第21話


 翌朝、俺と月美は極端に早く登校して占術研究会の部室に陣取っていた。


「台詞は覚えてきたか?」

「う、うん。……でも、これ本当にムゴイ話だね……。いや、わたしが言うのもアレなんだけどさ……。実はお芝居でしたー、ってやっても許してくれないような」

「なにを今更……」

「いやー、わたしは良いんだけどね。明黒くんは、わたしのために天衣ちゃんに嫌われちゃってもいいの?」

「それも今更だ。昨日あれだけ俺を焚き付けておきながら、お前というやつは……。まぁ、結局猫は殺していなかったわけだし、会長ならきっと……ウム」


 あの白猫は今、部室棟裏(昨日騒ぎがあった場所だ)でキャットフードに夢中だ。事が済んだ後に会長と対面させてやらねばならないが、逆に言えばそれまでは見つかるわけにはいかない。

 天衣会長には昨日の時点で、今日の朝部室に来てくれるようにラインで一報をいれておいた。そろそろ指定した時間になる頃合いだ。


 ……ああ、俺は一体何をやっているのだろうか。

 表向きは月美に押し切られてという形になってはいるが、今から行う邪悪な茶番を、俺は、心から愉しみにしている……。


 天衣会長、あなたの行動は完璧だった。

 きみは被害者でありながら気丈に振る舞い、それどころか加害者である月美本人をも救ってしまった。

 だからこそ、それらが全て水泡に帰したと知った時……きみは、一体どんな嘆きを見せてくれるというのだ?


 そんなことを考えていると、錆びついた階段を上る足音が耳に届いた。

 それを合図に俺は月美の胸ぐらを掴むと、頬をはたいてベッドの上に突き倒す。


「いやッ――」


 月美の甲高い悲鳴と共にドアが開く。

 光が差し込み、埃が舞い散る。

 そしてそこには、彼女がいる。


「おはよう、天衣会長……」


     ◆◇◆


「…………」


 会長は、面食らった様子で俺と月美を交互に見やった。


「会長、昨日に続いて朝早くから呼び出してしまって悪かったね。ただ、今日はどうしてもきみに見せたいものがあったものでな」


 そう言って俺はベットに突き飛ばした月美の頭を鷲掴みにし、会長に向けて差し出すように引き上げた。「うぐ……」と、月美はくぐもったような声を漏らす。


「……明黒くん、昨日は早とちりで疑ってしまい申し訳ありませんでした。でも、今日はもう言い訳のしようがないほどに現行犯ですよね? 再びお聞きします。あなたはいったい、なにをやっているのですか?」


 会長は抑揚のない冷ややかな声で言った。

 ふむ、まだまだ余裕というわけか。


「フフ……、もはや隠し立てなどするまい。この“ゴミクズ”を痛めつけていただけのことよ」


 俺は立ち上がって月美を床に放り出すと、よろめいた彼女の腹部に蹴りを入れる。


「――ああッ!」


 跪くような体勢になった彼女の身体を横倒しにして踏みつける。

 月美は苦しそうにあえぐ。


「……どう、して」


 震えながら上体を起こし、月美は俯いたまま言った。


「『どうして』だと?」

「明黒くん……、昨日は、あんなに優しかったのに……」

「馬鹿か? お前は。お前のような薄汚い小娘など誰が好きなるものか。思い上がりも甚だしいぞ、貧乏人」

「そんな……そんな! 全部、嘘だったっていうの? わたしのことを好きだって言ってくれたことも、全部……」

「……無論だ」

「――ッ!」


 月美はなにかわけのわからないことを叫んで俺の胸に掴みかかってきた。


「汚い手で俺に触れるな」


 俺はたやすく彼女の腕を振り払うと、今度は直接顔を殴って部屋の隅に突き倒した。彼女は本棚にぶつかってそのままずるずると倒れこむ。棚の上に乗っていた雑誌がバサバサと床に落ちる。


「呪うなら自分の無能さを呪え。悔やむなら己の醜さを悔やめ。フフ……惨めに這いつくばるその姿、その絶望、使い捨ての慰みものとしては中々だぞ」


 月美はぐったりと憔悴したような眼で俺を見やり、再び「どうして」と呟いた。

 ああ、綺麗だ。

 俺はやはりお前が好きだぞ、月美……。


「『どうして』ねぇ……。会長、その問いにはあなたが答えてやってはいかがかな?」

「……」


 天衣会長は全くの無表情でこの光景を傍観していた。


「答えて頂きたいのだ、会長。だってきみは、昨日の時点でこうなることがわかっていたはずなのだから……」


 あなたは、変態です……! ――悲しみ悶えるわたし達を見て愉しむつもりだった――違いますか?


