第05話


「きゃっ!」


 翌日、学校に登校したわたしは、朝っぱらからぐにゅぐにゅとした気持ちの悪いものを踏みつけて素っ頓狂な悲鳴を上げていました。

 朝の昇降口での出来事です。


 わたしはいつものように上履きをポンと床に置き、その中に足を収めようとしました。なんてことのない普通の動作だったのですが……しかしこの刹那! わたしは足裏に違和感を覚えます。明らかに普段と異なる硬質な質感をそこに感じたからです。

 わたしは慌てて足を引っ張り上げようとしましたが、そう考えた時にはもう手遅れ。わたしの足はそのままの流れで硬質な物体を踏み抜きました。

 わたしが悲鳴を上げたのはこの時です。


 謎の物体は確かな手応えと共に破壊され、そしてそこから生温いぐにゅぐにゅとした謎の液体があふれだしてきたのですから!

 反射的に足を上げると、液体はぷるぷるの水糊のように糸を引ひいてなんとも不気味でした……。が、次の瞬間、上履きの中を目視したわたしは理解しました。

 わたしの踏みつけたものは鶏の卵だったのです。


 それを知ったわたしはホッと一息つきました。もし踏んだものが生きているカタツムリや羽化しようとしてるサナギなんかだったりしたら、今日一日ブルーな気分になることは間違いなしだったのですから。

 わたしは登校してくる生徒たちの微妙な注目を浴びながら、もう片っ方の上履きの中を確認してみました。すると、案の定そこにも卵が入っています。

 なぜわたしの上履きにこんなものが入っていたのかはわかりかねますが、善意のプレゼントというよりは悪意のトラップという可能性が強いと思いました。


 ううむ、誰かに恨まれるような事をした覚えはないんですがね……。

 ともかく、いつまでもこうしてはいられません。わたしは保健室で適当に理由をつけてスリッパを借り、教室に向かいました。


「む……」


 教室に入り個人に割り当てられた小さなロッカーを確認すると、さらなる悲劇がわたしを襲いました。

 またも、卵です。

 しかも今度は溶き卵……。

 わたしのロッカーの中は黄色い液体でべったべたになっていたのでした。置き勉しておいた教科書やノート、ちょっとした小物なども当然卵まみれになって、見るも無残な有り様です。

 これはひどい。

 なんという醜悪な嫌がらせでしょう。

 だんだん腹が立ってきたわたしはロッカーをべこんと閉じて、教室内を見渡しました。

 すると足を組んで数人の仲間とだべっているヤンキー系美少女の海野さんと目が合います。


「よぉ天衣、昨日は楽しかったなぁ」


 彼女は楽しそうに笑いながらわたしに声をかけてきました。


「そうですね。とても楽しかったです」


 言いながら、わたしは海野さんに詰め寄るように近づきます。やはり、彼女ですか……。


「……あ?」


 海野さんの笑みが一転、怖い顔でわたしを睨み据えてきます。おそらく、わたしの反応が予想していたものと違ったことが気に食わなかったのでしょう。

 びくびく怖がるとでも思ったんですかね、このチンピラは。


「海野さん、ちょっとよろしいですか? 今日はわたしのほうからあなたにお話があるんですよ」

「てめぇ、誰に向かって口聞いてんだよ!」


 立ち上がり、わたしの胸ぐらに掴みかかってくる海野さん。


「やめてくださいよ生地が伸びちゃうじゃないですか! 今日はただでさえユニクロのTシャツなんですから! それもこれも全部海野さんのせいですからね!」

「うるせえ!」


 ドンッと、背中に強い衝撃を受けてわたしはケホケホとむせ返りました。

 胸ぐらを掴まれたまま教室の壁に叩きつけられたのです。


「あなたのためでもあるんですよ、海野さん」


 顔が近づいた時を利用して、わたしは小声で耳打ちしました。


「あ……?」

「いいから行きましょう。もちろん、お一人でね」


 そう言ってわたしは胸ぐらをつかむ手をほどき、教室を出ます。海野さんは舌打ちしながらもついてきてくれました。行き先は女子トイレの個室です。

 わたしが丁重に薄いピンクのドアを閉めると、和式トイレの狭い空間の中で二人きりになりました。


「なんだよ、くだらねえことだったらぶっ飛ばすぞ」


 海野さんは怪訝そうな顔でわたしを睨みます。


「どうしてそうわたしを毛嫌いするんですか? わたしたちは案外、似たもの同士……趣味の合う友達になれるかもしれないのに」

「てめぇ……! おちょくってやがんのか……?」


 ぷるぷると震える拳が胸の高さまで上がった時、わたしは口を開きます。


「海野さん、○○○のファンですよね? 実はわたしもなんです」


 ○○○とはちょっと有名なBL作品のタイトルです。

 わたしがその名を出した時、彼女の拳は中途半端な位置で瞬時にかっちりと凍結してしまいました。


「その他にも○○○○の同人誌や、最近では○○あたりですかねえ……。良いですよね、BL。わかりますよ~、わたしもファンですから。海野さんは美青年タイプよりショタ系の男キャラがお好きなんですよね? わたしは両方いけますが、○○○なんかは特に――」

