第14話


 次に打つ手がまったく思い浮かばなかったわたしは、部室の中のベットの上でごろんと横になっていました。

 無論、事務的な思考で考えるなら「先生に知らせる」という行為こそなにより最善ということになるのでしょうが、そんな凡庸極まる作業をテキパキ実行できるほど、今のわたしは精力的ではなかったのです。


 形式だけの最善手を打ったところで問題の本質はなにも解決しない……そのような思いもあったのかもしれません。

 まぁ、なにをしようが猫ちゃんが帰ってくることはないのですけど……。

 こうしていると、今の自分が何を望んでいるのかすらわからなくなってきました。


 明黒くんに対する怒りも、

 猫ちゃんが殺されてしまった悔しさも、

 矢間口さんに拒絶された悲しみも、

 どこか非現実的な様相を帯びてうまく受け止めることができません。思考はどこまでもふわふわと取り留めのないままでした。

 頭の中がぐちゃぐちゃになって、思い切り泣きたい気分になりました。

 でもそれはできませんでした。


 悲しいのに、苦しいのに、悔しいのに……。

 わたしの心は最後の最後で奇妙な平静さを保っていて、高ぶる感情を涙という物質に変換することができないでいたのです。

 わかりましたわかりました。

 そうですかそうですか。

 わたしは大きく溜息をつき、埃っぽいクッションを引っ張りだしてそこに顔をうずめると、声を殺して泣きました。


 なんてことはない、まがい物の涙です。

 わたしに宿る数多の才能のひとつである『演技力』。

 その力を持ってすれば涙を流すことなど容易いのです……。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 嗚咽混じりに意味のあるとは思えない言葉を吐き出します。

 しばらくの間ヒロイックな気分に酔っていると、早起きしたせいもあってか疲れがどっと押し寄せてきました。いつの間にか意識はまどろみの闇に沈み、わたしは全てを忘れようとするかのように眠りの中へおちていきました……。



「――ふざけてんじゃねえぞッ!」


 そんなわたしを眠りから引きずり下ろしたのは、誰かの怒鳴り声でした。

 しかしむにゃりと起き上がっても人の気配はありません。壁掛け時計で時間を確認したら、なんと十二時ちょっと過ぎ……お昼休みの時間でした。


「一万も払えねえのかよ貧乏人! おい! なんとか言ったらどうだ?」


 再びの怒声。

 どうやら外で騒いでいる人がいるようでした。それも棟のウラのほうです。

 この第二部室棟は学校内でも特に辺鄙なところにあって、それ故にある種の隠匿性があります。無論、放課後は部員が集まるので隠匿性もなにもありませんが、逆に言えばそれ以外の時間なら……。


 わかりやすいイメージで言えば“悪い先輩に呼び出しをくらいそうな体育館裏”と言ったところでしょうか。

 そのような悪いうわさを体現するかのように、第二部室棟のウラ付近には常に三、四本のタバコや缶ビールの空き缶が転がっているので、放課後はここを拠点としている部員や会員もそれ以外の時間には滅多に近づこうとしないのです。