 俺の脳裏に会長の言葉がリフレインする。

 確かにその通りだったよ。


「わ、わたし、わたし、は……」


 彼女はついに口を開く。

 明らかに動揺しているように見える。

 その無表情が崩れる予兆。

 鉄壁の精神の崩壊が……はじまる。

 俺は微かに笑った。

 それが合図となり月美が会長の言葉を遮る。


「天衣ちゃん……なの?」

「え……?」

「この男がこういう人だって……知ってたんでしょ? なら……“これを仕組んだのは”天衣ちゃん、なの……?」

「ち、違います! わたしはただ――」

「そういうことだ」


 俺は断言した。


「と、明黒くんッ!」


 会長は俺に批難の眼を向けたが、俺は無視して話を続ける。


「知らなかったとは言わせないぞ? だってきみは知っていたんだ。最初から――」

「やめてくださいッ!」


 会長は膝から崩れ落ちて叫んだ。

 その身体は微かにふるえているように見える。

 いいぞ……実に魅力的だ……。

 だが、まだだ。

 もっといける。

 この程度では壊れまい。なぁ、天衣美羅!


「ほぉ。今になって偽善者ぶるかね、会長。それはなんだ? 自分は悪くないというポーズのつもりか? フ……結局はきみも俺の同類ではないか。さぁ、昨日の仕返しも兼ねて俺と共にあのゴミクズを痛めつけよう。か弱い少女の悲痛な叫びは、我々の魂に清く響く……。そうだね、会長? 本性を表わすには良い頃合いだぞ」

「やめて、ください……!」


 彼女は同じ言葉を繰り返した。

 俺はそんな会長のそばまで歩み、囁く。


「きみには、わかっていた……。その上で俺と月美を出会わせた。この状況を望んだのは、誰よりもきみだった。そうだね?」

「ち、違う……! 確かにわたしはあなたの欲望を察していました……でも、わたしは……あなたを信頼していて……! 例えどんな性癖を持っていても、あなたという人間の本質は善良だと……信じて……だからこそわたしは……」

「じゃ、それは間違ってたんだ」


 俺は彼女の耳元で、彼女にしか聞こえないほど小さな声で言った。

 それからそっと頬に手をやり、俯いた顔を持ち上げ会長と月美の眼線を揃える。

 俺と会長の視線の先には、ボロボロになった月美の姿。


「天衣ちゃん……天衣ちゃんは、これで満足?」


 月美は言う。

 乾いた、虚無的な声。

 それは数多の辛酸をなめた者のみが発することのできる声音だ。


「月美、さん。違う、違うんです!」

「なんで否定するの? いいんだよ別に。元はと言えばわたしが悪いんだし。虫けら以下のわたしが天衣ちゃんほどの人にちょっかい出してたんだもん。どんなことされたって文句は言えないよ。……流石に、ここまでやられたことは初めてだけどさ」

「信じてください……! 信じて……」

「昨日のあの時、あの瞬間は、わたし、本当に嬉しかったんだ。天衣ちゃん、言ったよね。この男はわたしを認めてくれるって。……なんで、なのかな。わたし、あの時、本当に……この男が、わたしのこと好きでいてくれてるんじゃないかって思っちゃって……。……馬鹿、だよね。……そんなこと、あるはずがないのに。そんなこと、自分が一番良くわかってたはずなのに! わたし、もう何も求めない。幸せなんていらない。こんな思いをしなくちゃいけないなら、ずっと不幸なままでいい、もう……」


 月美はここで一泊おいて、無理やりに笑顔を作って言う。

 天衣美羅を砕く一言を。

 放つ。


「殺してよ、天衣ちゃん。あなたにならできるでしょ?」


「あ……あああッ――」


 そのあまりに残酷な一言は、天衣美羅にどう響いたのか。

 彼女は甘美なる悲鳴を上げて汚い床に突っ伏した。

 胸が、高鳴る。

 これが、天衣美羅の絶望?

 さぁ見せろ……!

 その顔を俺に見せてくれ……。

 天衣会長。

 あなたはあまりにも強く、そして善人だ。

 しかし今。

 俺という邪悪によってあなたの美徳は砕かれた。

 裏切られ、誤解され、好意を無にされ、救ったはずの敵役から殺してくれと懇願される。

 ああ、これほどの悲哀があるだろうか?

 これほどの理不尽が……。

 会長、あなたは……この銷魂の果てになにを見る?


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! わたしが……わたしが全て悪いんですお願いしますそんなこと言わないでくださいお願いします……と、明黒くん!」


 天衣は突然立ち上がって俺を見上げた。

 俺のシャツを両手でつかみ、哀願するかのように叫ぶ。


「もうこれ以上月美さんをイジメないでください! お願いしますなんでもしますから……お願い、します……」

「か、会長……?」


 俺は思わず言葉を漏らした。

 俺は、震えていた。

 快楽によって、ではない。

 紛れも無い恐怖によってだ。

 表情と言葉が一致しない。

 会長は、笑っていた。


 この場を支配していたのは間違いなくこの俺であると思っていたのに、このお人は、一瞬にして状況を逆転させた。「どうして?」と、今度は俺が問う番だった。

 しかし……しかし、刹那に頭が真っ白になった俺にはそれすらも……。


「――とかなんとか、言うと思いました? その顔を見るに、引っかかりましたね明黒くん」


 会長は唖然とする俺を尻目に、薄っすらと笑みを浮かべたまま話す。それは普段どおりの天衣美羅で、もうそこにはさっきまでの彼女はいなくて……要するに、どういうことだ?


