第15話

 その、直前に、何かが起きたようでした。

 ほよん。

 わたしのそこそこ膨よかな胸に沈んだのは、月美さんの小さな右手です。

 そこにカッターナイフはありません。

 わたしが今の状況を正しく理解したのはその数秒後でした。


「と、明黒くん……?」


 狭い路地のようになっているこの空間の先端に、明黒くんが立っていました。彼はいつもの無表情のまま投球フォームの最後の形のまま固まっています。

 彼と反対側の方向を見やれば、大きめの石ころの隣にカッターナイフが転がっており……。


 つまり、明黒くんの投石が月美さんのナイフを弾き飛ばした……、そういうことなのでしょうか。いえ、どう考えてもそういうことになります。


「月美。いくら会長がマゾだと言ってもだ、それは少し過激すぎるんじゃないか?」

「明黒くん……まるで主人公みたいな現れ方ですね……。タイミング良すぎですよ……」


 そう言えば、中学自体は野球部の投手とか言ってましたっけ。


「それがそうでもない。朝、あんなことがあっただろう? 昼休みになったことだし、気になったのできみの教室に行ってみたんだが……あいにく今日は来ていないと言われてね。ここかと思って覗いてみれば、ヒットだ。だからな……、その、実を言えばだいぶ前からここに隠れて様子を窺っていたんだよ。本来なら月美が会長を殴った時点で割って入るべきだったんだろうが……なんと表現すれば良いのだろうか……驚きか、それとも怖気づいてしまったのか、その場で“釘付けになってしまって”ね……。しかしこれは自分でもよくわからんのだ。……まあとにかく、だからこんなギリギリのタイミングで……、その……悪いな……。一歩間違えば危ないところだった」

「いえいえ、結果オーライですよ」


 改めて彼を見ると、心の邪竜を繋ぐ鎖が残り一つになっていました。

 サディストの彼からしてみれば、目の前で繰り広げられた陰惨な光景は実に魅力的に映ったのでしょうね。それこそ、“釘付けになる”ほどに……。


「わー、カッコいー。天衣ちゃんは良いよねー、ピンチになったら駆けつけてくれるヒーローがいてさー。わたしなんてこれまで一度もそんなことなかったよ? ああ、さっきのはもちろんノーカンね? 決まってるじゃん、状況悪化してるんだから。天衣ちゃんに助けられるくらいなら死んだほうがマシだし……。あーあ、やっぱりわたしじゃ駄目なのかなぁ。こんなゴミクズみたいなわたしじゃさあ」


 長台詞を言い終わると、月美さんは全てを諦めたようにその場に崩れ落ちました。土の上に仰向けに寝そべり、その瞳はどこか虚空を見つめています。

 その時、わたしはふと思い立ちました。

 ここ数日続いていたあの嫌がらせ。

 もしかすると、実行犯はこの月美さんなのでは……?


「月美さん、率直にお聞きしますが、わたしのロッカーに卵を仕込んだりイナゴの佃煮を投げつけてきたのはあなたですか?」

「はいそうでーす……」


 あまりにもあっさりと、投げ捨てるように彼女は言います。


「どうして……」

「天衣ちゃんも人が悪いなぁ……。そんなこと、今更聞くまでもないじゃん……」


 自分以下の存在が欲しい。

 人より優位に立ちたい。

 動機としてはそんなところなのでしょう。

 部室に顔をのぞかせていたのもわたしの様子を見るためだったんですかね。

 そんな考え方しかできない月美さんを、わたしはただひたすらに不憫に思いました。


 しかし。

 同時にわたしは恐怖していました。

 猫を惨殺したのも、この月美さんなのでは?

 そんな考えが脳裏に浮かんできたからです。

 冷や汗が頬を流れ落ちます。


「月美さん……まさかとは思いますが、部室の猫をあんなにしたのも……」


 わたしは低い声で言いました。

 否定して、欲しかった。

 これだけは認めてほしくなかった。

 目の前の卑屈で哀れな美少女に、その一線だけは超えてほしくなかった……。


 だってそうでしょ?

