エヴィングの瞳

双頭あと

第一部 本編

第01話

 『最近調子に乗っている』という三下臭い理由によって、わたしは放課後の女子トイレに引っ立てられていました。

 柄の悪い女の子三人組がにやにや笑いを浮かべつつ迫ってくるので条件反射的に後ずさりしますが、しかしここは決して広くはない女子トイレ……。

 すぐに壁際まで追い詰められてしまいます。


「なんですか? 用があるなら手短にお願いします」


 わたしは毅然とした態度で言いました。


「別に用っつーほどのことじゃねえんだけどよぉ、最初に会った時からなんか気に食わねえんだわ、お前」

「変な言いがかりはやめてくださいよ。個人的なアンチ活動ならfacebookかTwitterあたりで細々とやっててもらえませんかね?」

「そういう所が癇に障るっつってんだよ! 人を馬鹿にしたような物言いしやがって!」

「別に馬鹿にはしていませんが……」

「は、口でならなんとでも言えるもんなぁ」

「でも実際、わたしより成績は良いじゃないですか」

「劣等生のオメーと比べられても嬉しくねえよ。つーかお前、腹ン中では自分のこと可愛いとか思ってんだろ?」

「それはまぁ、そうですね」

「嘘つくんじゃねえ! 適当なことほざいてもちゃんと顔に書いて……あ?」

「嘘じゃありませんよ、どうですかこのつややかな黒髪? 私服可高校の限界に挑戦した魔法使い風紫ローブもミステリアスな雰囲気で素晴らしいですよね。そのほかにも日本人離れした色白の肌とか、全てを見透かすような大きな瞳とか、育ちが良さそうな清楚っぽい様相とか、わたしの見た目に関する長所はそれこそ上げればキリがないのですが……」


 今わたしの目の前にいるヤンキー系少女の海野さんは、真っ赤な顔して口をぱくぱくさせていました。

 ヤンキー系と言っても装飾過多のケバい感じではなく、あっさりとしたナチュラルメイク、服装もおとなしめにまとまっているので中々にかわいいです。

 僅かに茶色く染められたセミロングの髪も手入れの行き届きを感じさせます。


「海野さん、こういったことはいくら言葉で説明しても仕方ありませんよ。せっかく目の前にいるんですから、その眼でしかとご覧になったらいかがですか? ……どうです?」


 そう言ってわたしが“ヴィーナス誕生”的な立ち姿を真似ようと思案した時、みぞおちに鉄拳が飛んできました。


「ッ!」


 拳の直撃を受けたわたしは力なく床に崩れ落ちます。両手のひらにトイレ特有のじっとりとした水気を感じ、糞尿の臭気がかすかに鼻孔をくすぐりました。


「いつまでもふざけた事言ってんじゃねえ! 今からそのご自慢の顔を台無しにしてやっから覚悟しとけ!」


 海野さんはそんなようなことを叫び、むせ返っているわたしに蹴りを入れて汚い床に横倒しにしました。その上で相方から掃除用のモップを受け取るとわたしの顔に押し付けてきます。

 殴られ、蹴られた末に、真っ黒に汚れたモップの繊維を顔全体に押し付けられて、わたしはジタバタとみっともなくもがき苦しんでいました。

 モップの繊維が鼻や口にからまりついてまともに息をすることすらままなりません。

 横目で上方を見やると、ニヤニヤとした笑みを浮かべている海野さんの姿が繊維の隙間から眼に入りました。


 痛くて、

 苦しくて、

 おまけに屈辱的でした。


 しかしわたしは腹の底では笑っていました。……いえ、笑っていたというより、愉しんでいた、と言ったほうが正確でしょうか。

 そうです。

 この時、わたしの心では被虐性欲こと“マゾヒズム”の情念が既に発動していたのです。

 (まったく、これでは『ヴィーナス誕生』ではなく『毛皮を着たヴィーナス』ではないですか。やれやれ)。


 マゾヒズムの長こと沼倉正三は「プレイではない本物の被虐」を求め宇宙帝国イースなる壮大な世界を(妄想の中で)創りだしましたが、わたしに言わせればそれはオーバースペックが過ぎるというものです。

 宇宙帝国なんて仰々しいものを持ち出さずとも『プレイではない本物の被虐』はこんなにも身近にあふれているではないですか。


 まぁ、正三様にしてもマゾッホ様にしてもこの手のスペシャリストは口では本物とか言いつつも心の奥底ではプレイ的な安心感というか、加虐者側の善意のようなものを望んでいるフシがあるので、わたしのタイプとは少々勝手が違うのかもしれませんが。


