第16話


「明黒くん!」

「な、なんだ」

「あなたですよ。あなたがやってください」

「……なに?」

「あなたが月美さんを殴ってください!」


 わたしは叫びました。

 それから、二、三歩横にずれて、月美さんと彼を対面させます。

 明黒くんは面食らったように呆然となって突っ立っていました。それは月美さんも同じようでした。


「はぁ? 天衣ちゃん何考えてんの?」

「月美さんは黙っててください! ……明黒くん、あなたにしか、できないことなんですよ。これはわたしからのお願いです」


 そう言ってわたしは明黒くんの眼を見つめました。

 彼はしばらく何かを考えていたようですが、やがて、


「わかった」


 と呟き、こう付け加えました。


「無論、手心は加えさせてもらうぞ」

「あなたのさじ加減でどうぞ。わたしはここで見てますから」

「……」


 明黒くんとその邪竜が、月美さんの目の前まで歩を進めました。

 月美さんは少し怯えたように身構えましたが、強気に彼を睨みつけます。


「そういうわけだ、月美。覚悟はできてるな? ……ああ、そ、そんな眼で俺を見るな。なにがなんだからわからなくなってくる……ぬ、……ど、どうしても嫌なら俺はこの場から走り去っても――」

「うるっさいなぁ! 男のくせにぐだぐだ言うなよ! ……まったく天衣ちゃんも考えたよね。自分の手は汚さず、でもしっかりわたしを痛めつけたいからこんな形にしたんだぁ。あったまイイー」

「やってください、明黒くん。正真正銘の“愛の鉄拳”を彼女に与えてやってください」

「しかし……」

「明黒くん!」

「ッ……!」


 彼の右手が振り上げられます。月美さんは小動物のようにぎゅっとその眼をつむりました。

 明黒くんの右手は空中で静止し、しばらくは見えないなにかと戦うかのようにがくがくと激しく震えていましたが、やがてその平手は、

 パシンッ!

 と、小気味よい音を立てて月美さんの頬を打ち抜きました。

 額から汗の玉が飛び散り、その瞬間と全く同時、邪竜を繋ぎ止めていた最後の鎖が弾け飛びます。


「――ッ!」


 月美さんはよろめいて地面に倒れ、明黒くんは瞳孔を見開き自らの右手を見つめています。


「……月美さん」


 わたしは彼女の名を呼びました。

 彼女は打たれた頬をおさえながらわたしのほうを見やります。

 地に膝をつけたままボロボロの様相で頬に手をあてているその姿、なんとも儚げな趣を感じます……。


「あなたは、最低な人です」

「……天衣ちゃんも、ね」

「それはどうでしょう? まぁいいです。月美さん、あなたは身勝手な理由でわたしに嫌がらせを繰り返し、挙句の果てに猫を殺しました。それは決して許されることではありません」

「ん? 今更お説教? ありがたいねえ」

「……でも、わたしはこうも思うのですよ。あなたは確かに貧乏で卑屈で哀れっぽくて薄汚くて胸が小さくて服のセンスが酷くて友達がいなくて穀潰しで誰からも嫌われててイジメられてるような、どうしようもない最底辺のクズかもしれませんが、わたしは同時に、こうも思うんです。“今のままのあなたでいいんですよ”って、ね」


 まったく、自分で言っても恥かしくなってくるような台詞です。


「は、はぁ?」


 素っ頓狂な声を上げる月美さんに、わたしは続けて言いました。


「少なくとも、今のままのあなたを心から好きでいてくれる人が目の前にいます。それだけは、確かな事実としてそこにあるのですよ、月美さん」


 わたしはゆっくりと明黒くんを見やります。

 月美さんもそれに習ってぎこちなく、けれどもしっかりと彼の顔を見上げました。


「ななな、なーに言ってンのかなぁ天衣ちゃん。こ、こいつが、この男がなんだって? 今、わたしを殴ったこの男が――」

「月美さんッ!」

「な、なに?」


 ビクッとなった彼女に、わたしは数分前から温めていた言葉を送りました。


「あなたのその眼は、節穴ではないですよね? わかるんじゃないんですかあなたには? “あなたにだけは”ハッキリとわかるんじゃないですか! その明黒くんがあなたを殴った時、そこに少しでも負(ネガティブ)な感情がありましたか? 他の連中と同じように、利己的な理由であなたを殴ったと、本気でそう思ってるんですか? 疑うのなら確かめてみれば良いのです、あなたのその優秀な眼で!」