 その時のわたしはなんだか無性にイライラしていました。

 睡眠を妨害されたというのもありますが、人の気も知らないでノンキに不良めいたことをやっているチンピラモドキに腹が立った、というのが実際のところでしょう。

 要は単純な八つ当たりです。

 わたしは特に考えなしに部屋を出て、階段を降りると部室棟のウラに回って叫びました。


「うるさいですよ!」

「あ? なんだテメェは! 誰に向かって口聞いて……ああ?」

「ッ!」


 叫んでから気が付きました。

 部室棟の裏壁と緑の金網フェンスに挟まれた細長い空間……フェンスの外には鬱蒼と木々が茂るだけの何の面白みもないその空間……そこに、見知った顔が二人もいたのです。


 いえ、よくよく見たら全員です。

 わたしは、この場にいる四人……その全員の顔を知っていました。

 一人は、ヤンキー系美少女の海野さん。

 加えて、その取り巻きが二人(トイレでわたしをいじめていた時のメンバーですね)。

 そして最後は、


「月美さん……」


 呟くように言うと、彼女は顔を歪めてわたしから眼をそむけました。


「それにしても、これはまたずいぶん楽しそうなことやってますねえ。ね、海野さん?」


 言いながら、わたしはゆっくりと歩を進めます。


「お、おめーにゃ関係ねえだろうがよ、天衣」

「関係ないわけありませんよ。その月美さんは、わたしの大切な友達なんですから」


 海野さん達の目の前までやってきて、わたしは改めて言いました。


「さ、早くその手を離したらどうです? 海野さん!」

「ッ……!」


 海野さんは軽く舌打ちしたかと思うと、投げ捨てるように月美さんの胸ぐらから手を離しました。

 壁に打ち付けられた月美さんはそのままずるずると滑り落ちるようにして汚い地面にへたり込みます。


「行くぞ、お前ら。気分が盛り下がっちまった」

「え」

「あ、ああ……」


 取り巻きのお二人はどうにも納得がいっていない様子でしたが、結局は彼女に従ってこの場を去って行きます。

 わたしは彼女たちが見えなくなるまでじーっとその背を眺めていました。

 そうしてから改めて月美さんへと向き直ると、彼女は先と同じ姿勢でくったりと壁に背をもたれていました。うなだれているので長い髪が顔を隠し、その表情までは見て取れません。


 きっと海野さんたちにやられたのでしょう。

 髪は乱れ、安っぽい服はいつも以上に薄汚れていました。その汚れの中にはスニーカーの跡らしきものも見て取れて、なんというか、とても痛ましいです……。

 ただ黙って地面を見つめている月美さん。

 その姿は元気に悪態をついているいつもの彼女と同一人物には見えませんでした。


「だ、大丈夫ですか? 月美さん……」


 わたしはしゃがみこんで声をかけます。

 すると、数秒の沈黙の後にこんな返事が帰ってきました。顔は相変わらず伏せたままです。


「……天衣ちゃん、すごーい。なに? どんな魔法使ったの? あいつらすぐに逃げてったじゃん」

「いえ、ちょっとした弱みを握ってましてね」

「トイレでいじめられたくせに? わたし、知ってるんだよ」

「あれは、そうですね……。言ってみれば、ただのお遊びですよ」


 微妙に違うのですがまぁ良いでしょう。


「へー、そうだったんだー」


 月美さんは顔を上げないままクスクス笑い、そして――


「ふざけないでよッ!」


 突如わたしの顔に向かって右ストレートを打ち込んできたのです!

 完全な不意打ち。

 当然避ける術のないわたしはまともに食らって地面に仰向けに倒れました。鼻と後頭部へ同時に痛みが走ります。月美さんはそんなわたしに追撃するかのように馬乗りになり、胸ぐらをつかんで強引に上へと引き上げました。