「明黒くん、忘れてもらっては困りますよ。あなたが変態(スペシャル)ならわたしも変態(スペシャル)。ふふ……スイッチ、入っちゃいましたけど」

「な、なにを……」

「『なにを』って、なんでちょっと引いてるんですか。あなた、自分でさっき言ってたじゃないですか。そろそろ本性を現す頃合いだ、って。……月美さんはもう、わたしが何を言いたいのかおわかりですよね?」

「……え?」


 急に水を向けられた月美は、素っ頓狂な声を上げた。


「最初にお会いした時に紹介しませんでしたっけ。わたしの性癖は全部で合計102つ……マゾヒズムだけが脳じゃないってことなんですよ。で、今回はその第2番目の性癖……危険なので普段は封印しているんですがねえ、ここまで“そそられる”状況を作られては、もう我慢できません。だからまぁ、そういうわけで、本性……というと少しニュアンスは異なりますが……」


 会長は月美のほうにくるりと目を向け、どこから取り出したのかチキチキチキ……とカッターの刃を伸ばしていく。


「月美さん、このカッター覚えてますか? ほら、昨日あなたがわたしを刺そうとした時に使ったものです。明黒くんの投石でふっ飛ばされてしまったアレです。さっきここに来た時に思い出して、今度会った時にお返ししようと回収してきたのですが……まさか、日の目を見ることになるとはね」

「え……、え?」


 唖然として固まる月美。

 会長はそのまま彼女の前まで歩をすすめ、たっぷりとした余裕を持って言葉を紡ぐ。


「このカッターは、きっと、よほど人の血を吸いたがっていたのでしょう……。わたしの胸に刺さるはずだった運命はねじれ、しかし刃は血を求めるが故に、今、こうしてわたしの手の中にあるのです。あなたの……さて、どこにしましょうか?」

「や……、……、……」


 月美はもはや声も出ないようだった。

 小さな口をただぱくぱくと動かしながら、頭上の天衣美羅を見つめている。


「殺してくれという事でしたが、今のわたしはサディストなので楽に死ねるとは思わないほうがいいですよ? あ、でも今日中には始末がつくと思いますし、わたしの才能を総動員すれば死体遺棄で警察の目を誤魔化すことくらいはできると思うのでそこは心配しないでください。迷宮入り事件がひとつ増えるわけですね」

「ひ……! い……、あ…………!」

「なんです? 今になって嫌だとか興ざめ……いえ、そのほうがそそりますのでどうぞ存分に嫌がってください。ああ、でも暴れられると面倒なので、最初はやはり太ももにざっくりいきますかね……」

「い、い……やッ――!」

「月美さん、その表情、とっても可愛いですよ……」


 天衣はカッターを持った右手を大きく振りかぶり、


「……可哀想な境遇の女の子を更に追い詰め、最後には殺す。わたしと同類の部分を持つあなたになら理解できる愉しみですよね?」


 問う。

 それは俺に向けて発せられた言葉。

 ……そうだな。

 理解はできよう。

 愉しみもしよう。

 俺の中の欲望は、その奥底でたしかに“それ”を望んでいる。求めている。切り刻まれていく最愛の人……月美の辛苦、鮮血、悲鳴、無念……。

 もし、ここで俺が傍観したら?

 それどころか進んで彼女を虐待したら?

 芝居だと信じていた月美を裏切り、徹底的に、現実的に、破壊、したら。

 それはさぞや、愉しかろうな……。


 だが!

 しかし……しかし!

 その一線を踏み越えた時、人は人でなくなる。

 バケモノだ。

 そんなものは人間ではない、モンスター。

 怪物……。

 そうだ、俺は怪物になりたかったんだ……。

 街を焼き、作物を荒らし、貧困に喘ぐ少女が見たい。

 人を攫い、呪いをかけ、思うがままに殺してやりたい。

 そしてそのことを微塵も後悔することなく大空に羽ばたき、地上の人間どもを悠々と見下す……邪竜。

 そんな邪竜に、俺はなりたい。

 だが。


「……よせ」


 俺は言う。

 その願いは来世に託そう。

 今の俺は人間だ。

 たとえ醜く歪んでいても。どうしようもなく人間なのだ。

 ならば答えは決まっている。

 最初から。


「んー? 明黒くん、あなたがそんなことを言っていては、それこそ本当に興ざめというものです。わたし、もうその気になっちゃってるんですから」

「やめろッ!」


 俺は叫ぶ。

 そして駆け出す。


「もう、遅いですよ?」


 同時、会長の刃が振り下ろされる。

 月美はぎゅっと両目をつぶる。

 一歩、二歩、進む。

 手を伸ばす。

 しかし、間に合わない。

 カッターの刃はそのまま月美のやわらかい太ももの中に沈み込む――

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