 もし月美さんが殺猫者だと言うのなら、そんなくだらない理由のために白猫ちゃんを殺害したというのなら、わたしはもう、あなたを友達だなんて呼べなくなってしまいますから……。

 しかし、そんなわたしの微かな願いは儚くも砕け散ってしまいました。


「そーだよ、わたしです。……てかもう知ってたんだ。それにしてもさすがだね、アレ見てへーきな顔してられるなんてさ。あーはいはい、わたしの完敗ですよ。見事に三連敗だね。そこの明黒とかいう奴が言ってた通り、固すぎる人に対しては本人じゃなくて周りのモノを壊したほうが効果的かな~って思ったんだけど、駄目だったみたい。ナメクジで泣いても猫じゃ泣かないんだね、天衣ちゃんは……あれ?」


 彼女は、わたしの今の心情を察知でもしたのでしょうか。

 むくっと起き上がるとわたしの顔を見やりました。

 その時のわたしはたぶん、呆然とした顔をして……泣いていました。


 まがい物ではない、本物の涙で。

 どういう理屈であるのかなんて検討もつきませんが、わたしの眼からは止めどなく涙が溢れてきました。

 朝、あの光景を見て以来、わたしの中にもやもやとしていた霧のような暗雲が、すーっと溶けてなくなっていくかのような感覚。


 わたしは今、この瞬間、猫と友達を同時に失ったのです。

 そのことに初めて気が付き、またはっきりと自覚しました。

 するとどうでしょう。

 霧の中にさまよっていた怒りや悲しみが今更になって押し寄せてきます。

 月美さん……あなたは……!

 わたしは、拳を握りしめていました。


「あれ? あれれ? 怒っちゃった? ふーん、意外だなぁ……。まぁいーや……。そうだよ、その顔だよ天衣ちゃん! わたしが見たかったのはその顔なんだよ! 絶望とか怒りとか悔しさとか無力さとか、色々なものがないまぜになって運命すらも呪っちゃうような、そんな気分! えへへ……これで少しはわたしの気持ち、わかってくれた? ねえ、わたしって可哀想でしょ? 不憫でしょ? 憐れまないで助けてよ、見下さないで同情してよ……」

「いい加減にしてください! そんな……本当にそんな理由で猫ちゃんを殺したと言うんですか? あなたは!」


 わたしは月美さんに詰め寄りました。

 彼女はにたにたと暗い笑みを浮かべています。


「うん、そうだよ。天衣ちゃんのせいであの猫は死にました。天衣ちゃんさえいなかったらまだまだ元気でやってたのにね。あーあ、かわいそ。痛かったろうね、苦しかったろうね、それも全部……天衣ちゃんのせいだよ?」

「あう……ぐ……」


 わたしはぶるぶると震える拳を胸の高さまで引き上げます。


「殴るつもり? いいよ、やれば? 殴られるのは慣れてるからさぁ……。で、その後はどうするの? 先生に言いつける? けーさつに突き出す? ま、なんでもいいけど、わたしはまったく反省しないし後悔もしないよ? わたしを痛めつけて気が済むなら、せいぜいそのゲスな自己満足に浸ってればいいけどさ。お前のためだとか、殴ってるほうの手も痛いんだとか言われてわたしは散々叩かれたけど、みんな嘘ばっかり! 結局は気に入らないから殴るんでしょ? 適当な理由でっちあげて自己正当化してんじゃねえよクズがッ! 天衣ちゃんもそのクズ共と同じなんだよ! ……ほら、早く殴ればぁ? ま、なにをやったって猫は戻ってこないんだけどね!」

「……ッ!」


 わたしは拳を振り上げました。

 しかし……しかし!

 どうしてもそれを振り下ろすことができません……。

 優秀なるわたしの頭脳は感情まかせの蛮行を最終ラインにてなんとか制御したのです。


 わたしは瞬間的に思考しました。

 この歪みきった美少女を、今、どのように扱ってやるのが最善なのか……。

 今、わたしが真にすべき行為はなんなのか。


「殴らせて、もらいますとも……」


 わたしは震える声で言いました。

 しかし拳は引き戻します。

 矛盾する言動を見た月美さんは薄笑いの中に僅かな疑念を浮かべました。



 不幸であることに慣れきってしまったこの少女に、暴力や懲罰で更なる不幸を与えても意味がない。それどころか、彼女は“自分を殴らせることによって”わたしを貶めるつもりでいるのです。わたしを悪者に仕立て上げるつもりなのです。

