番外編 王女殿下と春を呼ぶお菓子4

「そういえばニルダ、おまえ今どこに泊っているんだ?」

「ええと、ここからは少し歩くんだけど、普通に宿屋よ」

「結構高くつくだろ、どのくらい居るつもりか知らないけど」

 売り場に出たメイリーアらを横目にアーシュとニルダはそのまま会話をつづけていた。買い物客の相手はメイリーアがすることとなる。

「ううん…、まだ決めてないのよね。ちょっと、色々と見て回りたいし」

 ニルダが思案気に虚空を見上げた。

「だったら隣のチーズ店の上、貸してもらえないか聞いてきてやろうか?たしか部屋一つ余ってたはずだし、いくらか上乗せすれば飯付きにしてもらえるんじゃねえか?」

 アーシュは普段から懇意にしているチーズ店を話題に出した。宿屋に泊るよりも期間を決めて契約をすれば下宿した方が断然に安上がりだからだ。実際この界隈ではそうやって下宿人を置くことで空いている部屋を埋めて家賃収入を得ている家も多かった。グランヒールにはいくつか大学もあり、学生らが利用することもある。

「そうね。だったらお願いしようかな。私もまるっきり忙しいってわけじゃないし、下ごしらえとか手伝うよ」

「ま、そんな手が足りてないわけじゃないからそんな無理しなくてもいいけど、助かる。そうだ久しぶりに飲むか、今日」

「あ、いいねぇ。懐かしいなぁ、昔はよく店の連中と飲みに行ったっけ」

 アーシュとニルダはなにやら楽しそうな会話を繰り広げていた。接客をしている最中も二人の楽しげな会話は自然と耳に届いてしまう。小さな店なのだ。それにあんなにもきゃっきゃと楽しそうに笑い声交じりであればなおのことだった。

 メイリーアは自分でも気付かないうちに口をむすっとまげていた。

 春祭りといい、飲み会といい、宮殿の外は楽しそうなことが溢れていてうらやましい。メイリーアだってそろそろお酒も飲める年頃なのだ。いつかアーシュやレオンらと一緒に飲み会とやらを開いてみたい。

「いいなぁ…」

 知らずに漏れた言葉を聞き取ったのかアーシュがメイリーアの方を振り返った。

「いや、さすがにおまえは無理だろ」

 メイリーアの正体を知っているアーシュの言葉に呆れが混じっていてメイリーアはますますむくれて頬を膨らませた。あっさり駄目だと言われると面白くない。

「なによ、そんなにニルダと仲良くしていたら恋人に怒られるわよ」

 メイリーアはつい憎まれ口を叩いてしまい言わなくてもいい余計な言葉まで一緒に紡いでしまった。

「はあ?誰の恋人だって?」

「なに、アーシュ今付き合ってる人いるの?」

 アーシュが大きな声を出して驚き、ニルダまでもが食いついてきた。

「誰と誰って、昨日の女性の人よ。だって、ウィッズムさんが行っていたわ。アーシュは逢い引きをしているって。逢い引きって言葉分からなかったから辞書で調べたのよ。そうしたら…えっと、愛し合う恋人同士がするものだって書いてあったもの」

 メイリーアはむっつりとした顔のまま昨日の辞書の内容を添えて答えた。

 まっとうすぎる答えにアーシュは天を仰いだ。

「そもそもさいしょっから間違ってる!ウィッズムのじいさんの言葉は九割がたうそだ。そもそも昨日のあれは逢い引きじゃねえし、俺に今恋人はいない!」

 なぜだかやけに向きになってアーシュは反論をした。そんなにも大きな声を出さずとも『空色』は小さな店なのだからちゃんと聞こえている。

「そんなに大きな声をあげなくてもいいのに」

「おまえが変なこと言うからだろ」

「だってウィッズムさんが」

「だからあのじいさんは面白がってそういうことをわざと言うんだ。真に受けるな」

 なおも言い募ろうとするメイリーアをアーシュは制した。

「ふうん、でもそのおじいさんが面白がるくらいに、相変わらずアーシュは女には苦労していないのね」

「ニルダ!おまえも余計なこと言うんじゃねぇ」

 にやにやしながらまぜっかえしたニルダにアーシュは叫んだのであった。




 ニルダと久々の再会を祝して酒場で飲み倒した翌日。

 アーシュは寝台の上ででろんと伸びていた。まだ少し酒が抜け切れていないのか頭が痛い。というか飲み過ぎた。それでも朝一定の時間には目が覚めるのだから習慣とは恐ろしい。ちなみに今日は営業日であって定休日ではない。数年前なら徹夜とか数日間の睡眠時間がほんの数時間とかでも全然平気だったのに最近は徹夜とかすると体が若干重い。年は取りたくないと切に思う。若い身体よ戻ってこい。