「馬鹿っ! やめろ!」


 口をふさがれました。

 目の前には、冷や汗だらだらの海野さん。

 彼女はかすれた小さな声で「もう少し、声を小さくしろ」と呻くように言いました。

 わたしが頷くと彼女は手を離し一泊おいてから再び口を開きます。


「て、てめ……。どうしてそのことを……」

「さぁ、どうしてでしょうね?」

「…………」

「まぁとにかく、わたしはあなたのコレクションを見てしまいました。厳重にロックをかけたつもりでしょうが、わたしには通じないってことです。もしわたしの口が滑りでもしたら海野さんの趣味はクラス中に広まりますし、もし、万が一手が滑りでもしたら……フォーマット、つまり削除してしまうこともありえるかも……。あ、どこに隠したとしても無駄ですよ? それは今、あなたが一番よくわかっていることですよね? 海野さん」


 わたしが一歩前に進むと、彼女は一歩後退します。

 ほんの数回、これを繰り返しただけで海野さんは個室の壁際まで追い詰められてしまいました。

 逆転ですね。

 もちろん性なる瞳(セイント・アイズ)の能力は性癖を覗くだけなのでコレクションの削除なんて出来ませんが、ここは思い切ってハッタリです。


 不良を気取っている海野さんのことですから、BL趣味がバレるデータや現物なんて相当に手をつくして隠しているはず……。

 でも、駄目なんですよ。わたしにはわかるんです。

 あなたは特に精神のガードが甘い人ですから、どんな作品のどのシーンが好きかまでハッキリ言って筒抜けです。

 わたしの前ではどんな金庫も、どんなセキュリティーソフトも役に立たない……。

 見えるんですよ。見えてしまうんです。

 あなたの心にBLを愛する気持ちがある限り、ね。


「ぐ……あ。お、お前……」

「どうしたんですか? 顔色が悪いですよ?」

「な、なにが望みなんだよ……。こんなことして、てめぇの目的はなんだ……!」

「目的ですか? そうですねえ……。とりあえずは、土下座でもしてみます? わたし、いきがってるチンピラが惨めに這いつくばっている姿を見ると性的に興奮してくるタチなので。それが海野さんくらいの美少女ならなおのことですよ」


 わたしが言うと、彼女の瞳孔が見開きました。


「なにか不都合でも?」

「て、て、てめぇ……!」


 わなわな震える海野さんの頬に、わたしはそっと手のひらをあてがいます。

 怒りと焦りと屈辱感でわけがわからなくなっているであろう海野さん、中々にかわいいです……。強気キャラが屈服する姿って萌えますよね……。

 最も、彼女はちょっと強気がすぎるような気もしますが。

 普段からもう少し女の子っぽい喋り方をしてくれれば今の二倍は萌える自信があります。


「ぐ……、わ、わかったよ。昨日のことは……悪かった……。謝るから、許して、くれ……!」

「おかしいですねえ。昨日、わたしが謝った時、海野さんは許してくれましたっけ? 『やめて』と必死に懇願した時、やめてくれましたっけ?」

「そ、それは……」

「ああ、すいません今ので思い出しちゃいました。土下座する前に服を脱いでください。そうすればわたしの気分も良くなるので、あなたの秘密が侵される確率もぐっとダウンします」

「ぎ……が、ぐッ……!」


 海野さんはなにかわけのわからない事を呻きました。

 その後はあー、とか、ヴー、とか言いながら、時折何か言いたげな眼でわたしのことを見やりましたが、わたしはあくまでじーっと彼女を見つめるのみです。

 すると彼女はついに観念したらしく、がくがく震えながら両膝をトイレの床に――くっつける前に、わたしは海野さんを抱き起こすようにして立ち上がらせました。

 そうしてからふんわりと微笑みかけて、


「冗談ですよ」


 とヒトコト言います。


「本気にしちゃいました? ごめんなさい。でも、いやですねえ。土下座しろだなんて、わたしがそんな酷い事するような人に見えますか? “わたしはただ、あなたと友達になりたかっただけなのに……”」


 どこかで聞いたような台詞を吐いて、わたしは海野さんを見つめました。

 彼女の表情はなんとも言えない複雑なものになっていましたが、しいて言えば恐がっているように見えなくもありません。


「これからは、仲良くしてくださいますね?」

「て、てめえとは、もう関わりたくねえ……」

「それは残念です。わたしの第73番目の性癖はあなたのそれと似ていますから、ショタっ子同士の○○○について深い語り合いができると思っていたのですが……」

「ほ、ほら、そろそろホームルームが始まる時間だぜ……? 教室に戻らねえとな……。なぁ? 天衣……、さん……」


 海野さんが不良らしからぬまともなことを言い始めたので、わたしはいい加減この場から開放してあげることにしました。


「それもそうですね。でも、今度から卵のプレゼントは直接手渡しでお願いますよ」


 わたしは最後にそう言って、個室のドアに手をかけます。

 ……キまりました。

 かっこよくキまりましたよー!

 これで颯爽と個室から出て行けば完璧です。

 わたしがそんなことを思案していると、背後から予想外の声が飛んできました。


「卵? なんだそりゃ」

「……え?」

「卵ってなんのことだよ」

「わたしのロッカーや上履きの中に鶏の卵を投げ込んだのは、海野さんたちじゃないんですか?」

「はぁ? 知らねえよそんなの……。つーか、アタシらがンなミミッチイことするわけねーだろうが」


 む……。

 これは本当に知らない時の物言いです。とぼけてる感じはありませんでした。

 わたしはドアを半開きにしたまま固まります。


「とにかく、そういうことだかんな」


 海野さんはわたしの隣を通り抜け、さっさとトイレから出て行ってしまいました。

 アレをやったのは、海野さんじゃ、ない……?

 じゃあ誰だって言うんですか?

 わたしはひとり、トイレの中で立ち尽くしていました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!