第二部 後日談

第18話

 その後、俺と月美は午後の授業を受けた後に再開し、共に校舎を後にした。

 あの瞬間から今に至るまで、現実感とでもいうべき感覚が欠如している……。思考に厚い膜がかかり、普段通りの明晰な判断ができない。


 隣には、月美がいる。

 俺たちはさしたる会話もなく通学路を歩いている。

 月美は頬を赤らめ、時折ちらりと俺の顔に眼をやる。

 彼女の口元が僅かに動く。

 しかし結局は何も言わず、一層顔を赤らめて正面に向き直る。

 その小さな動作を視認する度に、俺は自身の血管が熱く沸き立っているかのような錯覚を受ける。

 俺の身体に巣食う“何か”が、俺の心臓を……胸を、握りつぶそうとしている。

 形容しがたい圧迫感。圧力。焦燥……。

 求めている。

 俺自身が、俺自身に、何かを、求めている。


 けれども俺はその“何か”の正体がわからない。検討もつかない。……いや、違う。俺は知りたくないのかもしれない。目を背けているだけなのかもしれない。その、“何か”から。本当は、わかっているはずなのに。理解しているはずなのに。


「明黒……くん」

「……?」


 ふと我に返る。月美が少し戸惑った様子で俺を見ている。

 その頬は相変わらず朱に染まっており、声の調子も普段と異なっているようだった。


「駅、ついちゃったね? これから……ど、どーしようか?」

「と、言うと?」

「あの……つ、つつ、付き合う……って、どういうことなのか。わたし、よくわからなくって……」

「それも、そうだな」


 俺は答えた。

 付き合うとはいったい、どういうことなのか。

 俺はこの娘をどうしたいのか。

 わからない……。

 手をつなぐとか、共に遊園地に行くとか、そんな考えがかろうじて浮かぶ。しかしすぐに気恥ずかしくなって思考を中断した。

 俺は自身を常識人だと自負していたが、こんな簡単な問いにも答えられないとはまったく情けないではないか……。

 天衣会長、きみならどう答えるのだ。


「明黒くんは、どこか行きたい所ってある?」

「……あえて言うなら、きみの家だな」


 俺はさしたる考えもなく返答した。


「え?」


 すると月美は少し面食らったようになって、それから妙に歯切れ悪く言葉を紡いだ。


「そ、それはちょっと……だって……うーん……」

「なにか不都合な理由でもあるのか?」


 この時の俺は……どうしてか、柄にもなく追求めいた問いを発してしまう。理由はどうあれ嫌がっているらしいのは明確なのだから、別の候補を考えればいいだけなのに。

 俺は黙って月美の答えを待つ。

 彼女は困り顔のまま、


「だって、わたしの家“ボロッちく”て“汚い”し、恥ずかしいよ……」


 唯でさえ赤い顔を一層赤らめ、言った。

 その時、俺の身体の中で何かが蠢く。

 俺は、目の前の少女をずっと見ていたいと思った……。この愛らしい女の子を、俺は、どうしたい?


 形なき欲望が、胸の中でなにかを訴えている。

 なにがしかの形を作ろうとしている。

 これまで、知らず知らずのうちに遠ざけてきた“何か”。

 俺はその“何か”が目を覚ますことを、望んで……。


「で、でも、明黒くんならいい……かな。……だって、わかるもん。明黒くんは、そんなことでわたしを馬鹿にしたりしないって」

「あ? ああ……その通りだ。月美」

「じゃ、行こっか」


 月美は俺の数歩先を歩き出す。

 そのようにして俺は彼女の自宅へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!