飯島は友人と会話をするのが楽しみで学校に通う少年であった。


 このような人物紹介をすると学問に対して真面目に取り組まず、遊び目的で学生をやっているように聞こえてしまうが、その通りなので訂正はいらないだろう。


 勉強なんて来年の三年生から真面目に取り組めばいい。今が楽しく遊べればそれでいい。大学に進学はするけど、流れに沿うだけ。彼女いない。だから欲しい。目下の悩みは期末試験を乗り越えること、などなど。優等生ではないけれど、かといって不良ではない。勉強をあまり重要視していない、どこにでもいそうな高校生の一人だった。


 彼は今日も楽しさを得る為に、教室の男子グループの輪に入り、昼休みの弁当を食べようとする。堅苦しい授業から解き放たれ、一息つく瞬間が何よりも好ましいと感じるのだが、あるまじきトラブルが発生してしまう。


「やべ、飲みもん買ってねえじゃん」


 必須というわけではないが、ないと困るソレ。我慢しようかと考えるのだが、周りの友人たちが、ついでに自分のも買ってきてほしいと口を揃えて大合唱をする。


「いやキミたちね? 自分の分があるでしょ?」


 だがもう一本欲しい。折角だから買ってこい。走れ走れと、もはや行かざるを得ない状況に追い込まれた彼は、泣く泣く椅子から立ち上がる。憎まれ口と皮肉を多少、もちろん冗談の範囲で済まされる程度で叩いてから、廊下に出た。


 暖房の効いた教室から外へ出るのは、やはり辛い。回れ右をして戻ろうかと考えるのだが、扉の向こうから行けと手を振る同級生達に、背中を強引に押されてしまう。


 ため息を一つ。小銭の入った財布を手の中で弄ぶ。、自分の分は何にしようかと考えながら、彼は四階の階段から派手な音を立て、ここ三階へと転がり落ちてくる化け物を目の前に、眉一つ動かさず平然とした表情で通り過ぎていく。


 人の形をしているが、目も耳もないどころか顔もない。一対の翼が背にあり、腕の先端が五本の指ではなく、大きな一本の棘といった黒い化け物は飛び起き、飯島少年を標的として定めて突貫する。


 獣の如き俊敏性。凶器である鋭利な棘を振りかざして、彼に突き刺さる寸前で宙へと高々に吹き飛んだ。


 廊下にコンクリートの塊が落下し、耳をつんざく破砕音が暴れるように鳴り響く。少年を守るために、階段の塀を砕き壊して四階から飛び降りてきた西洋の鎧甲冑。それが手に携える剣によって、黒い化け物が弾かれたのだ。


 突然の乱入者、否。四階から追撃してくる白銀の鎧甲冑に、化け物はたじろぐことなく体勢を立て直す。そして目の前で白刃を構える鎧甲冑を完全に無視して、執拗に少年へと迫る。武骨な鋼の脇を通り抜け、鼻歌交じりに階段を降りていくその標的の背を穿とうとして、背後から縦に両断され二つになる。


 血も溢れさせず、どさりと落ちる黒い体。数秒後に塵へと消えていくその瞬間を経ても尚、飯島少年は陽気に校舎外の自販機を目指す。


 あれだけの騒音と、これだけの異常を目の当たりにしても、彼は反応を示さない。


 行く先に再び、先ほどと同様の黒い怪物が二体いて、跳びかかってくる姿に怯えもしない。強がっているわけでも、現実逃避しているわけでもない。まるでそこにあるのが当然の存在であり、一々反応する必要があるものでもないかの如く、平常心のまま歩いている。


 自身を化け物から守るため、鎧騎士が突き飛ばして転ばされても、強めに背中を打ちつけられても、苦悶の声と背中を摩るだけ。何事もなかったかのように再び歩き出す。


 白刃が煌めく。化け物達を討つための剣戟が何度も走る。


 すぐ側にある非日常に着目することなく、彼は目的地へと向かい続けた。






 水無月司の戦場は粛々と、誰に知られることもなく開かれていた。


「これで、十九」


 見知らぬ男子生徒に襲い掛かってきた化け物を、鎧騎士ブレイズに切り伏せさせる。その直後、影から現れた同上の二体を相手に、携える剣の刃先を向けて突貫。自身の装甲を犠牲にしながらも撃破していく。


 増援の様子はないが、肩の力は抜けない。脳裏に映し出される十七の戦場、その全てが化け物と交戦中であった。校舎、廊下、校庭、体育館。あちらこちらに湧き出た敵に対応すべく、司は家庭科室に陣を取り、鎧騎士達を操作し続ける。


 一方では化け物の腕を剣で弾き、一方では斬撃を繰り出す。更に別のところでは、その鋭い腕を切り落として、蹴り飛ばすなど。兵隊たちに備え付けた機能を存分に振るわせるべく今、司の脳は十七体全ての動きを統括する司令塔になっていた。


 統括とは、文字通りだ。鎧騎士達の挙動、足を前に出すことから腕を上げることまで。全てを彼女は一人で行い、十七の駒を動かしている。


 人間にとって、自分自身の体を満足に動かすことすら難しいというのに、司はそれを魔術などのアシストなしに、自前のモノだけで実現させる。


 そうでなければ世界の十七位になど、座することはできない。


「これで、二十」


 時計の針が進めば進むほど、撃破数が積み重なっていく。


 人型に翼を生やした黒い人形のような容姿から察するに、敵のタイプは下級悪魔。それを半永久的に召喚させて、生徒たちを襲っている。倒せばその場で体を構成する魔力が霧散し、空に溶け、再び設定されているポイントで具現化する。無敵の軍団だが、この手のものにはエンジンが存在するのが常だ。召喚魔術の行使者か、核を壊せばいい。


 そこまでわかっていて未だ解決の一手を決められない。


「……やはり、何かが違う」


 不安が呟きに滲む。


 召喚魔法から出たモノから、行使者が『囁き語り掛けるモノ』であることは確定でいい。司が書を回収する際の交戦時に、これとまったく同じものを見た。この事件の引き金を引いた相手は間違いなく、取りつかれてしまったものの仕業だと断言できる。


 なのに使われ方がまるで違う。


「足止めの仕方が効果的過ぎます……こんなのは、初めてです」


 徹底して悪魔達が生徒を狙うため、こちらは防戦に回らざるを得ない。

 例え群で襲い掛かられても『ブレイズ』と悪魔達では実力が違い過ぎる。正面切っての戦闘であれば、こちらに敗北はあり得ないと、一蹴できるほどの差が両者の間にはあるのだ。それが戦略で埋められ、再発生ポイントの破壊へと中々移ることができない。


 普段ならば小憎たらしく思いつつも、相手の手際を褒めたであろう。


 しかし、これを実行しているのは、所有者の心を狂喜に堕とし、我が儘にさせる『囁き語り掛けるモノ』だ。狂人に冷静な判断など、できるはずがない。


 現に今までの所有者は全ての行動が衝動的なもので、計画的な行動を取ることはなかった。殺したいから殺す、嬲りたいから嬲る。そういった精神状況にさせられた相手を、司は黎明機関の任務で何度も見てきた。


 では今回はどうだろう。ターゲットである由紀の側には司がいる。再び殺しにかかるには邪魔な存在だ。行動を縛る必要がある。生徒を人質にしてしまえば、守りに入らざるを得ない。その間に本命を狙い打つ。


 理性ある作戦としか思えない。異常に気付かせないための結界が、校舎全体を包むように張られているのも納得だ。魔術を世間に露呈させないための配慮として使われるものだが、認識されて逃げられては人質として扱いが面倒になるのを防ぐためだろう。


「先輩……っ」


 握る拳に力が籠る。一か月前の戦いで壊れた数千の『ブレイズ』達が健在であれば、即座に制圧できただろう。だが今、稼働できる機体の数は全力時の一パーセントにも満たない。自身の無力さに、司は血が滲むほど強く唇を噛み締める。


 水無月司が黎明機関に入り、魔術の不正使用を取り締まる側として荒事に関わったのは十二歳のときだった。数えきれないほどの戦いを勝利で納めてきた彼女でも、時として敗走を余儀なくさせられたこともある。格上に叩きのめされた苦い経験もある。


「けれど……この戦いは負けられません」


 膝に土をつける結果で終わらせるわけにはいかない。

 由紀の死で幕を引くわけにはいかない。


「先輩は、絶対に死なせません……っ!」


 きっかけは上司だった。


『学校に行ってみようか』


 どこの世界でも現場の人間に指示を出す者はいる。黎明機関も然りであり、例えどれだけの実力者であろうと、反対は認められていない。


 明白な上下関係を用いて、司の上司に当たる男は、彼女に学校へ行けと命じた。


 最初は何かの任務だと思った。学校に魔術師が潜入し、良からぬ動きを見せている。君も同様に入り込んで調べてこい。といった内容が続くのだと考えていた。


 現実は違った。言葉の通りだった。


『水無月くん。君は魔術師としては一流だ。手元に置いてこれほど頼りになる部下はいない。だけども、人間としては未成熟だ。完成されきっていない。それは面白くないだろ?』


 学び、触れ合い、人としての自分を成長させる必要がある。


 上司の言葉を受けて司が感じたのは、嫌悪感だった。


 生まれたときから魔術師として生き、魔術師としての誇りがある司にとって、表社会に身を置く事は無価値以外の何物でもない。古典や数学を学ぶ時間があれば、新しい術式の開発に取り組む方が、何倍も有意義だ。


 無意味であると、無駄でしかないと伝えても上司は意見を飲まず。


『仕事があるから毎日は難しいだろうけどね。それでもできる限り行こう。これは命令だ』


 指揮官の権力と、十七位の権力は別のベクトルだ。跳ね返すことはできなかった。


 はっきり言って不服以外の何物でもない。相手の意思を無理やり自分の中に押し込められたのだ。命じられてから数日後に届いた段ボールから、鷹津高校の制服が出てきたときは、その場で送り返してしまおうかと、乱暴な思いを抑えるのに必死だった。


 小学校も、中学校も行ったことはない。


 その時間を私は魔術師として生きてきた。

 水無月の家の中で拷問のような教育に耐えながら、魔術の技量を磨いてきた。


 自分と同じ年代の子供が、必ず行くという学び舎に興味がないわけではなかったが、気づけば十五歳。外れた道を歩き過ぎて、もうそれ以外が考えられない頭になっていた。


 一度行って、似合わない場所にいるなと実感すれば、上司に対しての文句にも重みが出るだろうと、始業式に出た。


 結論から入ると居心地は最悪だった。右を見ても、左を見ても、能天気な顔しかない。自分たちの位置する場所が砂のように脆く、容易く崩壊する場所だと知らない人だらけ。


 告白しよう。喉を掻き毟りたくなるくらい羨ましかった。


 私には出来ない。体育館に集まった人間の中に、裏側の人間がいたとして、騒ぎを起こしたのなら自分は対応できるのか。方法は、手段は、手順は。そう考え込んでしまって、楽しそうに隣と話すことも、希望に満ちた目で正面を向くこともできない。


 住む世界が本当に別なのだと痛感した。


 白い羊の中に、一匹だけ私という黒い犬がいると思うと、恥ずかしさで表を上げることができなかった。


 私には無理だ。呼吸をするのも苦しいのだ。今更通うなんてできない。すぐにやめさせてもらおうと、教室の振り分け表が張られた掲示板を素通りし、周りより一足先に帰ろうとしたときだった。