「もう、やめてください……」


 わたしはなんとか絞り出した声で言いました。

 プレイのようなものしか好まないマゾヒストは往々にして「もっとやってください」などとマヌケなことを口にしますが、そんなものはわたしに言わせればお笑いです。

 真性マゾヒストである今のわたしにとって、痛みや屈辱は同時に快楽を伴います。

 よく勘違いされますが、痛みが快楽に変換されるのではありません。痛みと共に快楽を味わうのです。


 ・何も悪くないのにこんなことされちゃってる自分……。

 ・それでも健気に痛みに耐え、誇りだけは失わず非情な加虐者に立ち向かっていく自分……。

 ・しかし最後にはあまりの非道に心を折られ、僅かに残ったプライドさへも踏みにじられてボロ雑巾のように嘲笑される自分……。


 萌える!

 そんな自分に萌える!

 つまり、真性マゾヒズムとはヒロイック&ナルシスティックな精神を究極的なまでに高めた性的嗜好なのです。

 大事なのはシチュエーションであり「痛み」そのものは手段であって目的ではないのですね。


 ……わたしの悲痛な声を聞いた海野さんはモップを相方にあずけてしゃがみこむと、わたしの黒髪を鷲掴みにして乱暴に上に引き上げました。


「あ、う……」


 苦痛にあえぐわたしを見やり、彼女はますます満足したような顔つきになります。


「なかなか良い顔になってきたじゃねえかよ、“美少女”さんよぉ」

「はい、おかげさまで……」


 わたしが冗談で社交辞令を述べると、今度は舌打ちと共に平手打ちがとんできました。

 パシッという小気味よい音がトイレの中に反響します。

 わたしはこういう場面のお決まりとして、打たれた側の頬に手を当てて憎々しげに加害者の眼を睨みつけてやりました。

 ビンタシーンのテンプレですが、実演すると胸がどきどきして熱くなります。この流れからわたしは密かにあの台詞が出てくることを期待していましたが、海野さんは見事にそれに答えてくれました。


「なんだよその眼は!」


 叫びながら、ガツンッと、わたしの頭を壁際の窓に叩きつけます。

 わたしは鈍重な痛みを受けてくぐもった悲鳴を吐き出し、ぼんやり霞む視界の中で海野さんを見つめました。


「今度減らず口叩いたら容赦しねえぞ!」

「くッ……」


 わたしはもう限界という感じで息を荒らげていました。しかし無情な海野さんはそんなわたしを見てなお、踏みにじるようにわたしの顔を曇った窓に押し付けてきたのです。

 ちなみに先の「くッ……」は自然に出たものではなく意図して行った発語なのですが、そういえばわたしはさっきからアタマで計算した上での行動……つまり演技じみた事ばかりしているような気がします。

 もちろんヒロイズムを演出するためにやっているのですけど、そう考えると真性マゾの嗜好もある意味でプレイに近い要素があるのかもれません。ううむ。


「どうすれば、許してもらえるのでしょうか……?」

「そうだなぁ、まずは土下座だな」


 海野さんはわたしの髪から手を離して立ち上がると、上履きの先でトントン床の上を叩きました。ここに額をこすりつけろとでも言わんばかりです。


「そ、それは……」


 わたしはしゃがみこんだままモゴモゴと口を動かしました。

 無論、気分的には今すぐひれ伏したかったのですが、ここはあえて我慢します。ちょっと反抗的なところを見せておくことで、最後に屈服した時の惨めさをグッと高めるという算段なのです。


「なんだよ? 嫌だってのかよ?」

「は、はい……。あ、あの、ごめんなさい……」


 震える声で、瞳に涙をうるませながら懇願します。

 ああ、なんと哀れで痛々しい姿でしょうか……。

 言葉を紡いでいく度に、わたしの心臓は性的興奮の刺激によって早鐘のように脈打ちます。わたしは、全身をめぐる血液の温度がじんわりと高まっていくような錯覚をおぼえました。

 ああ、かわいそうな“わたし”……!


