、答えるのは矢神の仕事だ。


 グラウンドでは運動部がそれぞれパフォーマンスをやっているようだ。主に文化部が集まるこちらでも、吹奏楽部などは実際に新入生に楽器を触らせてあげたりもしている。喧騒の中に時折調子外れな楽器の音が響き渡って、思わず笑ってしまう。


 なかなか賑やかなイベントだ。新入生としてはお祭りで屋台を巡っているような気分ではないだろうか。


 僕はというと、矢神の"待ち"の方針もあって、彼の横に並んで座っているだけ。実にのんびりしていた。


 と、そこに滝沢がやってきた。二の腕にはアバウトに『運営委員』と書かれた腕章をつけている。


「どうだ?」

「ま、そこそこに覗きにきてくれてますよ。滝沢のほうはどうですか?」

「いちおう迷った新入生の案内や強引な勧誘の取り締まりが仕事なんだが、今のところ特に大きなトラブルはないな。優秀だよ、今年の一年は」


 自嘲気味に浮かべられた笑みは、仕事のない自分に対してだろうか。


「それで暇を持て余して、遊びにきたんですか?」

「まぁ、それもあるな」


 滝沢は否定もせず、且つ、答えを曖昧にした。


 そして。


「……きたぞ、弓月」

「はい?」


 いったい何がきたのかと前方を見てみる。そこにはたくさんの新入生たちが、思い思いに各クラブのブースを見て回っていた。


 その中で僕はすぐに見つけてしまった。


 ふたり組の女の子。ひとりは年相応にまだ高校に上がったばかりといった感じの、元気そうな子。そして、もうひとりは特徴的なブラウンの髪をなびかせた見目麗しい少女。言うまでもなく佐伯さんだった。


 彼女たちは、というよりは主に佐伯さんだが――数歩歩くごとに勧誘の声をかけられていた。成績優秀で新入生の総代まで務めた、校内でも有名な美少女。どの部も彼女を獲得したいに違いない。しかし、佐伯さんはそのことごとくを軽やかにかわしているようだった。


「滝沢……」


「うん? どうした?」


 僕の言外の非難に、滝沢はとぼけるような返事を返してきた。


 どうやら滝沢は先日の学食の一件以来、僕と噂の新入生の間に何かあると疑っているようだ。それで佐伯さんがこちらにくるのを見て、先回りして僕のところにきたのだろう。


 まぁ、いい。佐伯さんがこのブースにこなければ何も問題はないのだから。


 が、しかし。


 彼女は僕の姿を認めると、ぱあっと笑顔を見せ、一直線にこちらに向かってきた。


「……」


 頭痛がしてきた。

 あれほど僕に関わるなと言っておいたのに。


「えっと、ここは文芸部、ですか?」

「うん。これがうちの会誌。よかったら見てみて」


 問う佐伯さんに、矢神は立ち上がって対応する。


 幸いにしてブースの前にきてからは、佐伯さんは僕のほうを見ようともしなかった。ギリギリのラインで僕の頼みに応えてくれているようだ。僕は安心して矢神と彼女たちのやり取りを、隣で眺めていた。


「わ。皆さん、小説を書かれるんですか?」


 会誌の中身を見てびっくりしている佐伯さん。


「うん。強制ではないけどね」

「これは最新号ですよね。他にもあるんですか?」

「あるよ。三ヶ月に一回のペースで発行してるから季刊ってことになるね。……ごめん。古いのひと通り取ってくれるかな?」


 矢神の台詞の後半は僕に向けられたものだ。僕は後ろの箱から既刊を一式取り出した。


 佐伯さんがこういうものに興味があるとは意外だ。それとも社交辞令的に話を合わせているのだろうか。


 それにしても――と、僕は思う。

 学校での佐伯貴理華というのは、ひかえめな女子生徒であるらしい。華やかさとおしとやかさをあわせ持った少女。しかも、優等生。上級生との対話もそつがない。校内で噂になるのも当然だろう。


 僕は感心するとともに、少しだけ見惚れていた。


「そちらの運営委員の先輩も文芸部なんですか?」


 これは佐伯さんと一緒にきた女の子だ。脇にいた整った顔の上級生が気になったのだろう。


「いや、俺はただ運営側として立ち寄っただけだよ」

「そうなんですか」


 残念そうだ。これで滝沢が部員だったら勢いで入部していたかもしれない。まぁ、それはそれで微笑ましくていいだろう。


 と、そのとき。


 それは不意を打つようにして、佐伯さんの口から発せられた。


「弓月くんも文芸部?」

「ッ!?」


 完全に油断していた僕は、イスごとひっくり返りそうになったが、何とか持ちこたえた。ついでに莫迦とか何とか汚い単語が口をついて出そうになったが、それも危ういところで飲み込んだ。


 佐伯さんの言葉で静まり返る一同。


 そして、ワンテンポ遅れて彼女が、「あ」という小さな声とともに口を掌で覆った。


「そちらの先輩がそう呼んでいたから、てっきりそれが名前だと……もしかして違ってました?」


 いや。

 僕の記憶によれば、彼女たちが訪れて以降、矢神は一度たりとも僕を名前で呼んでいないはずだ。


「……」


 しかし、人間の記憶など曖昧なもので、誰も佐伯さんの主張に対して積極的な否定も肯定もできなかった。矢神なんかは次第に「言ったかも……」と思いはじめているのが、その顔を見ればすぐにわかった。


 そして、僕としては、彼女がうっかり僕の名前を口にしてしまったのであれ他の意図を持っていたのであれ、話を合わせるより術はなかった。


「……確かに僕はその名前ですよ」

「よかったぁ。変なことを言ってたらどうしようかと思いました」

「……」


 どうも僕の目に妙なフィルタがかかってしまっているのか、佐伯さんの言葉が白々しく聞こえて仕方がなかった。まぁ、十中八九僕へのあてつけの演技だろうけど。


「それじゃあ、わたしたち、ほかも回ってこようと思います」

「お邪魔しましたー」


 彼女たちは気持ちのよい挨拶とともに文芸部のブースを後にした。


 その去り際、佐伯さんは僕にだけ見えるように、小さく手を振った。顔にはいたずらっぽい笑み。そして、その後「んべっ」と小さなかわいらしい舌を出したのだった。


 もちろん、それを見た僕の胸には、確信めいたものが生まれていた。……絶対にぜんぶわざとやってるな。


「弓月」


 しばらくして滝沢が口を開いた。


「もう一度聞くが、本当に知り合いじゃないんだな?」

「……違いますよ」


 さて、僕の言葉は滝沢の疑念を少しは晴らしただろうか。正直、難しいだろうとは思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます