王女と王子と祭典と6

「ありがとうございます。そろそろ到着ですね。ああ、そんな泣きそうな顔をしないでください。あなたを泣かせたなんてなったら僕が師匠に首を絞められますから」

 本気か冗談かいまいち判別不能な言葉を残してフリッツは停車した馬車の扉に手をかけた。

 下町特有の雑踏の中を二人で歩く。

 会話らしい会話も無いまま無言だった。メイリーアはちらりと隣を歩くフリッツを見上げた。あの話は終わりなのだろうか。

 やっぱり正直に話した方がいいだろう。どうせ四日後にはばれるのだ。驚かせるよりも先に謝っておいた方がいいに決まっている。

「いいですよ、別に。何も言わなくて」

 メイリーアの意思を感じ取ったかのようにフリッツが口を開いた。

「さきほどの言葉だけで十分です」

 至極真面目な声だった。

 ただの師匠と弟子という関係では答えられないような二人の距離を垣間見たような気がしてメイリーアは急にさびしさに襲われた。結局何も知らないのはこちらも同じなのだ。そしてフリッツはメイリーアにそれを知らせようとはしないのだろう。

 お互い肝心なことは知らないまま。

 そう思うと自分のことは棚に上げてメイリーアは自分の胸が先ほどとは違う痛みに襲われたことを自覚した。

 異国出身だと語っていたくせに、ガルトバイデンとの国境沿い出身だなんて公式書類には残しているのに。本当はどちらなのか。

 それを指摘したらフリッツは答えてくれるのか。

 多分、否だろう。

 『空色』に到着したら厨房では『猫の金貨』の店主であるハデル以下複数の助っ人が当日の仕込みの手伝いをしていた。当日さながらに試作品を作ったアーシュは当然のようにメイリーアの分も皿に取り分けてくれた。鉄板の上で焼かれたケーキを一口大の大きさに裁断して皿に盛る。その上からリンゴの甘煮をかけて食べるのだ。今日は特別だぞ、といたずらっ子のように笑いながらメイリーアの皿にだけクリームを乗せてくれた。

 美味しいのに、なぜだかメイリーアは泣けてきた。ぽたりとしずくが皿の上に落ちた。

 幸いだったのは忙しくてメイリーアにばかり構っていられないアーシュに悟られなかったことだった。甘いケーキを口に運びながらメイリーアは潮時だと思った。

 ちゃんと言おう。きっと誠心誠意真心をこめて謝れば許してくれるだろう。

 そう心に決めたのに、アーシュは材料の仕入れ先に呼ばれただか何かで店を離れてしまった。

 他の人間も慌ただしく動き回る中、結局メイリーアはこの日も何も出来ずに店を後にするしかなかった。最後、前日には来られるだろうか。少しの間だけ、アーシュに話をする時間だけあれば問題はないだろう。

 誰もが自分の仕事で手一杯だったので気付かなかった。『空色』をじっと観察している視線に。そしてその視線の持ち主はそっとその場を離れ、別の場所へと足を運んだ。




 会期が二日後に迫った日の朝―といっても貴人の朝というのはほぼ昼に近いのだが―、ノイリスはいらだった様子で室内を歩きまわっていた。ここにきてグレイアスからの報告が途絶えたのである。この件に関しては完全にグレイアスに一任していたため他の騎士に彼の居場所を尋ねようとも、望みの答えは返ってこない。

 彼らはグレイアスがノイリス勅命の元別任務を遂行していると理解している。一応城下に降りてもらい別案件の情報収集を行っているとだけは伝えてあるが、それが現在失踪中の第一王子捜索である旨までは知らないのだ。

 迎賓棟でのノイリスの私室と化した豪奢な部屋の、大きな窓辺に立つ。窓の外を見やりながらノイリスは歯がみした。

 元々グレイアスは今回のノイリスのたくらみに反対していたのだ。

 失踪した第一王子をいまさら見つけ出してどうするつもりなのか。それも名ばかり王子と揶揄される第三王妃の産んだ王子の使い道などたかが知れている、と。もちろんこれはグレイアス個人の私見が思い切り入った意見である。