「今更謝ってもおせえんだよ、グズ!」

「ごめんなさい……」

「よし、じゃあとりあえず服脱げよ。そうすれば許してやる」

「え……」


 今の「え……」は正直、素でした。

 海野さん、あなた女の子同士なのにそんなことやらせちゃうんですか? レズでも百合でもないヘテロ(ノーマル)のBL(ボーイズラブ)好きのくせに……。

 展開に不満はないのですが、わたしは海野さんというひとりの女子に同じ人間として少し引きました。


「わ、わかりました……」


 しかしここを引き伸ばすとグダグダになりそうだったので、わたしは素直に魔法使い風のローブ+αの服を一枚一枚脱ぎ落としていきます。脱いだ衣服は取り巻きの二人に奪い取られ、わたしはついにキャミソールとショールを身につけたのみの姿となります(特に指定はありませんでしたが上履きと靴下も一応、脱いでおきました)。

 わたしは両手で肩を抱き、いかにも恥ずかしそうに俯きました。

「情けない姿だなぁおい、最初の威勢はどこに消えた? あ?」

 海野さんの言葉がちくちくと胸に突き刺さります。トイレで下着姿という絵も実にすばらしい効果で、特に素足になったせいで足裏に感じるタイルの無骨な冷たさは絶妙なスパイスとなってわたしの情念をくすぐりました。


「こ、これで、許してもらえるんですよね……?」


 この程度で許されては困ると思いながらわたしは言いました。

 か細い声音を作るのがコツです。


「ああ、その格好のまま土下座したら許してやるよ」

「ッ!」


 いかにもな悪人顔を浮かべて海野さんは言いましたので、その瞬間、わたしは「約束が違うじゃないですか!」みたいなメッセージを込めた絶望的な表情で彼女の顔を見やります。

 想定内どころか完全にわたしの希望通りの展開でした。

 海野さんからしてもわたしのリアクションはまさにパーフェクト、望み通りだったのでしょう。さっきから下品な笑みを絶やさず実に楽しそうにしています。


「あ? どうした? なにか言いたいことでもあるのか?」

「……い、いえ……、」

「なんだよ、ハッキリ言えよ」


 海野さんはわたしの顎をくいっとつかみ邪悪な笑みを浮かべながら詰問します。わたしは顎をつかまれたまま途切れ途切れの言葉を発しました。


「この……卑怯、者……!」


 パシンッと、二度目の破裂音がトイレの中に響きます。

 叩かれたわたしはそのまま壁にもたれかかろうとしましたが、海野さんはそれすら許さずキャミソールの胸ぐらを掴むと強引に自分の元へ引き寄せました。


「なに? 聞こえなかったけどなんか文句でもあった? アタシなにか間違ったこと言ってるかなぁ?」

「いえ……なんでも、ありま…………せん……」


 言葉尻は悔しさを噛み殺すように短く発音して、ここでわたしは歯を食いしばり一筋の涙を流しました。あまりの身勝手、理不尽さに感情が溢れだしたという具合です。

 ここでわたしの快楽も最高地点を迎えました。暖かな薄い膜が全身をくまなく包み込み、じんわりと体内に沈み込むと、心臓をビリビリ火照らせる、そんな悦楽です。

 若干ピークが早かったような気もしましたが、わたしはそのまま崩れ落ちるようにへたり込むと、冷たい床に両手をついて額をこすりつけました。

 わたしはあまりの屈辱と愉悦に全身をぶるぶる震わせながら、


「お願いします……許してください……」


 と哀願します。

 本来ならこの瞬間が最高地点であるべきだったかもしれませんが。

 しばらく這いつくばっていると、三下連中は満足気に「今度からは口の聞き方に気をつけろ」とかなんとか言ってトイレから出て行きました。この後に少しデザート的なもうひと押し(水をかけるとか頭を踏むとか)があっても面白かった気はしますけど、概ね上出来といった具合です。


 わたしは上半身を起こして「うーん」と伸びをしてみます。

 濃い映画を一本見終わったかのような充実感と爽快感がわたしの身体を駆け抜けました。教室でいちゃもんを付けられた時からなんとなくこんな予感はしていましたが、真性マゾヒズムとはやはり実に奥深い嗜好ですね……。

 わたしは快楽の余韻に浸りながらトイレを後にしようと思いましたが、自分が下着姿なことを思い出して歩みを止めました。


 そういえば、わたしの服はどこにいったのでしょう?

 持って行かれたとも思えないので適当に探してみると、個室の便器のなかに無造作に投げ込まれているのを発見しました。しかも和式!