 そうすることで彼女はわたしを堂々と恨むことができ、また自身の罪を微塵も省みることがない……。


 ああ、なんという恐ろしい計画でしょうか。

 しかし、事実としてこのわたしですら恨みや怒りや八つ当たりなどの邪(ネガティヴ)な感情なしには月美さんを殴ることなんてできません。

 純粋に『彼女のためを思って』殴る。

 あるいは、邪な感情を一切排して殴る。

 そんなキリストみたいなこと、出来るわけがないのですから。

 特に月美さんに対しては絶対に不可能。

 彼女は独特の嗅覚でこちらの感情を読み取ってしまう……。

 そんな気がしてならないのです。

 感情を読み取るなんて一見むちゃくちゃなように見えますが、一つの仮定を立てることでこの考えは驚くほどにスッキリとまとまります。

 その仮定とはすなわち、


 月美さんは、他人の心の中が読める異能力者である。


 ……馬鹿馬鹿しいとは思います。でも、“わたし自身も他人の性欲を見抜く異能力者であるのです”。

 まったくありえない話ではない……。

 それに、そう考えるとここ数日の間に感じていた微妙な違和感が全て解けるのです。


 例えばあの麻雀勝負。

 打ち筋(プレイング)はたいしたことがないのに妙なところで強かった……まるで手配が覗かれていたような感覚でした。

 例えばあのキャンパスノート。

 罵倒の言葉が延々と書き綴られていたあのノートは月美さんの落し物であり、自身に向けられた心のなかの悪口を書き綴ったものだとしたら?


 例えば先日のあの発言。

 『ふぅん。天衣ちゃんは、人の心が読める超能力者さんなんだ?』。彼女はおそらく半分程度は本気でこの問いかけを発していたように思えます。


 なぜか?

 自身もまた異能力者なので、今のわたしと同じように他人の異能を疑った……。そうは考えられないでしょうか?


 ……と、このようにいくつもの疑念はありますが、なにより引っかかるのは彼女自身のヤサグレ具合と時折見せる奇妙な鋭さです。

 彼女は度々「馬鹿にしてるくせに」だの「底辺だと思ってるんでしょ」だの、被害妄想的とも言える自虐発言を繰り返していましたが、この発言には、実はしっかりとした根拠があってのことだった……、


 そう。

 “異能の力”という根拠が!


 (思い返せば斎堂くんなんかは結構バツの悪い顔してましたよね……)。

 とにかく、以上の推論に一定の真実味があるのは事実です。

 月美さんは異能力者で、他人の心の中が見える。

 しかし、当然納得出来ない部分もあります。

 もし完全に人の心を読み取れるなら、いくら下手でも麻雀勝負で負けるわけがないのです。特にわたしが役満をアガったあの局面、わたしは「西出ろ!」「西来い!」と強く念じていたにも関わらず、「西」で振り込んだのは他でもない月美さん自身でしたし。

 この件が特に印象的なのですが、全体的にどうもしっくりきません。


 第一ですよ、

 もし本当に「心が読める」のだとしたら、“このわたしが月美さんのことを腹の中では馬鹿にしているだなんて、そんな被害妄想じみたことは言い出さないはずなんです”。


 だってわたしは、彼女のことを本当に対等な友達だと思っていたのですから。

 無論、イジメられている場面を見た時は多少なりとも上から眼線で哀れんだりはしました。でもそれ以上にわたしは月美さんを友達と思って尊重していたのです。

 この気持ちに嘘はありません。

 しかしながら、結果として月美さんはわたしを敵視するに至りました。

 それは彼女のワガママのせいなのでしょうか?

 例え九割肯定していても一割否定されたら馬鹿にされていると感じる、そんなワガママ。


 いえ、わたしはそうは思いません。

 これまでの検証結果から総合的に考えて、導き出される結論はこうです。

 月美さんは、ただわからなかったのでしょう。見えなかったのです。

 月美さんに対するわたし達の“正確な”思いが。

 つまり!

 彼女の「心を読む」能力には重大にして致命的な欠陥があるのです!

 この「欠陥」を加える事で、これまでの全ての辻褄がピタリと合います。


 わたしには、人の心は見えません。

 わたしに見えるのは性欲という名の混沌のみ。

 月美さんも、ある意味ではわたしと同種の能力者なのでしょう。


 全てはわたしの妄想なのかもしれない。

 事実は全く別のところにあるのかもしれない。

 でもわたしは、彼女の友達でありたいと思ったわたし自身がたどり着いたひとつの答えを信じたい……。



 彼女の異能は、他人の心のネガティヴな囁きのみを読み取る能力である!



 名づけて『負極摂取(ネガティブ・キャッチャー)』!

 月美さん、あなたはこれまで、わたし達の心のマイナスの部分のみを抽出して見せつけられてきたのですね?

 「顔はかわいいのに服がダサいな」と思われたら、「顔がかわいい」という部分がカットされ「服がダサい」という部分のみを感じ取らなければならない、そんな能力……。

 これがわたしの導き出した解答であり、あなたの未来を決定するための足がかりです。

 ……しかし月美さん。

 わたしはあなたに同情はできません。

「――殴らせてもらいますとも。でも、それをするのはわたしではないのですよ」

 訝しげな面持ちになる月美さんを眼前に、わたしは横目で明黒くんを見やりました。

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