第17話


 病室のドアを開けると、お母様は起き上がって小さなテレビを眺めていました。


「あら、美羅ちゃん?」

「……こんにちは。お母様」


 彼女はわたしの姿を認めると手元のリモコンでテレビを消し、丸い時計に目をやって少し不思議そうな顔になります。


「美羅ちゃん、学校は?」

「サボりました」

「え……」

「たまにはいいじゃないですか。ほぼ皆勤でしたし」


 わたしが緑の丸椅子に座ると、お母様はわたしの顔をじーっと見つめて、それから言いました。


「なにか、あったのね?」

「いえ、なにもないですよ」


 わたしはそう言ってみましたが、それは明らかに矛盾していました。例え学校をサボったにしろ怪しまれたくなかったのならお見舞いに来る時間をずらすべきですし、わたしの服は手で払ったとはいえまだまだ酷く汚れていました。もしかすると眼のあたりに泣いた形跡も見て取れたかもしれません。

 しかしお母様は何も言わず、ただ、


「そう」


 とだけ呟きます。

 そのやわらかな語調はわたしの身をしっとりと包み込むかのようでした。


「……もう、聞かないんですか」

「なにもなかったんでしょう?」

「ええ、まあ……」


 わたしは顔を伏せて、精神を落ち着けるためにリンゴの皮をむくことにしました。棚の上に置かれているバスケットから真っ赤なものを一つ取り出し、フルーツナイフでスルスルとむいていきます。

 わたしは全神経をリンゴの皮むきに集中させました。

 するするする……。


「美羅ちゃんは、頑張ったよ」

「……はい?」


 半分くらいむきおえたところで、唐突にお母様が言いました。


「美羅ちゃんは概ね正しいことをしたし、悪いと思ってることだって、実はそんなに悪くないんだと思う。楽にかまえていればいいのよ」

「お母様?」


 わたしは思わず手をとめて彼女の顔を見やりました。

 光を受けた白いカーテンが部屋の奥でひらひらと揺れています。お母様はわたしを見ると儚げに微笑み、やせ細った手でサイドテーブルからなにかを取り出し、わたしの前に並べました。


「これよ。当たったかしら」


 それは三枚のカードでした。

 タロットカード。

 主に占いに使う道具です。


「美羅ちゃん、占い部の部長さんなんでしょ? 占い、面白そうだから私もやってみようかと思って……。売店で売ってたから買ってきちゃった」

「占い部の部長ではなく占術研究会の会長です。……それにしても、トランプやウノならともかく、タロットデッキが売っているなんてずいぶんとマニアックな売店ですね」


 わたしはそんなことを呟きつつ目の前に並べられたカードを眺めました。

 右から

 塔(逆位置)

 ワンドの5(正位置)

 正義(正位置)

 まぁ確かに、この並びをオーソドックスに解釈するならお母様の言った通りの意味になるのかもしれません。


「大変だったんだね、美羅ちゃん」


 お母様のその問いにわたしは思わず「はい」と答えようとしましたが、思い直して首を横に振りました。

 ここでうなずいてしまうと、わたしがわたしでなくなってしまうかもしれない……。

 なぜだかそう、思ったのです。


 ……仮に、仮にですよ。

 こういう場面で「はい」と答えて、するとどうしてか止めどなく涙が溢れてきて、お母様は黙ってそれを受け止めてくれて、さっきの明黒くんみたいによしよしみたいなことをやってくれて、わたしはその行為に甘えてエロい意味ではなくお母様の胸の中に顔をうずめて、気の済むまで泣いているというような……。

 そんなものは、確かに絵にはなるでしょうがわたしのやることではありません!


「お母様、わたしは……わたしは! 占術研究会会長、キューピットにして地獄の使い、いつでも精神の貴族でありたい天衣美羅です! 急になにを言い出すんだと思われたでしょうが……要するに、優秀なるわたしに間違いなどないということですよね!?」


 ガタッ!

 わたしはなにを思ったのか椅子から立ち上がって宣言するかのように言いました。


「さぁ……それはどうかしらね? 美羅ちゃんにだって思い違いや勘違いはあると思うわよ」


 お母様はわたしの奇行にも物怖じせずに極めて冷静な調子で答えました。

 さすがと言いたいですが、わたしの知っているお母様はもう少し心配性で余計なことまで気を回すような人だったと思っていたのですけど。


 まぁいいでしょう。

 今日はわたしのテンションがおかしかったので、反比例的にお母様は堂々と構えることができたのかもしれません。

 その後のわたし達はうさぎ型に切り分けたリンゴをおいしく頂き、いつも通りの調子で過ごして別れました。


 病院を出て街を歩き、駅に入って電車に乗ります。

 電車は驚くほど空いていました。そんな電車に揺られていると、ふとこんな考えが脳裏に浮かびます。


 月美さんとわたしは、もしかするとすごく似ているのかもしれない、と。

 美少女であり、心に関する妙な異能を持っていて、やや複雑な家庭環境で育った……。

 かなりの部分に憶測が入っていることは否定しませんが、わたしが今の月美さん的ポジションにいてもさほどおかしくはなかったのではないでしょうか。

 無論、その逆もしかりです。

 過ぎ去っていく景色をひとりポツンと眺めながら、わたしは思いました。

 わたしが月美さんのことを最後まで……徹底的には嫌いになれなかった理由は案外、そんなところにあるのかもしれません。

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