 頭がぐらぐらと揺れ、視界は半分ぼやけていました。


「な、なにするんですか……!」


 わたしは叫びました。

 その問いに月美さんは、


「馬鹿っ!」


 という言葉で答えてわたしの頬を平手打ちします。


「いった……、痛いですよ、月美さん……」


 漏れでた言葉と同時、わたしの額になにか冷たいものが落ちてきました。そんな感触を受けました。

 そして直後に、わたしはその物体の正体を理解しました。

 涙、です。

 彼女は、泣いていました。

 眼に涙を浮かべて、悔しそうな顔でわたしを睨みつけていました。

 わたしはいよいよ本気でわけがわからなくなってきました。


「天衣ちゃんてほんと、優しいよね。こんなわたしを“友達”扱いしてくれて、しかも助けてくれるんだあ。すごいなー、死ねばいいのに……!」

「支離滅裂すぎて言ってる意味がわかりません!」

「意味がわからない? え? 馬鹿じゃないの? 少しは、人の気持ち考えてよ……!」


 そういって月美さんはまたポロポロと大粒の涙をこぼしました。

 その様相は哀れっぽくて、寂しげで、儚くて……吹けば消え去ってしまいそうなくらい繊細です。

 そんな彼女を見ていると(こうなった文脈はさておいて)わたしまで悲しい気持ちになってきました……。


「言ってる意味が、わかりません」


 しかしそれとこれとは話が別です。

 わたしはあくまで毅然とした態度で同じ言葉を繰り返しました。


「それとですね、わたしはあなたに殴られなきゃならない覚えはありませんよ!」

「そうだよね……。ごめんなさい。生きててごめんなさい。わたし以下の人間なんているはずないのに……」


 彼女は手の甲で涙を拭うと、今度はどこか達観したかのような自嘲的な薄笑いをそのかわいらしい顔の上に浮かべました。

 ちょっと情緒不安定すぎやしませんかこの人?


「自分以下が、欲しかった……。貧乏で卑屈で哀れっぽくて薄汚くて胸が小さくて服のセンスが酷くて友達がいなくて穀潰しで誰からも嫌われててイジメられてる……そんなわたし以下の存在を、やっと、見つけたと、思ったのに……」

「その“自分以下の存在”とは、もしかして――」

「そうだよ! 天衣ちゃんのことだよ! トイレでボロボロにイジメられてるのを見た時、わたし、確信したんだよ? ああ、この人はわたしより底辺なんだって……。わたしより悲惨な人生を送ってるんだって……、やっと、わたしが上の存在になれたんだって……。それなのに……」

「蓋を開けてみれば、小金持ちで常に堂々としていて美麗で胸が大きくて服のセンスが良くて友達がたくさんいて活動的で誰からも好かれていてイジメられっ子を放っておけない、そんな人格者だったので“自分以下”を失ったあなたは落胆して激情したと、そういう話なのですか?」

「ああそーだよッ! ねぇ天衣ちゃん? わたしの今の気持ちわかる? 唯一下に見てた女の子にイジメられてるとこ見られてさぁ、しかも安々と助けられちゃったんだよ? もう、悔しいとか恥ずかしいとかいう次元じゃないよね……。あのまま痛めつけられたほうが100倍マシっていうか……」

「そんなこと……」

「うるさい!」


 言い放って、月美さんはジャージのポケットからカッターナイフを取り出しました。

 チキチキキ……、と音を立てて刃を伸ばすと、わたしに向けてチラつかせてきます。


「天衣ちゃんだって本当はわたしのこと馬鹿にしてるくせに!」

「してませんしてませんしてません! ……と、いうかそんなもの持ってるならさっき出せばいいじゃないですか! 刃を向けるべき相手はわたしじゃなくて海野さんでしょ!」

「は? 三対一なんだからカッター一本で勝てるわけないじゃん」

「だからって……ああ、そういうのを弱い者いじめっていうんですよ!」

「『弱い者いじめ』? なに言っちゃってんのかなぁ、天衣ちゃんのほうが強いくせにぃ」


 月美さんは不気味な薄笑いを受からべながらわたしの頬にそっとカッターの刃をあてがいました。


「わたしより下の人間なんていないんだからさぁ……。これは弱い者いじめじゃなくて下克上だよ」

「ふざけないでくださいよ! 人よりちょっとばかり不幸だからって、開き直って変な特権意識持たないでくれませんか? そんなことをしても余計に惨めになるだけですよ!」

「あーもうッ! わかってるんだよそんなことは!」

 叫ぶと、月美さんは突然立ち上がってわたしのお腹に蹴りを入れました。

「ッ!」


 腹部に鈍い痛みが走り、わたしは身体をくの字に折り曲げてこみ上げてくる体液を吐き出しました。しかし月美さんの攻撃は続きます。

 彼女は自身の息があがるほどにわたしの身体を執拗に蹴り続けて、それから汚いスニーカーで踏みつけてきました。わたしはただ丸くなってその攻撃に耐えるよりほかありません。