 わたしのマゾスイッチは既にオフになっていたので、こういうことをされると本当にテンションがガタ落ちします。誰かに連絡をとろうにも携帯電話は鞄の中……つまりまだ教室にあるので使えません。


 便器の中の服を見つめて途方にくれていた所、入り口のドアが開いて一人の女子が入ってきました。

 私服可高校だと言うのに上は変な英字Tシャツ(しかも襟がびよびよに伸びてる)、下は安っぽいピンクのジャージ(しかもずいぶんと色が褪せてる)と、やたらに貧相な出で立ちです。顔自体は幼い面影を残しながらも西洋風で、とてもかわいらしいのに惜しいことです。

 まぁ、今のわたしに言えることではないのですがね……。


 その女子はわたしの姿を一目見ると面食らった様子でかたまりましたが、数秒間のラグを経てから「大丈夫!?」と駆け寄ってきます。長い髪がサラサラ揺れます。

 女の子はわたしの顔を見た後、床に転がっているモップや便器に押し込められたローブに眼をやりました。そしてなにかを察したように、


「ひどい……」


 と、口に手を当てて呟きました。


「なにがあったの?」


 女の子が言います。

 初対面の相手にマゾ的快楽について力説するのはさすがのわたしでも不適切だと感じたので、わたしは、


「クラスメイト三人に嬲られてたんですよ」


 と答えました。

 さんざん楽しんでおいて被害者ぶるのはあの三人に申し訳ないかなと思いましたが、この状況は表面上、誰がどう見てもイジメの現場でしかありません。


 ……ん?

 ちょっと待って下さい。

 表面上?

 それはおかしいですね……。表面上もなにもこの一連の出来事は完全なイジメそのものじゃないですか。


 確かに殴られてから以降、わたし視点での海野さんたち三人組はわたしに快楽を与えてくれるための奉仕者でしかありませんでした。

 より悪い言い方をすれば、わたしは海野さんたち三人を自身の快楽追求のために利用したのです。


 しかしそれはあくまで殴られてから以降の話であって、それ以前……教室でいちゃもんをつけてからここまで引っ張ってきたのは完全に海野さん側の勝手気ままな暴虐でしかありません。

 わたしがそう仕組んだわけでも、そうなるように誘導したわけでも、ましてやそうしてくれるように頼み込んだわけでもないのです。

 つまり、今回の件は百パーセント海野さん側に非のある陰湿な暴力事件なのです!

 わたしは臨機応変にマゾスイッチを発動しておいしい思いをしましたが、それはわたしがたまたま変態性欲者(スペシャル)であったから出来たことにほかなりません。


「やっぱりそうなんだ……。でも、それにしてはずいぶん落ち着いた顔してるね? なんで?」

「この顔は生まれつきです」

「ふぅん……。普通、こんなことがあったら悔しがるとか怯えるとかしそうなモンだけど。“そういう段階”は既に通り過ぎちゃったってことなのかな?」

「そんなものなんですかね」


 疲れていたわたしは曖昧に言葉を濁しました。

 それにしても妙なことを聞くものです。言いたいことはわからないでもないのですが、微妙にピントがズレているというか。


「ああ、もういいや。ごめんね変なこと聞いちゃって」


 わたしが答えあぐねていると、女の子は微妙に拍子抜けといった感じで言いました。

 なんなんですかね?


「……ところで、申し訳ないのですが服がこんな状態なので二年一組の教室に行って体操着をとってきてもらえないでしょうか? わたしの名前シールが貼ってあるロッカーの中にあるはずなので……」

「嫌だ」


 女の子が間髪入れずに返答します。

 え? 

 嫌なんですか? 

 まさかここで断られるなんて思いもしていませんでしたよ……。かわいい顔していじわるなんですか。


「嘘だよ、冗談冗談、本気にしちゃった? でも人にものを頼む時はもう少し言い方ってものがあるんじゃないのかなーと思って」


 女の子はなにかを期待するような眼でわたしを眺めました。

 見たところ特殊な性癖持ちでもないようですし、わたしにこの場でなにをしろと……。


「失礼ですが、お名前は?」

「月美(つきみ)アキ」

「月美様、どうかお願いいたします。わたしの体操服を二年一組から持ってきてくださいませ。あなただけが頼りなのです」


 わたしは跪いて月美さんの手をとると、いかにも哀れっぽく同情を誘う調子で言ってみました。

 マゾスイッチが入っていないので多少プライドが傷つきましたが仕方ありません。


「そうそう、そういうことだよ。えと……」


 ふむ、名前ですね。

 わたしは待ってましたと言わんばかりにコホンと咳払いをしてから答えました。


「新聞部調べ学内美少女ランキング200人中第9位、恋占いの名手にして102の性癖を持つ少女、魔法使いこと天衣美羅(あまい みら)と申します。以後、お見知り置きを」

「あ……うん」


 言って、月美さんは立ち去りましたがちょっと引いているようにも見えました。

 この手の台詞はテンションを上げてリズミカルに発声しないとウケないということは頭ではわかっているのですが、わたしは声に抑揚をつけるのが苦手でいつも平坦な一本調子になってしまうのです。

 まぁ、とりあえず道を開けたということでわたしは安心して個室に隠れ、鍵を閉めました。

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