 現在のガルトバイデン王国の王室は複雑だ。端を発するのはやはり現国王に三人の妃がいるということだろう。

 国王はことのほか第三王妃を寵愛していた。制度上は第三妃まで迎え入れることのできるガルトバイデン王室の婚姻制度を数代ぶりに利用して街で見染めた女、―評判の菓子職人だった―を第三妃として娶ったのだ。寵妃の息子であるアッシュリードを国王も可愛がっており、王位は継がせることは難しくともゆくゆくは国の要所に土地をやり公爵として治めさせようとしていたくらいだ。

 別にノイリスは国王と同じようにアッシュリードをガルトバイデンに連れ帰る為に彼を探しているわけではなかった。確かにこのまま兄を見つけて説得して故郷に帰ってきてくれるのならばありがたいのだが。ただ、自分の心のしこりを取るために彼に伝えたいことがあってずっと行方を追っているのだ。

 自己満足だと言われればそれまでだろう。彼が何を思って国を出たのか、それはノイリスにも想像がつくからだ。けれど、それでもノイリスはもう一度兄に会って話したかったのだ。

 居場所を特定できたのにこの期に及んで部下に見張りを命じたのは、多分ノイリスの中でまだ怖い気持ちがあったからだろう。数年ぶりに会う兄に、自分の言葉は伝わるのか。拒絶されたらどうしよう。アッシュリードが王室から去った遠因の一つはノイリスの存在があったからだ。母違いの兄弟同士相容れないものがあると言われたらそれまでだ。

 彼の中での兄弟は、同母から生まれた妹たちのみだとはっきり言われてしまったら。

 ノイリスはしばし瞑目した。

 今はグレイアスの動向の方が気になる。まさか変な気でも起こしたのだろうか。彼は実家は元々親ラーツリンド帝国派で母である王妃とも親しい。

「殿下、やはりグレイアスは一度もこちらに戻ってきた様子はございません」

 騎士の一人が報告を持って戻ってきた。宮殿に帰還した形跡はなかったようだ。しかしそれだけでは何も決めつけれることはできない。

「わかった」

 ノイリスはもう一人騎士を呼びつけ紙きれを渡した。

「一度この店の様子を見てきてくれ」

 命令を受けた騎士は紙切れに書かれた住所を一瞥し、敬礼し部屋を出て行った。まずはこちらも現状把握に努めるしかない。今日はメイリーアの元を訪れることになっているからだ。口実に使ったメイリーアのご機嫌も取っておかないとあとあと面倒だからである。メイリーアには悪いとは思っているが、彼女自身は嫌いではなかった。くるくるとよく変わる表情に明るい声。表情豊かな彼女が面白くてわざと困らせるような質問をしたこともあった。

 ここ数日の鬱憤もメイリーアに会えば幾分やわらぐだろう。相変わらず仕事と視察に忙殺されているレイスハルト王子には申し訳ないが、今日くらいはメイリーアと一緒に楽しませてもらおう。おそらく「お菓子の祭典」ではそんな余裕はないだろうから。



午後、メイリーアの元へ遣いを任せた女官が持ってきた返事は。

 筆頭侍女のルイーシャからの言葉のみだった。曰く、姫様は体調不良で部屋でお休みになられています、と。

 心配になったノイリスはすぐさまメイリーアの住む宮殿の一角へと向かった。もちろん彼女の私室に入ることは叶わない。女性の私室に足を踏み入れることができるのは家族またはそれに準ずるごく親しい者たちのみだからだ。ノイリスの立場では難しいことはわかっていた。

 要領を得ない女官では埒があかなかったので、ノイリスはメイリーアと一番親しいであろうルイーシャを呼びだすよう申しつけた。目の前に現れたルイーシャは緊張と困惑で表情を曇らせていた。どのようなようすかと尋ねたノイリスへの返答もやはり要領を得ないものだった。とにかくいつものことですから、の一点張りで詳細は一切教えてくれず、仕事があるからとさっさとその場を辞されてしまった。

 仕方なしに自室に戻り鎮居していると騎士の一人がノイリスの元に帰還した。夕刻もとうにすぎた頃であった。グレイアスの居所については明らかになっていないものの、関連のある人物からの呼び出し状を携えていた。騎士がそれを持ち帰ったのはノイリスから見張りを命じられた店の関係者であったことと、その人物に面識があったからである。でなければ、どこの誰かも分からぬ者が書いた紙きれなど千切って投げ捨てたであろう。遣いにやった騎士に相手の風貌を尋ねれば、兄そっくりの顔立ちに見覚えある、との二つ返事であった。

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