 わたしはぎゅっと眼を瞑りながら痛みと屈辱を味わいます。


 ……いったい、どれくらいの時間が経ったのでしょうか。

 数十秒かもしれませんし、数分かもしれません。

 とにかくあの激しかった蹴りがピタリと止まって、その代わりに彼女の荒い息遣いが闇の中から聞こえてきました。

 わたしがゆっくりと眼を開けると、視界はすぐさま激しい痛みと共に閉ざされました。

 月美さんのスニーカーがわたしの頬を踏みつけたのです。


「……確かにわたしは天衣ちゃん以下だけどさ……。でも、今、この瞬間だけは、わたしの勝ち……だよね……! ねえ、天衣ちゃん、今の気持ち教えてよ。わたしみたいな最底辺にその綺麗な顔を踏みにじられてどんな気持ち? 悔しい? みじめ? 死にたい? ねぇ、教えてってばあ」

「……あなたの言うとおりですよ。悔しくて、みじめで、死にたいような気分です」


 絞りだすように言うと、彼女はスニーカーを頬からどけてわたしの顔を覗きこむように見下ろしました。


「でも、それは半分以下です。わたしは今――」

「ッ?」


 不意をつかれたように、月美さんの表情が満足から戸惑いに変わります。

 それをしっかりと見上げたわたしは彼女の心臓を突き刺すつもりで言いました。


「――わたしは今、すごく、イイ気持ちですよ?」

「……は?」

「痛みと共に快楽を味わう……“マゾヒズム”って聞いたことありますよね?」

「……う、嘘! そんなの誤魔化しに決まってる!」


 月美さんはよくわからないことを叫んでからわたしの瞳をじろじろと見据えました。しかし時間が経つにつれ彼女の顔は青ざめていきます。

 こんなはずがない、とでも言うかのように。


 わたしはやれやれといった感じで立ち上がって服の汚れをはたいて落とすと、月美さんと同じ眼線になりました。そうしてからはっきりとした口調で言葉を紡ぎます。


「勝手に納得なされたようなのでこれ以上の説明は省きますが、まあお礼くらいは言っておきます。わたしの快楽のために奉仕してくださり、どうもありがとうございました」

「こ、この……変態! ばけもの! 売女!」


 月美さんはうろたえるようにして二、三歩後退し壁にもたれ掛かりました。

 それにしてもよく「売女」なんて言葉が出てきましたねえ。


「なんとでも言ってください。ああ、なんか謎の勝ち負けとか気にしてましたけど、それも月美さんの勝ちってことでいいですから」


 色々とめんどくさくなってきたわたしは強引に話をまとめにかかりました。

 月美さんに対する怒りや苛立ちといったような感情は、目の前の彼女があまりにも惨めで痛々しいので(そしてあまりにも可愛らしいので)どこかにすっかり飛んでいってしまったようなのです。


 被虐の悦楽で多少、気分がスッキリしたというのもあるかもしれませんが……まあとにかく、わたしはこれで一件落着とばかりにその場を去ろうとしました。

 それにしても、これほどの容姿に恵まれていながら月美さんをここまで歪ませてしまったものはなんなのでしょうか?

 貧乏のせい? 家庭環境のせい? 元来の卑屈な性格のせい? それとも……。

 まぁ、なんでもいいです。

 今のわたしは月美さんのカウンセラーになるには少々、疲れすぎていました。


「ふざけ、ないでよ……!」

「え?」

「それ以上わたしを……わたしを馬鹿にするなああッ!」

「――ッ!」


 彼女の右腕はわたしに向かって真っ直ぐに伸ばされていました。

 その手の先には、カッターの刃。

 月美さんはもうやけくそとばかりに腕を伸ばしたままわたしにむかって突っ込んできます。

 咄嗟に後ろに下がろうとしますが、背中はすぐに金網フェンスへとぶつかりました。

 ガシャンッ、

 という無慈悲な音が響き渡り、もう目の前まで迫っている彼女の刃がわたしの胸に突き刺さる――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!