 まだ眠気が取れずにぼんやりとした状態で寝室の扉を開けた。小さな家なので扉を開けるとそこは居間に当たる部屋である。水差しに入っていた水を器についでごくごくと飲みほす。少しだけ覚醒してきた。

「やべーマジ飲み過ぎた」

「おはようございます…アーシュ様本当飲み過ぎですよ。完全にニルダさんに主導権握られていたじゃないですか」

 続けて扉を開けて部屋へと入ってきたフリッツも頭が重そうである。カスティレートの人間は総じて酒に強い。ニルダもなかなかの酒豪で最初っから飛ばしていた。強い酒をぐびぐびと飲み、そのペースでこちらに酒を勧めてくるのだ。当時一緒に働いていた仲間の近況を聞いたりこちらでの生活を話したりと盛り上がってしまい、つい飲み過ぎたのだ。

「あいつ底なしなんだよ…」

 昔から同僚や近隣の同じ年頃の男女の中でもニルダのざるっぷりは知れ渡っていた。そして翌日は平気な顔をして職場に顔を出すのだから本当にこいつの腹はどうなっているんだ、と同僚連中で首をかしげたものである。

「それにしてもアーシュ様ちゃんと帰って来たんですね」

 フリッツはまだ酒が抜けていないのか呼び方が師匠からアーシュ様に戻っていた。

「なんだよ、ちゃんとって」

 アーシュは不機嫌な声で答えた。頭が重いしやる気が出ない。完全に二日酔いというやつである。

「昨日は色々と盛り上がっていましたし、そのままニルダさんと消えてしまうのかなあとか思っていたものですから…イタッ、すみません」

 話の途中でアーシュはフリッツにげんこつをお見舞いしてやった。頭を抱えて悶えているフリッツには悪いが自業自得である。

「あいつとはそういうんじゃねーよ。なんつーか、昔っから気の合うやつ、つーか。どうもそういう気を起そうって思わないんだよ」

「あー…、そうですか」

 フリッツは気力だけでそういうと机の上につっぷした。頭の中はまだ眠っているのかもしれない。水持ってこようか、とアーシュは階下へと向かった。

 『空色』の開店時間は午前十一時であるが仕込みは早朝からはじまる。このあたりの店は商品を並べて販売するだけの商店が多いので『空色』のように早く仕込みを始める店は少ない。

 アーシュは厨房の扉を開けて外に出た。朝特有のつんとした冷たい空気が心地よかった。春とはいえ朝晩の冷え込みはまだまだ激しい。吐く息はまだ冷たく、日が登り切っていないため暖められる前の空気がアーシュの頬を撫でる。

 二日酔いを冷まそうとしばらく外の空気を吸っていると隣の扉が開き女性が顔を出した。

「あら、アーシュじゃない。おはよう、ってその顔さては飲んだね昨日」

 チーズ店のおかみである。

 隣店の気安さからあいさつもそこそこに気安く話しかけてくる。アーシュも同じく三年の付き合いという間柄を窺わせる口調で返した。

「おはよう、ケストナー婦人。ああちょっと昨日は飲み過ぎた…」

「まったく、その調子じゃあフリッツも死んでるね。ちょっと待ってなよ、あとでスープでもつくってやるから。ああ、そうだ。あんた宛ての手紙がうちに紛れ込んでいてね、すぐもってくるよ」

 四十は超えているケストナー婦人はたっぷりと大きな声を出してひとしきり笑った。

 その後男所帯を気遣うように差し入れを申し出てくれるのもいつものことだ。豪快な笑いを鎮静化させた後、彼女は家の中に引き返し、少ししてから戻ってきたその手には確かに封筒が握られていた。

「悪いね」

 アーシュは封筒を受け取って裏をめくった。差出人を確認する。あまり嬉しくない相手からの手紙である。意識をしたわけではないが、アーシュは目を細めた。

「確かに渡したよ。じゃあ後でまたスープ届けるよ」

「ああそうだ、ケストナー婦人。ちょっと相談があるんだ」

 そう言ってアーシュは奥へ引っ込もうとしていたケストナー婦人を呼びとめて、ニルダの件について説明をした。婦人は快く応じてくれ、今日明日にでもその入居希望者を連れて顔見せにおいで、と言ってくれた。あとはニルダと彼女との交渉である。