『甘いのは嫌いか、一年』


 宗方由紀と出会ったのは、そのときだった。


 こちらが一年と見られたのは、制服のスカーフの色からだろう。私服登校が許可された高校だが、制服もきちんと用意されており、学年別でスカーフの色が違う。


 対する相手は私服だった。話しぶりからして同じ一年ではないだろう。恐らく二年生か、三年生か。入学式の裏で行われていた始業式が終わり、解散したところに出くわしてしまったようだ。誰とも会いたくない気分だっただけに、不意打ちだった。


 初対面の相手からの、唐突な質問の意味を計りかね、返事に窮している私に宗方先輩は持っていたホットココアを強引に押し付ける。


『嫌なら飲まなくていい。カイロの代わりにはなるはずだ』


 春先でまだ寒い中、缶の持つ熱は手を気持ちよく痺れさせる。なんとかして嫌いではない、ココアは大好きですと答えると、その先輩は満足げに頷いて私の横を過ぎ去っていく。


 いやだめだ、このまま別れてはだめだ。流されてしまったが、この飲み物だってお金を払う事で得られるものなのだから、見知らぬ人からはもらえない。もらう理由がないと、三歩ほど進んだ背中を呼び止めると、先輩は言うのだ。


『アタリが出たらもう一本って奴だ。……だが、当たったことに驚いてつい、同じのを選んでしまってな。二本はいらないから、できればもらってくれると助かる』


 既に受け取ってしまったものを返すのも気まずい。それならばと、好意に感謝しながらココアを正式に受け取る。レトロな書体で『あま~いここあ』と書いてある。


『そのココアだがな、かなり昔からの商品らしくてココの敷地の自販機にしかないんだ。コンビニや他の自販機で売ってるとこなんて見たこともない』


 言いながら、先輩は口元を薄く緩める。


『だから、気に入ったなら、それを買いに来るのを理由にがんばってみるといい』


 それは、ココアの話じゃなくて。


『オレもスタートをしくじったが、そこそこ楽しくやれてる。辛いのはずっとじゃない。始まって流されていく間に、慣れて平気になることもある。状況は自分で変えられるんだ』


 私の抱える感情の根源を、この人は見抜いていて。


『まあなんだ、上手く行かなかったら頼りに来い。話しを聞くくらいはできる』


 伝えるべきを全て伝えたのだろう。先輩は私の前から今度こそ去っていく。


 受け取ったココアだけが手の中に残る。プルタブを開け、一口飲んでみると、宣伝文句の通り甘く、安心できる温かさが胸の中に沁み込んだ。


 後日。味が気に入った私は、先輩の教えてくれた校内の自販機の前に立っていた。何の変哲のない、ただの自販機だ。特段目を引くような仕掛けはない。


 アタリが出たらもう一本、なんて機能はどこにも備わっていなかった。


 購入後に変化があるのかと、硬貨を滑らせボタンを押しても何も起こらなかった。


 学校にも、勉強にも、交友にも、興味はない。

 あるのは魔術の研鑽。それによる家と黎明機関への貢献のみ。


 けれどあの日、あの時に出会った人だけは違った。


 どうして声をかけてくれたのか、何故見知らぬ私を気遣ってくれたのか。

 気に出し始めたら止まらなくて、学校に行ける日は本当に少なかったけれど、私はあのときのことが忘れられなくて、今もこうして制服を着ている。


 恋なのかはわからない。決めつけられるほど、私はこの手の感情に詳しくない。

 だけど目が離せない。遠い場所にいても心の中で想いが揺らめく。


「あの人が、大切だと思う場所を……」


 鎧騎士達を操る意思に熱が籠る。


「宗方先輩がいるこの世界を、私は守る」


 そのことに誇りを覚えながら、司はまた一体、相手の使い魔を鋼の剣で切り裂かせる。


 帰るべき『場所』は私が守ろう。


「だから、貴方は名前に賭けて先輩を守ってみせなさい。フェンリル」


 彼女はきっと、黎明である私は認められないだろう。けれど、必ず先輩を守り抜いてくれるだろう。話す中で見えた、刺々しさに隠れている感情を私は信じる。


 虚空に向けて放った言葉が、相手に届くようにと祈りを司は捧げた。

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