 わたしは言い放ちました。

 これは賭けです。

 ギリギリの賭け。

 わたしの推測が全て正しい場合にのみ成功する危ない橋です。


 ……薄幸フェティシスト兼サディストである明黒くんにとって、月美さんは理想の少女です。それは間違いありません。つまり、明黒くんは月美さんのコンプレックスに対しては全肯定! 薄幸フェチによって貧乏だの卑屈だのといった彼女の欠点はそのまま利点へとひっくり返っているのですから、いかに負極摂取(ネガティブ・キャッチャー)と言えど……いえ、“だからこそ”彼からはなにも読み取れないはずなのです。


 さっき彼女を殴った時も同様です。明黒くんはサディズムによって性的な悦びを得ましたが、逆に言えば彼の感情はそれのみのはず。性的な悦びは言い換えるならば「愛」です。明黒くんのそれは極度に歪んではいますが、それでも愛は愛なのです! つまり、愛はプラスの感情なので負極摂取の管轄外だと思います!

 いえ、そうでなければなりません……!


 月美さんの側からしてみれば「なにも読み取れない」ということは、それすなわち「自分に対しての(月美さんに対しての)いかなるネガティブな感情をも持っていない」ということと同義なので……要するに、そういうことです。


 他人のネガティヴな心声を聴き続け、それ故に性格が歪み、歪んだからこそ更にネガティヴな声を浴びせられる……。

 そんなネガティブ・スパイラスの中に取り込まれてしまった月美さんは、さぞかし深く絶望していたことでしょう。誰も自分を肯定してくれない、みんなが自分を馬鹿にしている。


 きっとそんな風に思っていたに違いありません。

 月美さんはただじっと明黒くんを見つめていました。

 なにかを探るように、なにかにすがりつくように、ただじっと、明黒くんを見据えています。

 わたしはその様子を固唾を呑んで見守っていました。

 よく晴れた日でした(ここは思い切り日陰ですが)。


 風がサアァと雑木林を揺らし、虫達がジージーと競うように鳴き続けています。

 どれくらいの時間が経ったのでしょうか……、わたしは月美さんの面持ちが混乱から驚きに変わるのを見届け、そしてその瞬間、賭けへの勝利を確信しました。

 あとは明黒くんの問題ですが、こちらはわたしの専売特許。なにも問題はありません。


「明黒くん?」


 わたしは唖然としたままに突っ立っている彼に優しい声音で呼びかけました。


「……なんだ?」


 彼はハッとなったようにこちらを振り向きます。


「わたしは以前、あなたにこう言いましたね。『この天衣美羅が直々に、あなたの心を射止めてやまない理想の恋人を見つけ出して差し上げます!』と。そう、あれは確かお母様の病室での会話でしたか。……あの時あなたはわたしの発言を笑いましたが、今、約束を果たそうかと思います。……って、もう、さすがのあなたでもわかってますよね?」


 わたしがふんわりと笑いかけると、明黒くんはこれまたぎこちなく月美さんのほうに向き直りました。

 二人は互いに見つめ合います。


「そうか……俺は、俺は……知らず知らずのうちに、お前に……」

「う、嘘……? なんで? どうして? どうしてわたしなんかのことを……」

「どうして? わからん……。わからんが、俺はお前のことが好きらしい。まったく驚いた。こんなことが起こるとは……、俺は、いったい……」

「ばかっ! なんで、わたしなの……? 貧乏で、卑屈で、薄汚くてぇ……せ、性格だって最低なのに……」

「そんなことは俺も知らん! だが俺は、お前と共にいたい。貧乏だろうが卑屈だろうが関係ない! むしろそのほうが……ああいや、俺は、とにかく俺は、お前のすべてを受け入れる、お前の全てが気に入ったぞ! 月美! ……ああ、こういう時、なんと言うのだっけ。ちょっと待ってくれ……今思い出す……」


 明黒くんがマヌケにもわたしに助け舟を求めるようにチラチラとこちらを見るので、わたしはうんざりしながら口パクしました。


「そうだ、それだ! えーとだな……月美……、その……ああ……! お、俺と……俺と付き合ってくれ……!」


 涙目になっている月美さんに向かって、明黒くんは言いました。

 この純朴すぎる不器用さが逆に良かったのかもしれません。(まぁ、筋金入りの変態サディストが純朴も糞も……って感じですけどね……)。

 月美さんは月美さんで少女漫画のヒロインみたいに、


「はい……」


 と小さく呟くと、彼の胸にそっと身を寄せ小さく震えながら泣きだします。

 なんというか、自分でお膳立てしておきながらものすごくフクザツな気分です。

 明黒くんはそんな彼女を抱き寄せて背中をさすってあげていました。


「今だけは、このままでいさせて……」

「……無論だ」


 チッ。

 なにが「このままでいさせて」ですか。わたしは思わず軽く舌打ちしてしまいます。率直に言えばクズと変態がなにを……ああ、やめときましょう。せっかくの良い雰囲気を壊してしまうのはわたしの本意ではありません。

 (と、いうか今思い出しましたけど殺猫の犯人明黒くんじゃなかったんですよね……。ほんと、こればっかりは素直にごめんない。今度合った時改めて謝ります)。

 それにしても、あーあ、恥ずかしくって見てられませんねこれは。


 わたしは虚無的な苦笑を浮かべてそっとその場から立ち去りました。

 その日は色々な意味でこれ以上学校にいたくなかったので、そのままサボることにしました。校門を出ると同時に昼休み終了のチャイムが鳴り響きます。

 わたしはその間延びした音色を背に、とぼとぼと誰もいない通学路を歩きました。


 本当に、これで良かったのでしょうか。

 ひび割れたアスファルトを踏みしめながら思います。

 わたしは月美さんが幸福になる手伝いをしたつもりです。


 なぜか?

 彼女は不幸で、だからこそわたしの言葉は届かない。

 どのような罰も、罵倒の言葉も、暴力の力を持ってさえも、(本人も言ってましたが)月美さんを真の意味で屈服させ反省させることはできないでしょう。

 不幸であることに、底辺であることに慣れきってしまった月美さんは、だからこそ不幸であることを恐れない。まぁこの辺りはそこまではっきりとは割りきれていなかった印象でしたけどね……ともかく、なにをやってもこれ以上に堕ちることはないだろうとか思ってたんでしょう。


 だから無理やり“自分以下”を求め、他人を貶めることで優位に立とうなどという考えに至るのです。

 そして、それ故にあんな冷酷なことを行い、そのことを悪びれすらもしなかった……と。

 不幸という名の強大な壁で自らの周りを覆い尽くしてしまった少女。そんな彼女にこちら側の声を届ける方法を、わたしはひとつしか思いつけませんでした。


 幸福にする……。

 そう。

 それはあまりにも単純すぎる解答。

 わたしは極めて強引な方法でもって彼女の不幸の壁をぶち壊してやろうと考えて、明黒くんまでもを利用してしまいました。

 猛毒をもって猛毒を制す。

 まったく、自分でも呆れ返るくらいにむちゃくちゃです。

 その一つの結果として明黒くんの邪竜は全ての鎖を弾き飛ばし、ついに覚醒してしまいました。明黒くんは近い内に変態としての自分を自覚することになるでしょう。その時、彼がどう動くのか……。


 月美さん……。

 わたしは本当に、あなたと友達になりたかった……。

 それだけだったんですけどね……。


 まぁいいです。

 月美さん、せいぜい幸せになってください。

 その後に死ぬほど後悔させてあげますよ。

 罪のない猫ちゃんを、あんなくだらない理由で惨殺した事をね……。

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