 今度こそ礼を言ってアーシュは受け取った手紙と水を持って二階へとあがった。

 二階の居間ではまだフリッツがだらんと机の上でうつ伏せになっていた。

「ほおら、水でも飲んでしゃっきりしろ!怠けすぎだぞ」

 フリッツはようやく起き上がり水に手を付けた。ごくごくと飲みほし、大きく息を吐き出し、大きく伸びをした。ようやく頭が回ってきたようである。それを横目にアーシュは仕方なしに封筒を破り中身を取りだした。

 案の定中身は父からの手紙だった。大方側近の者に城下の郵便屋へ投かんさせたのだろう。ついでに異母弟ノイリスからの手紙も同封されていた。

 文面に目を走らせていると、手紙に気付いたフリッツが目線で問うてきた。

「めんどくせえ相手からだ。親父の奴、さっそく手紙を書いてよこしやがった」

 心底嫌そうに顔をゆがめるアーシュにフリッツはなんとも言えない表情をした。ここでアーシュに同意すれば不敬に当たるからだ。国王相手に面倒くさいと言っていいのはアーシュが国王の息子だからである。

 手紙にはとりあえず一度戻ってこい、今後の身の振り方はそれからだ、と記してあった。一度もどればどうせなんやかんや理由を付けてガルトバイデンにしばりつけておこうとする癖に、とアーシュは内心毒づいた。宙に浮いた身分のまま王国に飼い殺されるくらいなら自分の好きな道に進んだほうが有意義ではないか、との思いから国を出たのだ。未練は今のところ一切ない。あったらとっくに帰っている。そういう息子の心情くらい察しろ、とか思うのは自由だ。

 と、アーシュはもう一枚の便箋に目をやった。こちらは異母弟のノイリスからである。

 父と同様に一度城に戻ってきて話をしましょう、妹も待っていますよという父よりかは家族愛を前面に押し出した内容になっていた。アーシュには妹が二人いる。一人はすでに他国へと嫁いでいるが一番下の妹はまだ城にいるはずだ。彼女のことをいっているのだろう。そして最後の一文を読んで顔をしかめた。

 前回は非公式の訪問だったため公式文書としてトリステリア王家へ手紙を出せない、というかメイリーア宛てにはちょっと難しいので彼女に渡してください、と書いてあった。もう一枚後ろにある便箋を取りだすと、それは確かにメイリーアに宛てたものだった。見られてもいいのだろう便箋むき出しのままである。

(あいつ、人を便利に使いやがって。あんな奴だったか?)

 なんとなく面白くなくてアーシュは内心毒づいたが、そもそもこれまでノイリスとはそれほど親密に交流を持ったことがない。いきなり現れた年頃の異母弟について掴みきれずアーシュとしては今後の対応に苦慮するのである。

「で、どうするんです?その顔つきですとあまりいい内容ではなかったようですが」

「ま、しばらくは無視してやるさ。こっちは帰る気なんてねえし」

「なるほど」

 フリッツは苦笑した。

 もう一つの手紙については保留だ。アーシュは自分の寝室にある机の引き出しに手紙を閉まった。



 数日後の午後である。メイリーアはニルダと一緒にグランヒールの菓子店をめぐっていた。もちろんお供にルイーシャも一緒である。女性と一緒にグランヒールをまわるなんて初めてのことでメイリーアはわくわくしていた。ちなみにメイリーアの中でルイーシャは常に側にいるお付なので数には入っていなかった。要するに自分の正体を知らない女性と仲良く一緒におしゃべりをしながら街を歩くのが初めてなのだ。

 街でよく見かける女の子同士で仲良く歩く、ということを体験しているのだ。なんだかとっても楽しいしわくわくする。

 いくつか菓子店を回って、三人一緒にいくつか食べたり買ったりした。

 今向かっているのは『金色の星』である。色々と曰くのある店だったが伝統もあるし味も折り紙つきとのことでニルダが是非にと願った。グランヒール滞在中にできるだけ菓子店をまわって味を確かめたいらしい。

