第13話

 部屋の隅にへたりこんで、わたしは物言わぬ猫ちゃんの死骸を眺めていました。

 赤茶けたカーテンの隙間から溢れる朝の光が死体を艶やかに照らしつけ、日常の中に沈み込んだ不気味さをいっそう色濃く演出しているかのようです。


 その光景は確かにグロテスクなものでしたが、わたしの精神は平静そのものを保っていました。もちろん、ショックではあります。驚き、動揺もしました。

 しかし、こんな景色を見せつけられてなお、わたしは吐き気一つもよおすことがなかったのです。それどころかむしろ逆で、「こんなものか」という感想さえ抱いたほどです。


 わたしは、あまりにも見慣れていました。

 こんな光景は、いえ、これよりももっと醜い代物を、わたしは過去に何度も……。

 そう。

 わたしの持つ異能の力。

 他人の持つ変態性欲が見えてしまう、この性なる瞳(セイント・アイズ)の力によって……。


 妄想と現実は違います。

 妄想は現実より、ずっと鮮やかで真に迫っている。

 わたしは何度も見てきました。

 切り裂かれた生き物の肉々しげな断片を。

 腹から溢れ出る臓物の艶やかなぬめりを。

 圧倒的なリアリティーを持って、何度も。


 それに比べて、眼前に広がる光景はなんと迫力不足なのでしょう。

 眼に鉛筆を突き刺され、耳と前足をもぎ取られ、引き裂かれて血まみれになり、その周囲にはぶちゅぶちゅとした不定形の真っ赤な物体が散らばっている。

 そんな情景を前にしても、わたしは全然、平気だったのです。


 ただ、唯一わたしを参らせたのは死体の発する臭いでした。

 ビジョンに臭いはありませんのでこればかりは初体験。鉄さびというよりは生ごみが腐って発酵したかのような独特の臭気がわたしの鼻をつきました。

 それにしても、一体どこで間違ったのでしょうか?

 どうして猫ちゃんが犠牲にならなければならなかったのでしょうか?

 明黒くん、あなたは……。


 わたしはそんなことを考えながら、ただぼーっと、血だまりや肉片やしきものにたかる黒い虫けらを眺めてました。



 どれくらいの時間が経ったのか、わかりません。

 わたしは今ひとつ明瞭にならない思考でこの事件について考えをめぐらせていました。

 そんな時です。


「おはよー。ライン見たよー」


 勢い良くドアが開き、新鮮な空気が舞い込んできます。

 甲高い悲鳴が発せられたのは、そのワンテンポ後のことでした。


「矢間口さん……!」


 どうしてこんな時間に部室へ?

 そんな言葉が出かかった瞬間、ハッと思い出しました。

 事件のインパクトが大きすぎてすっかり失念していたのですが、スケットとして彼女をここへ呼び寄せたのはほかならぬわたし自身だったのです。


「い、いやぁ……」


 矢間口さんは猫の亡骸を見るや否や二、三歩後ずさって茶色い鉄柵にもたれ掛かり、そのまま崩れ落ちるようにへたり込みました。眼には大粒の涙を浮かべ、こみ上げる嘔吐感を抑えこむかのように両手を口にあてがっています。


「落ち着いてください、矢間口さん」


 わたしもすぐに外へ出て、彼女に手を差し伸べます。


「落ち着く? そんなことできるわけないじゃん……! あたし達の猫が……あ、あんな風になって……」

「あなたの気持ちはよくわかります。こんな結果になってしまって、わたしもとても残念に思っていますよ」

「そんな他人ごとみたいな言い方しないで!」

「え……」

「会長、おかしいよ……!」


 矢間口さんはわたしを拒絶するかのようにつぶやくと、一筋の涙を流して階段を駆け下りて行ってしまいました。


「待ってください!」


 慌ててその背に声をかけるも無駄でした。

 わたしは一人、その場に取り残されてしまいます。


 ……おかしい? 

 おかしいんですかね? わたし……。


 自問したところで答えが出るはずもありません。

 しかし、矢間口さんがわたしに感じた嫌悪の情は、わたしが明黒くんに対して感じた苛立ちと同質のものであるかのように思えました。

 『異常の中でも、普通でいられる』

 その性質は、もちろん頼もしいと感じることの方が多いのでしょうが、特定の状況に限定すればある種の不気味さや嫌悪感を人に与えるのかもしれません。

 そういえば、明黒くんは先日こうも言っていました。


 ――もし、仮にだよ。親類や友人が苦しんでいる姿を前にしてもまったく心を痛めずに平静を保っていられる人間がいたとしたら、そいつは『強い』と言えるのか? 俺には、それはもはや『強さ』とは別種の何かに思えるのだが、どうかな? 天衣会長。


 『強さ』とは別種の何か、ですか……。

 皮肉にも、わたしと彼はこの『何か』を過剰に所有しているようでした。


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