「それにしてもさすがはグランヒールね。菓子店の基準値が高いわ。他の店も同じく、ってかんじ。いいなぁ」

「そんなにも違うのかしら」

 生粋のグランヒール育ちのメイリーアにはいまいちピンとこないので首をかしげる。

「そりゃあそうよ。なによりケーキの種類も多いわよ。洗練されているし」

 ニルダはうっとりとした表情でトリステリアの菓子を褒めちぎった。メイリーアと今日出かける前にもすでにいくつもの店に赴いてケーキを買いあさったらしい。

 舌で覚えて国に帰ったら自分でも作りたいと意気込んでいる。

 クレイス地区にほど近い住宅地の一角に店を構える『金色の星』は大きな屋敷をそのまま菓子店にしている。サロンを備えた高級志向の店で、屋敷内でお茶とともに菓子を楽しむこともできるが上級の顧客名簿に名を連ねていなければならない。

 ニルダは旅行者でもちろん普段からの得意客でもないので資格はない。

 メイリーアの場合正体を明かせばできなくもないがお忍びである以上そんなこと出来るはずも無く、三人は普通に店の扉をくぐり持ち帰り用にケーキを選んでいた。店の中には同じように菓子を買い求める客で賑わっていた。サロンへの入口は別に用意されているので今店内にいるのはメイリーアらと同じように持ち帰る用の菓子を選んでいる者らである。

「うわぁ、場違いだわ、私」

 小ざっぱりしている簡素な服を着込んだニルダは周囲を見渡しで自嘲気味に呟いた。値段も張る『金色の星』の菓子を目当てに訪れる客はもちろん裕福な層の人間が多いのだ。

「そんなことないわよ」

 メイリーアは基本的にあまりそういうことにこだわらないので無頓着に返した。新作の焼き菓子に目が釘付けなのだ。

 するとカウンター奥で店を眺めていた職人と目が合った。

 金色の髪の毛をした二十代後半くらいの職人である。賑わっている店内を満足そうに睥睨していた薄青の瞳がメイリーアと捉えた途端驚愕の色にそれを変えた。

「あ…」

 メイリーアも目が合ってしまい、思わず口を開いてしまった。おそらく二人の間で互いの正体を察知したようである。年末の騒動の渦中にいた人物、ライデン・メイスンがほんの短い距離の先に立っていた。

 ライデンは青い顔をしてそのまま固まっていたが、急にガタンと盛大に何かに躓きながら身をひるがえして行ってしまった。

 メイリーアは内心首をひねった。そんなにもあからさまに嫌がることはないのに。

 まあひどいことはされたし、怖い思いもしたけれど無事に帰って来られたしであんまり根には持っていない。アーシュへの暴言は許し難いが、彼のことをちゃんと認めてくれればそんなにも悪い人出は無いと思っているのだ。何より腕の良い職人なのだし。

 そんな風にライデンの去っていった方に視線を向けたままでいると、一人の売り子がメイリーアの元へとやってきた。

「お客様。当店の支配人が是非お菓子を召し上がってほしいと仰せです。どうぞお連れ様と一緒にこちらへいらしてくださいませんか」

「え?」

「どうしたんですか、メイリーア様」

 少し離れたところで菓子を眺めていたルイーシャが慌てたようにメイリーアの傍へとやってきた。

「どうぞこちらへ」

 年配の人のよさそうな店員は物腰はやわらかいのだが、有無を言わせないような気迫があった。少し、いや結構笑顔が怖い。

「どうしたのメイリーア」

 何かあったのか、とニルダまでも隣に来てしまい、店員はそのまま三人を奥の扉の方へ案内をした。重厚な木の扉の先にはふわふわのじゅうたんが敷かれた廊下だった。

 お菓子が食べられると聞いて喜んだのはニルダだった。どんな理由かは知らないけれど『金色の星』のサロンでお菓子が食べられるとは思ってもみなかったのでなんという幸運とほくほく顔である。確かに持ち帰り用とその場で調理して出される菓子ではメニューが違う。

 メイリーアも廊下を歩きながら気持ちを切り替えた。

 一応手持ちのお金もあることだし、もし仮にお代を吹っかけられても多分大丈夫なはずである。宮殿へ付けてもらう。果たして宮殿へつけられるのかは謎だけれど。

 廊下を歩いて通されたのは庭園に面した個室だった。六角形の形をした部屋で白いテーブルの上には色とりどりの花が飾られた花器が置いてあり日の光が大きな窓からさんさんと入ってくる明るい部屋だ。

 三人それぞれ席に座るとほどなくしてケーキが運ばれてきた。

 メレンゲ菓子や小さな焼き菓子、クリームたっぷりのタルトなどどれもが小さいくかわいらしい大きさのものだが、果物のソースが繊細な模様を描きすみれなどの小さな花が添えられ、目にも楽しい乙女心をくすぐる皿だった。

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